《 第37話 これは夢? 》
「セシリア!」
霞む意識の中で、遠くで誰かが私を呼ぶ声と、雪をザクザクと踏みしめる音を聞いた。
夢ってこんなにリアルだったかな。
誰だろう……マーヤは私を呼び捨てにしない。姉様達の声にしては低い。
男の人の声だったような……父様かな?
父様には一言言ってやらなくちゃ。夢でも娘を売るような事をするなんて最低だって。
誰かが雪に埋まった私の身体を掘り起こし、肩を揺さぶった。
「しっかりしろ、セシリア!」
父様の声にしては張りのある声。
どこかで聞いた事がある声だ。
私の名前を呼ぶのは誰なの?
肩を揺さぶる手に力が込められ頭がガクガクする。
夢の中にいるはずなのに、揺さぶられるたびになんで頭がクラクラするのかなぁ。
「起きろセシリア!」
「く……首が、痛い」
そんなに激しく揺さぶられたら首がもげるじない!
重い瞼をこじ開けると目の前に、月明かりに照らされる金色の頭が目に映った。
いつか見た星の形をした花タフティと同じ青紫色の瞳をぼんやり眺めていたら。
「意識が戻ったか」
耳に入ってきたのは安堵したような声。
私が瞬きをして焦点を合わせれば……至近距離で私の顔を覗く人物がはっきりしてきた。
ク、クラウスがどうしてここにいるの!?
いやいや、そんな事よりクラウスの膝に寝かされてるんだけど!
私は確か雪に埋もれて……助けに来てくれたのかな。
眠気なんてすっ飛んだ。
今の状況に頭が追いつかない私は、とりあえず挨拶だよねと思った。
「ご、ご機嫌よう。お久しぶりです。こんな所で会うなんて奇遇ですね」
手を振りながらエヘッと笑ってみる。
だってこの状況耐えられない。
クラウスの膝の上、腕に抱えられるようにして寝かされてるんだよ。
あ、選択を失敗したか。
クラウスはこめかみを引きつらせると、徐々に眉間にシワを刻んでいった。
「このバカ妃! 吹雪の中外に出るバカがいるか。凍死したいのか!?」
ひえっ、さっそく怒られたよ。
怒る前にまず私の身体を解放して欲しいんだけど。
周りに視線を向けると、クラウスの隣に地面に膝を着き、安心したように微笑むギルベルトさんがいた。
「外傷はなさそうですが、起きられますか?」
ああ、この労りの声。ギルベルトさんの声にはヒーリング効果があるのかな。癒やされる。
ギルベルトさんに頷いて、身体を起こすとあちこち鈍い痛みが走った。
雪が積もって坂となった所から転げ落ちたんだった。
「どうした、どこか痛むのか?」
怒鳴っていたクラウスの声音が変わる。
「皇宮に戻り次第医師を呼びましょう」
ぎこちない動きで勘付かれちゃったかな。
膝の上に男物の外套が掛けられてるのに気づいて、クラウスを見ると外套を着てないじゃないの。
まさかクラウスが掛けてくれたの?
気づかう声や心配そうに揺れる瞳、そしてこの外套に私は焦った。
いつものクラウスじゃない!
とにかく謝った方がいいよね。
「大丈夫。雪に埋まってたせいか身体が氷漬けになっちゃったみたい。ご迷惑をおかけしました!」
ズキズキ痛むが構ってられない、私はガバリと頭を下げる。
うぎゃっ、腰にきた。耐えろ、耐えるのよセシリア!
これ以上、余計な迷惑をかけるわけにはいかないんだからね。
「これはお返しします」
献上するように頭を下げ外套を持ち主に返すと、ふわりと爽やかな香りと温かなぬくもりに包まれた。
ん? 温かなぬくもり……。
顔を上げると私はクラウスの腕の中。再び囲われていた。
なぜ、なに、どうした。クラウスが私をハグしている!?
わかった、これは仮面夫婦のお芝居。
それか外出禁止の約束を破った私に対する締め殺しの刑なんだね!
ギルベルトさんだけじゃなく、たぶん絶対にクラウスの護衛騎士もいるよね。
お芝居とはいえ恥ずかしすぎる!
「のんきにあっけらかんと……見つかって良かった」
クラウスが何やらボソボソ呟いているけど、私には耳を傾ける余裕なんてなかった。
く……苦しい。
打撲の身体でクラウスの腕に締め付けられたら、もう意識が遠のきそうで。
あ、お花畑で誰かが呼んでるよ。
ダメダメ、まだそっちには行きたくない!
クラウスの背中をバシバシ叩くと、私を締め付けていたクラウスの腕の力が緩んだ。
首筋に何か冷たいものがあたり、横目で見るとクラウスの頬だった。
一気に顔に熱が集中し、雪に埋まって凍っていた身体からも熱が湧き上がる。
「あっあの、クラウス殿下。みんなが見ていますのでそろそろ離れていただけますでしょうか?」
「なんだその他人行儀な話し方は。周りは気にするな。いつもの事だと思って黙って待機しているはずだ。そうだろギル?」
クラウスが私を腕に囲ったまま視線をギルベルトさんのいる方に向ける。
「ええ、いつも通り仲がよろしいようで。でもセシリア様の容態を医師に診てもらわなければなりませんので、手短にお願いします」
ギルベルトが微笑ましいものを見るような微笑みを浮かべているよ。
護衛騎士はというと、顔を明後日の方に向けて、それは見ない振りだよね。
クラウスがふと私から体を離した。
やっと解放されたかと思ったのだけど、クラウスの両手が私の頬を包んだ。
「セシリア顔が赤いな。熱があるのか?」
クラウスの手はとても冷たかった。
セシリアって今、クラウス私の名前を言った?
ちょっと待ってよ……雪の中から助け出される前にも名前を呼ばれた覚えがある。
クラウスって私の名前知っていたんだね!
って、夫の名前を知らなかった私が言うのもおかしいけど。
いつもバカ妃だのおまえだの鳥頭だの言われてたから、初めて名前を呼ばれたかも。
外は寒いはずなのに、ますます顔に熱が溜まる。
頬だけじゃなくおでこや頭を撫でるひんやりとしたクラウスの両手が、気持ち良かったりして私はますます混乱した。
これも仮面夫婦のお芝居、そうわかっていてもクラウスの優しい仕草には戸惑う。
「心配しないで、私は大丈夫。クラウスの方こそ風邪をひいたら大変。この外套返すよ」
身体にかけられていた外套を今度こそ返すつもりが。
「着とけ。体が冷えているのはおまえの方だ。ギル、皇宮に帰るぞ」
「えっ、えええ!!」
クラウスが私を抱き上げ不敵な笑みを浮かべた。
「説教は打撲の治療と医師の診察が終わった後だ」
バ、バレてるよ〜。
「私歩けるんだけど!」
「暴れると落ちて打撲が悪化するぞ」
落とされたらたまらない。
私は慌ててクラウスにしがみついた。
「落とさないでよ? 落っことしたらサビーナ姉様の暗黒呪文で呪ってやるんだからね!」
「落とされたくないなら、その手を離すなよ」
クラウスは口の端を持ち上げニタリと笑った。
私はより一層クラウスに必死にしがみついた。
ああ、お姫様抱っこは恥ずかしすぎるーー!
皇宮に着く頃には、再び眠気が襲って来て不覚にも、クラウスに抱き抱えられたまま眠りについてしまった。
睡眠薬の効き目恐るべし!




