外伝25 交州軍との交戦
司護が新たなる都市開発のため、選ばれたのは衡陽である。
近くには道教の五岳の一つである衡山があり、長沙郡に属し、長沙と桂陽の中間にある。
元は宿場町であるが、荊南の人口増大と移民に伴い、建設されることになった。
理由としては、交州に近い桂陽との間にあること。
もう一つは、やはり交通の要衝としての利点が挙げられる。
他には邵陽、益陽、岳陽が候補に挙げられた。
何れも交通の要衝ではあるのだが、南から予想される移民の流入を重視した為、衡陽に決定したのだ。
その新都市の衡陽を造る為、司護は手が空いている人材をかき集めた。
それが厳畯、邯鄲淳、鐘離昧、張承、陳平、頼恭の六名である。
さらに特別顧問として趙達が迎えられ、風水を取り入れた町造りをした。
因みに臨賀でも同じく、風水を組み込んでいる。
区画割であるが、文教面は西、遊興区は東となった。
これは北東が宗教区となった為である。
鬼門である北東に道観、寺院を配置させる為の措置だ。
しかも、仏教は兎も角、道教系の類は遊興に寛容であるからだ。
そして、この六名が与えられた役割が以下の通りである。
厳畯
政庁並びに区画の全般を担当。周辺住民との対応担当。
邯鄲淳
主に文教地区を担当。劇場などの施設の建設も兼任。
鐘離昧
周辺の治安担当。土木従事者の糧食担当も兼任。
張承
宗教地区を担当。寺社と道観の区画割り当て。
陳平
遊興地区担当。その中に色町も含む。それと櫓、城壁、堀などの防衛施設の建設を兼任。
頼恭
住宅地区担当。及び、周辺道路整備の担当兼任。
その後、陳平、鐘離昧、邯鄲淳らは衡陽建設から外され、張範、来敏、李孚、游楚らが、新たに指名された
陳平の後任に来敏、鐘離昧の後任に游楚、邯鄲淳の後任には張範が選ばれ、李孚は頼恭と共に住宅地区を任された。
さて、土木従事者のほとんどは山越と荊南蛮の民である。
その為、現場監督役のほとんどに、山越と荊南蛮の者達が起用された。
これに不満を持ったのが、一部の漢民族のインテリ派閥である。
主張としては「漢の伝統的な建造物でなければ、漢化政策の意味がない」というものであった。
これに対し厳畯と邯鄲淳は、それらの連中を論破し、彼らを左遷した。
不満を持った一部の連中は臨賀に戻り、司護に直訴する。
だが司護は、そのような連中には歯牙にもかけず、悉く放逐してしまったのである。
その後、この連中は二派に別れ、一派は王儁らの取り次ぎで帰参を許してもらった一派。
もう一派は交州へ赴き、交州牧の朱符に司護を糾弾する一派となった。
朱符は会稽の生まれだが、育ったのは洛陽である。
幼い頃から勉学に励み、叩き上げの父朱儁とは違いエリート意識を持っている人物だ。
十代前半に霊帝が設立した鴻都門学の学校の門を叩き、入学した。
朱符は元来、気位が高く、鴻都門学の学校でも優秀な成績を収め、それに拍車をかけた。
ただ、机上の空論と現場は全く違うものである。
そこで学んだ通りに中々、上手くいくものではない。
それで上手くいくのなら、苦労はしないのである。
父の朱儁は息子が鴻都門学を妄信しているのを心配し、それを糺そうとした。
だが、朱儁は朱符に論破され、それ以上の事を朱符には言わなくなった。
「帝の教えを疑うのは不忠である」と言われたら、朱儁としては何も言えないのだ。
朱符は鴻都門学の太学を卒業し、まずは東曹掾となった。
その後、他の官歴を経て交州牧となった。
交州牧となると、同じ会稽郡出身者として既に誼を通じていた劉彦と虞褒を呼び寄せた。
そして税制を抜本的に見直し、税制を改革した。
しかし、それは事実上の増税であった。
朱符には目的があり、しかも焦っていた。
荊南には司護という得体の知れない賊太守と呼ばれている者がいる。
楊州には勝手に楊州王と名乗った劉繇がおり、益州にはやはり勝手に益州王を名乗る劉焉がいる。
「これらを悉く平定せねば漢朝は危うい」という焦りである。
それ以外にも父親からのプレッシャーもある。
父の朱儁は大して気にも留めていなかったが、朱符は「親の七光り」と呼ばれる事を殊更、嫌がった。
それ故、父親よりも功績を早く残したいのである。
朱符は更に各地から人材を呼び寄せた。
各地といっても、そのほとんどが河南郡や河内郡といった洛陽周辺にいた者達である。
