外伝18 新たなる蠢動
并州刺史の丁原は困惑していた。
并州刺史であった張懿は屠各胡らに殺され、丁原が屠各胡らを并州から駆逐していた。
その為、臨時の并州刺史となっていた。
その功績のせいか、この度は朝廷から招聘された。
なんでも衛将軍となり、都の防衛を任せるという通達である。
ただ丁原にとって、これは期待外れ以外の何物でもなかった。
当人は并州牧を期待していたのである。
衛将軍となれば昇進である筈だが、どうにも腑に落ちない。
しかも、董卓は車騎将軍に任じられ「共に都の防衛をせよ」というのだ。
董卓は丁原が心底嫌っている男である。
そして并州牧の後任には、またもや実績のない江覧である。
どうやら鴻都門学の門人らしいが、実務は全くの素人であろう。
「帝は何を考えておるのだ? 益州刺史だった郤倹のことを、もう忘れたのか?」
丁原は武人で、あまり学問は得意ではない。
そもそも学問に全く興味がないから当然である。
能吏としての実務にも乏しいが、それは配下の者にやらせていた。
能吏としての実績が買われて赴任してくるのは、まだ納得が出来る。
だが、鴻都門学の門人達は、そうではない。
ただ小難しいことを話し、自己満足な理想論を掲げ、出来もしないことを大言する輩である。
丁原は、このまま都に向かうかどうか躊躇した。
このまま行っても良いか分らないからだ。
そこで最近、知恵者として頭角を現してきた者に、今後の指針を聞くことにした。
その者の名は蒯通という。
「なぁ、蒯通よ。儂はこのまま都に行った方が良いと思うか?」
蒯通は暫く目を瞑り、沈黙した。
そして数分後、徐に口を開いた。
「丁刺君にとってか、それとも宦官や外戚にとってかで変わってきますな」
「それは、どういう意味かね?」
「宦官や外戚連中は、武威王劉協が涼州王を名乗り、攻めてくるものと戦々恐々としております」
「そんな事は儂にも分かる。あの董卓までも招聘しているしな」
「それに今、何進や十常侍らは帝の命よりも、自分らの権益しか考えていません」
「そんな事は君に言われなくても、前々から分っていることだ」
「でしたら簡単でしょう。帝以外の側に就くのが得策です」
「……誰の側に就けというのだ? あの武威王か?」
「武威王は凶でしょう。既に涼州軍閥の者どもが、何進にとって代わろうと虎視眈々と狙っております」
「……では、劉虞殿かね?」
「劉虞殿は廬植殿がいなくなれば、袁紹と公孫瓚との争いに巻き込まれるでしょう。丁刺君が加われば三つ巴の泥沼ですな」
「………他に近い所だと、陳国しかないが?」
「はい。陳国であれば、丁刺君を喜んで迎え入れるでしょう。あそこは人材が多いが、軍閥がありませんからね」
「そうか? では、儂は劉寵殿の下へと向かうと吉か?」
「はい。丁刺君の旗下には呂布殿をはじめ、張遼殿、成廉殿、魏越殿、魏続殿、宋憲殿、侯成殿と勇将が揃っておいでです」
「うむ。儂も頼もしい限りだ。その上、お主のような知恵者がおれば、鬼に金棒よ」
「ハハハ。世辞でも嬉しいものですな」
「しかし、劉寵殿は我らを受け入れるかね?」
「豫州王劉寵殿は既に禅譲を迫る気でおります。それに最近は黄巾賊の連中も収まり、あとは時期を待つだけでしょう」
「その時期とは、儂が陳国に着く頃ということか?」
「左様。さすれば必ずや挙兵するでしょう」
「しかし、袁術が後ろにおるようだが……」
「袁術は四面楚歌です。背後に陶謙、劉繇、それに南昌の黄巾賊がおりますからな」
「ハハハハ! 袁紹も董卓も気に食わぬが、あ奴の泣きっ面も見てみたいものよ!」
「……して、江覧殿は如何いたしましょう?」
「その辺に幽閉でもしておけ。逃げたら殺せ。それ以外はない」
「……御意」
こうして丁原とその軍勢は南下し、陳国へと向かった。
劉寵は現在、陳国だけでなく、魯国、沛国、梁国、譙郡の豫州 四国一郡と兗州の済陰郡を手中に治めている。
四国といっても郡国なので、実質は六郡ということになる。
だが、今や領土は元の八倍以上にも膨れ上がっていたのである。
これは兗州を転戦していた鮑信、鮑韜兄弟。その配下の于禁らを招聘し、黄巾党征伐をしていた為だ。
そして、これらの地を治めていた王や太守は既に逃亡するか殺されてしまっている。
そこに丁原が加わるのだから、劉寵の勢いは留まることを知らない。
