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外伝14 劉備の入蜀

 新たに幽州牧となった廬植は政庁で悩んでいた。

 劉虞は河間国の相から王となり、右北平太守には公孫瓚に辞令が下された。

 そこまでは良い。

 問題はもう一つの辞令である。

 

「これはどうしたものか……。確かに異例の出世と言えばそうなるが、何故このようなことを……」

 

 一人ボヤく廬植であるが、悩んでいたところで仕方がない。

 早速、異例の出世を遂げた者を呼ぶことにした。

 

「先生! 俺に何か用ですか!?」

「ああ、良く来た。まぁ、座れ」

 

 廬植は呼び出した男の顔をジッと見ると、溜息をついた。

 本来なら喜ぶべきところだが、どうしても喜ぶことが出来ない。

 

「それで俺には何が来たんです?」

「……その言葉使いはやめよ。君は県令になるんだぞ」

「えっ!? 俺、県令なんですか!? やったぁ!」

「……うむ。辞令が来た。問題は……」

「県令ですよ! 県令! 先生! 一緒に祝って下さいよ!」

「……はしゃぐのは構わんが、場所を聞かなくていいのか?」

「そんなもん、涿県たくけん以外にないでしょ!?」

「……違う」

「えっ!? じゃあ、何処なんです!?」

「……魚復県だ」

「ぎょ……何処です?」

「だから、益州巴郡の魚復県だ」

「冀州の……? そんな県ありました?」

「たわけ! 『益州の魚復県だ』と申したであろう!」

「ひえっ! 先生! いきなり、大声出さないで下さいよ! ただでさえ、良く聞こえ過ぎるのに!」

「全く……。あの頃のように、また耳を引っ張って欲しいのか?」

「ひええ……それだけは勘弁してください。ただでさえ、行き交う人がジロジロ見るってぇのに、これ以上、大きくなっちまったら……」

「……因みにだが、益州は何処だか知っておるか?」

「……聞いたことがありません。何処です?」

 

 廬植は溜息混じりに、その者に益州の位置を教えた。

 すると、県令となったその者は、一番の大声を上げた。

 何故、そんな場所に配属になったのか、理解出来ないからである。

 

 廬植がいる政庁から出てきた新県令。

 それは劉備玄徳であった。

 張純の乱や冀州での黄巾賊討伐において活躍が認められたのである。

 だが折角、県令になったとしても、益州なんぞ行ったこともないし、聞いたこともない。

 遥か南西にある場所としか言い様がないのである。

 

「おーい! 玄徳兄ぃ!」

 

 一際、大きな声で自分を呼ぶ声がしたので振り返ると、虎髭の大男が瓢箪ひょうたん片手に立っていた。

 瓢箪にはチャプチャプと音が鳴り、大男の口臭からして酒に違いない。

 その大男の名は張飛。字を翼徳という。

 

「なんだ。翼徳か。また昼間から酒か?」

「いいじゃねぇかよ! 玄徳兄ぃ! 出世祝いなんだしよ!」

「誰から聞いた?」

「おう! 簡雍さんからだ!」

「憲和からか? あんの野郎。何処で盗み聞きしてたんだ?」

「えっ? けど、県令になっただろ? 兄貴」

「ああ、なった」

「じゃあ、めでてぇじゃねぇか!」

「目出度いもんか……。何処だと思う? 益州だぞ」

「冀州なら、目と鼻の先じゃねぇか」

「ちげぇよ! 益州だ!」

「……えっ? 何処?」

「俺が聞きてぇよ……全く」

「けどよぉ。折角、県令になったんだし、まずは祝い酒といこうぜ! 玄徳兄貴ぃ!」

「お前、何かにつけて『酒だ酒だ』じゃねぇか。その腹は酒樽か?」

「おう! 鉄で出来た酒樽みてぇなもんだぜ! 血の代わりに酒が出てきて、死なねぇって寸法だ!」

「アッハッハッ! いつ聞いても、そいつぁ傑作だ!」

「それよりよ。天竺だか蓬莱だか知らねぇが、県令になったんだ。素直に喜ぼうぜ! 玄徳の兄貴!」

「それもそうだな! じゃあ、俺んちで祝宴するか!」

「いよっ! それでこそ、玄徳兄ぃだ!」

 

 劉備が家に戻ると、既に祝宴の下準備が出来ていた。

 テキパキと細かな指示をしているのは、赤ら顔の大男で髭がとても長い男である。

 姓を関。名は羽。字を雲長という大男だ。

 

「おう! 雲長兄ぃ! 玄徳兄ぃを呼んできたぜ!」

「こらっ! 翼徳! 俺に全部、押しつけていきやがって!」

「いいじゃねぇか! それぐらい! 雲長の兄貴が俺の手柄を横取りしちまったんだしよ!」

「馬鹿者! あれはお前が調子に乗って、城の酒蔵を襲っていたからであろうが!?」

「そんな事を言ったって、雲長兄ぃ……」

「言い訳をするんじゃない! 大体、お前という奴はそもそもだな……」

 

