《 第38話 災難の続きはまた災難 》
寄宿学校に入るまでの私は、体の弱いすぐ上のサビーナ姉様に対して、健康優良児として。
行動が派手な他の姉様達とは正反対に、目立たず大きな問題を起こさず育った。
小さな頃から父様は呪文のように私に言った。
「セシリアなら大丈夫だな」
疑問符はつかない断定の言葉。
子供心に父様に気を使っていたのかもしれない。
政務と姉様達の相手で疲れた顔でそう言われると、思わず頷く癖がある。
それが自分にとってダメな状態だったり、イヤな事だったとしても。
私はそれを隠して頷くのだ。
「うん、大丈夫だよ!」
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寄宿学校から姉様達に連れ出され、王都に帰って来た私は、毎日のように悪夢にうなされた。
ある夏の日、サビーナ姉様の療養に私も同行し、避暑地に来ていた。
避暑地の近くには広い野菜畑があり、そこで一人の青年と出会った。
青年は各地を回りながら野菜の栽培を学びに来たと言った。
「なんだ王女様、顔色が悪いな。どこか具合が悪いのか? 野菜をしっかり食べてるか? 好き嫌いしたら美人になれないぞ」
人懐っこい太陽のような笑顔を、日焼けした顔にニカッと浮かべる青年。
この人は子供が好きだ。そう直感して私は青年に近づいていった。
「最近よく悪い夢を見るの」
「なんだ、それでそんな青白い顔をしているのか」
私は青年の隣に座ってスケッチブックを覗き込んだ。
そこには何の絵かわからないモノが描いてあった。
「お兄ちゃん何描いてるの?」
「これは野菜の絵だ」
私は青年が描いた野菜だという謎の物体よりも、青年の生き生きとした表情に興味がわいた。
「楽しい?」
「もちろんだ。こいつらは収穫しちゃったら、後は人間に食べられてお終いだからな。その前に元気に成長した姿を残してやったら、食べられる前に報われるってもんだろ?」
「よくわかんないよ。でも、描くのがそんなに楽しいなら、私も描いてみようかな」
「それは良い。悪い夢を見せる夢魔は、楽しい事が苦手だからな。楽しい事をしていたら、夢魔を退治できるぞ」
「それ本当? 怖い夢、もう見ない?」
「おう。描くだけじゃなくて、育てるのも楽しいぞ。あっという間に大きくなる野菜の成長を見ていると、人間の悩みなんてちっぽけに思えてくるからな。王女様も育ててみるか?」
「うん! 楽しい事大好き。やってみたい!」
「おっ、良い顔だ。じゃあ、この種とオレの力作をやろう。そうだ、俺の事は師匠と呼びたまえ」
「わかった。師匠ありがとう!」
師匠となった青年から私は野菜の種と、謎の物体が描いてあるスケッチブックの紙をもらった。
「弟子よ、それをお守りだと思って大事にするように」
師匠はエッヘンと胸を張った後、楽しそうに笑った。
それから数日間、師匠は私の顔を見るたび挨拶のように聞いてきた。
「大丈夫か?」
「うん、大丈夫」
「まったく大丈夫じゃないだろ。無理して平気な顔するな。また見たんだな?」
「どうしてわかったの?」
「オレはお前の師匠だぞ。お前はまだまだ野菜に対する情熱の灯火が小さいぞ。もっと楽しく夢中になれ。あと好き嫌いもダメだからな。でないと夢魔は退治できないぞ」
師匠が真剣な顔をすると、私も表情を引き締め背筋を伸ばした。
「わかりました師匠。私、今日も頑張って雑草引っこ抜きます!」
師匠の言葉『大丈夫じゃないだろ』は、私の心をいつも軽くしてくれた。
師匠が教えてくれた事はすべて、絵と一緒に日記にして残した。
師匠がラルエットを旅立ってからも、師匠のその時の表情や言葉は、私の小さな胸に刻み込まれ、野菜に対する情熱の灯火となった。
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懐かしいなぁ。
お守りの絵を見たからかな。
久しぶりに、夢に師匠が出て来たよ。
師匠、私はまだ頑張れそうだよ。
庭園で遭難していたところを、クラウスに発見され皇宮に戻って来た私は、高熱で三日間寝込んでいたらしい。
ベッド脇にある小さなテーブルに、花瓶に飾られた花を見つけた。
星形の花、タフティだ。
アスタかオルガさんが飾ってくれたのかなぁ?