事実、劉寵は既に兗州だけでなく、青州までも領地にしようと、虎視眈々と狙っていた。
そして丁原が加わった時、笑いながら劉寵は西の方角を見ていた。
西とは都のある方角である。
同じ頃、勝手に益州王を名乗っていた劉焉は不機嫌であった。
州牧の座を勝手に奪われ、王に任じられたからである。
そして一番、腹正しいのは牂牁郡を国にして、牂牁王と名乗る元県令の存在であった。
「余の断わりもなく、十常侍や何進どもが勝手にやりおる。どうしたものか……」
北の涼州では六歳になったばかりの劉協が涼州軍閥を味方につけ、虎視眈々と都入りを狙っている。
当然、劉協は大義名分の旗印にしか過ぎず、背後にあるのは涼州軍閥だ。
しかも、その背後には匈奴や鮮卑といった遊牧民もいるだろう。
厄介な鮮卑の大人、檀石槐も未だ健在なのだ。
まず劉焉は西羌と手を結び、北に備えた。
西羌の統率者である徹里吉に王の印綬を渡し、これを味方につける。
さらに阿貴や千万といった氐の部族の王にも使者を送り、それぞれ北氐王、南氐王とした。
また、不穏な動きをする土豪たちを西羌族と氐族の兵を用いて、次々と先手を打って鎮圧していった。
次に新たに朝廷から派遣されてきた広漢郡、犍為郡の太守を勝手に解任した上で殺してしまう。
そして自身の息子の劉範を広漢郡太守に、劉誕を犍為郡太守に任命したのだ。
劉焉は一先ず、益州王として地位を確立したので、素直に喜んだ。
これも新たに加わった者の知恵と統率力のお蔭である。
劉焉は新たに相となったその者を呼び、今後について聞くことにした。
「貴殿の力と知恵は見事なものだ。いや、恐れ入ったわい」
「有難き幸せにございます。ですが、これも益州王様のご人徳の賜物でしょう」
「アッハハハ! いやいや、儂の仁徳の功とは『貴殿を手に入れた』ということしかないわ!」
「お褒め頂き、光栄に存じます」
「……して、これからなのだが、何か良い策はないか? 武威王と誼を結ぶというのもあるが……」
「まずは某と張魯殿を漢中にお遣わし下され」
「張魯を? あの者をか?」
「はい。張魯殿は張陵殿の孫にあたります。張脩が今では五斗米道の教祖となっておりますが、この者が張魯殿の父を殺したと噂を流します」
「………ほう。上手くいくのか?」
「漢中には豪族の楊一族がおります。その者達も使って手引き致せましょう。さすれば容易に漢中郡を手に入れることが出来ます」
「よし! それは面白い! 早速、取りかかってくれ!」
「はっ! 仰せの通りに!」
「正しく貴殿は古の韓信のようだわい。これからも宜しく頼むぞ」
「御意!」
その相となった者、その名は韓信という。
この者も古の者であり、用兵術においては随一の者だ。
そして、この韓信が巧みに西羌族と氐族を操り、土豪達を次々に平定していったのである。
この事が都に知られると、すぐさま朝廷は密使を巴郡太守羊続、巴西郡太守郭典に送った。
反逆行為を行った劉焉に対し、攻撃するように伝えたのだ。
しかし両名は受諾したものの、動ける訳がないので、静観することにした。
漢中では太守であった蘇個が殺されて間もない上に、自身の領地は不作続きで兵糧も心許ないからである。
如何に名将といえど、腹が減っては戦さが出来ない。
一方、その漢中と接している南陽王劉岱もまた静観を決め込んでいる。
劉表と劉寵の動向が気になるのだ。
曹操をはじめとする名将や良臣もいるが、安易には動けない。
劉岱は兗州刺史であった時に劉寵との仲は良好であったが、今や劉寵は危険と見なしていたのだ。
また劉表も「荊州王になることを熱望している」という噂があり、予断を許さない状況である。
劉岱は迷っていた。
既に帝の帝位は風前の灯である。
しかし、王にしてくれた手前、無碍にすることも出来ない。
弟の劉繇は勝手に楊州王を名乗ったが、これは袁術に対しての睨みである。
劉岱と劉繇の兄弟は義理堅く、どうにかして帝位の正当性を守りたい一心なのだ。
「どうしたものかな……。劉寵殿が勝手に動けないのは袁術がいるからだ。だからといって、袁術の味方になる訳にもいかぬし……」
劉寵と袁術の間にある一番の問題は、豫州牧に任じられた黄琬である。
黄琬は第二次党錮の禁の際、陳蕃と共に免職された者だ。
その為、清流派の間では名士として名高く、劉寵も袁術も迂闊に手を出せないでいる。
