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外伝22 陳平道中記(後編)

 陳平ら一行は、もう一人の劉岱に案内され、山小屋へと到着した。

 そこには鄭玄だけでなく、様々な者達が避難しており、司護が見たら恐らく歓喜していただろう。

 他にいたのは張倹ちょうけん、国淵、孫乾、邴原、管寧、王烈、王修、崔琰、陰夔いんきといった面々だからだ。

 そして、陳平らがズカズカと山小屋の中に入ると、全員は剣を抜き、殺気が漂った。

 

「ああ、待って下さい。皆さんを救出しに来ただけですから」

 

 陳平は作り笑顔をしながら、山小屋の面々に言った。

 それに答えたのは、年長者である張倹である。

 張倹は八及と呼ばれる名士の一人で、兗州山陽郡高平の出身である。

 故郷に逃げていたが、二か月程前に鄭玄に会いに来たところを戦さに巻き込まれて山小屋に隠れていた。

 

「何者の手筈で、ここに来たのかね? 文挙(孔融の字)殿の者か?」

 

 張倹は孔融の兄である孔褒とも親しく、それ故、孔融の手の者と思ったのである。

 だが、事実は違っていた。予想もしなかった人物の手の者だったのだ。

 

「残念ながら違います」

「……では、袁紹殿か陶謙殿かね?」

「それも違います」

「……他に近くて思い当たる者がおらぬな……。誰の手の者かね?」

「長沙の司護の手の者です」

 

 陳平のその一言に山小屋にいた連中は騒然となった。

 まさかの賊太守の使いである。

 だが、民衆からは別名「上使君」と呼ばれる仁君としての名声も響いていた。

 

「出鱈目を申すな! 何故、司護の手の者が、ここまで来るのだ!」

 

 そう怒鳴り声を上げたのは崔琰である。

 それもその筈で、荊南からは距離があり過ぎるのだ。

 

「それが事実なんだから仕方がない。主の司護が言うには『太学を設立したいから鄭玄先生を呼びたい』と言われましてね」

「ほう? この儂をか?」

 

 名が上がった鄭玄は思わず声を出した。

 鄭玄は司護に関心があったのだが、自分を推挙してきたのは意外だったからだ。

 

「ここに主の司護から受け取った蔡邕先生の手紙が御座います。どうか、まずはこれをお読みください」

 

 陳平から文を渡されると、確かに蔡邕の文である。

 そこには偽造であることが疑われないように、鄭玄と蔡邕しか知り得ないお互いの事も書かれていた。

 

「おお……。正しく伯喈(蔡邕の字)殿だ。成程、嘘ではないのか」

「ええ、長沙を始め、荊南は安定しており、物資も豊富です。ここに居る皆さんをお連れしても我が君のことです。丁重に持て成すことでしょう」

「……ううむ。しかし、遠すぎますな」

「路銀も充分にあります。それはそうと、皆さんも腹が空いておいででしょう。まずは腹ごしらえして、山を下りましょう」

「しかし、どうやって山を下りるのだね?」

「気分は悪いでしょうが、黄色い布を被って下さい。それしか道はありません」

「……ううむ。致し方ないか。ここで飢え死するよりマシだしのぉ……」

 

 鄭玄がそう言うと、それと同時に外の方で「ぎゃっ」という悲鳴が上がった。

 劉岱の声である。

 思わず鐘離昧が点鋼槍を持ち、外に出ると、思わぬ人物がそこにいた。

 

「貴様は趙雲!? 何故、ここにいる!?」

「それはこっちの台詞だ! 鐘離昧! やはり本当に司護の使いだったのか!」

「貴様らも鄭先生を!?」

「そうだ! こっちは廬植先生の使いだ! 賊とは違うぞ!」

「何を!? 我が主は宦官に付け込まれて、檻車に入れられたりせんぞ!」

「何だと!? もう一編いっぺん、言ってみろ!」

 

 そこに周泰が助太刀とばかり姿を現すと、同じく太史慈も矛を構えた。

 両者、一触即発である。

 

「お止めなさい! 双方とも!」

 

 止めたのは王修という者だ。

 清廉忠直であるが、同時に烈士でもある。

 

