《 第51話 今、何をした? 》
クラウスが今まで黙ってやっていたんだ、そう言わんばかりにさっそく話しかけてきた。
「あんな中途半端な処罰がラルエット流か?」
私は人差し指を立てて横に振る。
「わかってないなぁ。精神的に追い込んで、こんな目に会うくらいなら二度と同じ過ちは繰り返さない。そう思わせて、また同じ事をしたら前回よりもっと過酷な罰が待ってるよって。道をそれた人間を改心させる為の手段だよ。この方法は公的に罰するよりも、もっと地味に堪えるんだって」
全部アリーサ姉様が言っていた事だけどね。
ラルエット王家でこの罰を受けるのはもっぱら、カティヤ姉様とターニャ姉様のどっちかだけどね。
カティヤ姉様には正装での社交参加とダンス。ターニャ姉様には男子禁制の神殿での奉仕活動がたまに言い渡されていたよ。
二人とも最終日にはげっそりして、抜け殻のようになって帰って来た。
ラルエット流は当人がもっとも苦手な事や嫌いな事をさせる。罰と言うかお仕置きに近いかもね。
そんなような事を話してあげると、クラウスがあきれたような顔になった。
「ラルエットの王太女はそんな裁きを臣下に下しているのか?」
そこは勘違いしてもらったら困るな。
「数ある裁きの一つの手段なんだって。罪の重さによって罰の種類も内容も違うらしいけど、その辺は詳しく知らないよ」
罰の話をあまりに楽しそうにするアリーサ姉様が怖くて、その手の話は聞かないようにしているから。
サビーナ姉様の話では古代から伝わる拷問だとか、危険なトラップの試運転に、サビーナ姉様の新薬の実験台とかリストに載っているらしい。
「なるほどな。ラルエットの王女は皆規格外だという事か」
珍しくクラウスの言葉から、からかいや嘲りを感じない。
あきれ半分あとはあきれを通り越して、関心半分ってことかな?
「うちはこれが普通なの。アリーサ姉様みたく上手く立ち回れなかったのは、大目に見て欲しいな」
これでも頑張ったんだから。
「処罰の内容はともかく、セシリアにしてはよくやった」
クラウスの穏やかな微笑みと温かな声のトーンに、思わず自分の耳を疑ったよ。
褒められてるんだよね?
誉められて嬉しい気持ちはあるのに、ドクンドクンと早くなる動悸に私は素直に喜べずにいた。
こんな時に赤い粒の後遺症。
クラウスから視線を外し心臓のあたりを手で押さえる。
「どうした?」
まずい、不審がられてるよ。
「えっ、ああ。慣れない事をしたから気が抜けちゃって」
笑ってごまかすと、クラウスが右手を差し出して来た。
「ほら」
立つのを手伝ってくれるのね。
最近のクラウスの行動には戸惑いっぱなしだけど、ありがたく手を借りて立ち上がろうとした。
「えっ、なに!?」
なぜかそのまま横抱きにされているんだけど?
「一人で歩けるよ」
「そんな顔でよく言えるな。座ってろ」
近くにあったソファーに下された。
あのまま私室まで運ばれるのかと思っちゃった。
クラウスが扉の向こう側に話しかけると、扉が開き騎士が部屋に入って来た。
「小腹が空いた」
「すぐに」
メンタルがすり減ってくたくたな私は、ぼーっと騎士の動きを目で追っていた。
重そうな鎧を着けているのによく機敏に動けるよね。肩凝ったりしないのかなぁ。
そんな事を考えていたらクラウスが最近の定位置、私の隣に腰を下ろした。
ソファーにもたれたまま顔を天井に向け、瞼を閉じている。
随分お疲れのようだね。
きっと睡眠時間を削って、通常政務に加えて異常気象やその他諸々の処理や対応に追われているからだよね。
クラウスの悩みの種の一つ、私の偽疑惑。
自分の問題くらいは自分で解決したい。
何か方法はないかなぁ……。
騎士が部屋を出て行って数分でノックの音が響き、侍女がカートを引いてやって来た。
無駄のない動きでテキパキとお茶の準備を終えると、静かに一礼し部屋を出て行った。
大きなお皿には一口サイズのマドレーヌ。深めのお皿にはドライフルーツとクルミチョコが盛られている。
グリにあげたら喜びそうだ。
クラウスはソファーから起き上がると、マドレーヌを一つ取って口に入れた。
「食べて良いぞ」
「私はいいよ。お腹空いてないから」
マドレーヌをもう一つ取り私に向けて来る。
いや、だからいらないって言ったじゃない。
「遠慮するな。口を開けろ」
遠慮なんてしていないし、あ〜んはしませんよ!
