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外伝28 結婚事情(前編)


 豫州王となった劉寵は忸怩じくじたる思いで状況に歯噛みをする毎日が続いている。

 北の兗州では太守らが連立を組み、東の徐州では陶謙が突如、南に位置する袁術と同盟を結んだからだ。

 劉寵も様々な外交の策を荀彧や蕭何などと共に練っていたが、どうにも上手くいかない。

 しかも朝廷からは逆臣扱いされ、今では追討令を受ける立場に追い込まれていた。

 

「くそっ! 劉宏め! よりによって余に対し、逆賊呼ばわりするとは!」

 

 劉宏とは帝のことである。

 劉寵は、あろう事か帝を呼び捨てにし、しかも罵る有様だ。

 本来なら許される行為ではないが、劉寵は帝を帝と思っていないのである。

 

「父上。あまり大声で、そのような畏れ多いことを叫ばないで下さい。家臣達が聞いたらどうするのですか?」

 

 そう劉寵を諭すように言ったのは、まだ十代前半の娘である。

 血は繋がっておらず、形式的には養女となっている娘だ。

 

「おお、懿か。すまぬ。許せ。このところ、上手い事いかなくてな……」

「焦っても現状は変わりませぬ。碁でも指して落ち着いて下さい」

「……お前が娘でなければなぁ」

「また、そのような事を……。女人には女人としての力があります」

「ハハハ。これは手厳しいな。最近じゃ碁の方でも余に分が悪いし」

 

 懿と呼ばれた娘は、姓を戚という者だ。

 彼女が養女になった経緯は、劉寵が側室にした芸妓の連れ子だからである。

 母親である側室は間もなく病に倒れたが、その側室の面影がある懿を劉寵は大層気に入っていた。

 

 懿は美しい娘であると同時に聡明で、かつ優しい女性である。

 劉寵の実の娘達に対し、実の妹のように接していたので、劉寵の娘達も懿に懐いていた。

 

 そんな懿を見て、劉寵は内心、戸惑っていることがある。

 家臣の蕭何、荀彧、董昭らが懿を「涼州王となっている劉協に嫁がせよ」というものだ。

 年齢的には懿が七歳ほど年上であるが、問題はない筈である。

 

 だが、劉寵には踏ん切りがつかない。

 あの劉宏の息子に嫁がせるのが、どうも納得できないのである。

 かといって、袁術の息子などに嫁がせる訳にもいかない。

 

「ああ……余に息子さえ居ればな……」

 

 劉寵は思わず溜息をついた。

 自身には実の娘が六人もいるが、息子は未だに居ないからである。

 

 長女と次女は既に他家に嫁ぎ、三女の嫁ぎ先も決まっている。

 問題は四女で、そろそろ十五歳になる為、嫁ぎ先を探していた。

 因みに長女は相である駱俊の正室であり、次女は蕭何の正室となっていた。

 そして三女であるが、曹参の許嫁となっている。

 

 ある日、劉寵は四女の嫁ぎ先を決めるため、劉寵は荀彧を呼び出した。

 召し抱えた家臣のうち、誰が良いのか聞くためである。

 その理由は、荀彧が推挙した人物は何れも有能で、甲乙つけ難いからであった。

 

