《 第23話 たらい回しですか? 》
考えられるのは、食事抜きに妃の部屋に永久監禁、地下牢か塔に幽閉。
仮面でも、自分の妃を処刑するはずないよね?
無抵抗をアピールする私を、無表情で見下ろすクラウス。
「クラウス様」
「わかっている」
ギルベルトさんのいつもと変わらない柔らかな声音と、不機嫌さを隠さないクラウスの苛立ちの声が重なる。
クラウスはため息を吐くと、騎士に命令した。
「ソレをこの部屋から出し、鳥籠にでも入れておけ」
騎士はギルベルトさんからグリを受け取ると、一礼して部屋を出て行った。
「グリの命までは取らないの?」
クラウスは無言で私の腕を掴み立たせる。
そして、ふいっと視線を逸らし私をギルベルトさんの方に突き出した。
「ギル、こいつを妃の部屋に押し込んでおけ。こんな所に居座られては仕事にならんからな」
「ひっどい! 私の事は無視!?」
「どうやって部屋から出たか知らんが、後でゆっくり聞いてやる。それまでおまえは反省文でも書いていろ。処分はその後だ」
「悪い事してないのにクラウスの横暴だよ。理不尽だ!」
クラウスは威圧的な瞳で私を見下ろすと、鼻で笑った。
「厄介な生き物と侍女の身柄を預かっているのは誰だ?」
そうくるの!
「うっ…………わかった。大人しくすれば良いんでしょ!」
マーヤとグリを持ち出されたら、何も言えなくなるじゃない。
クラウスの卑怯者!
睨む私をクラウスは勝ち誇ったように、満足そうな笑みを浮かべている。
く〜っ、悔しい!
「クラウス様」
「なんだ、ギル」
「セシリア様は、多忙なクラウス様を労いに来て下さったのですよ」
「労いだと?」
ギルベルトさんは私にバスケットを渡すと、クラウスに頷いた。
「昨日セシリア様は、クラウス様のお身体を気づかっていらっしゃいましたから」
ね、と微笑まれてしまったよ。笑っておこう。
ギルベルトさんはきっとこの場を和らげようとしてくれてるんだろうな。
チクチクとクラウスから胡散臭そうな視線を向けられてるけど。
「ギルがこいつをここに呼んだのか?」
「クラウス様は最近お疲れのご様子でしたので。私、少々出過ぎた真似をしてしまいました」
「ギル」
まったく余計な事を、と右手で頭を抱え呟くクラウスに、ギルベルトさんは今日、とっても良い微笑みを浮かべ。
「お疲れのクラウスを癒せる方は、セシリア様しかおりませんので」
いやいや、それ私じゃなくてエルナさんの役目でしょう。
なんて言えない。
ギルベルトさんワールド全開で、さあ、と促してくる。
仕方ない、作ってきたクッキーが無駄になるよりは良いか。
私はバスケットをクラウスの前に差し出した。
「マーヤの研修話の事で……」
「その話をしに来たのか。取り下げるつもりはない。もう帰れ」
クラウスは執務机の椅子にどかっと座ると、私に部屋を出るよう片手を振った。
グリに部屋を荒らされてそうとう機嫌が悪いらしい。
話は最後まで聞こうよ。
「そうじゃなくて、コレはマーヤの事で気を使ってくれたお礼」
クラウスはバスケットにチラッと視線をやってから、執務机の引き出しから分厚い本を取り出した。
「ギル、受け取れ」
興味がなさそうに告げると、椅子に深く腰掛け本を読み始めた。
その態度はいらないって事かな?
やっぱり受け取ってくれないか。
「セシリア様は私にではなく。クラウス様に、と作ってくださったようですよ? 私が頂くわけにはまいりません」
「侍女の研修の件はギルの発案だ。受け取る権利はギルにある」
「私はほんの少し進言しただけです。決められたのはクラウス様ですよ」
行き場の無くなったバスケットを差し出したまま停止する私。
受け取ってくれないかも、とは思っていたけどね。
誰が受け取る、受け取らないって。
なんかたらい回しにされてる気がして、それもちょっと傷つくんだよぉ〜。
「二人でどうぞ。グリも食べてくれたから、味は保証済みですよ」
バスケットをクラウスの目の前にずいっと、押しつけるように差し出す。
「俺に邪神の餌を食べさせる気か?」
エサだなんて失礼な!
手で押し返されちゃったよ。
そんな露骨に嫌そうな顔しなくたっていいじゃないか。
「さっきお腹を空かせてたから、何枚かあげただけだよ。嫌ならさっきの騎士のお兄さんにあげて」
せっかくセシリア特製疲労回復クッキーを持って来たんだから、受け取るくらいしてほしい。
粘り強くバスケットを差し出す私にクラウスは。
「用件はそれだけか?」
無表情で扉に視線を向ける。
それって、帰れって事だよね。完全に受け取り拒否って事?
