《 第12話 仮面妃と、別世界 》
クラウスが歩く速度を速めるから……。
「ちょっと待っ……うわぁっ!」
段差に気づかず体が前につんのめる。
このままだと顔面強打。それはイヤだ!
最悪の事態を覚悟したとき、前から伸びてきたクラウスの腕に身体を支えられた。
は〜……、助かった〜。
「その目は飾りか? 前を見て歩け」
頭の上から小声で厳しい叱責が飛んで来た。
お腹が痛いのなら、そう言えば良いのに。
クラウスの顔色は悪くない。お腹は痛くないの?
それじゃあ、なんでそんなに急いでいるの?
転びそうになったところを助けてくれたのは、感謝するよ。
でも、私が怒られる理由ある?
「そっちが歩くのが早いから、ついて行くのが大変なの!」
キッと睨んで小声で返す。
「急ぎたければ、一人でどうぞ」
クラウスに掴まれた腕を解こうとしたけど、強く掴まれていてビクともしない。
「良い態度だな。俺の支えがなかったらおまえは今頃、無様な姿で顔に傷を作って、良い笑い者にされてたぞ。感謝の言葉が聞こえないが?」
むむ〜っ、そんな風に言われて感謝出来るほど、私の心は寛くない。
お腹が痛いんじゃないかって、心配した私の優しい気持ちを返せ!
「クラウス、性格悪い!」
「おまえは頭が悪いな」
間髪入れずの、クラウスの切り返しに言葉が出なくなる。
睨む私に、小馬鹿にしたような笑みを向けるクラウス。
遠くから声をかけられるまで、誰かに見られている事に気づかなかった。
「おーーい、クラウスーー!」
温室へと続く道から二人の男女が、こっちに手を振りながら歩いてくる。
今の言い争い見られた?
見られてたら、今までの猿芝居がぱぁになっちゃう。私の労力が……。
冷や汗を流しながら、クラウスの顔を見る。
真剣な顔で二人を見つめながら、小声でつぶやいてきた。
「余計な話はするな。おまえは何も言わず、黙っていれば良い」
さっきまで会話禁止令なんか出してなかったじゃないの。
急になんなの?
と、聞き返そうと私が口を開く前に。
「わかったな」
有無を言わさぬ低い声が念押ししてきた。
真面目な顔で凄むクラウス。
ここで拒否したら後で何を言われるかわからない。
「はいはい、大人しい妃を演じれば良いんでしょ!」
もう、なんなのよ!
もしかして、あの二人と何かあるの?
会いたくないとか。
状況が理解できないんだけど?
クラウスの顔を穴が開くほど見て説明を求めてみた。
でも、クラウスは口を引き結んで、二人に視線をやったまま。
そして、クラウスと何か訳ありらしい二人がやって来た。
男性の方は、目の覚めるような鮮やかな赤髪に灰色の瞳。
赤紫の貴族服をどこか優雅に着崩している。
中性的な美貌を持った青年貴族。
顔だけ見たら女性だと間違えるかも。
男性なのにターニャ姉様が好きな妖艶なドレスがすごく似合いそう。
もう一人は、華やかな赤いドレスの美女。
腰まである長い赤茶色の髪をゆるく巻き上げ、アーモンド型の鳶色の瞳。
ふっくらとした赤い唇が印象的な美女。
美女の方は婚礼の時に会っているから、脳内貴族リストですぐに見つけられた。
彼女は、セルトン伯爵家のエルナ嬢。
男性の方は……あれ?
何度リストを探っても、あんな中性的な美形見当たらない。
おかしいなぁ、こんなに綺麗な人なら一回会えば覚えているはずなんだけど。
謎の美人貴族と、セルトン伯爵令嬢二人でも充分に華があるのに。
そこに二人とは別のタイプの精悍な顔立ちの美形クラウスが並ぶ。
花の庭園なのに、花が壁紙のように霞んで見えるよ。
美男美女が三人……ここだけ別世界みたい。
平凡な妃の私には場違いだね。
遠巻きに眺めるくらいがちょうど良いんだけど。
逃亡するわけにもいかないか。
じゃあ、ちょっと図々しいけど花の壁紙に混ざろうかな?
