《 第44話 災難の後 》
『おーーっ、ほっほっほ、偽物ですわね! 子爵令嬢風情が、こんな高価な物を持てるはずなくってよ。あら、手が滑りましたわ御免あそばせ』
クリスタが高笑いとともに、わざと床に落とした髪飾りを踏みつける。
髪飾りはパリンッと音を立て、真っ二つになってしまった。
この髪飾りは宝石に比べたら確かに高価な物じゃない。
でも、東の国のガラス細工職人が作った一点物でクリスタの偽物石が付いた指輪よりは高いと思う。
『これは汚れてるし、こっちはサイズが合わないわ。ちょっとあんた、洗って縫い直しなさいな!』
ウリカは私から取り上げたドレスを投げてよこした。
私宛に送られてきた包みはみんなウリカが勝手に開けて手紙以外は持っていく。
汚れてる、じゃなくてウリカが自分で汚したんだよ。
サイズが合わないのは、私のサイズでドレスが作られてるからで、破れたのは私よりウリカに余分にお肉が付いているからでしょ!
子爵令嬢という偽の身分のせいでどんなに虐げられても、ムカムカしながら耐えなければいけない。
嫌がらせが続くとよくここまでやれるよね、ってあきれてくる事もある。
今日も私はクリスタの高笑いと、ウリカのキーキーヒステリー声を黙って聞いていた。
この二人は暇なの? 暇なんだよね。
だからわざわざ私に声をかけてくるんだよね。
いつまでこんな事が続くの?
はっきり言ってもう、うんざりだ。
冷めた気持ちで二人を静観していた私にも、これだけは許せない事が一つだけあった。
クリスタが踏みつけた髪飾りも、ウリカがぞんざいに扱ったドレスだって、みんな姉様達からの贈り物なんだから。
脳裏に姉様達の顔が浮かぶ。
姉様達の気持ちが入った大事な物を勝手に……。
「もう、やめて!」
私は飛び起きてすぐ、目眩が襲って来て身体をベッドに倒れさせた。
荒い息を吐きながら、汗で額に張り付いた前髪を取り払う。
最近悪夢ばかりだ。
師匠……どうしたら悪夢が治るの?
そうだ、昔よく見ていたあのお守り。
この前、遭難しかけた時にグリが持って来てくれた手提げ袋に入れておいたはず。
なくしたと思った手提げ袋は、グリが見つけてこっそり持って来てくれた。
どこに仕舞ったかな。
私はふらつく身体を支えるために、床に四つん這いで移動しながら手提げ袋を探した。
冷え込んだ夜の空気が身体にまとわりつき、冷たい床が足や手の熱も奪っていった。
ああ、頭がガンガンするし胃の辺りがキリキリ痛む。
赤い粒の症状で弱った身体にこの悪夢。
薬の効き目が切れてきてるのかも。
床を這いつくばりながら、手提げ袋を仕舞った引き出しまで移動する。
ちょっとヤバくなってきた。これ以上は動けそうもないよ。
こんなところで寝たらどうなるか、そんな事はわかってる。
ちょっとだけ横になるだけ。ちょっと休憩してからまた動こう。
私が床の上で身体を丸めた時、ガチャリと扉の開く音が聞こえた。
「セシリア!」
起きているはずなのに夢を見ているのかな?
クラウスの声がする。
ぼんやりとする頭でそんな事を考えていると身体がふわりと浮いた。
「あれ、私もうお呼びがかかったの? まだお花畑の向こうには行きたくないんだけどなぁ」
「叫び声が聞こえたから駆けつけてみれば。何バカな事を言っているんだ?」
「クラウスのお説教だぁ。アレに比べたらこのこっちの夢の方がまだ良いかな。天国行けたら良いな」
「寝ぼけているのか? しっかりしろ、おまえは生きてるぞ。戻って来い!」
私は暖を求めて熱にしがみついた。
「あったかい。頭痛が引いてきた……さすが天国だね」
「セシリア? 寝たのか? まったく俺の妃は……」
*****
何これ、デジャブ?
前にもこんな事があったよね。
私の隣でクラウスが眠ってる。
クラウスの精悍な顔立ちが至近距離に。
なんか私、クラウスの腕の中に囲われてるよ。
もしかして、私またやっちゃった!?