この豫州に黄琬を豫州牧として入れたのは、朝廷の妙手と言える人事であった。
因みに陳蕃の子である陳逸は、時の冀州刺史の王芬と共に霊帝を廃す企てにも参加している。
その企てであるが、実は曹操や許攸も誘われていた事実もあるのだ。
そして驚くことに、陳逸は劉岱の家臣となっており、曹操と許攸を招聘するように劉岱に薦めていたのである。
まず南陽出身である許攸を誘い、その上で許攸と共に劉岱を説き伏せ、曹操を招いたのである。
陳逸は曹操の手腕を高く評価しており、許攸と一緒になって劉岱を説得し攻め込ませ、帝の廃位を狙っていた。
陳逸は今の帝を父陳蕃の仇と思っており、復讐心に溢れかえっているためである。
実際には霊帝はその時、赤子であったのだが、霊帝の父桓帝の息がかかった宦官に殺された為、そう思い込んでいるのだ。
その時の宦官であった曹節、侯覧、王甫の三名は既にこの世にはいないのであるが……。
陳逸は曹操が右相に任じられると、すぐに曹操に会いに行った。
祝賀の挨拶と称して、劉岱を導くためである。
陳逸の齢は、既に五十を過ぎており「急がねば目の黒いうちに廃位を見届けることが出来ない」と思い、焦っていた。
「やぁ、曹操殿。久しいな。この度の右相就任は、儂も尽力した甲斐があったというもの」
「これは陳逸殿。あの時、以来ですな。まさか貴殿がこの私を呼んでくださるとは……」
「なぁに、大したことではない。袁紹が貴殿を一県令などという役職に置いておると聞いて、居ても立ってもいられなかっただけだ」
「私は貴殿が『あの事を未だに根に持っている』と思っておりましたが……」
「過ぎたことだ。それに、やはり貴殿が正しかった。早急し過ぎたな」
「………ということは、まだご執心であられるか?」
「儂も既に余命は長くない。大業を成し遂げねば、生きている意味はないよ」
「成程。しかし、解せぬこともありますなぁ……」
「何が解せぬのかな?」
「本来、あの件にご執心であれば、劉寵殿の方が良いと存じましてな……」
「ハハハ! 確かにそうかもしれぬ。しかし、思うように行かぬのが世の中というものじゃないかな?」
「それもそうですな! アハハハ!」
曹操は、この時点で気づいていた。
恐らく、この陳逸は劉寵と誼を結んでいる。
そして劉岱が邪魔な場合は、容赦なく暗殺するつもりであろうと……。
そして曹操は迷った。
その場合、どちらに就けば得策か分らない。
実際、劉寵が動くとなると、背後には袁紹、袁術がいる。
袁術もそうだが、袁紹としては劉虞を皇帝に仕立て上げ、自身が相国になることを望んでいる。
その為、劉寵がもし動くとなれば、双方から挟み撃ちになる可能性が高いのだ。
陳逸が帰った後、曹操は筆をとり、手紙を書くことにした。
宛先は南郡太守となった蔡瑁宛である。
蔡瑁と曹操は共に若い頃、都で良く遊んだ仲であり、今でも交流がある。
内容は襄陽王の劉表と荊南四郡の長である司護のことだ。
以前、蔡瑁から曹操に送られて来た手紙には、荊州牧になれなかった劉表の愚痴が書かれていた。
それと同時に、蔡瑁としても「司護とは交戦はしたくない」という内容である。
蔡瑁としては、周泰、蒋欽の両名のことなどどうでも良い。
重要なのは荊州北部の安定化である。
幸い南郡で暴れていた廖化や呉覇といった黄巾党の軍勢は、全て南昌へと引き上げていた。
そこで曹操は手紙の中でこう書いた。
具体的な内容を要約したものは以下のものである。
先日の手紙から劉表殿の御不満は痛く伝わってきた。
そこで、この曹操と蔡府君(蔡瑁のこと)で秘密裡に会談したい。
内容は今後の荊州王を名乗ることについてである。
劉岱、劉表の双方とも互いに警戒し、このままでは埒が明かない。
事前に我らで話し合い、妥協する道を模索するのが賢明であろうと思うが如何か?
手紙による内容は受諾され、後日、襄陽国と南陽国の国境で話し合いとなった。
手紙には書かれていないが、司護と袁術、そして荊州牧の焦和に関するものも含まれるであろう。
そして、隣に面する豫州頴川郡のことも含まれる筈だ。
その頴川郡であるが、新たな太守には皇甫嵩の甥である皇甫酈が叙任した。
皇甫酈は軍事の才能はそれ程ないが、いざとなれば伯父の名将皇甫嵩が駆け付けるであろう。
また、徐栄と李蒙という勇将達を校尉とし、防衛に備えていたのである。