美人二人組がクラウスに軽く挨拶を済ませると、クラウスが紹介してくれた。
「彼はシュナル侯爵家の末子、サムエル・シュナルだ。ルーチェ大神殿の副神官をしている 」
ルーチェ大神殿って、私とクラウスが婚礼の儀をした時の大きな神殿だ。
フェストランドで一番古い神殿で、主神殿って呼ばれているとか。
主神殿の副神官なら、婚礼の時に会ってそうなんだけど。
こんな華やかな神官さん、いなかったよ?
クラウスには黙っていろって、言われたけど。
最低限のマナーとして、挨拶くらいしないとね。
「ご機嫌ようシュナル殿」
今日何度目かの大人しく、控えめなセシリアスマイルでにっこり。
シュナル殿から微笑みが返ってきた。
うわぁ! ……女神のような人だぁ。
流れるような所作でその場に恭しく膝を着き、私の片手を取った。
そんな事すると、着ている物が汚れますよ?
「お初にお目にかかります妃殿下。私の事は気軽にサムとか、サミーとお呼び下さい」
私の手をそのまま自分の唇まで持っていき、そっと軽く押し当てる。
その容姿でその仕草は反則だよ。
なんだか、男装の麗人に跪かれてるみたい。
シュナル殿は本当は女性なんじゃないの?
私はシュナル殿の動きをボーっと眺めながら、頭の中でターニャ姉様デザインの、大胆ドレスをシュナル殿に着せていた。
「うん、絶対に似合うよ」
「何か?」
あ、心の声が外に漏れていたみたい。
首を傾げる姿も美しいなんて、詐欺だよね。
私なんか、ほら。お淑やかにしようと思うと……顔が引きつるんだから。
そもそもお淑やかにと、大人しいは違うよね?
もう、なんでも良いや!
「いえ、シュナル殿には婚礼の際にお会いしなかったなと」
呼び方はシュナル殿で良いか。年上の男性を初対面から愛称呼びはしにくいからね。
シュナル殿は立ち上がりズボンの汚れを払うと、残念そうに眉を下げた。
「私も婚礼の儀に参加したかったのですが、不甲斐なくも体調が芳しくなかったのです。療養のため実家の領地に下がっておりました」
「そうでしたか。お体の具合は良くなられましたか?」
横から無表情無言で睨まれている気配を感じるよぉ。
挨拶はマナーでしょ……わかりました。
口にチャックしておきます。
「お陰様で。それにしても、皇太子夫妻の熱々ぶりには妬けてしまうなぁ」
シュナル殿は手を扇代わりにパタパタさせて、にこにこ微笑む。
さっきの言い争いをしっかり見られてしまったみたいだね。
アレが仲が良さそうに見られてたのは意外だけど。
それより脳内貴族リストに、シュナル殿が入っていなかった理由がわかってすっきりしたよ。
フェストランドの主要貴族とは、婚礼の時に会ったと思ってたから油断してた。
一度も会ってない人物は頭から消えちゃってたからね。
「サム、皇都に着いてすぐ皇宮入りして体は大丈夫なのか?」
おおっと、クラウス。
シュナル殿に熱々皇太子夫妻だって、からかわれた事をサラッと交わしたよ。
さっきまでなら、すかさずクラウスに抱き寄せられて、髪に顔を埋められたり。
いつもと違う微笑みを向けられている頃なのに………。
今はクラウスの腕は伸びてこないし、顔はやっぱり無表情。
んん? この二人の前では仮面夫婦をしなくて良いの?
