表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/66

《 第17話 迫る偽男装の麗人 》


 今日の仕事は菜園裏にある、大きな温室でイチゴの収穫です!

 全面ガラス張りの温室は、二重扉をくぐると外の冷え込みを忘れさせてくれる。

 室内ぽかぽかでとっても快適。

 真っ赤に熟したイチゴを摘んでカゴの中に入れていく。



「ふっくらと可愛くルビーのような輝き。美味しそうに育ったね!」

 イチゴを太陽の光に照らし見惚れていたら、背後に人がいたのに気づかなかった。

「で、そのお味は……」

 後ろから手が伸びてきて、持っていたイチゴをひょいっと奪っていった。

 イチゴ泥棒!?



 振り向いてそこにいた人物を見て、私は言葉を失った。

 イチゴのように赤い髪。真っ白なシャツの上に薄紫の神官用のローブを羽織った中性的な美人。

「しゅ……」

 シュナル殿!

 慌てて手で口を覆う。

 危ない。思わず名前を言っちゃうとこだったよ。



 どうしてこんな所にいるの?

 その格好は、職場をまた脱走したに違いない。

 まずいよ、ダメだよ。

 メイドのシシーで鉢合わせだよーーっ!

 私は慌てて顔を伏せた。

 メイドの心得『身分の高い人と思わず出会ってしまった、そんな時』……どうするんだっけ?

 心臓バクバク。この場から逃げたい!



「ルビーは一生輝きを失わないけど、イチゴは放置したら腐っちゃうよ」

 シュナル殿が何か言ってるよ。

 でも今はそれどころじゃない。

 まずは落ち着いて、メイドの心得。

 使用人は風景。極力身分ある貴族や執政官との接触は避け、風のように去るべし!

 視線を合わせない。立って下を向いて深くお辞儀。

 そして、音を立てずに立ち去るべし!



 これでよし。顔は見らえなかったはず。

 万が一見られても変装しているから、皇太子妃のセシリアだって気づかないと思うけけど。

 なるべく不審に思われないように、メイドらしい動きを心がけないとね。

 イチゴを眺めているシュナル殿に背を向けて、そそくさと立ち去るつもりが。



「ねぇ、そこの可愛いメイドさん」

 ビックーーッと、肩がはねる。

 呼び止められたよ。

 振り返らないと怪しまれる。

 顔を見られないように、下を向いて小さい声で話せば大丈夫だよね。



「わ、私ですか?」

「そうだよ、君」

「なんでしょう?」

「イチゴは好きだけど、このヘタの白い部分って味が薄くて好きじゃないんだよね」

「はぁ……?」

 皇太子妃セシリアだって気づかれてないみたい。

「好き嫌いするなって、あいつに口うるさく言われててさ。残すと祟られそうだから、何とかならないの?」



 そんな事を言われても……あ、そうだ。

「先に味の薄いヘタの方から食べれば、残さず美味しく食べられると思います」

 シュナル殿が白魚のような手を伸ばしてきた。

 私の持っていたカゴから、イチゴを一つ摘む。

 あ、ヘタをポイ捨てしたな!



「……ふむふむ。この食べ方なら残さず食べれそうだ」

 イチゴを味わうシュナル殿。

 ああ、早くこの場を去りたいよ。

 いいや、もう去ってしまおう。

 頭を下げたまま去ろうとしたのに、シュナル殿の手がカゴを持つ私の手に重ねられ。

「良い事を教えてくれた君に、お礼しないとね」

 ちらりと顔を上げると、艶のある灰色の瞳が私をまっすぐ捕えていた。



「い、いえ。お礼などは……」

 この展開はどこかで似たような事があったよね。

 思い出した。ガーデンパーティーの時だよ。

 シュナル殿のお礼には、嫌な予感しかしない。

 私は一歩後ろに下がって、シュナル殿の手から逃れた。

「遠慮しないで。さぁ、お礼をしてあげるから、顔を上げてごらん」



 ほっぺた触られてるよっ。この手は何!?

 顔を上げさせられ、冷や汗が流れ視線が泳ぐ。

 あまり顔を見られるとセシリアだってバレるよ!

 この前はギルベルトさんに助けてもらったけど、今ギルベルトさんはここにいない。

 自分で乗り切らないと!