 そこに張飛への助け舟を出したのは劉備だった。

 こうなると関羽は長いので、傍から見ていても劉備にとってはゲンナリするのである。

 

「まぁまぁ、そこまでにしておいてくれよ。雲長」

「兄者は張飛のことを、少し甘やかしすぎです。そもそも……」

「だぁ!? 今度は俺に説教か!? 勘弁してくれ! 祝いの席だってのに……」

「祝いの席だからこそ、大事なのです。良いですか? 兄者……」

「おっと、憲和と国譲もけえって来たぞ。さぁさぁ、ここまでに……」

「兄者!!」

「だぁ!? だから、でけぇ声出すな! 二日酔いでもねぇのに、頭にキンキン響くんだから!」

 

 そこに居合わせるように帰ってきたのは、劉備の幼馴染である簡雍、字を憲和。

 そして十歳違いの田豫。字を国譲である。

 そんな二人は「またか」という顔をして、立っている。

 

「おお、二人とも良く帰ってきた。美味そうな鶏じゃねぇか。ささ、早速毟って鍋にしようぜ」

「あの……玄徳さん。さっき憲和さんから聞いちまったんですが、益州のド田舎だとか?」

「なんだ? 国譲。ここもド田舎だから、問題ねぇだろう?」

「問題ありまくりですよ。私にはお袋がいるんですよ。頑固者の……」

「寝ている間に簀巻きにして、持っていけばいいじゃねぇか」

「……あの、玄徳さん? 人の親を何だと思っているんです?」

「え? 俺もお袋が頑固だから、同じようにしようと思っていたんだが?」

「アンタという人は……本当にいい加減で、後先を考えませんね」

「いいじゃねぇか。お前らも県令の下の役人になれたんだぜ。少しは俺に感謝して欲しいもんだ」

「ああ言えば、こう言う……。廬植さんのところでは、口答えしか憶えてこなかったですか……?」

「なっ!? そんな事はないぞ!」

「じゃあ、書経は? 礼記は? 孝経は?」

「………睡眠学習を試してみたんだが」

「ただ、単に寝ていただけじゃないか!」

 

 田豫のツッコミで、その場は爆笑の渦となった。

 他の四人だけでなく、使用人や下女たちも大笑いしている。

 一人だけ笑っていないのは、劉備その人だけである。

 

「ええ、もう。好きなだけ笑ってくださいよ。皆さん。まぁ、宴会は賑やかで笑う方が丁度いいや!」

 

 そう劉備は誤魔化し、一緒になって大笑いをした。

 これが劉備一家のいつもの光景なのだ。


 劉備の陣営は義勇兵が三百人ほどおり、それらが張純征伐から始まり、今に至っている。

 劉備が隊長で関羽、張飛は副隊長。

 簡雍が会計などを担当し、田豫は参謀と使者の役目を兼任で担当している。


 そんな連中が晴れて新県令となった劉備を始めとする大出世を遂げたのだ。

 異例中の異例である。

 ここはやはり思い切って、喜ぶしかないのである。


 それから数日後、劉備は隊を率いて南へと向かった。

 件の劉備と田豫の母親が簀巻きにされているかは不明である。

 ただ途中まで丸まったむしろが二つほど、モゴモゴと蠢いていただけだ。


 兄弟子の公孫瓚は既に右北平太守として任命され、赴任していたので別れの挨拶が出来なかった。

 だが、河間国は途中にあるため、少し世話になった劉虞へは挨拶に行けそうである。

 そこでまずは河間国に行き、劉虞へ会いに行くことにした。

 これには理由があり、劉備と田豫の母親は劉虞を尊敬してやまなかったので、二人の機嫌取りという意味合いが強かった。

 …………いや、それしか目的はなかった。


 河間国につくと、やっと二人の老女は筵の中から解放された。

 二人は劉備と田豫を大声で怒鳴りつける。

 自分の息子に簀巻きにされたのだから、当然といえば当然だ。


 だが、尊敬する劉虞に会いに行くとなると、態度はコロッと変わった。

 そして、「お前も偉くなったもんだねぇ」と二人を褒め称えたのである。

 ただ、劉虞の身にも少しはなって欲しいものだ。

 

 しばらくして、劉虞がやたらと纏わりつく老女二人からの呪縛から離れると、その場にいた劉備に話しかけた。

 劉虞は前河間国王が残していった膨大な宿題をやる前に、一つ劉備に文句を言っておきたかったのだ。

 一番文句を言いたいのは、前河間国王の劉陔りゅうがいなのだが、まだ幼少の身なので、文句を言えない。

 それに劉陔に纏わりついていた汚吏は、既に劉虞によって黄泉の国へと旅立っていた。

 