 王修の一言で双方は文字通り、矛を収めた。

 だが、それは王修の一言ではなく、鄭玄への印象を悪くしない為である。

 思わぬ邪魔者に陳平は内心で舌打ちをしたが、こればかりは致し方ない。

 もし無理やり鄭玄を連れて行こうにも、死なれたら元も子もないのである。

 なので、ここは印象を良くする為に、こう周りに言い放った。

 

「埒があきません。ここは議論してもらい、どちらかに行くか決めてもらいましょう。そちらもそれで宜しいかね?」

 

 陳平は趙雲にそう言うと、趙雲は黙って頷いた。

 趙雲もそうするしか他に手立てが無かったからだ。

 

 陳平達や趙雲達、そして劉岱は外で待機することになった。

 夜中の山小屋の議論は白熱した。

 誰が誰の下に行くかで揉めに揉めたのである。

 

 その揉めている間、外では趙雲と鐘離昧が何かにかこつけて雑談混じりの言い争いをしている。

 また、周泰と太史慈も互いの武勇の自慢談義に花を咲かせていた。

 

 趙雲もかねがね、司護の噂を聞いていた。

 どんな人物か興味はある。

 だが今の主君は公孫瓚だし、劉備という廬植のいい加減な弟子にも興味がある。

 そこで思い切って鐘離昧に聞くことにした。

 

「そこまで言うのなら、貴殿の主とやらは、どんな人物だと言うのだ?」

「天下に轟く大変人だ。悪いか?」

「……主を大変人呼ばわりか?」

「ああ、そうだ! それ以前の主は、化け物としか言い様がない者だった気がするが、今度の主は大変人だ!」

「……貴殿は不幸自慢でもしたいのか?」

「……前の主では不幸だったかもしれぬな。だが、今の主はそうではない」

「大変人なのにか?」

「そうだ。大変人だからこそ、常識に囚われない。乱れた世の中を糺すのに、あの方以上の大変人はおらぬ」

「大変人なら拙者にも心当たりがおるぞ! 姓は劉。名を備。字を玄徳と申す者だ!」

「ほほう? どんな大変人だ?」

「耳たぶは肩まで着き! 両腕は膝下まで伸びている! 姿形以上に性格もいい加減で、無茶苦茶で後先を考えない! そして、女癖は最悪だ! どうだ! 恐れ入ったか!?」

「……貴殿は何を言っているのか、分っているのか?」

「………」

「しかし、女癖が悪い以外は同じようなものだな……。いや、女の影すら見えぬ……」

「ワハハハ! 真の大変人は、やはり劉備殿のようだな!」

「それは違うぞ! 劉備とやらは『夢のお告げ』とやらで、無茶苦茶な要求をするのか!?」

「………」

 

 お互いに大変人自慢をしている二人であるが、何を競い合っているのだろうか?

 お互いをライバル視しているからこそ、お互いに負けたくない意地が、そうさせてしまっているのだが……。

 

 話を元に戻すことにする。

 山小屋での議論は終わり、山小屋の面々が向かう先が決まった。


 その結果、邴原、管寧、王烈の三名が司護の下に条件付きで行くことになった。

 条件とは豫州潁川郡の陳寔の所まで経由することである。

 陳寔は高齢で、噂では死期が近いと言われていたからだ。


 余談だが、鄭玄、国淵、孫乾は陶謙に保護されている孔融の下に。

 また、王修、崔琰、陰夔の三人は劉虞の下に行くことになった。

 そして張倹はというと「暫く放浪してから決める」という事である。


 陳平はその決定に内心では地団太を踏んだが、こればかりは致し方ない。

 少なくとも逸材と思える三人を迎える事で良しとするしかなかった。


 三名を加えた一行は、まず黄色い布を被り、黄巾党が屯する陣営と向かった。

 そこで頃合いを見て、夜半過ぎに離脱に成功したのである。


 そして隠れていた劉先と合流し、そのまま兗州へと向かった。

 行先は豫州頴川郡だからだ。


 それから二週間ほどかけ、兗州の山陽郡昌邑県の宿場町に着き、宿をとった時のこと。

 劉先は、その宿屋で気品に溢れた若者を見かけた。


「これは大人物に違いない。鄭玄先生の代わりとしても申し分ない筈だ」

 