 私は近づいてくるとシュナル殿の綺麗な顔と自分の顔の間にカゴを割り込ませた。

「お礼は結構です。イチゴが欲しいのなら、これを持って行って下さい」

「イチゴよりも君が気になるんだけど。つれないなぁ。つまんない……あれ?」

 シュナル殿は頭の後ろで腕を組んだまま、何かに気づいたように遠くに視線をやっている。

 よし、何かに気を取られているうちに退散しよう。

 そう思っていたのに。



「あそこにクラウスとエルナがいる」

 シュナル殿のこの言葉で、また去るタイミングを逃してしまった。

 クラウスとエルナさんが近くにいるですって?

 シュナル殿の視線の先をたどっていくと……。



 嘘でしょう〜〜っ。

 温室の裏には、バラの花壇が階段状になっている場所があって、赤レンガの階段の上に二人の姿を見つけた。

 バレたら一番厄介なクラウスが、こんな近くにいるなんて!

 いくらメイドに変装しているからって、完全にバレないって保障はどこにもない。

 自ら危ない橋なんて渡るつもりはまったくないよ。



 早くこの温室から逃げないと。

 自然な感じを装ってちょっとずつシュナル殿から離れようとした。

「あの二人、あんな人気のないところで何やって……」

 二人がどうかしたの?

 温室から退散するつもりが、足は止まり視線はバラの階段に向いていた。



 温室から二人がいるところまで、それなりに距離がある。

 とはいえ、ガラス張りだから向こうの様子は充分見える。

 私達がいる温室の方が位置が低いから、下から見上げていると。

 クラウスが真剣な表情でエルナさんの右手を握っていた。

 これって……。



「二人は恋人?」

 思わず呟いた独り言は、シュナル殿の耳に届いたらしい。

「親密な感じに見えるね」

 美男美女で並ぶと絵になる二人。

 おまけに背景はバラだよ。

 この絵のタイトルは『見つめ合う恋人達』。

 そうじゃなくて。

 今目の前で、クラウスのスキャンダル現場に遭遇しちゃったよ!



「ねえ、聞いてる? どうかしたの?」

 ここで動揺してアタフタしているところを、シュナル殿に見られたら変に思われるよ。

 落ち着いて、平気なふりをしてないと。

「えっ、あ……聞いてます。お似合いのカップルだなって、見惚れてました」

 なぜか私とシュナル殿は地面にしゃがんで、二人の様子を眺めていた。

 盗み見じゃないよ。偶然居合わせちゃっただけ。

 それでも隠れているのは罪悪感。



「そうだね。周りも認める二人だったからね。クラウスがラルエットのお姫様と婚姻するまでは、彼女が皇太子妃有力候補だったんだよ」

 なんとなぁくそうかなって思ってたけど、あの二人は周りも認める恋人だったんだね。

 エルナさん、正妃候補だったのか。



「知らなかったなぁ」

「君、皇宮に勤めてて基本情報知らないなんて、ダメだなぁ」

「新入りなもので」

「じゃあ、僕が教えてあげるよ。セルトン伯爵家のエルナは小さい頃、皇宮に行儀見習いとして出入りしてて、皇太子クラウスとは仲が良かったんだよ」

「二人は幼なじみなんですね?」

 シュナル殿は頷き、遠い目をした。



「クラウスとエルナが仲が良いから僕はいつも置いてけぼりさ。まぁ、昔の事だけどね。そんな二人が大人になって、お互いを意識する。自然な流れだよね?」

 同意を求められても困る。

 私には異性の幼なじみなんていないからなぁ。



「そうなんですか?」

「昇進したいなら、君はもう少し皇宮内の事に耳を傾けなよね」

「気をつけます」

 サボリ魔のシュナル殿にお説教されるのも変な感じがするなぁ。



 でもちょっとわかったよ。

 ガーデンパーティーの時に、私がエルナさんに渡したお皿をクラウスが取り上げた理由。

 エルナさんの苦手なレーズンやぶどう酒だったから、横から奪っていったのか。

 クラウス、恋人には優しいんだね。

 クラウスがエルナさんやシュナル殿の前では仮面夫婦を演じないのも、エルナさんに誤解させないためかな。



 花の庭園で、クラウスが行き先を変えた時。

 あれは私とエルナさんが鉢合わせしないように、避けてたに違いないよ。

 それとクラウスの本に挟んであった一枚の絵。

 アオバトとミモザの絵文字のメッセージ。



『秘密の愛は止められない』

 だったかな。

 差出人のエルは、エルナさんのエル。

 受取人は、あれ……?

 クラウスじゃなくてアルだった。

 アルって誰よーーっ!?

 クラウスの行動や、人気のない所での密会。

 二人は恋人だよね?

 それとも違うの?