「おい。玄徳君。来るのは構わないが、余も暇人ではないぞ」

「いやぁ、すみません。河間国王の旦那にまで、ご迷惑をかけちまって」

「全く……。怒るどころか、呆れ果てるわ」

「すみませんねぇ。けど、同じ王族の誼じゃありませんか」

「余は君を王族として認めた訳じゃないぞ。それに余が認めても、他が認めないだろう」

「なぁに、こういうのは時間が経てば何とかなるもんです」

「何ともならんよ……。それより、君は県令になったそうだが、何処に赴任するんだ?」

「ええ。益州巴郡の漁腹県です」

「何? 益州巴郡?」

「はい。そこの漁腹県ってとこで……」

「何故、そんな所へ出向するのだ?」

「それは俺にも、てんで分りません。何故でしょうね?」

「そんな事を鸚鵡返しに余に言われても……」

 

 劉虞と劉備は廬植を通じ、知り合った。

 当初、劉虞は劉備を怪しんだが、剽軽ひょうきんで愉快な男なので気に入った。

 そのケタ違いの耳の大きさで、余興などで耳をピコピコと動かすのである。

 何故か、それが気に入り、中山靖王劉勝の末裔と称しているので、変な親近感もある。

 しかも、人を和やかにさせる不思議な能力があり、公孫瓚との仲を取り持った恩もあった。

 そして何よりも、我が子である劉和とも大の仲良しである。

 

 さて、劉備の派遣先である巴郡であるが、この時、既に四つに分かれていた。

 巴郡が大きすぎるためである。

 巴西郡、巴郡、巴東郡、涪陵郡ふうりょうぐんに別れており、漁復県は涪陵郡だ。

 

 巴郡太守だった蔡瑁の親族である蔡琰さいえんは既に罷免され、新たに四人の太守が任命されている。

 巴西郡には前鉅鹿太守の郭典、巴郡には前廬江太守羊続、巴東郡は元巴郡太守で、板盾蛮鎮圧に功績のある曹謙だ。

 そして劉備が赴任する先の涪陵郡には前南陽太守の張忠が選ばれていた。

 

 この人事で劉虞は首を傾げた。

 唯一、張忠だけが違和感があるのだ。

 張忠は賄賂好きで、董太后の姉の子であることを良い事に、不正を働いていた男である。

 他の三人には実績があり、申し分がないから余計である。

 それに漁復県といえば、最近よく話題にあがる賊太守の隣なのだ。

そこで劉虞は癖である後ろの首筋を右手で擦りながら、劉備に問いかけた。

 

「なぁ、玄徳よ。お主は賊太守の噂を聞いたことがあるか?」

「賊太守ですか? ええ、何でも随分とご立派な方だと……」

おくびにも出すなよ……。そんなことは」

「分っていますって。ここだから安心して言っているんです」

「なら、良いが……。君は元来、いい加減すぎるからなぁ……」

「嫌だなぁ……。まるで廬植先生が二人いるみてぇだ」

「全く……。君がおかしなことになれば、廬植殿にも咎が……」

 

 劉虞はその時点で察した。

 十常侍が狙っているのは「廬植の失態なのだ」ということに……。

 そして、黙り込んでしまった劉虞を、不思議そうに見ていた劉備は話しかけた。

 

「どうしたんです? 劉虞の旦那」

「良いか。廬植殿に恩義があるなら、下手なことはするなよ」

「そりゃあ、狙って下手なことは、するつもりはないですがねぇ……」

「そうであろうが、こいつはどうにも不安で仕方ないな……。そうだ、あの者をつけよう」

「えっ? どなたです?」

 

 劉虞はニコニコしながら、使用人に耳打ちした後、走らせた。

 しばらくして、ある者が現れた。

 その時、思わず劉備は「あっ!」と驚きの声をあげた。

 そして、動揺しながら、その者に話しかけた。。

 

「すっ……鄒靖すうせいさんじゃありませんか」

「おう。久しいな。大耳」

「その仇名、勘弁してくださいよぉ……」

「ん? 何か言ったかね? 大耳」

「いえ、何でもないです……」

 

 鄒靖は劉備の元上司で、劉備が挙兵した時から常に行動を共にしてきた。

 故に劉備は、この鄒靖に未だに全く頭が上がらないのである。

 この鄒靖を同行させるとなると、同時に劉備の配下となる。

 

「そういう訳だ。これから、お前さんの部下となったからには宜しく頼むぞ」

「はっ……お、おう。こちらこそ」

「では、お前さんのお袋さんを待たせるのもなんだ。すぐに益州へ向かおうじゃないか」

「えっ? いや、本当に一緒に来るので?」

「大恩ある劉虞様のためだ。勘違いするなよ」

「ううう……余計なお世話」

「何か言ったか? 大耳」

「えっ!? いや、気のせいですよ。ささ、行きましょう」

 

 こうして劉備の一行は益州へと向かった。

 はたして吉と出るか凶と出るか、それはまだ分らない。


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