《 第36話 マーヤは見た!》
マーヤの手紙を読むと、こんな事が書いてあった。
『数日前の夜、私は研修先の侍女長からの言いつけで神官棟を訪れたのです。そこで私は衝撃的な光景を見てしまったのです』
神官棟で衝撃的な光景……何か怪しげな呪文でも唱えて何かの儀式でもしてたのかしら?
『この事をセシリア様にお伝えしようかどうか凄く悩みました。ですがこんな重大な事は私の胸の内にしまっておくには荷が重すぎて……セシリア様が、そして我が国ラルエットが欺かれたようでなんだか腹立たしくて』
もう、いったいマーヤは何を見たの!?
少し文を読み飛ばす。
『セシリア様、どうか落ち着いて聞いてください。神官棟で私が見たものは、クラウス様と副神官シュナル様の密会現場なのです!』
クラウスとシュナル殿が密会?
二人は仲が良いから一緒にいても不自然じゃないはず。
『お二人はとてもご友人同士とは思えぬご様子で。人気の無い神官棟裏の奥まった所で訳ありなご様子でした』
訳ありなご様子って、どんな様子?
もっと詳しく書いてくれなきゃわからないじゃない。
『私は前々からクラウス様の事を怪しいと思っていたのです。だって、セシリア様の愛くるしい魅力に気づきもしないどころか、セシリア様を邪険に扱う殿方がいるだなんて、考えられませんもの!』
あ〜、手紙でもマーヤの主人第一バックにお花主義のスイッチ入ちゃってるよ。
マーヤの中で私ってどれだけ美化されているんだろ。
その辺は考えたくないなぁ。
とにかく先を読もう。
私は次のマーヤの文字を読んで、思わず吹き出しちゃった。
『私はこのとき確信したのです。クラウス様にセシリア様の魅力が通じないのは、フェストランドの皇太子が男色家だったからです! 殿方が好きだから、女性の魅力、つまりセシリア様の可憐さにも鈍感で興味を示さないのです』
クラウスが男色家って……ぷっくくっ。
マーヤってば突然何を言い出すのよ〜。
『クラウス様は性格は極悪ですがあの容姿。そして、シュナル様は美女とも見間違うほどの美貌の持ち主。確かに絵になる二人ですが……私、殿方同士の色恋事なんて初めて見てしまいました!』
もう、何を見たのか詳しく書いてくれないから、さっぱりわからないじゃないの。
さり気なくクラウスの悪口を盛り込んでくるところがマーヤらしいけど。
気になる。マーヤは結局何を見たの?
手紙に書けないほど、衝撃的過ぎたとか。
気になるよーー。
あ、まだ続きがある。
『この間、神官棟にある図書室の手伝いをしていたところ、セシリア様のお守りの絵と似た絵を見つけたので、こっそり拝借してグリに持たせました』
最後に私の身を案じる言葉と、早く私の侍女に戻りたいと書いてあった。
こっそり拝借しちゃって良かったのかどうかはともかく。手提げ袋を確認してみよう。
袋の下の方に折りたたまれた古い紙と、便箋の半分くらいの大きさのカードが入っていた。
カードには絵が描いてあって、それは小さな子供が描いた殴り書きの様な個性的な絵だった。
「色や形から判別すると、これはレモンで……このハート型は桃かなぁ……こっちの雪だるまみたいな緑色の物体は、もしかしたら洋梨?」
私が持っている絵に似ている。
折りたたまれた古い紙の方は、私が子供の頃に、他国から来た使者からもらった絵。
描いた本人はブロッコリーとカボチャだって言ってたっけ。
私には木と苔の生えた巨大な岩にしか見えないんだけどね〜。
二枚の絵を見比べてみてもよくわかる。
描き方が同じだよ。
どっちも凡人の私からは子供の絵にしか見えないけど。
ちょっと引っかかるけど、まずはここを脱出しなくちゃだよね。
ひとまず絵はポケットにしまっておこう。
あの扉を開けるには、カティヤ姉様がくれた髪飾りが鍵穴に入りそうだ。
カティヤ姉様からのメッセージに目を通した。
『カティヤ印の髪飾りだよ。これを使う時は気をつけてくれ。留め具は万能機能がついてるが、花びらは特に注意が必要だ。一枚ずつ剥がす事ができて、有事の際の飛び道具になるからね。投げる時は的当てゲームを思い出して、しっかり狙いを定めるんだよ』
メッセージを読んで私は持っていた髪飾りを落としそうになった。
「うわわっ、と。カティヤ姉様ってば、髪飾りに飛び道具を仕込むなんて危なすぎるよ」
カティヤ姉様が髪飾りをくれるなんてなんだか変だと思ってたら、武器だったなんてね。
まずは試しに使ってみよう。
あ、花びらの方じゃないよ。留め具の方ね。
花飾りの部分は取扱注意だから、留め具から外して。
私は留め具の先端を鍵穴に差し込んだ。
カチャカチャカチャ……カチッ!