「豫州王君。この度はどのようなご用件で?」

「うむ。荀彧よ。実は嫁ぎ先に困っておってな……」

「……ああ、成程。しかし何故、私に?」

「君が推挙した人物は何れも有能な者達だ。実に有難いことだが、それで困っておる」

「それでしたら、姻戚同盟という手がありますが?」

「良い同盟先が無いから困っておるのだ。揚州王君の息子にという訳にもいかぬし……」

「確かにそうですね。それでしたら、張邈殿の御子息などは……」

「彼奴が袁紹に唆されて、余の邪魔をしているのだぞ? しかも、周辺に檄文なんぞ飛ばしおって…」

「ですから、こちらの味方にさせる為にも……」

「……いや、駄目だ。所詮、奴は書生の出来損ないのような男だ。そんな奴に余の娘はやれぬ。それに直に周りの意見に流されるしな」

「左様ですか……」

「如何にも。あのような男の息子の嫁になんぞ、殺されに行くようなものだ」

「……となると、ちと遠いのですが」

「……遠い? 何処の者だ?」

「長沙太守の司護が適任でしょう」

「……賊太守か。それは余も考えた。しかし、伝手がないぞ」

「それならば向こうから勝手にやって来るかもしれません」

「何? どういう事だ?」

「噂では『夢のお告げ』と騒ぎ立て、諸国を放浪する癖があるそうです」

「……そんな変人に娘を渡せるもんか」

「しかし流石に、一緒に諸国を放浪したりはしないでしょう」

「それはそうであろうが……」

「荊南は飢饉や疫病も無く、兵の数も多く、豊かだそうです。それに袁術を牽制するにも都合が良い筈です」

「……ううむ。やはり、それが一番の良策か」

「……ただし一つだけ問題があります」

「どんな問題だ?」

「あの者は世にも稀なる奇天烈な変人です。断ってくる可能性もあります……」

「なっ!? 余の娘を断ると申すのか!?」

「……可能性が無い訳ではありません」

「……面倒な奴だな。まぁ、良いわ。最初から大変人と知っておれば腹も立つまい」

「御意」

 

 劉寵は苦笑いしながら顎を擦った。

 そして荀彧は、それを見て溜息をついた。

 これは劉寵の癖であり、機嫌が悪い時に誤魔化す癖だったからである。

 

 一方、寿春に居を構えて揚州牧となっている袁術も、劉寵同様に不機嫌な毎日が続いている。

 敵対関係にあった陶謙とは同盟を結んだが、それでも周囲に味方は少ない。

 劉繇、劉寵、劉表、劉岱だけでなく、豫州牧の黄琬こうえんや頴川郡の太守である皇甫酈こうほれきも警戒しているのだ。

 

「くそっ! 何故、儂の言うとおりに連中は動かんのだ! 四方から攻めれば劉寵なんぞ一溜りもないではないか!」

 

 袁術は歯噛みをし、周囲にそう喚き散らす毎日だ。

 妹婿である楊彪らにも遠回しに掛け合っているが、一向に良い返事も来ないから猶更である。

 

 実はこれには理由がある。

 中黄門の趙高が大将軍何進に讒訴をした為だ。

 その讒訴の内容だが、楊一族と袁一族が何進ら外戚一門を追い出すというものである。

 

 何進としても、それに思い当たる節がある。

 袁紹は冀州牧になった途端、劉虞と親しくなり、劉虞を次の帝にしようとする噂がある。

 袁術は袁術で元々、何進を馬鹿にしており、気に食わない男である。

 

 しかも最近では何進と十常侍の仲は良好なのだ。

 劉協が涼州王となり、劉弁が後継者として一本化されたのが大きな要因である。

 したがって、劉弁の即位の邪魔になる者は宮中において皆無なのだ。

 

 これに真っ先に異を唱えたのは鄭泰という者である。

 鄭泰は董卓を招聘するのも反対し、十常侍や趙高にも警戒していた。

 鄭泰は知略に優れた人物という噂を聞いた何進によって登用された人物だが、今では完全に邪魔者である。

 

 鄭泰はかつて光武帝に仕えた学者の鄭衆の曾孫にあたり、鄭泰の弟、鄭渾もまた優れた人物である。

 それを鼻にかけている節もあり、何進は次第に鄭泰を遠ざけるようになった。

 