特にその中の一人、王忠は朱符と齢が近く、才を買われて下向してきた。
王忠は同じ姓である王植を推挙し、共に交州へ赴いた。
そして両名とも大言壮語を吐き、周囲に煙たがられていた。
ある日、王忠は王植に対し、こう述べた。
「荊南の司護とかいう賊は無駄に兵を養い、帝を苦しめている。早急に手を打たねばならぬ」
「そうだとも。まずは、あの臨賀郡という場所を攻略しようじゃないか」
「しかし、朱州牧は『まずは会稽を攻める』とか言う。どうすれば良い?」
「簡単なことさ。まず臨賀郡を攻め、我らの武威を誇れば会稽の蛮族どもも恐れるであろうよ」
「成程」
「しかも、あの司護とかいう奴の兵の多くは蛮族だそうじゃないか。容易い以上の何物でもない」
「ワハハハ! そうだ! その通りだ! 早速、臨賀郡の蛮族どもを懲らしめてやろう!」
王忠は朱符に対し、兵を率いて臨賀郡へと攻め込むことを上奏した。
当初、朱符は渋ってはいたが、小規模での編成を認めた。
あくまで前哨戦と称し、向かわせることになったからだ。
しかし、王忠は命令の書状を偽造し、一万余りの軍勢を掻き集めてしまった。
王忠は王植と孔秀を副将とし、一万の兵を率いて臨賀郡の最南端にある山沿いの集落へと向かった。
臨賀郡も広く、最南端はほとんど手付かずで、街道を外れると司護の統治から外れるのだ。
王忠は山越の各集落を略奪し廻り、金品や生娘を強奪していった。
集落の名主たちは当然、司護に直訴し、ここに王忠らと司護が激突することになる。
当初は王忠らが優勢であった。
その理由は山越らが得意とする山岳戦を行わず、郡境の街道筋において主戦場を置いたからである。
王忠らの武具も良く鍛えられたものであり、装備においても有利であった。
この事から、数で勝る筈の山越族の兵らは劣勢を強いられたのである。
しかも、それらの兵は司護の本隊ではなく、集落から寄せ集めた素人集団である。
「見よ。これが我らの実力だ。山越なんぞは恐れるに足りぬわ」
王忠はそう豪語し、手に入れた生娘で愉しみながら宴会をする毎日だ。
自分たちが無敵に思えて仕方がないのである。
だが、司護が派兵してきた兵達は違う。
しかも、率いて来たのは鞏志、彭越、陳平、甘寧といった面々だ。
特に古参の武官である鞏志は久方ぶりに腕が振るえるとあって、事あるごとに武者震いをしている。
そんな鞏志に甘寧がこう言った。
「おう。今から震えているんじゃ、勝てるもんも勝てねぇんじゃねぇかい?」
「ハハハ。これは武者震いに決まっているよ。最近、人形しか撃ってないから、確かに少し心配されるけどね」
「けどよ。軍師の陳平殿の話じゃ、どうも交州の連中らしいぞ」
「相手が交州勢だろうが益州勢かは関係ない。民に危害を加える連中は皆、拙者の弩の餌食にしてやるよ!」
「ワハハハ。威勢が良いこった。どうでも良いが、俺の出番まで持って行くなよ」
「ハハハ。こういった物は早い者勝ちさ」
「何を? 凄ぇ自信じゃねぇか。じゃあ『一番首を獲ったら飯を奢る』ってのはどうだ?」
「ハハハハ。よし! その賭け乗ったぞ!」
王忠らの命に関わる賭けを鞏志と甘寧がしていると、それとは別に陳平と彭越が互いに策を練っていた。
両者も久しぶりの戦さとあって、楽しみで仕方がない。
どんな罠を仕掛けるかで、大いに盛り上がるのである。
陳平は彭越に言う。
「連中は山岳を避けているそうだ。君には何か名案はないかね?」
「ワハハハ。陳平さんよ。そういうお前さんはあるんだろうなぁ?」
「決まっている。無い訳がないだろう」
「じゃあ、互いに紙に書いて一緒に見せ合おうぜ。それなら文句あんめぇ」
「いいだろう。盗み見するんじゃないぞ」
「ワハハハハ。盗みの腕は別の所で、お互い使うとしようや」
双方とも書き終えると、互いに書いた紙を見せ合った。
そして互いにニヤリと笑みを浮かべたのだ。
双方ともに同じ考えだったのである。
一方の王忠らは司護が討伐隊を繰り出して来たと聞き、軍議を行うことにした。
流石に後ろめたいのか、全面的に交州勢と名乗る訳にはいかない。
王忠はそう思っていたのだが、副将の孔秀は違っていた。
堂々と名乗れば、相手の機先を削ぐ形になるというのである。
何故、そういう意見が出たのか。
それは、この臨賀郡の郡境が、微妙な場所にあるからだ。
そもそも臨賀郡は桂陽郡から独立した形になっているが、交州蒼梧郡の地域も含んでいるのである。
