外伝21 陳平道中記(中編)
対青州黄巾党の援軍として派遣されてきた公孫瓚軍の総大将、公孫範は苛立っていた。
自身が烏桓族との戦いから外されたからである。
軍略には自信があるし、自身は公孫瓚の従兄弟であるにも関わらずだ。
「くそっ! 伯圭も伯圭だ! 私を外して、あの大耳らを重用するとは!」
伯圭とは公孫瓚の字で、公孫瓚と公孫範は兄弟同然の間柄である。
それなのに、帝の血筋を自称するおかしな大耳を使うのだから、意味が分らない。
しかも、着いたのは良いが、両軍とも特に動く気配すら感じられないのだ。
公孫瓚には公孫瓚の理由があった。
平間王の劉虞が恩師にあたる幽州牧の廬植を通じて、烏桓族らとの和解を持ちかけてきたのである。
公孫瓚は袁紹とも険悪ではあるが、ここで断ったら廬植との義理も果たせない。
そこで特に烏桓族討伐に興味のない劉備を、ワザと副将にしたのである。
劉備が一応、副将を委任されたが、兵は未熟な兵達で構成されており、ただの数によるハリボテ同様なのだ。
その後、烏桓族は張純、張拳らを見限り、兵を退いたので劉備と公孫瓚は張純と張拳を討ち果たしていた。
「遅いな……。あの青二才の新参者はまだか? 武芸だけはいっちょ前らしいから、斥候にしたのが間違いかもしれんが」
副将である厳綱に聞くが、厳綱はやる気のない声で「さぁ?」と言うだけだ。
ジリジリとする公孫範の下に、その斥候が現れたのは日を跨いだ頃であった。
「遅い! 何をしておった!」
公孫範の前に出た斥候は泥だらけであった。
途中、黄巾党に発見され、数少ない味方の兵士はほとんど討ち死してしまっていた。
そして斥候の隊長を務めた若者は申し訳なさそうに、頭を垂れながら公孫範にそのことを報告した。
「申し訳ありませぬ! 思わぬ所から敵の巡回に遭遇してしまい……」
「言い訳はよせ! 見苦しいぞ!」
「面目次第もございませぬ」
「……で、何か分ったのか?」
「敵の士気は左程、下がってはおらぬようです。食糧も充分、確保していると思われます」
「くそっ! これも南昌がよりによって黄巾賊なぞに奪われるからだ! 何故、こちらが割を食わねばならん!」
「南昌では住民が喜んで黄巾賊を受け入れたとか……」
「全く、宦官の縁者なんぞを太守にするから、こうなるのだ! 呆れ果てて物も言えんわ!」
「御尤も……それと妙な奴と遭遇しました」
「妙な奴?」
「はい。長沙の司護の配下、鐘離昧と名乗る者です」
「馬鹿なことを申すな! 何故、長沙の賊がここにいる!」
「それは拙者にも……」
「もう良い! 下がれ!」
「はっ………」
斥候隊の隊長を命じられたのは趙雲である。
まだ若いながらも見事な武勇の腕で、公孫瓚に認められた勇者だ。
しかし、これといった実績がまだないので、このような役目を仰せつけられるのである。
趙雲自身も遭遇した件の烈士が「長沙の司護の配下」と名乗ったことに疑問しかない。
それ以前に、いきなり自分を仲間に誘おうとしていたのだ。
「あいつも俺と同じぐらいの齢だったな。確かに噂じゃあ、荊南の賊は若い奴ばかりと聞いてはいるが……」
暗くて良く分からなかったが、一瞬、見た目は貴婦人と思える顔立ちのような男だった。
確かに鐘離昧と名乗った。そして、司護の配下で若き猛将、鐘離昧とそれは符合する。
趙雲には武勇の自信はある。
何故なら、武芸者である義父に幼少から叩き込まれたからだ。
凄腕の武芸者であったが、顔が悪く、仕官の口にはそれが理由で皆無であった。
膏薬売りとして日銭を稼ぎ、飢饉で亡くした両親の代わりに育てられたのである。
故に義父とは全く血縁はなかったが、我が子のように育てられた。
義父は黄巾の乱が起こった際、当初は黄巾党に属していた。
だが、流れ矢であっけなく父は戦死してしまったのである。
武勇に自信のある義父であったが、戦場とはそういうものなのだ。
趙雲が黄巾党を離れた理由は、当初の目的である「世直し」に疑問を持ったことである。
誰でも構わず入信させ、豺狼のような賊にまで兵にする。
張角は「そのような者も改心する」といって迎え入れるが、その者らは村を襲っては略奪をする。
「弱者は労われ。決して無碍にするな」と義父に教えられていた趙雲は、かつては仲間だったそんな連中を皆殺しにしてから、公孫瓚の部下となった。