「旅の疲れはないよ。温泉に浸かってお肌ツヤツヤ。血行も良くなったせいか元気元気!」
二人の会話から仲が良い事がわかる。
クラウスとシュナル殿が話す横で、セルトン伯爵令嬢が一歩前に進み出た。
「クラウス様、わたくしの事も改めて紹介して下さいな」
「わかった。エルナとは婚礼の時に会っているが覚えているか?」
クラウスに確認するように聞かれて、短く頷く。
「セルトン伯爵家のエルナ嬢ですよね」
よそ行きの控えめセシリアスマイルに、ちょこんと首を傾げて確認動作も加えてみる。
あーー、偽りの自分って疲れるし、肩こるよーーっ。
セルトン伯爵令嬢が私の両手を取った。
すらっと伸びた手足に、ふっくらとした胸にキュッと締まったウエスト。
スタイル抜群で羨ましいな。
「覚えていて下さってたなんて、光栄ですわ! わたくしのことは、エルナとお呼び下さいませ。それと、そこのサミーにはお気をつけ下さい」
「はい?」
あ、ごめんなさい。後半聞いてませんでした。
心の中で軽い体操をして、全身の凝りを解そうとしていたもので。
何の話でしたっけ? セルトン伯爵令嬢の呼び方ですね。
おそらく年上の女性だから、エルナさんと呼ばせてもらいます。
エルナさんが私の方に顔を寄せてきて、耳元で内緒話するみたく話しかけてきた。
「サミーは女性の噂が絶えませんの。さすがに妃殿下をターゲットにする事はないとは思いますが。念のために、ですわ」
至近距離で視線が合うと、エルナさんがウィンクしてきた。
「聞こえているよ。エルナは酷いなぁ。僕って繊細だからそんな風に言われたら傷ついちゃうよ。ショックで領地にまた籠ろうかなぁ」
胸に手を当てシュンとうなだれるシュナル殿。
さっきまでのキリッとした男装の麗人の雰囲気が、少しゆるくなる。
私から僕に変わってるよ。
女性の噂が絶えない事は、否定しないんだね。
「また仮病を使う気ですのね?」
シュナル殿に鋭い眼差しを向けるエルナさんに、シュナル殿が真面目な顔になる。
「仮病も立派な心の病だよ」
言い切っちゃったよ。
「虚弱体質も怪しいですわ。自作自演でしたら許せませんわ!」
エルナさんがシュナル殿に詰め寄ると、シュナル殿はクラウスの背後にサッと隠れた。
「クラウス助けてよ。エルナが怖い!」
「エルナ、サムは皇都に帰って来たばかりだ。今日くらいは大目に見てやれ」
エルナさんとシュナル殿の間に入って、仲裁役をするクラウス。
三人とも仲が良いんだなぁ。
クラウスはどうして、この二人を避けようしたの?
「ああ……僕、熱が出てきたかも……クラウスちょっと計ってみて」
シュナル殿はクラウスの手を取って、自分のおでこに当てた。
「サム、熱はないようだが」
おおっ!
シュナル殿の明らかに仮病だとわかる演技に、クラウスが真面目に答えている!
真面目だけど、性格が悪いクラウスだよ。
仮病なんて見破ってるはず。
全部お見通しって顔で。
『そうか仮病か。おまえのために特別に、苦い煎じ薬を処方させよう。その悪知恵が働く頭に良く効くだろう』
って、言いそうなのにね。
なんだかいつもと反応が違うぞ。
「熱がない? そんなはずないよ。ゾクゾクしてきた。これは重症だよ!」
寒さを訴えているシュナル殿。
お芝居っぽくて明らかに怪しい。
ほら、エルナさんの顔もあきれてるよ。
クラウスは自分の上着を脱いで、シュナル殿に掛けてあげてる。
「無理をするな。もう、帰って寝ろ」
気のせいかな。なんだか、私と扱いが明らかに違う気がするんだけど?
クラウスは友達には優しいって事?
シュナル殿の茶番劇に付き合ってあげてるとか……あの、クラウスが?
面倒だとか無駄だとか、言いそうなのに。
「皇太子殿下に言われたら、帰らないとだね。僕は帰って神職者として、ルーチェの加護とネストの安寧を願いながら、葡萄酒を飲んで体を温める事にするよ。じゃ、またね〜」
散々不調を訴えていたシュナル殿。
クラウスの帰って寝ろ、の言葉を聞くとすぐにケロッとした顔をした。
挨拶もそこそこに手を振って、スタコラサッサとどこかに歩いて行っちゃった。
足取りからも調子が悪そうには見えない。
シュナル殿、昼間からお酒を飲むのかなぁ?
見た目の美貌とは違って中身のシュナル殿は、掴み所がなくて陽気な人だね。
「何が神職者としてですの。サミーは単に務めをサボりたかったんですわ!」
「体が弱いのは事実だからな。無理させるよりは良い。エルナも大らかに見守る事だな」
不謹慎だって怒っているエルナさんを、クラウスがやれやれと宥めている。
ふ〜……ん、大らかに見守るね〜。
クラウスって、そんなに心が広かったっけ?
「クラウス様がそう仰るのなら仕方ありませんけど……。でも、サミーには厳しくなさった方がサミーのためですわよ!」
エルナさんはクラウスにはっきり告げた後、急に私の方を振り向いた。
「妃殿下、セシリア様とお呼びしてもよろしいですか?」
「へっ……ああ、どうぞ」
急にこっちに話が向くから、間抜けな受け答えしちゃったよ。
お淑やかで大人しい仮面を被り忘れてた!