この部屋には今は私とクラウスしかいないんだよ。仮面夫婦をする必要がある?
「小腹が空いたならクラウスが食べなよ」
「なんだ、謝罪のつもりで奉仕してやろうと思ったがいらないのか」
そんな奉仕はいらん!
クラウスはつまらなさそうに、マドレーヌを自分の口に放り込んだ。
「奉仕の押し売りは間に合ってます。だいたい謝罪って何?」
クラウスは紅茶を一口飲んでから口を開いた。
「おまえにまだ謝っていなかったと思ってな」
私の右手を握っているこの手は何?
ああ、まただ胸の辺りが騒ぎ出す。
これはきっと重症に違いないよ。
「セシリア?」
いけないいけない。クラウスが不審がっている。今は話に集中しないと。
「あ、謝るって?」
「俺はおまえを理解せず誤った判断を下した。傷つけた詫びとして何か欲しい物があったら言ってみろ」
欲しいもの……。
マーヤとアスタを侍女に戻してほしい。
なんて言えるわけない。彼女達は物じゃないんだから。
それにそんな事を言ったら、クラウスを困らせるだけだよね。
「何でも良いぞ」
「何でも?」
「ああ、宝飾類でもドレスでも好きな物を言ってみろ」
そこまで言うなら。
「じゃあ遠慮なく、自分の……」
言いかけて私は口を閉じた。
自分の菜園が欲しいなんて、無茶なお願いだよね。
「自分のなんだ?」
なんて答えよう……。
私はクラウスに握られたままの右手に視線を落とす。
さっきからこの状態には落ち着かない。
「私の手を返して欲しいかなぁ、と」
「セシリア」
クラウスは何か言いたそうな顔をした後、面白いものを見つけたようにふっと笑った。
意地悪クラウスの不敵な笑いじゃない。
勝気な少年のような顔。こんな表情もするんだね。
「欲がないな」
欲がないわけじゃない。クラウスを困らせたくないだけなんだけど。
「欲しいものなんてないし、言葉だけで充分。クラウスの気持ちは受け取ったから」
だから早くこの手を解放してほしいのに、私の右手は両手で包み込むように握られてしまった。
こうなったら視線で訴えてみよう。
クラウスの顔と握られた両手を交互に見てみいると、クラウスが私の右手を自分の方に引き寄せた。
クラウスが身を屈めると、私の手の甲に柔らかなものがそっと触れすぐに離れていった。
まるで違和感を感じさせないクラウスの動きに、一瞬何をされたのか理解するまでに時間がかかったよ。
あなた今、何をしたの?
暴れ出す心臓の動きは頭に過ぎったエルナさんの顔で動きを緩めた。
クラウスにはエルナさんという、絶対に隠しておきたい恋人の存在がいるはず。
部屋には私とクラウスの二人だけ。
仮面夫婦をする必要がない今、クラウスの行動は全く理解できないよ。
もしかして、試されているの?
これは抜き打ち仮面妃の実力試験なのかもしれない。
この部屋のどこかに誰かが潜んでいるに違いないよ。
こっそりこっちの様子を伺っているんだね。
さりげなく辺りを見回して見ても人の気配は感じない。
手は相変わらず握られたままで、クラウスがもう片方の手で私の髪を撫でてきた。
私はいつものクラウスからは想像できない、穏やかな表情を避けるように顔を俯けた。
見えない誰かがいるのなら、ここは仮面妃を演じるべきだよね。
でもどう返せって言うの?
こうして下を向いていたら夫の口づけに恥らう妻に見えないかなぁ。
「あの、忙しいのに迷惑かけちゃったねゴメン。それと私に二人の事を任せてくれてありがとう」
ぼそりと呟く私に、クラウスは髪を撫でる手を止め、今度は私の頭をぽんぽんとしてきた。
「おまえは面白い。今はそのままで良い。急ぐ必要はないからな」
さっぱりわからない。何の事?
「クラウス?」
顔を上げた時には握られた右手も、頭をぽんぽんしていた左手も私から離れていた。
「ほら、飲め」
解放された私の手にはティーカップ。
クラウスから渡された紅茶を一口飲むと少し冷めて、私にはちょうど飲みやすかった。