因みにだが、堂々と皆殺しにした訳ではない。
酒と女に溺れているところを、一網打尽にしただけだ。
何故なら、そういった連中相手に怪我をしてもつまらないからである。
「どんな雑兵相手でも油断はならぬ」と常日頃、義父から教わってもいたのだ。
「長沙の賊太守……。今は荊南の賊頭目か。どんな人物なんだろうな?」
疲れていた体を早く休めたかったが、どうしても気になって仕方がない。
しばらく我慢していたが、やがて睡魔の猛襲にあい、スヤスヤと眠ってしまった。
どんな人間にでも睡魔には勝てないものなのだ。
公孫瓚がここに援軍を派遣してきたのには訳がある。
一つは討伐軍の援護、そしてもう一つは、鄭玄の救出である。
鄭玄の救出の理由は、劉虞が廬植を経由して要請したのだ。
公孫瓚はあまり劉虞と相性は良くないが、廬植には頭が上がらないのである。
その趙雲だが、傾きかけた日光の眩しさによって、目を醒ました。
「あれ? まだ、そんなに寝てないのか?」
そう思ったのだが、太陽の位置は東ではなく、西である。
「ややっ!? 寝過ごしたか!? こいつぁマズい!」
趙雲は飛び起きると、すぐに厳綱の下へと向かった。
副将の厳綱はあまり口数が少ない。
ただ、黙々と仕事をこなすのだが、戦場においては勇猛で、これまでも張純討伐などに戦果をあげている。
その厳綱であるが、趙雲が慌てて来た様子を見ると、思わず吹き出した。
「げっ……厳綱殿。急ぎ、支度します故、兵士をお貸し願いたい」
「趙雲。今、お目覚めかね?」
「えっ!? いや………」
「目に目ヤニがついでおるぞ」
「えっ!? こ、これはしたり……」
「ククク。若いから仕方ないよな。何せ『寝る子は育つ』と良く言うしな」
「ぶっ……無礼です……ぞ」
「今ので目も醒めたであろう。公孫範殿には某が申しておく故、早く支度いたせ」
「はっ!? ははっ!」
趙雲は急いで手練れの兵士を招集し、急ぎ山の麓へと向かう手筈を整えた。
鄭玄の救出は元々、趙雲に下された任務だからだ。
一方、陽が落ち始めた頃を見計らい、既に陳平らは山道を隠れながら歩いていた。
隙をみて脱出するのが大得意の陳平からすれば、黄巾党の陣営から抜け出すなど赤子の手を捻るようなものだ。
先頭は周泰が用心深く、藪を掻き分けていく。
周泰は長江近辺の出身だが、山が苦手という訳でもない。
周泰の育った村は山に囲まれており、長江が洪水をおこすと決まって山に登ったからである。
幼少期からそれを何度も体験しているため、山に関しても造詣が深いのだ。
早めの時間から姿を消した理由は、その日のうちに鄭玄を連れ出すためである。
だが、流石に周泰でも不慣れな夜の山は勝手が違う。
途中で木に登り、北極星を確かめながら行くしかないのだ。
「おい、周泰さんよ。大丈夫かい?」
「陳平殿。『任せておけ』とはちぃと言えんぞ。何しろ獣道しかないからな」
「我が君は『夢で必ずや成功する』なんて言っていたけど、今回ばかりは流石にアテにならねぇな」
「そう言うな。あれでも我が君だ。それに蔡瑁から窮地を救ってくれた以上、俺は期待を裏切れん」
「樊噲と言われたのが、そんなに嬉しいもんかねぇ?」
「嬉しいに決まっているさ。樊噲といえば勇者の代名詞じゃないか」
「そういうもんかねぇ? おれはピンとこないが……待て!」
苦虫を噛むような鐘離昧を無視し、陳平と周泰が話しながら歩いていると、前の方からガサガサという音がした。
熊か虎、狼かは分らない。
得物は皆、持ってきてはいるが、熊や虎が相手となると、流石に接近戦では致命傷になりかねない。
下手をすれば命に関わるものだ。
ガサガサという音がなる方向をソーッと三人が見た。
すると、どうやら男がしゃがんでいるらしい。
陳平は目配せし、鐘離昧と周泰は囲むように近づいていく。
そして、陳平が「それっ!」と言った瞬間に飛びかかった。
「うっ! うわぁ!?」
男は飛び上がり、逃げようとするも足がもたつき、その場で倒れてしまった。
その上に周泰が飛び乗ったので、男はどうすることも出来ない。
「ひっ! 賊か!? 賊なら容赦しないぞ!」
男はジタバタと暴れるが周泰の力には遠く及ばない。
「容赦しない!」と叫んでいるが、例え容赦しなくても敵う相手ではない。
