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外伝31 都の動向(後編)

 

「何? 王允が俺に面会したいだと?」

 

 董卓は我が耳を疑った。

 王允は董卓と会った際に素っ気なく、通り過ぎるぐらいである。

 それがわざわざ屋敷に訪ねてくるというのは妙な話だからだ。

 

「今更、あの野郎。何の用だ? 俺を散々、無視してきやがったくせに」

 

 董卓は名士らに尊敬されたいため、その代表格になりつつある王允に対し、しばしば礼を尽くしてきた。

 だが、その礼の尽くし方は涼州の田舎暮らしが長すぎた董卓にとって、苦痛以外の何物でもなかった。

 それ故、董卓自身は簡略化されたと思い込んだ礼の尽くし方を行ってきた。

 ただ宮中において、そのような行為は反って無礼にしかならないのである。

 

 礼儀作法というのは兎角、面倒なものである。

 そして、意味があるかないのか分らないものも確かに多い。

 だからといって、それを全く無視すれば誹りは免れないものだ。

 

 ある日の宮中にて、董卓は昨晩の深酒が残っており、半ば千鳥足で宮中を歩いた。

 本来なら帝か、或いは特別に許可された者以外は小走りで移動しなければならない。

 しかし、董卓は意にも介さず、漫然と宮中を歩いたのである。

 

 当然ながら、これは誹りを免れない。

 しかも、その様子を粒さに王允に見られてしまったのだ。

 元々、涼州の田舎者の成りあがりである董卓を良く思っていなかっただけに、更なる嫌悪感を抱くのは想像に難くない。

 

 それ以来、董卓は王允に礼を尽くすものの、王允には無視される日々が続いた。

 それなのに、わざわざ董卓の屋敷まで出向いて来たのである。

 誰でも訝しむのは明白だ。

 

「まぁ、良い。あの野郎。しかし、また何しに来たのか……」

 

 使用人を遣わせて王允を応接間へ案内させ、しばらく待たせることにした。

 そして娘婿の李儒を呼び、意見を聞くことにした。

 李儒は董卓が最も信用する知恵袋だからだ。

 

「なぁ、文優(李儒の字)よ。この度の唐突な訪問は一体、何のつもりであろう?」

 

 李儒は顎鬚を擦ると、少し首を傾げた。

 考え込んだ際に行う李儒の癖である。

 

「そうですな。まぁ、切羽詰っておるんでしょうな。我らに助けを求めるということは……」

「しかし、何を切羽詰っているというのだ?」

「宮中は既に十常侍と何進らに牛耳られております。老い先短いから焦っているんでしょうよ」

「ハハハ。今まで散々、聖人顔せいじんづらしておいて今更、権力欲が出てきたとでも言うのか?」

「そうではないでしょう。無能ですが一応、忠義心だけは一人前ですからな」

「ガハハハ! これは手厳しいな」

「向こうはこちらを利用するつもりです。恐らく、我らの軍勢を欲しているのでしょう」

「そんな事は子供でも分かる。問題はその後の事よ」

「はい。義父様の兵を使って十常侍と何進を殺すつもりかと……」

「しかし、何進の軍勢も多い。軽々しく挙兵なんぞは土台、無理な話だぞ」

「フフフ。確かに軍勢は多い。ですが、朱儁や皇甫嵩がおらぬでは意味はないでしょう」

「確かにあとは呉匡、淳于瓊じゅんうけいらの雑魚どもしかおらぬな。では、もし王允が誘いをかけてきたら……」

「いや、流石に今は時期尚早です。王允もいきなり誘って来ないでしょう」

「むむ? では、どうしろというのだ?」

「まずは王允の言い分を聞きましょう。流石にこの私でも読めませんので」

「そうか。お前でも分らぬか……」

「私は隣の部屋で聞き耳を立てております。義父様が困った際には咳払いをして下さい。適当な事を言って間に入りますので」

「うむ。頼んだぞ。文優」

 

 一方、応接間に通された王允は待たされる間、考え抜いた策について自問自答していた。

 流石に王允も「十常侍と何進を亡き者にしよう」とは切り出し辛い。

 それどころか、そのような事をすれば都はたちまち争乱となる。

 そこに我先と群雄達が雪崩れ込んできたら目も当てられない。

 

 そこでまずは十常侍と何進に対し、牽制のために董卓と組むことにした。

 危険な賭けかもしれないが、他に手立てがない。

 王允も豫州の頴川において黄巾党と戦い勝利しているが、それは自身の手柄でないことも承知の上だ。

 

「……やはり、これ以外に考えられぬ。気は進まぬが、他に方法がない」

 

 丁度その時、王允が覚悟を決めたと同時に董卓が巨体を揺らして部屋に入ってきた。

 王允はまず作り笑いを浮かべ、董卓に会釈した。

 

