《 第15話 仮面妃、危機一髪 》
握りこぶし二個分、シュナル殿の胸に顔を埋める寸前……。
「妃殿下、大丈夫ですか?」
後ろから落ち着いた男性の声と同時に、誰かが私の肩を支えてくれた。
ふ〜っ、助かった。
「あ〜あ、良いところだったのに」
つまらなさそうに呟くシュナル殿。
良いところって、何をしようとしたんですか!?
とは、聞かないでおこう。
落ち着いた声の主は、私の横に膝を着いた。
あ、クラウスの補佐官ギルベルトさんだ。
近くで見るとなかなかの、美形インテリお兄さんだね。
クラウスと一緒に食事をする時に、いつも眼鏡の向こうでにこやかな笑顔を絶やさない人。
そんな彼が眼鏡の奥の瞳を気遣わしげに、私の顔を覗き込んでいる。
「ご気分でも悪くされたのでしたら、私室に戻られますか?」
しゃがみ込んでいたから気分が悪いと思われちゃったかな。
それにしても、ここテーブルで四角になっている場所だよ。
私がいるのがよくわかったね。
「大丈夫です。シュナル殿がお腹を空かせていたので、お菓子を取り分けて差し上げていたのです」
「そうでしたか。サム、先程私のところにあなたが職務中に職場を脱走したと、知らせが入りましたよ?」
ギルベルトさんの言葉にシュナル殿がうげっと呟いた。
「もうバレたか」
ギルベルトさんがテーブルの向こう側に視線を向けた。
「ああ、ほらあそこに。神官があなたを探しているようですよ。呼びますか?」
嫌そうに首を振るシュナル殿。
「ギル、余計な事するなよ。せっかくのパーティーだ。もっと楽しみたいからね」
シュナル殿の灰色の瞳が妖しく煌めく。
そこで、なんで私に視線が向くのかな?
嫌な予感しかしないよ。
「私を巻き込まないで下さいよ。共犯はお断りです」
「共犯だなんて、人聞きが悪いなぁ。僕は君ともっと遊びたいだけなんだよ?」
それを共犯と言わずになんと言うのか。
トラブルはゴメンだよ。
「サム、妃殿下を困らせてはいけませんよ」
「ちょっと話してただけだろ」
ギルベルトさんはシュナル殿を優しく諭すと、立ち上がって私に右手を差し出した。
「妃殿下、あちらに珍しい特産品を使った料理がありますよ。召し上がりませんか?」
ギルベルトさんの落ち着いたしゃべり方と、眼鏡の向こうの穏やかな微笑み。
シュナル殿から解放してくれた天の救いだよ。
私はギルベルトさんの大きな手を取り、立ち上がる。
お礼を言うと優しい笑顔が返ってきたよ。
ギルベルトさんの笑顔は、なんだかほわ〜んと和むな〜。
「シュナル殿はまだここに隠れているんですか?」
「ギルに見つかったのが運のつきかぁ。その顔でお説教されるのも嫌だからね。仕方ないから退散するよ」
「賢明な判断ですね、サム」
「あ、そうだった」
シュナルのは何か思い出したように、神官服の上着の内ポケットこら、赤い表紙の本を取り出した。
「クラウスの忘れ物なんだよね。お姫様から渡してもらっても良い?」
「自分で返さないんですか?」
「パーティーに潜り込んだついでに渡そうと思ってたんだけど、追っ手がいたら厳しいでしょ。持って帰るのも面倒だからよろしくね」
私より毎日政務で顔を合わせているギルベルトさんに渡した方が確実ですよ。
なんて言ったら、色々まずそうだよね。
ギルベルトさんいるし。
でも私としては、クラウスとは必要以上に接触する事は避けたいんだけどな。
クラウスの毒攻撃で、精神的なダメージはなるべく受けたくないのが本音。
「はい、どうぞ」
シュナル殿は受け取るのをためらう私に痺れを切らしたらしい。
にっこり笑ってずいっと本を差し出された。
拒否、できそうにない空気。
「わかりました。クラウスに渡しておきますね」
私が本を受け取ると、シュナル殿はテーブルから顔をちょこんと少し出して、辺りをきょろきょろ見渡した。
何かを察したギルベルトさんが、苦笑いで庭園の奥を指差す。
「彼らの目は人混みに向いているようですよ。隠れ家から出るなら今ですね」
「うるさい奴らに見つかる前に行くよ」
シュナル殿は用心深く、テーブルの下から出る。
「またね、お姫様」
私にウィンクを飛ばし、ギルベルトさんには片手を上げ、庭園の出口を目指して駆けて行った。
さっきまで賑やかだった立食コーナーはいつの間に人が少なくなっていた。
あれ? 立食コーナーと離れた場所に出席者が集まってる。
風に乗せられて軽快な音楽が聞こえ、それに合わせて踊る男女。
そうか、ダンスタイムに突入したんだね。
そういえば、クラウスの姿をさっきから見てないけど。
遠目からでも目立つ存在のクラウスの姿は、ダンスを楽しむ集団の中にも見当たらない。
「殿下は急務の為、少し前に執務室に戻られましたよ」
帰るなら一言声かけてくれても良いのにね。妻を置き去りですか。
ひどい夫だなぁ。仮面だけど。
「そうですか」
「殿下は妃殿下を一人置いて政務に戻る事に、とても心苦しそうでしたよ」
にこやかに語るギルベルトさん。
あのクラウスが私を置いて帰る事に、心苦しい?
