外伝30 都の動向(前編)
今回は朝廷の動きについて触れてみたい。
現在、何進と十常侍は緊密な関係となり、良好状態が続いている。
これはお互いに董太后を殺した容疑を帝にかけられない為の協力関係から発展したものだ。
なお、その董太后は病死ということで片づけられている。
この事は両者の間に入り、調停役を買って出た趙高の働きが大きい。
その為、趙高は功績が認められ、晴れて十常侍の仲間入りとなり、官位も秘書令に格上げされた。
十二人いる十常侍だが、十三人目の十常侍となったのである。
さらに動きは加速し、董太后の甥にあたる董重が交州牧に任命された。
驃騎将軍であった董重に対し、実質的な左遷である。
董太后の縁者というだけで驃騎将軍となっただけの者なので、それでもマシな方である。
本来であれば同じ外戚の何進は董重にあらぬ罪を被せ、一族郎党を悉く誅殺しようとしたのだ。
それを制したのは、何と趙高であった。
何進は訝しみ、その理由を趙高に問い詰めた。
「何故だ? あの連中を一掃すれば邪魔者はいないではないか?」
「いや、おります。下手すれば司徒王允らが騒ぎ立てるでしょう」
「ガハハハ! 王允風情が騒いだところで問題あるまい!」
「そうとも限りません。皇甫嵩、朱儁らと通じ、都にて蜂起する暴挙に出るかもしれませんぞ」
「なぬっ!? あ奴らに、そんな度胸がある訳がなかろう!」
「董太后様がお亡くなられたばかりです。ここはご自重なさりませ」
「……しかし、董重らは邪魔な輩だ」
「フフフ。都にいなければ問題ありませぬ。幸い、またもや交州牧が空きました」
「成程。そこに奴を任命する訳か」
「左様。ついでに近頃、降伏して来た賊将どもをつけましょう」
「何故だ?」
「連中は、また何時、暴れるか分ったもんじゃありません。あのような輩は一緒に追い払い、董重らの傍に居させてやれば良い」
「……どういう事だ?」
「賊将どもの事です。恐らく、暴れ出して董重を殺してくれるでしょうよ」
「成程、連中に董重を殺させるのか。面白いな。それで行くとしよう」
「ご理解頂き、感謝いたします」
「いやいや。秘書令よ。これからも頼むぞ。ガハハハ!」
「はっ!」
内心、趙高はほくそ笑んでいた。
降伏して来た賊将たちは十常侍らを嫌っており、司徒王允らと結託する動きを見せ始めていたからである。
だからといって、賊将たちを無理に罪に陥れれば何を仕出かすか分らない。
董卓は現段階にて大人しくしているが、何時牙を剥くか分らないので猶更である。
「これで都合良く厄介払い出来た。後は王允どもをどうするかだな……」
趙高がそんな事を考えながら歩いていくと、後ろから声をかけてきた者がいる。
次期皇帝となる劉弁だ。
いや、正確には劉弁と名乗っている青年である。
「おい、趙高。ちょっと待て」
「ハハハ。これは殿下。何用でしょう?」
趙高はそう会釈すると、周囲を見回した。
誰もいないことを確認するためである。
「なぁ趙高。俺は何時になったら帝になれるんだ?」
「シッ。声が大きい」
「いい加減、俺も飽きてきたよ。早く帝になって威張り散らしたいんだ」
「黙って俺の言う通り、今は酒と女で満足していろ。何れその時が来る」
「だから、何時なんだよ?」
「黙れ。お前はもう黄色い布を被った賊じゃないんだ。言葉使いにはくれぐれも注意しろ」
「そんな事を言ったって、あの肉屋の親父も同じようなものじゃないか」
「くれぐれも何進はお前の伯父だ。いいか、胡亥。俺の言う通り動かないと、曝し首どころじゃ済まねぇぞ」
「……わ、分かったよ。くれぐれも早く頼むぜ。趙高の兄貴」
この劉弁を名乗る胡亥。この者も古の者の一人だ。
以前は黄巾党に属し、下っ端として働いていたのだが太子劉弁と瓜二つである事を趙高に認められ、そのまま太子となっている。
実際の劉弁であるが、趙高により顔を石で砕かれ野ざらしにされた挙句、既に無に帰していた。
戦さのない都といっても、身元不明の死体などは珍しくない。
ここまでは趙高にとって、ほぼ自分の書いた筋書き通りである。
ただ、そんな趙高にも計算違いはある。
一つは劉協が涼州へと逃げ遂せたこと。
そして、もう一つは張機が司護に長沙太守の印璽を渡したことである。
今現在、劉協は涼州王と名乗り、韓遂や辺章ら軍閥を味方につけ一大勢力となりつつある。
これに鮮卑の王である檀石槐が呼応し、一時は長安も危ぶまれた。
そこで趙高は十常侍や何進を通じて帝に奏上し、遼東太守の公孫度を通じて烏桓族の大人らを唆せ、鮮卑を攻めさせた。