面倒そうに頭を掻きながら陳平は、周泰の下敷きになっている男に話しかけた。
「落着けよ。助けに来たんだから」
「助けだと? 誰のだ?」
「蔡邕さんだよ。ちゃんと手紙もある」
「何? 蔡先生の? 何故、それを早く言わん!?」
「だから……今、言っているじゃねぇか」
「それもそう……。重い! 早く、その尻を某からどけないか!」
陳平は周泰に目配せすると、周泰は用心深く男の上から降りた。
男は用を足していたらしく、下半身はほぼ丸出しである。
陳平は嫌そうな顔をして、また話しかける。
「早く下を履きな。縮んでいても見えちまうよ」
「ぶっ! 無礼な! 某のモノは縮んでおらぬ!」
「それが『縮んでいない』って言うのなら、宦官どもと同じだぞ」
「なっ!? 増々、無礼なっ!」
「分ったから、さっさと履けよ……」
憤懣やる方なく、ブツクサ文句言いながら、男は下を履いた。
先程から静かな鐘離昧だが、ただ黙っている訳ではない。
あまりにも可笑しすぎて、大笑いしたいのを、必死に含み笑いで堪えているだけだ。
陳平もそれを見て苦笑いしながら、男の素性を聞くことにした。
「俺は陳平って言うんだ。あんたは?」
「某か? 某は劉岱だ」
「劉岱……? 兗州刺史がこんな所で?」
「馬鹿っ! 同姓同名なだけだ!」
「なんだぁ……。道理でおかしいと思った。まさか字まで同じとか?」
「何で分った……?」
「ええっ!? 本当か!? しかし、あの英傑と言われた兗州刺史とお前さんじゃ、名前負けも……」
「……ほ、ほっとけ! そんな事は某が良く分かっているわ!」
「アハハハ! それもそうか! ところで鄭玄先生の所へ案内してくれるか?」
「それ以上に聞きたいことがある。ここへはどうやって来た?」
「どうやってって……。二本の足で歩いてだが?」
「そういうことじゃない! どうやって『黄巾党や漢軍の陣営を突破したんだ』と聞いている!」
「ああ、それか。黄色い布をつけて紛れてきた」
「よくそれで来れたもんだな!」
「簡単だよ。適当に紛れれば良いのさ。あいつら色々な所から掻き集められて来てんだから」
「う……それもそうか」
「分ったら、早く案内してくれ。飯を持って来たから」
「何!? それを早く言わんか! 寄こせ!」
「鄭先生にお会いしてからだ。ほら、さっさと案内しろ。さもねぇと、またこの大男の尻に敷かれるぞ」
「だっ!? 分った! 分ったから!」
「そうだろう。どうせ尻に敷かれるなら女の方がいい。アハハハ」
陳平はそういって笑った後、劉岱に先導されて鄭玄の下へと向かった。
劉岱はまだ文句を言ってやりたかったが、早く飯にありつきたい一心で渋々、先導することにした。
少し時が遡ることをお許し頂きたい。
一方の趙雲も夕日が暮れるのを待って、山へ入ろうとしていた。
鐘離昧と名乗る人物のせいで、嫌な予感がしたからである。
「まさかとは思うが、鄭玄先生まで招聘しに来たんだろうか?」
そう趙雲は考えたからだ。
何故なら、若いが陶謙に招聘を断り続けた賢人張昭を招聘したことは、趙雲の耳にも入っていたからである。
先に司護に鄭玄を持って行かれては、抜擢してくれた公孫瓚に申し訳が立たない。
そこで腕の立つ者を五人ほど選び抜き、山に入ることを決意したのだ。
いざ、暗くなった山に入ろうとした時である。
体格の良い偉丈夫が趙雲に話かけてきた。
「おう。鄭玄さんを連れて帰るんだって? 俺にも手伝わせてくれ」
「それは良いが……。貴殿は?」
「太史慈。字を子義という者だ。母の恩人である孔融さんから、鄭玄さんを連れて帰るように言われたもんでね」
「何? じゃあ、鄭玄先生を孔融殿に引き渡すつもりか?」
「当然じゃないか。母の恩人は俺の恩人だ。その義理を果たすのは、男として当然であろう?」
「君には君の理由がある。それは分かる。だが、この趙雲も公孫瓚殿に義理がある」
「じゃあ、まずは連れて帰ってから鄭玄さんに決めてもらおう。それなら良いだろう?」
「それなら仕方ないな……。分った。協力してくれ」
「よしきた! この山は俺の庭みたいなもんだ。任せてくれ」
太史慈は、自身の胸を思い切り良く叩き、豪快に笑った。
同時に司護の使いが、反対側から登り始めていたとは知らずに……。