「これは董将軍(董卓は現時点において征北将軍に任命されている)。突然の訪問をお許し願いたい」

「ハハハ。お待たせてしまって申し訳ない。前もって聞いておれば、お待たせする事はなかったのですが」

「いやいや。こちらが不意に来たので当然です」

「ところで今日は一体、何用でいらっしゃったのですかな?」

「ハハハ。董将軍にお願いの儀があって来ましたのです」

「ほう? 俺…いや、私にどんな頼みごとを?」

「実は甥の王凌についてです。つい先頃、成人したのですが、これといって良い縁談がありませんでしてな」

「縁談?」

「はい。ついては董将軍には年頃のお孫さんがいらっしゃるとか……」

「董白のことですかな? いや、確かに年頃かもしれぬが……」

「ならば話は早い。是非とも、この良縁を……」

「……あ、いや。お待ち下され。些か気が早いと思いますが」

「董将軍は御不満ですか?」

「……い、いや。そうではない。王允殿の甥御殿であれば大歓迎ですが、急な話なもんでして」

「確かに些か急な話だったですな。ですが、悪い話ではないと思いますが」

「……確かに悪い話ではない。ううむ」

「お困りのようでしたら、この話は無かった事に……」

「あ、いや! 待たれよ! 承知しました! この縁談、引き受けましたぞ!」

「おお! それは有難い! では早速、両人の引合せの上、式を挙げましょう」

「ワハハハ! いやぁ、目出度い! 実に目出度い!」

 

 董卓は突然の申し出に李儒の助言も聞かぬ内に決めてしまった。

 しかし、王允との縁戚となれば、当然ながらはくが付く。

 そうなれば宮中においても侮られずに済む。

 

 董卓は内心、舌打ちをした。

 李儒に助言を求めたかったが、突拍子もない申し出に勢いで引き受けてしまったのだ。

 だが、ここで断れば折角の名士との縁戚という機会を逃してしまう。

 

 お互いに表面上、笑い合った後、縁談の日付まで決まった。

 この事が新たなる火種と派閥を生む先駆けとなるのだが、それは後の話である。

 

 王允は董卓の屋敷から出ると、そのまま兄の王宏の屋敷へと向かった。

 事後承諾という形になるので、王允の足取りは重い。

 だが、前もって相談していれば反対されると思い、事後承諾という形をとったのだ。

 王宏は縁談の話を聞くとあまりの驚きに飛びあがり、王允を詰った。

 

「おい! 子師(王允の字)! 何てことをしてくれたのだ!」

「申し訳ないが、これ以外に方法は無い。兄上、済まぬが……」

「済まぬで済むことか!?」

「本来なら儂の息子か孫なのだが如何せん。既に結婚しているか幼少でな……」

「だ、だからと言って……」

「流石に『側室として貰い受けたい』とは言えぬだろう? だから、王凌しかおらぬのだ」

「……う、ううむ」

「王凌は若いながらも兵法にも通じ、武にも秀でておる。そして董卓の兵は屈強で知られている。そう考えれば……」

「だ、黙れ! お前は常に『董卓は必ずや大奸となるに違いない』と申しておったではないか!」

「そうだ。だから、そうなる前に手綱をつけて置きたいのだ」

「………」

「兄上。分ってくれ。これも漢王室の為なのだ」

 

 王宏はそれ以上、とやかく言うことは無かった。

 いや、出来なかったというのが正しいだろう。

 何故なら、今の生活があるのは王允のお陰だからである。

 王允の縁戚だから裕福な生活が送れているのだ。

 

 父の王宏から王凌は縁談の話を聞くと、流石に王凌は耳を疑った。

 しかし、だからといって断る訳にも行かないのは王凌も理解している。

 それにこれは、ある意味において好機と言えなくもない。

 

「僕があの董卓の孫娘とか……。全く世の中ってぇのは分らないもんだねぇ」

 

 当初、驚いた王凌であったが、内心ではサバサバしていた。

「逆にこれを好機と見ても良い」とそう思えるからでもある。

 ただ、流石に一人で董卓の軍に入るとなると、少し気が重い。

 そこで竹馬の友である蒋済を誘うことにした。

 

 蒋済は字を子通と言い、楊州の九江郡平阿県の生まれである。

 物心がついた時に家族に連れられて洛陽に赴いた。

 幼少から聡明で、父が王宏の奉公人になったことから王凌と垣根を越えた親友となった。

 

 丁度、蒋済は屋敷の庭で掃除をしていたので、王凌はにこやかに近づいた。

 その様子を見るや、蒋済は一抹の不安を過らせた。

 過去にも、その表情を浮かべて近づいてきた時はロクな事がないからである。

 