「うそ、開いちゃった?」
ドアノブを回すと、ガチャと簡単に開いて拍子抜けした。
窓を強化するより、鍵穴を強化するべきだと思うよ。
私は思わず一人でうんうんと頷いちゃったよ。これで出られるね。
扉を開けると隙間から冷たい風が顔を直撃してきた。
「ううっ、寒い!」
私は慌てて扉を閉める。
これじゃ、数歩歩いただけで全身凍っちゃう。
「あ、そうだ。サビーナ姉様のクリームがあった」
確かメッセージには。
『このクリームは妾自慢の温感クリームじゃ。大国は冷えるゆえ体を冷やすでないぞ。ちなみにお肌ツルツル防水効果付きじゃ』
お肌ツルツル効果は嬉しいけど、防水効果は必要かちょっと疑問だよ。
さっそく腕や首、足に塗ってみた。
「なるほどね。なんだかじんわ〜り、温かくなってきたよ。これなら外に出ても平気かも。そうだ、グリにも塗ってあげよっか?」
グリがぷいっと顔を背けちゃった。
リスには必要ないみたい。
私はアリーサ姉様の羽根ペンで紙ナプキンに、メッセージを書いた。
心配しているマーヤを安心させるためだよ。
この羽根ペンは特殊加工された紙に書くとインクは消えるけど、普通の紙に書く時は黒インクとして使う事ができるツーウェイ仕様になっている。
「グリ、もう一度マーヤのところまで行ってくれるかな?」
グリはしっぽを振るとぴょんっとジャンプした。
行ってくれる、と判断しよう。
私はメッセージを書いた紙ナプキンをハンカチで包んで、グリの背中にミントグリーンのリボンで結んだ。
「グリは勇敢でとっても賢いね。マーヤへのメッセージに、グリのクッキーを頼んでおいたからもらうと良いよ。皇宮の人に見つからないように気をつけて」
グリの頭を撫でてから、私は首をアスタのくれたストールで覆い、着てきた外套をしっかり着込む。
そして再び扉を開けてグリと一緒に外に出た。
辺りは真っ暗でよく見えないだけでなく、時折強く吹く雪と風で目が開けられなくなる。
昼間通って来た雪かきがされてあった散歩道は、もうすっかり雪で覆われちゃってるよ。
花が咲き誇っていた花壇は形もなく。
どこが歩道でどの辺りが花壇かわからない。
暗く真っ白な世界。
私にとっては苦手な世界だ。
子供の頃に行かされた寄宿学校を思い出すから。
陽が当たらずジメジメとして埃っぽい反省部屋。
あそこで過ごした数日間は本当に地獄だった。
姉様達が助けに来てくれなかったら、私はどうなっていたかわからないから。
思い出したくない過去を打ち消すように、頭を振った。
小屋から見てあっちに皇宮があるはずなんだけど、影も形もないよ。
私は手提げ袋からターニャ姉様がくれた口紅を取り出した。
これが灯り代わりになってくれたら良いんだけど。
ターニャ姉様からのメッセージにはこんな事が書いてあったから。
『このルージュは蛍光石から抽出した液体を混ぜて作った、わたくしイチオシのルージュですわ。暗闇でぷるぷる艶々美しく光りますのよ』
暗闇で唇が光ったら怖いよ〜っ!
それもぷるぷる艶々って、唇がプリンかゼリーみたいじゃないの。
って、メッセージを読んだ時に思わずツッコミを入れちゃったよ。
外出禁止になってからは、長い時間部屋を留守にした事はない。
皇宮ではきっと、オルガさんに報告に行ったアスタや、急なお茶会への参加を聞かされたオルガさんが、私を捜しているかも。
私が万が一庭園で遭難したり力尽きた時、この口紅で矢印をつけておけば、外を捜した時に誰かが口紅の光りに気付いてくれるかもしれないからね。
灯りにもなって居場所の目印にもなるなんて、一石二鳥だ。
私は淡くピンク色の光りを放つ口紅を手に、皇宮目指して足を進めた。
もちろんグリも一緒だ。
木や柵を見つけたら矢印を書いていった。
どれくらい歩いたかなぁ。
皇宮は一向に見えてこない。
雪を踏むたびに足が埋まって抜くのに一苦労だよ。
ラルエットの北部フェストランドの国境沿いでも、こんなに雪が降った記憶はない。
閉じ込められたりしてなかったら、大喜びで雪に突進していくのに。
目の前の木に目印の丸を書こうとしたら。
「あっ!」
手が滑って私の手から口紅は離れ、コロコロ転がりながらピンクの淡い光りが真っ白な雪の上を照らしながら滑って行く。
私は慌てて口紅の後を追ったのだけど、口紅が転がって行った先に坂がある事に気づかなかった。
踏んだ雪が崩れて私も口紅の後を追うように坂を転げ落ちる。
ズザザザザッ……。
「うっ……ぎゃっ……わっ!」
坂の下まで落ちて、起き上がろうと体を動かすと肩や肘に膝がズキズキする。
落ちながら身体をあちこちぶつけたらしい。
「グリ、大丈夫?」