一度や二度ならず三度目だよ。乙女としてなんたる事なの。
クラウスのベッドにちゃっかりお邪魔しちゃうなんて……ん?
私は室内を見回して首を傾げた。
ここって、私の寝室だよ。
なぁ〜んだ、私が寝ぼけたわけじゃないんじゃん。
今回は間違いなくクラウスが寝ぼけたね。
悪夢を見ていた覚えはあるんだけど、なんだか久しぶりにスッキリとした目覚めで気分が良い。
起こしたらどんな反応するかな?
私はクラウスの肩を揺すってみた。
「クラウス、起きて」
クラウスがぱちりと瞼を開け、私の顔を見ると口の端を少し引き上げた。
「眠れたか?」
「ここ、私の部屋だよ。今度はクラウスが部屋を間違えたみたいだよ?」
ぷぷぷっ、と口に手を当てても笑いが漏れちゃう。
そんな私は次のクラウスの言葉で雷に打たれるような衝撃を受けた。
「寝ぼけたのはそっちだ」
ベッドに肩肘をついてそこに頭を乗せ、不機嫌さを隠さないクラウスの顔に私は首を傾けた。
「はい?」
「床に転がっているのを見つけて、おまえをベッドまで運んでやったが、俺の夜着を掴んで離さなかったのは誰だ?」
傾けたままの頭をさらに傾ける。
まったく身に覚えがございません。
「え? 私そんな事した?」
「ああ、俺にしっかりしがみついて離れなかったぞ」
「いやいや、そんなまさか〜」
クラウス相手にそんな恐ろしい事出来ませんって!
ないない、と手を振る。
「セシリアが信じないのなら」
クラウスは起き上がると、私の顔の横に両手をつき見下ろしてきた。
「身体を使って教えてやろうか?」
瞳を細くして意地悪そうな微笑み。嫌な予感がする。
クラウスって、寝起き悪かった!?
美形顔がゆっくり降りてきて、私はとっさに顔の前に両手を立てて壁を作る。
「ク、クラウス! 良い、教えてくれなくて良い!」
クラウスの顔が横に移動する。
た、助かった?
「ば〜か、病人に手を出すわけないだろ」
耳元で囁くと、ふ〜っと息を吹きかけてきた。
何をされるのかと、びっくりしたじゃない!
さては私が寝ぼけ呼ばわりして笑ったから、その仕返しだな。
「朝からなんて事してくれるのよ!」
それにこの状態。クラウスに押し倒されてるみたいで落ち着かない。
私は逃げ出したくても、目眩のせいで起き上がれないんだから。抵抗も何もできない。
キッと睨んだけど、クラウスはお構いなし。
さっと起き上がってベッドから降りていった。
ガウンを羽織ると、こっちに顔を向ける。
「朝食はここに運ばせる。セシリアは横になっていろよ」
「う、うん。わかった」
な、慣れない。クラウスが私の名前を呼ぶのに慣れないよ。
それに、意地悪だけど親切だ。
これにも慣れない。
なぜか忙しいはずのクラウスが私の部屋で一緒に食事をしている。
クラウスにソファーまで運ばれて、どういう訳か隣り合わせに座っている。
食前にあの苦不味い薬草水を飲まされ、口の中に花の砂糖漬けを入れられた。
昨夜は青い塊に見えたこの花の砂糖漬けは、星型の花タフティの砂糖漬けだった。
タフティが食べられる花だったなんて知らなかったよ。
色々ツッコミどころ満載なんだけど……。
クラウスが食べやすくカットされたリンゴをフォークに刺して私の口元に持ってくる。
「口を開けろ」
「自分で食べ……むごっ」
しゃべってる途中でリンゴを口に詰め込まれた。
さっきから自分で食べようとするとこの状態だよ。
クラウスは自分の食事をしながら、器用に反対側の手で私の口に食べ物を入れてくる。
シェフが私の体を気遣ってくれたのか、メニューはお腹に優しい物が並べられていて、どういう訳か健康なクラウスも同じメニューを食べている。
とろ〜りチーズと蜂蜜をかけたパン粥に、小さく刻んだ野菜のコンソメスープ、カットフルーツの盛り合わせ。
オルガさんに給仕をされながら、この恥ずかしい状態は食事の間ずっと続いた。
もしかしたら、これは罪滅ぼしのつもりかな?