しょうがない、諦めてクッキーは持って帰ろう。
すごすごとバスケットを自分の方に引き寄せた。
「ギル、俺は政務に戻る。こいつを私室まで送れ」
ギルベルトさんは穏やかな微笑みを浮かべ、インクが飛び散った書類の束を持ち上げた。
「私はこの部屋の片付け及び書類の解読、各方面に再発行の手続きに行かねばなりませんので」
申し訳ありません、と困り顔で謝るギルベルトさん。
「一人で大丈夫です」
本日二度目のたらい回しだよ。
送ってくれなくても、子供じゃないんだから平気なのに。
もしかして監視が必要だから?
寄り道せずにまっすぐ帰るつもりなんだけどな。
「そういうわけにも参りません。ここはクラウス様がセシリア様を、お送りして差し上げて下さい」
穏やかな微笑みできっぱり告げるギルベルトさん。意外に押しが強いらしい。
クラウスはすごく面倒臭そう。
「政務が滞っている。そんな暇は……」
「少しの休憩くらい取る時間はございますよ。さあ、行った行った」
クラウスから本を取り上げ笑顔で急き立てるギルベルトさんに、クラウスは渋々と立ち上がり私に視線を向けた。
「のろのろしたら置いていくぞ」
置いていってくれても別に良いんだけど。
「さ、セシリア様も。バスケットを忘れずに」
ここはギルベルトさんの顔を立てよう。
私はクラウスの後をついて執務室を出た。
二人で執務室を出たけど、困ったぞ、会話がない。
クラウスの歩くスピードがいつもより、どことなく早く感じる。
クラウスって基本無愛想で無表情で何考えてるかわからないけど、今は機嫌が悪いってわかるよ。
クラウスの後ろを小走りになりながら、回廊を歩く。
「悪かった」
突然立ち止まったかと思ったら、どうしたんだ?
クラウスは振り返ると、私に右手を差し出してきた。
「握手?」
なんかよくわからないけど、私も同じように右手を出す。
「違う。おまえが持っているそれだ」
このバスケットですか?
クラウスがリスのエサをどうするつもり……ああっ!
「グリに渡してくれるの?」
檻に入れられて、今頃お腹を空かせてるかもしれないからね。
クラウスって案外動物思いなんだね、と思っていたら。
クラウスの眉間のシワが苛立ったように深くなる。
「そうじゃない、言い過ぎた。それと、疑って悪かったな」
居心地悪そうに私から視線を逸らして、ぼそりと呟いたクラウス。
突然クラウスの口から出た謝罪の言葉に私は瞬きを数回。
いつも自信たっぷり、俺が正しいってクラウスなのに、意地悪で上から命令をしてくるだけじゃないんだ。
自分の非はちゃんと認めて謝る事が出来る人だったんだね。
いつものクラウスらしくなくて、なんだか全身がゾワゾワ〜っとしちゃうよ。
「えっと、私の方こそ勝手にグリを執務室に入れてゴメン。部屋を荒らしたのは本当にグリなの?」
「さっきも言ったが間違いない。アメジスト色の目をしたリスは珍しい。百年か二百年に一度現れるくらいだ」
まだ信じられないよ。
執務室では暴れまわってたけど。
「私の部屋に来る時は、いつも礼儀正しいのになぁ……腐った木の実を食べたとか、後はクラウスがグリに意地悪をしたとか。それは有るかも」
下を向いて考え込んでいたら、視界に黒いブーツが映った。
「誰が誰に何をしたって?」
しまった、声に出してた!
顔を上げれば、口の端を少し引き上げて微笑むクラウスと目が合った。
なんだなすご〜く威圧感を感じるんだけど?
「いや〜、なんでもないです」
「小動物と戯れるほど暇ではない。ましてや邪神など……」
可愛い動物と戯れるクラウス……ちょっと想像出来ないよ。
猛獣を悪人顏で跪かせるクラウス、なら想像できるんだけど。
「最近いつも以上に忙しそうだったのは、執務室が荒らされてたから?」
その不敵な笑みは何?
クラウスは私との距離を縮めてきた。
「なんだ、寂しかったのか?」
私が一歩後退すると、一歩近づいてくるクラウス。
どうしたらそういう会話に繋がるのか、わからない。
「そんな事は全然思ってないけど、クラウスの顔が疲れてたみたいだったから、ちょっと気になっただけだよ。上に立つ者健康第一って、アリーサ姉様の口癖だけどね」
後退するうちに、背中に硬いものが当たる。
柱を避けようと体を横にずらそうとするが、クラウスが柱に片手をついたから私の進路は阻まれてしまった。
「今夜は早く帰る。久しぶりに一緒に食事ができるな」
青い瞳の中に映る自分は小さく、これじゃあ肉食獣に追い詰められた小動物だよ。
クラウスが私の髪を一房手に取り、遊び始めた。
ひ、他人の髪で遊ばないでよ!
この回廊を使うのは決して私とクラウスだけじゃない。
私がクラウスに追い詰められている間も、ほら執政官や騎士や侍女がこっちを気にしながら通り過ぎていく。
年配の執政官が生暖かい微笑みで通り過ぎれば、私と同じくらいの歳の侍女が顔を赤らめて足早に去っていった。
これは新手の嫌がらせ?
通る人が視線のやり場に困るじゃ……ん?
ああっ、これはもしかして仮面夫婦の演技!