グリの姿を探すと、すぐ横にグリがいて、きょとんと首を傾げている。
「あ〜、グリはすばしっこかったね。私みたいなドジはしないか」
乾いた笑いを漏らすと、グリが私の頭に小さな手をポンっと置いてきた。
なんだか慰められてるよ〜。
私はなんとか身体を起こして、落ちて来た坂を振り返った。
皇宮の庭に坂なんてないはずだよ。
ああ、もしかしてこの坂は元は階段だったのかも。
雪が積もって坂になったんだ。
そんな事より、口紅を探さないと。
真っ暗な辺りを注意深く見渡していると、ここから数歩先に雪を被った大きな樹の下、風で揺れる淡いピンク色の光りを見つけた。
口紅を拾うために足を一歩前に出した、その時だった。
ビュオオオーーーー、ミシミシミシッ…………。
突然強い風が吹き、枝を揺らした。
嫌な予感がするよ……って。
「ぎゃあっ、上から雪の塊が降ってきた!」
バサバサバサッ……。
雪の塊は下にいた私にもろに直撃し、私は雪に押し倒された。
なんとか顔は出せたけど、身体が雪に埋まって身動きが取れない。
相当な量の雪の塊が降ってきたみたい。
雪は怖いものだったんだね。甘く見ちゃいけなかった。
「そうだ、近くにいたグリは大丈夫かな。グリ! 雪に埋もれてない?」
首を回しながら狭い視界の中グリの姿を探すと、私の目の前にひょこっと現れた。
グリは二本足で立ったまま小さな体を大きく傾けながら、私の顔を覗き込んできた。
その様子は私が寝転がっているのが不思議だと言っているみたいだ。
「私はグリみたく危険を察知できないし、素早くも動けないんだよ。あまり突っ込まないで」
だって、自分の鈍臭さに涙が出ちゃうもの。
このまま雪に埋もれたままだと、さすがにヤバイよね。
なんだか、身体が冷えてきたし。クリームの効き目が切れてきたのかなぁ。
ううっ……寒い。グリにマーヤを呼んで来てもらおうかな。
でも、マーヤにも見張りが付いてて自由に動けないんだった。
私の見張り役の護衛騎士もどこに行ったのか。
ガタガタ震えながら、下敷きにされた雪からの脱出を試みる。
「ダメだ。雪にがっちり固められてるみたいに、身動き取れない」
グリに頼るしかないよね。
グリがマーヤに知らせてくれたら、マーヤが誰かに私の事を話して……ギルベルトさんかヨルクさんあたりが良いかも。
クラウスは……クラウスにはなるべく見つかりたくない。
ギルベルトさんかヨルクさんが捜しに来てくれたら助かるよ。
上手くいったらの話しだけど、今動けて助けを呼んで来てくれそうなグリを頼ろう。
「グリ、私は雪から抜け出せなくなっちゃったから、マーヤの所に行って助けを呼んで来てくれる?」
グリは私の頬を軽くポンポン叩くと、しっぽを振ってぴょんとその場で飛び跳ねクルッと一回転。
そして、どかに向かって走って行った。
グリが姿を消してから、どれくらい経ったかな。
風は止んで空を舞う雪もだいぶ弱くなって、今では花びらのように薄い雪がひらひらと舞っている。
天候とは打って変わって、私の身体はますます冷えていった。
皇宮では私がいなくて騒ぎになっているはずなのに、誰も捜しに来ない。
グリを信じて待つしかないけど。
もし、誰にも発見されないままだったら、凍死確定かなぁ。
姉様達に会いたいなぁ。
さっき食べたシフォンケーキかお茶に入っていた、睡眠薬の効果がまだ残っているのかな。
今頃になってなんだか眠くなってきちゃったよ。
あの二人とはほとんど会話をした事がないのに、私を小屋に閉じ込めるだなんて。何か恨まれるような事した?
異常気象とか、私が偽物だとか。訳がわからない。
思い当たる事と言ったら、二人がエルナさんを大事に思っていて、私がクラウスの正妃だから。
二人は私の存在自体が、エルナさんの幸せを邪魔するって思ったのかも。
深く考えずに二人に流されて、お茶会に出た自分が悪い。
きっとクラウスの耳にも入っているはずだよね。
私ってばまたクラウスに迷惑かけちゃってるよ。
クラウスが私が皇宮にいない事に気がついていません様に。
なんだか頭がぼーっとしてきた。
寒さに身体が麻痺したのか、身体の感覚がなくなってきたよ。
起きてるのもそろそろ限界かも。寝ても良いかな……。
寝て起きたら朝になってて、きっと全部夢で終わるんだよ。
私はきっと長い悪夢を見てるだけ。
全部……夢で、なかった事になって。
私は自分の部屋のベッドか、サビーナ姉様のベッドに潜り込んでいるんだよ。
変な夢を見たよって、姉様達に話すとみんなが笑って……。
あ、クラウスが意地悪そうに笑っている顔。
クラウスと会った事も夢で終わっちゃうのかなぁ……。




