《 59話 治せない病 》
「ちょっとしたスキンシップだろ。それより今自分がどうなっているか気にならないか?」
何を言っているの?
頭がおかしくなったのかな。
「私はここにいるじゃない」
「忘れん坊な奴め。今のお前は中間にいるんだよ」
「生と死の中間でしょ。覚えてるよ」
ネストは首を振り人差し指を下に向けた。
「ここにいるのはセシリアの意識だけだ。本体はこっち」
意味がわからない。
ネストが下に向かって呼びかけた。
「おーーい、聞いてんならこれを動かしてくれ!」
もしかして湖の下にいるルンテとナミスに話しかけてる?
ネストに応えるように丸い球体がゆっくりと移動を始める。
「えっ、ちょっとこれ動いてるよ!」
球体はシャボン玉が風に揺れるように、上へ下へと繰り返しながらぷかぷかと宙を漂う。
桟橋の見える上空でピタリと止まった。
ううっ、変な感覚に酔いが回ったかも。
「セシリア、下を見ろ」
「下に何かあるの?」
ネストの指先を追っていくと……。
桟橋から少し離れた湖の畔、街灯に照らされた一角にクラウスの姿を見つけた。
ドクンと心臓が大きく脈打つ。
地面に膝なんて着いたら服が汚れるよ。
髪も服もどうして濡れているのかな。
クラウスの前に寝かされているのは私の身体。外套をかけてくれたんだ。
私の頬を軽く叩いたり肩をゆすったりしていたクラウスが、私の身体の上に覆い被さった。
「クラウスはいったい何をしているの?」
「溺れたお前が意識を取り戻すように空気を送っているんだろ」
上空からだとよく見えない。
「空気を送る?」
ネストが自分の口に人差し指で触れ、にやりと笑う。
「どうやるか教えてやろうか?」
この笑いは何か良からぬ事を考えている顔だ。
「ワンアドバイスに相談料を払うのはゴメンだよ」
断るとネストはやれやれとため息を吐く。
「お前はまだまだお子ちゃまだなぁ。救助方法と礼は同じだって気付けよな」
球体が移動したかと思ったらすぐに止まった。
「何それ、意味がわからな……!」
球体が止まった位置から下を見下ろすと、クラウスが何をしているのかがはっきり見えてしまったよ。
顔に火が付いたように熱くなる。
「なななっ、クラウス私に何してるの!?」
球体に張り付き下を見下ろす私にネストがしれっと呟いた。
「だから救命救助。口と口を塞いでだなま……」
「わぁっ、言わなくていいよ!」
アレが救助方法になるだなんて。アレはあくまで救助。
セシリア、落ち着くのよ。
クラウスは私を助けるためにやってくれているだけ。
クラウスは自分の口と私の口を重ねては離し、私の頬を叩いたり肩を揺さぶったりしながら私の身体に何か話しかけている。
いつも無表情か不機嫌そうな顔、意地悪な顔しかしないクラウスの顔が今はいつもと違う。
額に薄っすら汗を浮かべ形の良い眉を寄せ、必死な顔で私の身体に呼びかけている。
どうしてそこまで。
クラウスにとって仮面妃はそんなに大事なの?
私はネストの祟りからフェストランドの民を守るためのお飾りに過ぎない存在。
そして自分の恋人の存在を隠すためのカモフラージュの正妃。
今の私にナミスの加護はないんだよ。
私がラルエットの王女だと証明出来ていないのだから。
私が偽者なら次を探せば良いだけ。
どうして冷たい湖に飛び込んだりするの。
クラウスらしくないよ。
変だな、視界がぼやけてきちゃった。
「助けてくれても私はもう……」
「なぜダメだと思うんだ?」
「だって私に先はないでしょう?」
「先はないねぇ。お前はさっきも幕を引くとか言っていたけどな、自分の人生簡単にあきらめるのか?」
隣で見下ろしてくるネストの顔は真剣だった。
私は下を向き悲鳴をあげる胸の辺りをぎゅっと掴む。
「あきらめられるわけない。でも、治らないんだよ。何日も経つのに酷くなるばかりなんだから。私だってまだ……」
どんなに止めようとしても溢れてくる。
ポタッ、ポタッと水滴が目から零れ落ちていった。
「酷くなるね……原因が何かわかっているのか?」
黙って頷くと頭に重みを感じた。
ネストの手だ。剣を握る騎士の手だからか大きくてゴツゴツしている。
ネストの温もりに背中を押されたのか、私の口がゆっくり開く。
「赤い粒だよ。間違って食べてからずっと症状が治まらないんだ」
ネストは一瞬沈黙した後、なぜか私の頭をグシャグシャに撫でまわした。
「な、何するの!?」
抗議のために顔を上げると、今度は腕で顔をゴシゴシ拭われた。
「俺はあの馬鹿が憎たらしいぜ」
「ちょっと顔がヒリヒリする! あのバカって誰?」
「セシリアにそんな顔は似合わねぇよ」
答えになってない。はぐらかされたの?