冬でも咲くんだね。
まだ頭がぼんやりしているところにクラウスが訪ねて来た。
「この前、部屋で大人しくしているように言ったはずだが、もう忘れたのか?」
この前……塔での事を言っているみたいだ。
「忘れてないよ、覚えてる」
ベッド脇の椅子に座り、無表情で見つめてくるクラウス。
お説教か尋問が始まるらしい。
回復した途端、また熱をぶり返しそうだけど話を聞こう。
「視察先でオルガから伝言を聞いて、茶会への出席に許可は出したが、途中で抜け出したそうだな?」
「ええ? どうして……」
どうして私がお茶会を抜け出した事になっているの?
そう聞こうとした私の言葉を、クラウスが遮った。
「様子を見にオルガが茶会場所に向かう途中で、お前を誘ったトリアン伯爵の娘と、ミルド男爵の娘がそう話したそうだ。茶会の途中で急用を思い出し帰ったと」
私は事実と違う事に、口をあんぐり開けそうになった。
慌てて手で無理やり閉じる。
クラウスは苛立ちと猜疑の影を瞳に宿したまま話を続けた。
「その際に一人で帰ると言って、二人が止めるのも聞かずに護衛騎士を欺いて、裏口から出たらしいな。護衛に付けた者からもそう報告を受けている」
私はそんな事、一言も言っていないのに。
だってその頃私は睡眠薬の効果で夢の中だよ。
それにあの小屋に裏口なんてあったの?
知ってたらそこから脱出できたかもしれなかった。
今さら知っても遅いけど。
事実と違う話に頭が追いつかない。
「侍女や騎士が皇宮内を探し回ったがおまえの姿は見つからず、俺のところまで知らせが届いた。悪天候の中急ぎ皇宮に戻りお前の捜索騒ぎになったと言うわけだ」
ここはきっちり弁明すべきだよね。
「それ違……」
私の言葉は再びクラウスの声に掻き消された。
「吹雪になると数メートル先も見えなくなる。庭園だからと言って油断した結果が遭難だ。後少し俺たちが駆けつけるのが遅かったら、おまえは助かっていなかったんだぞ」
うっ、それについては身を持って経験したから反論できない。
あの時は起きた時にはもう日が暮れていて、クラウスの耳に入る前に部屋に戻らないとって。
それだけしか頭に入ってなかった。
こんな大事になるなんて、またクラウスに大きな迷惑をかけちゃったよ。
私はクラウスから聞かされた事実と違う話を訂正するはずが、反論する言葉を飲み込んだ。
自分はなんて考えなしだったんだろう。
雪を甘く見ていたからこんな事になっちゃったんだよ。
それもこれも私が閉じ込められなかったら、こんな目には合わなかったはず。
それをクラウスに言った事で、私が無茶をした事には変わらない。
カミーラさんとモニカさんがどうして、嘘の事実を言ったのかはわからない。
私ってば色々仕出かしちゃってる前科持ちだからね。
クラウスが私より二人の言葉を信じるのも仕方ない。
「まさか留守中に騒ぎを起こされるとは思っていなかったが。おまえの奇行は俺の気を惹くためか? それとも嫌がらせのつもりか?」
無表情で淡々と話すクラウスの声に苛立ちが混じる。
なんだか納得がいかないけど、結果クラウスに迷惑かけたのは事実だから私はクラウスに頭を下げた。
「気を惹くためでも嫌がらせでもないよ。ご迷惑をおかけしました」
もう呆れられて許してもらえないだろうなぁ。
せっかく許された図書室通いも取り消されるよね。
今回は外出禁止だけで済まないかも。