これは改めて烏桓族の有力な大人に王の地位を認め、仰々しい名前と王の印璽を渡すというやり方だ。
烏桓族の大人らは元々、鮮卑らに土地を奪われていた事もあり、二つ返事で引き受けたのである。
その結果、鮮卑と烏桓で戦いとなり、檀石槐は韓遂らと呼応して長安を攻めることが出来なくなったのである。
涼州はやりこめたとして、問題は荊南である。
長沙太守に任命された張機は慈悲深いことで有名な人物だ。
それ故、司護が拒めば司護の名声も幾分、下がった筈である。
ところが張機は何を考えたのか、長沙太守の印璽を司護に渡し、自らは医術の道に進んでしまったのだ。
これではミイラ取りがミイラである。
だが、今は荊南に目を向ける訳には行かない。
劉協だけでなく、豫州の劉寵や并州の丁原、それに劉虞を担ぎ出そうとしている袁紹も警戒しなければならないからだ。
司護を忌々しく思う趙高だが、荊南は暫く様子を窺うだけにした。
さて、その趙高を疎ましく思っている連中もいる。
王允を始めとする清流派と呼ばれる官僚達だ。
王允の他にも荀攸や馬日磾、楊彪などがいる。
だが、清流派の二大巨頭である司空の楊賜は病に臥せっており、太傅の袁隗は帝の不興を買って自ら蟄居を申し出ていた。
因みに袁隗に関してなのだが、十常侍の張讓を介して趙高が讒訴したものである。
その讒訴の内容だが「袁隗が権力を乱用し、一族である袁紹、袁術の便宜を図って世間を騒がしている」というものだ。
そして当たらずも遠からずなので、袁隗も弁解出来なかった。
両巨頭が居なくなったことで、司徒である王允が実質的に清流派の旗手となった。
その矢先、自分らの派閥に取り込もうとしていた董重が交州牧に任命されたのだ。
董重らが交州牧となった報せを聞くと王允は我が耳を疑った。
董太后の後ろ盾が既にないのは仕方ないが、仮にも最近まで驃騎将軍の地位にあった者である。
それが交州牧となると、左遷というよりも流刑に近い意味合いが濃い。
交州は都からもっとも離れた州であり、異民族も多く、最近では州牧であった朱符が殺されたばかりだからだ。
そして、もう一つ王允にとって気になる事がある。
それは董太后の葬儀についてだ。
どういう訳か董太后は葬儀の後、火葬にされたのである。
これは何進も十常侍らの双方ともに、互いに董太后を殺したのは相手だと思い込んでいるからだ。
それを仲介したのが殺した張本人の趙高なのだから、トントン拍子に火葬に決まったのである。
そして素早く火葬にした手際の良さは、十常侍、何進、何皇后らにとって、更なる趙高への評価を上がらせるのに効果的であった。
だが本来なら火葬というのは、この世界において一般的ではない。
普通なら埋葬するのが一般的である。
しかも仮にも帝の母親なら猶更だ。
趙高は「董太后君が生前『仏教に帰依したので火葬にして欲しい』との遺言があった」と説明した。
だが王允は、生前に董太后が仏教に帰依したことなど一度も聞いた事がないのだ。
当然ながら不審に思い、董太后の甥である董重と共に調査をし始めたばかりであった。
「どうも怪し過ぎる。かといって、十常侍と何進らに手を組まれては手も足も出ない。どうにかせねば……」
何進は大将軍であり、子飼いの軍勢を多く抱えている。
そして十常侍らは帝の側近として、宮中を牛耳っている。
これらが両輪となり、互いに補っているのだ。
それに対して王允を始めとする清流派は兵力そのものがない。
そこで王允は思い切った手立てを考えた。
最近、招聘された董卓に近づくことにしたのである。
頼みの綱である元左車騎将軍である皇甫嵩が十常侍らの讒言のために、これまた謹慎させられていたからだ。
そして元右車騎将軍の朱儁はというと、息子の朱符の死に悲嘆して病と称し、出仕を拒む有様である。
董卓は子飼いの将兵も多く、何進の旗下に就いているが、あくまで表向きだけである。
そして意外な事に董卓は名士を敬っている。
これは董卓自身の劣等感が関係している。
武勇で名高い董卓であるが、士大夫らの名声に憧れがあるためだ。
王允は内心、董卓のことを嫌っている。
というのも、董卓は賄賂を好み、宮中の礼儀作法を全く意に反さない。
それは何進も同じなのだが、何進はまだ幾分、遠慮というものがある。
しかも残忍な事でも知られ、罪もない市民を嬲り殺したという噂まである始末だ。
「あのような男に頼りたくはないが……。他におらぬし……」
王允は仕方なしに董卓に近づくことにした。
背に腹は変えられないからだ。
一方の董卓はというと、十常侍と何進の双方ともに嫌っていた。
元から十常侍や何進らには賄賂を贈ったりもしたが本意ではない。