 劉先はそう確信し、若者に声をかけることにした。

 

「失礼。私は劉先。字を始宗と申す」

「満寵。字は伯寧と申します。私に何用で?」

「つかぬ事をお聞きしたい。貴殿は誰かに仕えておいでか?」

「え? いや、仕えるのを辞めてきたばかりです」

「辞めたばかり?」

「ええ。自慢じゃないですが、これでも高平県令を代行していました」

「ほほう……」

「ところが高平県の督郵が横暴な奴でしてね。逮捕して鞭打ちの刑にしたんです。本当は斬首にしたかったんですが……」

「どんな督郵だったのです?」

「強請りたかりは当たり前。気に入った生娘は乱暴狼藉、当たり前。そんな輩です」

「それは死罪にして当然かと思いますな……」

「でしょう!? しかし、その督郵は十常侍の縁者なので無罪放免ですよ!」

「……お気持ち、お察しします」

「なので、生まれ故郷にて一息つこうと、帰ってきたところなんです」

「……では、仕官する気は御座いませんか?」

「仕官先について丁度、考えていたところです。豫州王君のところにお邪魔してみようかと……」

「……ここからだと、ちと遠いですが、我が主に仕官して下さいませぬか?」

「誰です? 劉繇殿ですか?」

「……荊南の司護です」

「ええっ!? 貴殿はあの司護殿の!?」

「はい。仕官している者です」

「そうでしたか……」

「満寵殿。我が主は決して無頼な輩には容赦しません」

「……司護殿か。確かに、どんな人物であるか興味はありますな」

「お願いします。満寵殿。貴殿が加わってくれれば、荊南の民は救われます」

「ハハハ。私にそれだけの力があるかは、まだ分らないでしょう」

「いいえ。私の目に狂いはありませぬ。どうか宜しくお願いします!」

「……そこまで言われたら致し方ない。微力ですが、司護殿にお仕え致しましょう!」

 

 こうして満寵は兗州の地にて、司護の配下となった。

 司護が狂ったように歓喜したのは、本編で紹介した通りである。

 

 満寵を加えた一行は、更に南西に進路をとり、豫州頴川郡へと向かった。

 そこに目的の人物、陳寔がいるのだ。

 陳寔は高齢であるので、彼を師と仰ぐ邴原、管寧、王烈は居ても立ってもいられない。

 その一人、邴原は竹馬の友である管寧に思わず愚痴を溢した。

 

「なぁ、幼安(管寧の字)よ。司護とやらは本当に徳があると思うかね?」

「藪から棒に何だ? 根矩(邴原の字)」

「司護とやらが本当に徳があるなら、仲弓(陳寔の字)先生の臨終を見届けさせてくれると思うのだがね」

「君らしくないぞ。幼安。それなら何故、遼東へ渡らなかったのだ?」

「………それは」

「君も僕も先生の臨終を見届ける為であろう? 不幸にも戦さに巻き込まれてしまったが、鄭玄先生以下は助かったのだ」

「しかし、司護とやらが、もっと早く招いていて下されば……」

「そんな事を言っても仕方ないだろう。今は天命を信じよう。それしかあるまい」

「………そうだな」

「逸る気持ちは僕も彦方(王烈の字)殿も同じだ。だが、今は信じるしかあるまい」

「うむ。君の言う通りだ。陳平殿が示す道も正確だし、必ず間に合うと信じよう」

 

 信じた結果、その通りとなった。

 陳寔が余命数日となったところで、頴川に着くことが出来たのである。

 

 陳寔が亡くなると、国中から三万人もの弔問客が訪れた。

 その中には韓融、荀爽といった門人もいた。

 三名は彼らと静かに語り合い、故人を偲んだ。

 

 三名は「喪に服す為、猶予が欲しい」と陳平に訴えた。

 陳平は苦虫を噛むような思いであったが、快諾した。

 臍を曲げられて「来ない」と言われるよりマシと思ったからだ。

 

 ただ、頴川に居るだけでは勿体ないので、弔問客の中から逸材を見つけるように劉先に命じた。

 その中には荀彧、毛玠、董昭、劉馥、孔伷こうちゅう、鄭泰、袁遺、士孫瑞といった者達がいた。

 だが何れも既に仕えている身であり、断られてしまったのである。

 