 考え込んでいたら、シュナル殿が隣で大きな声を上げた。

「あーあ、二人ともどこかに行っちゃった」

 顔を上げて、バラの階段の方を見ると、そこに二人の姿はなかった。

 とりあえずは、温室に私達がいる事に気づかれずにすんで良かったよ。

「ねぇ、メイドさん。二人が秘密の逢瀬をしていた事。くれぐれもな〜い〜しょ、にしてね」



 妖しく光る灰色の瞳。

 シュナル殿の指が私の唇に触れ、口にチャックと横に撫でていった。

 あまりに綺麗過ぎる容姿だからか、男性だという事を忘れそうになる。

 そして女好きで、危険人物だという事も忘れちゃいけない。

 私がシュナル殿から視線を逸らすと、顔を覗き込んできた。



「周りが騒いで駆け落ち、なんて事になったら大変でしょ。クラウスは婚礼を挙げたばかり、エルナにも見合い話が出ているらしいからね」

 私は頷いた。大丈夫、言いません。

 仮面妃セシリアでも、メイドのシシーでもどこでボロが出るかわからないような事は避けたいからね。

  シュナル殿は立ち上がると、私に右手を差し出した。

「足疲れない?」

「ありがとうございます」



 シュナル殿の手を借りて立ち上がる。

 女性の扱いが慣れてる感じだね。

「さ〜て、そろそろお仕事に行きますか。あ、そうだ。メイドさんの名前を教えてよ」

「はい?」

 シュナル殿が真面目に仕事?

 思わず聞き返しちゃったよ。

「可哀想に。もしかして名無しのメイドさんなの?」



 ああ、名前を聞かれたんだね。

 言いたくないけど私は今は新人メイドだからなぁ。

 答えないわけにもいかないか。

 下っ端メイドに拒否権はないのだ。

「シシーです」

「ふ〜……ん。シシーね、了解!」

 そうだ、この際だから思い切って聞いてみよう。



「あの、一つお聞きしても宜しいでしょうか?」

 シュナル殿は伸びをしながら横目で私を見た。

「なぁ〜に?」

「皇太子殿下の本名はたしか、クラウス様ですよね?」

 私の質問にシュナル殿は、キリッとした顔つきになる。

「クラウス・アルベルト・フェストランド。自国の次期皇帝の名前を忘れたらダメだよ」



「仰る通りです」

 そこは素直に頭を下げるよ。

 仮面でも夫の名前を知らなかった私も悪いから。

「じゃあ、僕はもう行くよ。こう見えて忙しい身なんだ」

 忙しい人がなぜ、こんな皇宮の外れにいるんだろ?



「お引き留めしてすいませんでした」

 メイドらしく頭を下げる私。メイドに成り切ってるよ。

 シュナル殿は温室の扉に向かおうとして、こっちを振り返った。

「あ、そうだ。それ、貰っていくよ」

 右手を差し出して待っている。

 それ……、ああイチゴのことかな。

「どうぞ」



 シュナル殿はカゴを受け取ると、温室の扉に向かいながら後ろ手に、バイバイと手を振ってきた。

「またね〜、メイドのシシーちゃん」

 こちらとしては、メイドのシシーで二度目の遭遇はゴメンですよー。

 シュナル殿の姿が温室から見えなくなって、ようやく力を抜く事が出来た。



 は〜〜〜っ。

 なんとか切り抜けられたよ。

 シュナル殿が仕事をサボってなんで温室にいたのかわからないけど、セシリアだってバレてないと思う。

 ああ、でも。

 せっかく摘んだイチゴは、カゴごと持って行かれちゃったな。

 また、摘み直さないと。



 それにしても、クラウスのミドルネームがアルベルトだったなんてね。

 夫の名前くらい覚えておけって?

 ごもっともです、はい。

 周りでクラウスの事を、フルネームやミドルネームで呼ぶ人がいないかからね。

 忘れてた……と言うより、知りませんでした。反省。



 でもシュナル殿に聞いてスッキリしたな。

 これで受取人のアルが、アルベルト。

 クラウスの事だってはっきりしたからね。

 ミドルネームや略名で呼び合うのは、二人が親しい証拠。

 そして、絵の描かれた紙が少し古くなっていた事から、二人の関係が長い事もわかったよ。

 クラウスの恋人はエルナさんで決まりだね!



 ひっそりと逢瀬を重ねていた二人の間に、政略結婚の話が舞い込んできて、私が二人の仲を邪魔しちゃったのか。

 私の立場って、二人の恋路を邪魔する悪いヤツだよなぁ。

 もちろん二人の仲を邪魔しようなんて、そんな気は全然ないよ。

 私が来る前はきっと幸せだった二人だよ。

 なんだか悪い事をした様な気になるんだよね。



 これからもクラウスはエルナさんと、隠れて会うのかな?