というのも董卓は根っからの武人であり、しかも親分肌だ。
それに気に入らない者に対しては残忍であるものの身内や部下には優しく、尊敬もされている。
そして、十常侍を嫌っている理由として恩人である袁隗への讒訴がある。
袁隗は董卓を認め、出世する道を切り開いてくれた恩人でもあるからだ。
そして何より、軽蔑する張温と十常侍は切っても切れない間柄なのである。
張温は元車騎将軍で、しかも董卓の元上司でもある。
荊州南陽郡の出身で妻は蔡瑁の伯母であり、それが縁で劉表とも誼がある人物だ。
また、既に他界したが司空である張済(董卓の配下とは別人)の縁者でもある。
その張温を軽蔑している理由だが、韓遂らが蜂起した際、張温は董卓を与力とし、征伐にあたった時の話である。
この涼州征伐であるが、董卓は無駄だと思っていた。
何故なら韓遂らが蜂起した理由があまりにも馬鹿馬鹿しいからである。
その理由だが元はといえば十常侍らが原因であるからだ。
涼州での反乱だが、これは当時の涼州刺史である耿鄙が従事の程球に好き放題させていたのが原因である。
程球は十常侍と強い結びつきがあり、重税を課し、略奪などを繰り返しては十常侍に賄賂を贈っていた。
それが原因で羌族の最大派閥である先零羌の反乱が起きたのである。
董卓は若い頃に羌族の長たちと交流があり、羌族と深い繋がりを持っていた。
羌族の長たちも董卓を慕い、董卓が挙兵した際も全面的に協力をしたのだ。
それが元になり、董卓は精強な騎馬軍団を董卓が作り上げることが出来たのである。
その為、董卓としては先零羌との戦いを行いたくなかったのだ。
そういう背景があったので、董卓は張温に対し、ある助言をした。
「十常侍らを皆殺しにし、先零羌に恩赦を与えよ」といったものであった。
これに対し十常侍らと深い繋がりがある張温は当然ながら二の足を踏んだ。
それだけでなく、董卓に先零羌に対し容赦なく総攻撃をするよう命じたのだ。
董卓は当然ながら、これを渋った。
出来ることなら先零羌に対し攻撃を加えたくなかったからだ。
恩義もあるだけでなく、先零羌が精強な騎馬軍団であることも熟知していたからである。
それで董卓は命令を無視し、最前線で酒宴を繰り返す毎日を送った。
兵糧が尽きれば撤退せざるを得ないからだ。
しかし、ある日のことである。
そんな董卓に張温は遂に堪忍袋の緒が切れて、董卓を呼び出した。
それに対し、董卓は泥酔しながら張温の前に現れた。
張温が怒っても高を括った程度だと思っていたからである。
確かに張温は董卓を叱責する程度しか考えていなかった。
だが、張温の傍らに居たもう一人の男は違った。
臨時の参謀として派遣された孫堅である。
孫堅は袁術の与力となっていたが、偶々洛陽に赴いた際に頼まれて派遣されたのだ。
孫堅は断るという選択肢もあったが、袁家の重鎮である袁隗の頼みとあって引き受けたのである。
袁隗の頼みとあれば袁術も文句を言えないからだ。
そこに偶々居合わせたのだが、孫堅は董卓の事情など露知らず、大いに憤慨した。
そして董卓の目の前で張温に大声でこう述べた。
「このような臆病者が陣頭に居ては士気に関わります! 私が首を斬り、規律を糺しましょう!」
驚いたのは董卓だけではない。張温も同じだ。
董卓にしてみれば、不意にやって来た奴が「首を斬る!」とぬかしたのだ。
董卓は武勇にも自信があったが、酒のせいで力が出ない。
そこで董卓は土下座して、張温に赦しを請うたのである。
張温も元々、叱責する程度で鉾を収めるつもりだった。
しかし、孫堅の凄まじい剣幕に圧倒され、危うく首を縦に振るところだった。
それを遮ったのは、そのやりとりを外で盗み聞きしていた董卓の娘婿である李儒だった。
李儒の必死な命乞いに張温は我に返った。
そして孫堅に対し、董卓を鞭で百叩きにするよう命じたのである。
孫堅は董卓の首が取れなかった腹いせに、董卓の体を鞭で遠慮なく幾度も叩いた。
董卓の体は肥え太っているが、脂肪の下は頑強な筋肉で覆われている。
それ故、ある程度の痛さには我慢出来る自信がある。
しかし、容赦ない孫堅の制裁は如何に董卓の体とはいえ、激痛が襲った。
「ぐわっ! 痛い! 痛い! 許して下さい! 張温様! 孫堅様!」
董卓は悲鳴を上げ、情けない声で嘆願した。
孫堅はそんな董卓に嘲笑を浴びせ、一言述べてからその場を去った。
「この豚め。豚なら豚らしく、ブーブーと喚け。いっちょ前に人の言葉を使うな」
この件があって以来、董卓は張温と孫堅を酷く憎んでいる。
何れ時が来れば、必ずや報復をするつもりなのだ。