私にはそんな優しい性格じゃないよ、とは思うものの。
これはきっと、ギルベルトさんなりの気遣いだよね。
私の素っ気ない返事を、ギルベルトさんはがっかりしたとか思ったのかな?
ギルベルトさんのその気遣いはしっかり受け取るよ。
ありがとうって、にっこり笑って返しておいた。
私室棟に戻った私は、ソファーに座って目をつぶり全身で伸びをした。
「う〜……ん、がぁっ!」
足を伸ばした先が悪かった。
ううっ、痛いっ。
全身の凝りをほぐすつもりが、テーブルに思いっきりすねをぶつけたよ〜っ。
足をさすっていると、絨毯にさっきシュナル殿から頼まれた本が落ちている。
ソファーの上に置きっぱなしにしてたから、伸びをした時に手が当たって本を落としちゃったらしい。
落ちた拍子に開いたままになった本を拾うと、白い紙がひらりと絨毯に落ちた。
「あ、綺麗な絵」
本に挟んであったのかな?
便箋の半分くらいの大きさの紙に、鳥と花の絵が描いてある。
羽が青緑色で頭が黄色の鳥が、小さな黄色の花をくちばしにくわえて、空を飛んでいる絵。
紙は少し古くなっているけど、目立った汚れもない。
角がよれたり小さなシワが出来ている程度。
保存状態が良いから、大事な物なんだろうな。
クラウスが描いたのかな?
絵を眺めていたら背後からマーヤに声をかけられた。
「セシリア様、その紙は?」
手紙じゃないから見せても大丈夫だよね。
「シュナル殿から、クラウスに返すように頼まれた本に挟んであったんだよ」
私は絵の描かれた方をマーヤの方に向けた。
マーヤは淡いオレンジ色のバラが生けられた真っ白な陶製の花瓶を、テーブルの上に一旦置いて、紙を覗きに来た。
「綺麗な絵ですね。この鳥はアオバトで、黄色の花はミモザですね。細部までよく描かれていて見事な絵ですね」
絵を見た瞬間に、鳥と花の名前がわかるなんて、マーヤって物知りだなぁ。
「今にも絵から飛び出して、空に飛んで行きそうだね」
「どなたが描かれたのですか?」
「クラウスの本から落ちたんだから、クラウスじゃないの?」
「人は見かけによらないものですね」
マーヤの言葉に私も頷く。
「あのクラウスが、こんなに綺麗な絵を描くなんてね」
二人で頷き合ってから、マーヤは花瓶の水を替えてくると言って部屋を出て行った。
本当にあの悪魔のようなクラウスが描いたなんて、信じられないよ。
裏は真っ白だ。
あれ、よく見ると右の端っこに小さく何か描いてあるよ。
細くて繊細な筆跡で……。
『アルへ、エルより』
アルとエルって誰?
エルよりって事は、クラウスが描いたんじゃないんだ?
それに受け取り側がアルじゃ、クラウスがもらった訳でもないよね?
アルとエルが誰なのか気になるけど、本はクラウスのだからね。
この絵は元あったように、本に挟んでおこう。