昨夜知らなかったとはいえ、私に赤い粒入りのミルク粥を食べさせたから。
乳母にお世話される子供の気分になりながら、私は食事を終わらせた。
悪魔の赤い粒は皇宮持ち込み禁止物。
じゃあ、誰が持ち込んだのか?
朝食の後、教えてくれた。
「昨夜おまえが倒れた後、その場にいた侍女の様子がおかしい事にギルが気づいて、ギルにその侍女を尋問させたらあっさり認めた」
「その侍女って……アスタ?」
信じられない気持ちで聞いた私の言葉にクラウスが頷いた。
「そんな……どうしてアスタが」
間違いであってほしいと願っていたのに。
「聞く覚悟がないのなら、話は終わりにするぞ」
聞きたくないけど、どうしてそんな事をしたのか知りたい。
「アスタはどうして私の食事に赤い粒を入れたの?」
「侍女はあの吹雪の騒動の後。おまえが早く回復するようにと、滋養効果のある物を街で探していたらしい。薬草店の前にいた人物から種と種を原料にした薬を手に入れたと報告を受けた」
吹雪の騒動……私が遭難しかけてクラウスに発見され後、熱でしばらく寝込んでた時の事かな。
優しいアスタは私の事を心配して、早く回復するように色々考えたくれたんだね。
「それじゃあ、アスタは赤い粒がなんなのか知らなかったの?」
クラウスは厳しい顔をした。
「本人は知らなかったと言っている。赤い粒を売った人物から、効果が薄い場合は薬の量を増やすように指示され、その通りに食事に混ぜる量を増やしたそうだ。そしたらおまえが突然倒れたって訳だ」
確かに昨夜食べたあのミルク粥には、今までで一番の刺激を感じた。
なかなか私が回復しないから、アスタは量を増やしたんだね。
「アスタは、アスタはどうなるの?」
皇族に薬をもったとあっては、罪に問われるのが常だ。アスタの身が心配だよ。
地下牢に入れられたり、暗い所で心細い思いをしていないか。
手や足を縛られていないか、食事はちゃんと出されてるの?
「侍女に赤い粒を売った人物が判明するまでは、侍女棟に帰す訳にはいかない。今別の部屋に入れている」
そっか、地下牢なんかに入れられてなくて良かった。
私は胸をほっと撫で下ろすと、そこに希望を見出した。
アスタの無実が証明出来る人物が現れたら、また私の侍女になってほしい。
「じゃあ、赤い粒を売った人物が見つかって犯人がわかったら。アスタはまた侍女に戻れるよね?」
クラウスが私から視線を外した。
え、無理なの?
「知らなかったとは言え、持ち込み禁止物を持ち込んだ事は皇宮に仕える者として。皇族の食事に身体に害が及ぶ物を混ぜた事は侍女としてあるまじき行為だ。侍女の処遇は問題が解決した後になるが、侍女長に一任されている」
期待していた気持ちがしぼんでいく。
クラウスの言う事はもっともだよ。
事情はどうあれ、アスタは規則を破ってしまった。
でもそれはアスタの優しい心がさせた事。
アスタは私に温かい心をくれた。
だから、今度は私が返す番。
私がしてあげられる精一杯をアスタにしてあげよう。
クラウスの話では私は倒れた日の深夜、自分からベッドを抜け出したらしいけど、よく抜け出せたものだとノーマン先生は感心していた。
その夜が幻かと思えるくらい、赤い粒の症状は私の身体からなかなか引いていかなかった。
起き上がろうとすると軽い目眩を起こし、食欲はあっても胸のむかむかから普段の半分も食べられない日が一週間続いた。
先生の診断によると、これでも薬で症状が緩和されているそうだ。
私が一番戸惑う事はクラウスの行動。
朝食に晩餐、時間があると昼にも私の部屋にやって来る。
そこまでら罪の意識を感じなくても、私は気にしてないのにね。