「やはり目ぼしい者は既に仕官してしまっている。仕方ないか……」

 

 連日、葬儀に来る者達に話しかけては断られる一方なのだ。

 劉先はそうボヤき葬儀の場から離れた。

 そして、暫く劉先が散策していると、王烈が声をかけてきた。

 

「劉先君。どうしたのかね? 気分でもすぐれぬのか?」

「これは王烈殿。いや、困り果てていた次第です」

「何を困り果てておるのかね?」

「我らは鄭玄先生をお招きしたく、青州まで参りました」

「うむ。それは知っておる」

「ですから鄭玄先生に代わる何方かをお連れしたいと思い、色々な方に声をかけたのです。ですが見つからない」

「随分と不躾な者だな……。君という者は……」

「ええ、王烈殿。これでは確かに不躾者でしょう……。しかし、やらねばならぬ事情があるのです」

「……事情だと?」

 

 劉先は張羨に託された竹千代のことについて、事情を事細かく王烈に伝えた。

 それは亡き先君への忠義心からである。

 王烈も聴き入るうち、次第に劉先のことが気の毒になってきた。

 

「そういう事情があったのか……。成程な。焦る気持ちも分かるよ」

「焦れば焦るほど、空回りします……」

「しかし、邴原殿や管寧殿がおるだろう。あの二人なら大丈夫だと思うがね。それに蔡先生も既にいらっしゃるのだし」

「確かに、そうかもしれませんね。それではご迷惑になるでしょうから、暫く他で探そうと思います」

「まぁ、待ちなさい。闇雲に探すのでは大変だろう」

「では、どうすれば……?」

「心当たりがある。竺先生なら、今は誰にも仕官していない筈だ」

「竺先生?」

「邯鄲淳。字を子叔という方だ。弔問にも来ていたが、直に帰ってしまったようだな」

「どのようなお方です?」

「一流の書家であるが、それ以上に話術が達者な方だ。鷹揚な方でもあるので、行けばスンナリ受け入れてくれるかもしれぬ」

「おお!? 感謝致します。王烈殿」

 

 邯鄲淳は特に弟子を取らず、庵に篭るか街に出て他愛のない雑談に花を咲かせるのが日課である。

 一流の書家であるにも関わらず、求めれば誰にでも書を認め、それを僅かな金で売っている。

 実は霊帝から請われて鴻都門学の教鞭を一時期とったこともあるが、直に辞してしまった。

 理由は「面白くないから」という至極単純なものだった。

 

 実際、邯鄲淳からしてみれば鴻都門学とは荒唐無稽のものだった。

 如何に文書や芸事、話術に自信があっても政務には関係がない。

 そういった者達を鍛え、政務に携わる者にしようとしても、意味がないのだ。

 

 鴻都門学の太学を作った理由だが、それには邯鄲淳も理解できた。

 家柄を問題にしない新たな人材を育成するためである。

 しかし、それならば現地から能力がある者を抜擢すれば良いのだ。

 現地での実務と机上での空論では、まるで違うものである。

 ましてや詩や書が優れているからといって、必ずしも政務をこなせるという確証はない。

 

 邯鄲淳は鴻都門学派閥と一部の儒家派閥の双方とも関係を持ってしまっていた為、双方からいわれ無いことも受けた。

 自身が悪く言われるのは何処吹く風だが、面白くないことをやるのは我慢ならなかった。

 それで鴻都門学の教授を辞したのである。

 

「小難しいことを並べても人は付いてこない。学ぶ前に、それを理解出来ない以上、話にならん」

 

 邯鄲淳は、今では数少なくなってしまった友人達に、常にそう述べている。

 ブラブラと街へ繰り出しては、酒を飲み、美味い物を食べ、他愛もない笑い話に興じていた。

 

 そして、その邯鄲淳の庵にブラリと突然の訪問者が来た。

 劉先である。

 劉先は事の次第を伝えると、邯鄲淳は笑いながら、こう答えた。

 

「丁度、ここにも飽きてきた所ですわ。賊太守の所なら面白いでしょうなぁ。宜しい。喜んで向かうと致しますわ」

 

 こうして邯鄲淳も加わり、喪が明けたのを機に一行は荊南へと向かったのである。


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