元々、前漢の時代から郡境が曖昧で、漢の支配地域に及ばない箇所も多かったためである。
しかも、多くの汚吏が勝手に上書きをしたりする為、判断しにくい場所であった。
理由としては近年、賊が多く出没し、その討伐を押し付ける形で境を互いに押し付けあっていたのである。
しかし、王忠は書状を偽造した手前、正式に名乗る事に躊躇した。
そこで旗を破棄し、臨賀郡の討伐隊に備えることになった。
王忠が物見の報告から聞いたところ、兵の数は七千とのことであった。
これは彭越が三千の別動隊を指揮し、山岳地帯を経由した為である。
挟み撃ちにして、殲滅しようというのだ。
地の利は当然、討伐隊にある。
何故なら、部隊にいる兵は全て長沙蛮、桂陽蛮、山越人といった地元の兵だからだ。
王忠の兵にも当然、山越人などはいるが、極めて少数派である。
漢語を使える者しか認められないからだ。
漢語を使えない者達は、他の使役に従事されるのである。
これは交州に住んでいる漢人達を中心に徴兵しているからである。
漢人系であれば兵になっても給与が良く、山越や荊南蛮であれば給与は低い。
これは漢人からしてみれば当然と言う。
何故なら、言語による意思疎通が違ってくるからだ。
意思疎通が出来てこそ、軍隊として統制がとれるのである。
ただ、給与の差別化は当然ながら、不平不満は出て来るのだが……。
一方の司護の軍隊は荊南蛮や山越人、そして楚人らで、ほぼ構成されている。
逆に漢人は極力、使わない方針だ。
何故なら、給料が皆、同じだからである。
だが、使う言語も皆、同じなので、統制はとれるのだ。
これが両軍の大きな違いである。
朱符はエリート意識が高く、同じ漢人の兵を使うことを好む。
一方の司護はエリート意識が全くなく、常に徹底した合理主義を好んでいる。
司護は漢化主義というものに全くの無縁であるからだ。
これにより、兵士達の給与は全て平等なのである。
さて、話を戻すことにする。
彭越らは山間部の間道を通り、敵の退路にて待ち伏せをする。
王忠らは街道を封鎖し、街道のみを移動手段に使うので容易に退路の予測がしやすい為だ。
王忠は敵の数が自軍に比べ少ない事を聞くと、そのまま街道に布陣した。
しかし、これこそが陳平の狙いである。
陳平には既に秘策があった。
それは周辺の民も動員し、兵を多く見せるという方法である。
当初は七千の兵で陣を敷き、夜が明けたと同時に倍以上に膨らませるのだ。
当然、俄かに雇った者達は非戦闘員の老人や女子供が多数である。
だが、自軍を多く見せるだけで良いので、質は全く関係がない。
陳平は順当に、まずは一騎打ちにて機先を制しようとした。
こちらには猛将甘寧がおり、少し腕がある位の者であれば問題はない。
陳平が甘寧に一騎打ちを要請しようとすると、そこに待ったをかけた者がいた。
鞏志である。
「陳平殿。ここは拙者に任せてくれぬか?」
「鞏志君か……。いや、ここは是非とも勝たねばならぬ」
「侮ってもらっては困る。拙者とて『荊南の麒麟児』と我が君に言われた男だぞ」
「………いやぁ。それは分かるが」
「いいや。分っていない。それなら拙者に任せて下され」
「しかしなぁ……」
陳平はどうするか迷った。
確かに鞏志は若いが古参である故、順序で言えば鞏志が先陣を切らせるのが道理である。
しかし、相手の氏素性が分らない以上、ここは甘寧で勝負したいのだ。
陳平は仕方なく、鞏志に先陣を任すことにした。
ただ「危うくなったら直に甘寧に任せるように」と念を押した上である。
鞏志は、それにも不服であったが、無言で頷いた。
一方の王忠率いる交州勢は、やや士気に欠けていた。
若干、兵の数は上回る筈だが、やはり旗を掲げていないのが原因だ。
正規の官軍とそうでないのでは、やはり士気に影響するのである。
そこに敵陣から一人の若武者が一騎打ちの名乗りを上げた。
それが鞏志である。
鞏志は声を大にして叫んだ。
「賊軍に告ぐ! 早々に降伏し、情けを請え! 民を虐げる者は容赦せんぞ!」
これに対し、王忠は高笑いし、こう叫んだ。
「黙れ! 長沙府君を名乗っているが、そもそも張機という者から、印璽を騙して受け取っただけではないか!」
「ハハハハ! これは片腹痛い!」
「何が片腹痛いのだ!?」