 それはいつかは絶対に誰かにバレると思うよ。

 あのクラウスだから、バレた後の事や今後の事を、何か考えていそうな気はするけど。

 私がそれを聞くわけにもいかないからなぁ。



 聞いたらメイドに変装して労働している事がバレちゃう。

 シュナル殿からも口止めされてるし、今後もメイドのシシーでいるためにも。

 他言無用で、見なかった事にするのが一番良いのかな。




 私はイチゴの収穫を終え、いつもの様に人通りの少ない使用人通路から私室棟に向かっていた。

 コロコロコロ……。

 足元に転がってきたのは、丸くて小さな茶色いもの。

 あ、どんぐりだ。

 この近くにどんぐりの木はなかったはずだよ。

 どこから転がってきたのかな?



 私はどんぐりを拾って、転がって来た方に視線を向けた。

 植木の影から黒くて小さな生き物がこっちの様子をうかがっている。

 毛は黒くてつぶらな瞳はアメジスト色。

 ふわふわな尻尾に、額には三本の銀の縦じま。

 瞳の色以外はリスにそっくり。



 フェストランドには、珍しい瞳の色をした黒リスがいるのかも。

 黒リスは辺りを警戒しながら、私の方にぴょんぴょんと走って来た。

 なぜか私の目の前でぴたりと停止すると、私を見上げてくる。

 明らかにじ〜っと見られているんだけど、気のせいじゃないよね?

 何かを訴えかけられてる気もするんだけどなぁ。



「ああっ、もしかして。このどんぐり君の?」

 私は拾ったどんぐりを地面の上に置いた。

 すると、黒リスは前足でどんぐりを抱え、再び辺りをキョロキョロし首を傾げている。

 もしかして迷子?

「あっちの大きな庭園に行くと、どんぐりがいっぱいあるよ」

 中央棟の方を指差して教えてあげると、黒リスはそっちに向かってぴょんぴょんと走っていく。



 なんだか、人の言葉がわかるみたいだ。

「人間に見つからないようにね!」

 小さな背中に声をかけると、黒リスが振り返った。

 あ、やっぱり通じてる気がするよ。そうだ!

「ちょっと待って、良い物があった!」

 私が慌てて黒リスを呼び止めると、黒リスはその場に止まったまま、こっちに視線を向けてきた。



 リスは頭が良いって聞いた事があるから、きっと人間の言葉がわかるんだね。

 なんだか面白くなってきた。

 私はお仕着せのポケットから、茶色の包み紙を取り出した。

 中にはクルミ入りクッキーが入っている。

 一緒に菜園で働く人から帰り際にもらった物だ。



「これ、食べる?」

 しゃがんでクッキーを見せると、黒リスが近づいて来た。

 黒リスは持っていたどんぐりを地面に置くと、私を警戒する様子もなく。

 小さな手でクッキーを受け取った。



「うわ〜〜、すごく可愛い!」

 人間に慣れているって事は、誰かが飼っていたのが逃げたのかなぁ?

「どうしたの? 食べて良いよ」

 黒リスはつぶらな瞳を細くして、クッキーを持つ手とは別の手を腰にあて、私を見上げてきた。

 ちょっと目つきが怖い。怒ってる?

 もしかして、可愛いって言ったのが気に入らなかったとか……。



「ゴメン、カッコイイの間違いだよ。君の額の縦じま、素敵だね」

 訂正を入れると、黒リスは腰にあてた手を額に持っていった。

 どこか誇らし気に額を撫でている姿は、照れている様にも見える。

 あはは、なんだか面白い子だなぁ。

 お腹を空かせているみたいだから、クッキーを全部あげよう。

 黒リスはクッキーが口にあったみたいで、美味しそうに食べている。



 食べ終わると、持っていたどんぐりを私の方に転がしてきた。

「私にくれるの?」

 ふさふさの尻尾を振って頷いてる。

 クッキーをあげたお礼のつもりかな。

 律儀な黒リスだなぁ。

「ありがとう、もらうね」

 私はどんぐりを受け取ると、私室棟の方を指差した。

「私の部屋はあっちの棟にあるんだ。お腹が空いたら何かご馳走するよ。気が向いたらおいでよ?」



 黒リスは私の指差した方角を確認すると頷き、どんぐりの木がある庭園に向かって走って行った。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