前触れなく振られて、とっさに対処できるわけないじゃない。
困った時のセシリアスマイル。必殺笑って誤魔化せ作戦でいこう!
「なんだ、嬉しくないのか?」
「いいえ、と〜っても楽しみ! 政務頑張ってね」
ひくっ、顔が引きつる。
クラウスが耳元で囁いた。
「もらっても良いか?」
顔が近い!
「もらうって何を」
クラウスの手がバスケットを持っている私の手に重ねられた。
大きな手……じゃなくて!
「さっきまで剣の稽古をしていたから、少し腹が減った」
このクッキーをクラウスにあげろって?
「でも、これは……」
リスのエサ発言は謝ってくれたけど、クラウスの口に合うかわからない。
作っといて今さらだけど、不味いって突き返される可能性だってあるんだよね。
さっきまでは勢いで、クッキーを渡せたのにどうしよう……。
「くれないのか?」
至近距離で顔を覗き込まれて、視線が泳ぐ。
うう〜、ここは素直に従った方が早くこの拷問羞恥演技から解放されるかな?
私はバスケットの中から黄色のクッキーを一枚取り出した。
「クラウスの口に合うか……あっ、そうだ! グリを森か林に開放してくれたらあげるよ?」
クラウスが瞳を大きく見開き、ぷっと小さく吹き出した。
「おまえ頭の回転悪いくせにホント、変なところで気が回るな」
「頭の回転が悪い、は余計だよ」
「まあ、良い。その件については考慮してやっても良いぞ」
「本当に?」
クラウスの瞳が明るく光った。
「おまえの出方次第だがな。で、食べさせてくれるのか?」
「食べさせる?」
クラウスの長い指が私の唇をそっとなぞった。
ひやぁっ、これは何の真似!?
「ああ、もちろん口移しでだ」
ななな、何を言い出すかなこの人は!
公衆の面前でそこまでやらなきゃいけないの?
無理無理無理、私にはハードルが高すぎるよ!
いや、でも、グリを助けるため……うう〜っ。
私が一人葛藤していると、痺れを切らしたのかクラウスはクッキーを持ったままの私の手を掴んだ。
「仕方ない、こうするか」
掴んだ手をそのまま、自分の方に持って行き、クッキーを口に入れた。
「…………」
口移しではなかったけど、これはこれで充分恥ずかし過ぎて顔から火を噴きそうだ。
「奇抜な色だがなかなかイケる。なんのクッキーだ?」
真面目な顔で眉間にシワを寄せ、クッキーを食べるクラウス。
不味いって言われなくて良かったけど、私の神経すり減るよ。
「それは枝豆入りかぼちゃクッキーだよ。こっちの緑色のはドライトマト入りほうれん草クッキーで、オレンジ色のがニンジンの蜂蜜レモンクッキーだよ」
クラウスが嫌そうな顔をした。
「あの巨大かぼちゃか?」
「私のバルコニー菜園の野菜達なみんな没収されちゃったから、材料の出処は厨房だよ」
「そうか……菓子作りをするとは知らなかった。おまえは俺の常識を毎回破ってくれるな」
なんだか楽しそうに笑うクラウスだ。
「気に入ったなら、これ全部あげるよ。だから、グリを解放してね?」
いつもの意地悪クラウスは頭にくるけど、仮面夫婦の時のクラウスはそれはそれで苦手だ。
「口移しでなら、考えてやる」
「そうくるか……」
このクッキー全部口移し…………ごめん、グリ。口移しはムリだよ。
もう、仮面クラウスの演技に付き合わされるの疲れた。
「全部クラウスにあげちゃったら、ギルベルトさんや騎士のお兄さんの分がなくなっちゃうよ。二人にもあげてね!」
とにかく退散したい私は、クラウスにバスケットを押し付けるが。
その手をクラウスに掴まれ、退散どころじゃなくなった。
「俺は寛容だからな。仕方ない、これで許してやろう」
は? 許すって?
クラウスの顔が降りてきておでこにチュッと、柔らかい何かが触れていった。
「!?」
心臓がうるさく騒ぐ。
もう、我慢の限界!
「クラウス、やり過ぎ!!」
私はクラウスにだけ聞こえるように、なるべく声を落として睨んだ。
「これくらいでもう降参か?」
楽しそうに口の端を上げて笑うクラウス。
クラウスって、根っからのいじめっ子体質間違いなしだよ。
どう返せって言うのよ……そうだ!
ターニャ姉様の愛読書にあった、夫を見送る妻のシーン。
確か、こんな風にクラウスを見上げて首を傾げる。
こんな感じだったはず。
「人前で口移しは無理だけど、だからって浮気はしないでね?」
「…………」
あれ、違ったかな?
鳩が豆鉄砲を食ったようなクラウスの顔。
クラウスはすぐに無表情に戻り、私の頬をむにゅ〜っと引っ張った。
「心配するな。おまえ一人で手一杯だ」
セリフと行動が一致してないんだけど?
行動に素の意地悪クラウスが出てるよ。
あれれ、クラウスに摘まれたほっぺた、今日はそんなに痛くないや。