「ネストからの平和が得られるのも、セシリア様のお陰です。フェストランドに来ていただき、心からの歓迎と感謝をしますわ」
ネストからの平和?
私がフェストランドに嫁ぎに来た事を、すごく感謝してるって……。
政略結婚の発端は、酔っぱらい親父二人の利き酒勝負だよ?
知らないのかなぁ。
シュナル殿もネストがどうとか言っていたような……。
「エルナ、伯爵に用があって来たんじゃないのか?」
「あら、そうでしたわ。わたくしお父様に呼ばれて皇宮に参りましたの。まだおしゃべりしたいのに、そろそろお暇しなくては」
エルナさんは再び私に視線を向け、にっこり笑った。
「最後に一つ、何かあったらいつでも相談に伺いますわ。クラウス様にイジワルされたら、いつでもお手紙下さいね。わたくし飛んで参りますから」
ふふっと横目で楽しげにクラウスを見るエルナさん。
クラウスは無表情と無言で返してる。
エルナさんは優雅に淑女の礼を取り、ご機嫌ようと言って、皇宮に向かう小道を歩いた行った。
にぎやかな二人が行っちゃって静かになっちゃった。
「楽しい人達だね」
エルナさんを見送った後、クラウスに話しかけると。
クラウスからは複雑な表情が返ってきた。
「ああ、そうだな」
「どうかした?」
クラウスは私に背を向け、来た道を歩き出した。
「私室棟に戻る」
庭園の散策は終わりって事かな?
クラウスがスタスタ歩くからわたしは小走りになりながら、クラウスの背中に向かって声をかけた。
「待ってよクラウス。ちょっと気になる事があるんだけど」
シュナル殿とエルナさんが言っていた、ネストについて聞こうと思ったんだけど……。
「なんだ?」
足を止めて振り返ったクラウスは、なんだか気難しい顔をしている。
「さっきの二人の会話の事なんだけど。どうかしたの?」
私が顔を覗き込むと、クラウスはふいっと顔を背けて、また足早に歩き出した。
「俺はこれから政務に戻る。急ぎじゃないなら後にしろ」
政務じゃ仕方ないか。
引き留めるのも悪いよね。
それに私がクラウスの後を付いて行く事もないか。
一人でのんびり散策しようかなぁ。
「わかった、行ってらっしゃ〜い」
背中に手を振って見送っていると、クラウスが立ち止まった。
なんだ、どうした?
「おまえも来い」
むむっ、皇太子夫妻不仲説払拭作戦を思い出したな。
忘れていてくれたら良かったものを。
「私はまだ散策したいから遠慮します」
「来い」
怖い目でギロッて睨まなくても良いじゃない。
「わかった。行きますよ〜」
私は心の中で、がっかりしながらため息を吐いた。
クラウスのケチ〜、庭園の散策したかったなぁ。
あんな不機嫌そうな顔で一緒に歩くの?
「クラウスそんな顔して戻ったら、皇太子夫妻喧嘩中って噂が流れちゃうよ。はい、笑顔笑顔」
背伸びしてクラウスの仏頂面を揉みほぐす。
「離せっ、余計なお世話だ。そんなふぬけ顏が出来るか!」
両手を掴まれ、低い声で怒られてしまった。
クラウスって、いつも眉間にしわ寄せて不機嫌顔か怒ってる。
なんだか、色々とストレスを抱えていそうだね。
そうだ、セシリアおすすめの健康法を教えてあげよう。
「クラウス」
「なんだ」
「野菜をいっぱい食べた方が良いよ」
クラウスの眉間にシワが寄る。
「おまえは何が言いたいんだ?」
私は自分の眉間を指差した。
「ここにシワ寄ってる。ストレスに強くなるためには、野菜をたっぷり食べないとね」
誰かが言ってたよ。野菜は自然がくれた万能薬だって。
「余計なお世話だ」
む〜っ、親切に教えてあげたのにーー。
睨まれちゃったよ。
「さっさと戻るぞ!」
クラウスは私の右手をむんずと掴むと、私室棟に向かって歩き出した。
「皇太子夫妻不仲説は?」
小声で尋ねると、歩く速度が落ちた。
速度は落ちても、クラウスの後ろをちょこちょこと歩く事になった私。
クラウスはどんな顔で歩いているのだろう?
今日のこのお芝居が無駄になりませんように。