「おう。子通。掃除、ご苦労なことだな」

「これは坊ちゃん。私に何用で?」

「嫌だなぁ。僕のことは彦雲(王凌の字)で良いと常日頃から言っているじゃないか」

「そうはいきませんよ。親父にまた頭を殴られちまいます」

「ハハハ。けど、もうそんな心配はしなくて良いよ」

「えっ!? まさか、私ら親子をクビに……?」

「そうじゃない。僕はこの度、結婚することになった」

「ええっ!? それは…おめでとうございます!」

「ああ、有難う。ついては君にも一緒に来て欲しい」

「……一緒にとは何処にです?」

「董将軍のところだ。俺は董将軍の孫娘と結婚するからな」

「ええっ!? 何でまた!?」

「親が決めたことだ。そんな事は知らんよ」

「……で、私が何故?」

「流石に僕も董将軍の軍勢の下でとなると、少し不安だからね。君に力を貸して欲しい」

「……私がですか?」

「そうだ。君は暇を見ては兵法も良く勉強しているしね」

「……し、しかし」

「先日の酒の上での出来事を、君の父上に話しても良いのだが……」

「わわっ!? 分りました! 分りましたよ! 行きますよ!」

 

 蒋済は大の酒好きだが、酒乱でもある。

 先日の酒の上でというのは、酒の勢いで主人である王宏の若いめかけと関係を持ってしまった事だ。

 流石にこんな事がバレたら、自身だけでなく父の身にも被害が及ぶ。

 蒋済はその時に禁酒を誓ったが、既にその誓いは破っており、今後も破り続けるであろう。

 

 入る者もいれば、去る者もいる。

 同じ頃、董重は異母弟の董承と共に交州へと旅立った。

 董承は庶子で董重と齢は離れているが、野心家で常に董重と行動を共にしている。

 そんな董承は董重に道中で不満をぶちまけた。

 

「兄上! これは我らに対し、不当な扱いですぞ! このままでは済まされますまい!」

「……分っておる」

「このままで良いのですか!? 兄上!」

「……分っておる」

「いいえ! 分っていない!」

「……いいから黙れ。今はそれどころではない。我らには既に後ろ盾がないのだ」

「いえ。あの董卓を唆してしまえば……」

「滅多な事を申すな。大体、今の段階で董卓が動く訳が無い」

「無くはないでしょう。その後、涼州の劉協を押し立てて占拠すれば……」

「机上の空論だ。そこまでして、お前は洛陽を灰塵にしたいのか?」

「なっ!? 私は漢王室の臣下として……」

「とてもそうは思えぬ。気持ちは分かるがな……」

「何を申される! 私は忠臣ですぞ! 兄上!」

「……分っておる。もう言うな。見苦しい」

 

 董重は董承を見て溜息をついた。

 以前は董重も董承と同じように野心に満ち溢れていた。

 しかし、董太后という巨大な後ろ盾が無くなった途端、冷めてしまったのである。

 齢も既に五十を過ぎ、僅かな希望すら絶たれたからだ。

 

 一方の董承はまだ二十代と若く、しかも以前の董重よりも野心家だ。

 何れは何進にとって代わるつもりでいたので、憤懣ふんまんやるかたない。

 それに一番、不満であることは劉協と自身の娘の縁談の約束を、董太后から漕ぎつけたばかりだったのだ。

 その矢先、董太后が亡くなり、劉協は涼州へ去ったのである。

 

「兄上はもう腑抜けだ。だが、俺はこのままでは終わらぬ。終わりはせぬ。しかし、どうすれば……」

 

 董承は爪を噛みながら、色々と策謀を練った。

 そして、ある結論に至ったのである。

 それは交州を一早く纏め上げ、大連合を結集させ、都へと攻め上ることであった。

 そして、その大連合には司護の名前も勝手に入れてある。

 

 さて、董重、董承の兄弟一行らは荊州を抜けるのだが、そこの途中で長沙へと立ち寄った。

 皆、目を丸くしたのだが、一番の反応を示したのは、やはり董承であった。

 

「何だ? ここは? 都と大して違いがないではないか……」

 

 最初に董承はそう思った。

 しかし次の瞬間、あることが閃いたのである。

 

「そうだ。ここを都にしよう。そして劉協を呼び寄せ、俺が国舅に成れば良い。涼州のド田舎より、よっぽど説得力がある筈だ」

 

 董承の想像力は逞しい。

 ただ、問題なのは実力が伴っていないことである。

 兄の董重は自分の事を良く弁えているが、弟の董承は些か自信過剰なのだ。

 

 さて、交州へ入ると直に董承は交州の平定に取り掛かることにした。

 兄の董重は腑抜けており、全く役に立たない。

 役に立つといえば元驃騎将軍という肩書だけである。

 だが、この元驃騎将軍という肩書は多大な影響力がある。

 董承はその事を良く熟知しており、利用することにした。

 

 まず董承は交州牧となった兄の董重に自身を交州の別駕に任命させた。

 そして、兄が元驃騎将軍という肩書を利用しながら周辺の鎮圧に着手することにしたのである。


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