 鄭泰は鄭泰で「宮中に居ては我が身が危うい」と思い、暇を取り弟の鄭渾と共に宮中から去った。

 そして袁術を頼り、今では袁術の相談役として知略を発揮している。


 そんな鄭泰に袁術はある日、今後の方針について聞いた。

 袁術は鄭泰の声望も聞き及んでいたが、それ以上に鄭衆の血筋という事で信頼しているのだ。

 名門意識が高い袁術は何よりも血筋が第一なのである。


「君に聞きたい事は今後の方針についてだ。このままでは埒が明かぬ。陶謙とは何とか同盟を結べたが……」

「陶州牧と盟約を交したのは重畳です」

「だが余は、あの天帝教というものは好かぬ。あんなよこしまで胡散臭いものを認めるとは……」

「それは今の内で御座います。袁使君の娘御を早く陶州牧の御子息へ……」

「それはいかん。陶謙の倅は類稀なる痴れ者との噂じゃ」

「痴れ者だから都合が良いのです。陶州牧が亡き後、その後釜を狙うには好都合でしょう」

「噂では天帝教の教祖が後釜になるとかじゃが……」

「陶州牧が亡くなれば、あのような連中は悉く成敗しましょう。それに陶州牧を暗殺すれば済む事です」

「確かに、そうじゃがなぁ……」

「そして袁使君が徐州牧を兼任し、孫堅殿を広陵郡の太守にするのです。そうなれば孫堅殿の溜飲も下がるでしょう」

「朝廷が誰かに徐州牧を任命してきた場合はどうするのじゃ?」

「無視して構いません。今の朝廷に我らにまで朝敵にする余裕はないですからな」

「ハハハ。それもそうじゃな。だが、儂の娘というのは、ちと……」

「それでしたら橋蕤きょうずい殿の娘を養子にしてください。その娘御ならば良いでしょう」

「うむ。橋蕤には稀にみる美人の姉妹がいた筈だ。早速、その命を出せ」

「御意」

 

 橋蕤の娘姉妹は近隣でも噂される美少女達である。

 何故なら、後の大喬、小喬と言われる娘達だからだ。

 

 袁術から養子縁組の話をもらった橋蕤だが、これには戸惑うしかなかった。

 何故なら、既に孫堅に対し「娘をやる」と口約束していたからである。

 正確には孫堅ではなく、その息子である孫策になのだが……。

 

 孫策は未だに成人していないが武勇に優れ、父親の跡を継ぐには充分な力量があると橋蕤は見ていた。

 そこで橋蕤は孫策に長女のせいを見合わせた。

 孫策は靚に一目惚れし、即座にトントン拍子で婚約が交わされた。

 靚も孫策が気に入ったからである。

 

 妹はえんと言い、姉とは一歳違いである。

 好奇心が旺盛で活発な婉は一目、孫策を姉より早く見ようと窓から覗いたことがあった。

 すると孫策と同行していた美少年に一目惚れし、父親の橋蕤に許嫁にするよう強く願ったのだ。

 その美少年は孫策と兄弟のように親しいと分った為、渋々橋蕤は受け入れた。

 美少年の名は周瑜。字を公瑾という。

 

「弱った。……これは弱った」

 

 橋蕤は頭を抱えた。

 大体、娘の靚は十二歳なのに、陶謙の長男である陶商は四十歳手前の男だ。

 しかも正室が当然居り、その正室を側室にした上で、という事である。

 

 孫策との婚姻が決まったばかりなのに、この事を靚に告げると、靚は思わず泣き崩れた。

 橋蕤も当然ながら、居た堪れない気持ちである。

 そして、何よりも孫策に申し訳ない。

 

 流石に孫策本人に対し、橋蕤は断る事は出来ない。

 そこで孫策の父親である孫堅に、その事を打ち明けることにした。

 すると孫堅は、いきなり大笑いしたのである。

 流石にムッとした橋蕤は孫堅に詰め寄った。

 

「おい、孫堅殿! これは笑い事ではないぞ!」

「ハハハ。悪い悪い。君も流石に人の親だな」

「呑気な事を言っている場合か!?」

「君にはもう一人、娘がいるだろう?」

「婉のことか? あれは駄目だ。お転婆だし、周瑜という少年以外に興味はない」

「そうか。それは困ったな」

「だから貴殿に相談しているのではないか……」

「そうだなぁ。ここはまず、伯符(孫策の字)に事の次第を話すとするか」

「貴殿のご子息の御気性は、かなり荒々しいと聞いたが……」

「ハハハ。俺に似たせいか、なんともやんちゃ坊主になってしまったようだな」

「取りあえず、頼みますよ。孫堅殿」

「ハハハ。この貸しは大きいですぞ。橋蕤殿」

 

 翌日、孫堅は孫策に橋蕤から聞いた事を洗いざらい話した。

 すると孫策は当然ながら、烈火の如く激しく激怒し、袁術を罵った。

 それを見た孫堅は孫策に、こう話しかけた。

 