「良く聞け! それならば、朝廷は簡単に騙される者を選び、長沙に遣わしたことになるぞ!」
「何だと!?」
「先ごろ、親のすねかじりが交州牧になったらしいが、その金魚の糞の能無し共も下向して来たとか。いやはや、漢朝も落ちぶれたものだな!」
「だっ! 黙れ!」
「おや? その金魚の糞に追い出された賊と思ったが、どうやらこいつは金魚の糞のようだ。どうも最近の金魚の糞は威勢が良いらしいな! ワハハハ!」
「おのれ! 朝廷を愚弄する気か! もう、許せぬ!」
王忠は自身が名乗りを上げようとするが、それは王植に止められた。
そして代わりに向かったのは、出世に目が眩んでいる某だ。
鞏志は軽く数合ほど矛を合わせると、逃げ出した。
自分が優勢と思い、某は鞏志を追いかけた。
すると振り向きざま、鞏志は隠し持っていた小型の弩を取り出し、その某を目がけて放ったのである。
この小型の弩は、韓曁が暇潰しがてらに制作したもので、思いの外、便利だったので親友の鞏志に渡した物だった。
鞏志は韓曁から受け取った小型の弩で、迫る某を撃ったのである。
すると某の眉間に見事、矢は突き刺さり、どうっと倒れた。
その光景を見ていた陳平は声を上げて笑った。
そして、同じく見ていた甘寧に、こう呟いた。
「何だよ。あいつ、あんな物を隠し持っていやがった。道理で強気な筈だ」
王忠は某が討ち取られると、焦りの余り、総攻撃を命じた。
陳平は予定になかった敵の攻撃に少々、戸惑ったが、直に反撃を命じた。
王忠の軍はただでさえ士気が落ちていた所に、急な攻撃の命令で浮足立っていた。
そこに待ち構えていた士気が最高潮になっている陳平や甘寧の隊に切り込んでいったのである。
当然ながら、結果は直に見えてしまった。
「くそっ! 退け! 退けぇ!!」
命の危険を感じた王忠は全軍に撤退命令を出し、街道沿いに陳平らに追われて進んで行くと、不意に何処からか軍勢が湧いて出た。
彭越が潜ませていた伏兵たちである。
そこでも散々、兵は討ち取られ、這う這うの体で王忠らは更に撤退の速度を上げた。
「よし! このまま敵を殲滅するぞ!」
一騎打ちの功もあり、鞏志は気を良くし、更に追撃を加えた。
「まずいな……。深追いし過ぎだ。鞏志の隊が孤立してしまうぞ」
陳平は急いで彭越の隊と連絡をとろうとした。
しかし、彭越は彭越で予定外の事だった為、直に別行動は取れない。
「ハハハハ! このまま大将の首を土産にすれば……」
鞏志は更に追撃の速度を加速させた。
面白いように敵兵の首が転がる。
すると、気付けば既に交州蒼梧郡まで部隊が侵入してしまった。
「ややっ!? こいつは不味い! 退くぞ! 急げ!」
気づいた時には既に遅かった。
新たなる軍勢が王忠の援軍として、鞏志らに襲いかかったのである。
その軍勢は良く統制されており、王忠らとは比べものにならない。
「進め! ここで敵将を討ち取れば、手柄はごっそり俺らの物だぞ!」
そう叫んだのは楊奉という白波賊上がりの者であった。
楊奉は朱符の父、朱儁に見いだされ、朱符が交州牧に就任すると同じく下向してきた者だった。
そして、同じく下向して来た者に、楊奉の部下、徐晃という者がいた……。
「うぬ! あそこにいるのが大将だな! 討ち取ってくれん!」
徐晃は慌てふためく鞏志を見つけ、得物の大斧を片手に猛然と近づいてきた。
鞏志は徐晃の姿を見つけると、すぐさま弩から矢を放った。
だが、簡単に矢は躱され、更に迫って来たのである。
「くそっ! こんな所で……」
徐晃の大斧が振り下ろされ、鞏志は思わず諦めかけたその時、その大斧を止めた者がいた。
甘寧であった。
甘寧の隊が漸く鞏志の隊に追いついたのである。
「うぬっ!? 邪魔立て致すな!」
「お前さんの相手は、この俺様だぜ! 覚悟を決めちめぇな!」
「馬鹿な事を! まとめて大斧の餌食にしてくれる!」
甘寧と徐晃が互いに得物を合わせ合う事、数十合。
中々、勝負はつかなかった。
そこにやっと陳平、彭越の隊が到着し、役割を終えた楊奉の隊は一時、後退を余儀なくされた。
多勢に無勢だからである。
その後、陳平らの主導の下、今度は荊南勢の撤退戦が始まった。
王忠らは軍勢を立て直して楊奉らと合流し、陳平らを追うが双方とも疲れきっており、互いに多くの死傷者を出した。
この戦いで荊南勢は二千以上、交州勢は五千以上の犠牲者を出したという。