ネストは私を正面に向かせると目線を合わせるように膝を折り、両腕を私の肩の上に置いてきた。
私の顔はきっとぐちゃぐちゃだ。こんな顔見られたくないのに。
視線をそらす私にネストは御構い無しに顔を覗き込んでくる。
「一つ教えてやるよ。お前が感じている痛みは赤い粒とはなんの関係もない。あの果実の種に命を脅かすような効果はねぇよ」
そんなはずない。植物に詳しいルディが大量に摂取すると衰弱すると言っていたのだから。
「大昔の人は果実を食べて命を落としたって聞いたよ」
「どこで聞いたかしらねぇが。そりゃ医者もろくにいない大昔の話だな。それも果実が大量に採れる原産国の話だ。だから気にするな」
ネストが嘘や適当な事を言っているようには見えない。
赤い粒と関係がないのならいったい……。
「私は別の病なの? 医師に正直に打ち明ければ治る?」
少しの希望を持ってネストのアメジストの瞳を見つめる。
「お前のソレは医師に診せたところで治らないな」
ほんの少しの期待は一瞬で消え去った。
「そっか、結局は治らないんだね」
どうしたってダメなんだね。
あはは、もう乾いた笑いしか残らないよ。
頭をネストに引き寄せられ腕の中に囲われた。
「あきらめるなと言ったろ」
「治らないって言ったのネストだよ」
「言いたくないが教えてやるよ。お前の病を治せる奴が一人いる」
医師でも治せない病を治せる人だなんて、それはつまり……。
「魔術師か錬金術士を知っているの?」
ネストがぷっと吹き出したように笑った。
こっちは真面目なのに失礼すぎるよ。
腕の中から逃れようともがくが、ネストの腕はビクともしない。
「お前の病はそんな奴でも治せねぇと思うぞ」
「じゃあいったい誰に治し方を聞いたら良いの?」
なんとか顔を上げネストの顔を覗き込むと、ネストは片方の手で下を指差した。
「奴に聞いてみな」
下にはクラウスと私の身体、よく見るとクラウスから離れたところに騎士とシュナル殿の姿が見える。
「騎士とシュナル殿どっち?」
ネストは堪えきれないと言ったように笑い出した。
「その鈍感さは天性のものだな。ますます気に入ったぜ」
変なことを言った覚えはない。
「またはぐらかすつもり? ホントは適当に言っているんでしょう」
腕がゆるんだ隙に私はネストから離れてじと〜と見つめる。
「適当じゃねぇよ。赤髪でも騎士でもない」
シュナル殿でも騎士でもなかったら後はクラウス?
「ヒントを与えてやるよ」
「ヒントって、私にとっては深刻なんだけど」
「ヒントがイヤなら、ここにほら」
ネストが自分の唇を指差している。
むむむ〜っ、どうしてそっちに持っていくかなこのセクハラ男。
「ヒントで良いです。教えて!」
「その症状がどんな時に悪化するのか考えてみな。逆に軽い時はどんな時か。俺から言えるのはそこまでだ」
それで治せる人がわかるなら考えてみよう。
症状が少しでも緩和されるのなら。
「わかった。ありがと」
「おっ、その顔良いな。セシリアは笑ってる方が良いぞ」
そんな事言っても何も出ないよ。でも……。
「ネストってなんだか頼れる兄様みたい」
褒めたつもりがネストはガクッとうな垂れた。
「兄様かぁ……ま、これからだな」
何かぶつぶつ言っていたかと思ったらにやりと笑う。
「さっきハグ出来たからな。あ、ハグならいつでもしてやるぞ?」
今の発言却下!
やっぱネストはどこをどう取ってもセクハラ化けリスだよ。
両手を広げるネストに私はあっかんべーをする。
「下心ありありな化けリスはお断りします!」
「そんな所も好きだぞ」
「はいはい。ありがとうございます」
適当に返事をしておこう。
「セシリア、これからどうしたい?」
助かるのならもう一度戻りたい。
「下に戻れるの?」
ネストは俺に任せろとニヤッと笑った。
「おーーい、セシリアが戻りたいってさ。降ろしてくれーー!」
ネストが湖に向かって大声を張り上げた。