「それ程、怒るとはなぁ。余程、あの娘を好いておるのか」

「父上! それだけでは御座いません! 何故、いつまでもあのような小者の下に就いて居られるのですか!?」

「ハハハ。これは手厳しいな。だが、悪い事だけでもあるまい。代わりに袁術殿の娘を正室に貰えば良かろう?」

「いいえ! 結構です! あのような痴れ者の娘なんぞ……」

「橋蕤殿の娘御ほどではないが、美人との評判であるがね」

「そういう問題では御座いません!」

「ハハハ。では、こうしよう。お前が代案を出して、橋蕤殿に掛け合ってみよ」

「えっ!? どういう事です?」

「それ位、どうにか考えろ。お前は考慮しなさ過ぎていかん。そんな事では詰まらぬ匹夫相手に命を落としかねないぞ」

「分りました! では、少し猶予を下さい! 必ずや解決策を見出します!」

 

 孫策は孫堅に対し、そう啖呵を切ってから、その場を後にした。

 だが、啖呵を切ったまでは良かったものの、名案というものは直に湧いて出て来るものではない。

 そこで仕方なく、親友である周瑜に打ち明けることにした。

「周瑜であれば何か名案があるに違いない」と思ったからである。

 

 周瑜は名家の出身で、一族には太尉を勤めた者もいる。

 父親の周異は洛陽県令を勤めていた。

 その周異が袁術に登用され、九江郡の阜陵ふりょう県令を勤めていたが、一昨年頃に急病により他界していた。

 

 そんな折、遺族らが孫策の近所に住み、そこで孫策と周瑜は知り合ったのである。

 丁度、年齢も同じとあって、孫策と周瑜は直に打ち解けた。

 そして、一番の共通の話題は「如何に袁術という人物が詰まらぬ存在である」というものであった。

 

 元々、袁術が好きではない孫策は今回の件で、更に袁術を忌み嫌うようになっていた。

 だが、父親の孫堅は今でも袁術の下に居るのだから、歯痒い以外の何物でもない。

 孫策は「いっそ、劉繇に寝返ってしまえばどうか?」と孫堅に言おうとしたが、それも出来ない状況にあった。

 それは母方の叔父である呉景と、従兄弟である孫賁と関係している。

 

 この両名は元々、劉繇を支持していた豪族である。

 しかし、袁術が寿春に居を構えた時に、劉繇から袁術の方へ舵をとった。

 その為、劉繇から睨まれ、孫堅らは劉繇の下に行けないのが現状なのだ。

 孫堅は劉繇に睨まれてはいないものの、その両名を袁術の下に置いていく訳にも行かないのである。

 

 つまり、現時点において孫堅の居場所は袁術しかないのである。

 劉寵という手段もあったが豫州王と名乗り、朝廷から朝敵扱いされた為、選択肢から除外されている。

 劉表、劉岱らは、あくまで郡国の主にしか過ぎず、勢力で言えば袁術の遠く及ばない。

 

 陶謙は孫堅と元々仲がどういう訳か相性が悪く、最近では天帝教に被れている始末だ。

 更には孫堅も、そして孫策もこういう宗教集団には何故か嫌悪感を抱く帰来がある。

 

「残るはあそこかぁ……」

 

 孫策は賊太守と呼ばれていた司護の事を思い浮かべた。

 荊南四郡と言えば、かなり栄えており、勢力も申し分ない。

 だが、一番の大問題がある。

 それは家柄と官位だ。

 司護にとっては、どうやっても手に入れられない代物である。

 

 名声を博した人材も司護の下にやって来ているが、そもそも名声を博した者達は、既に下野していた者達だ。

 有能な人材もまだ無名の段階でしかなく、本来ならその立場に居る筈がないのである。

 故に外から見たら「変人の下に集った有象無象の集団」ということになる。

 何時の時代でも、格式が無いのと有るのとでは大違いなのだ。

 

「……やはり仕方ないか。しかし、このまま袁術の下に居るのも癪だが……」

 

 孫策は溜息をついた。

 そして、重い足取りで周瑜の所へと向かったのである。


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