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外伝11 張羨の運命(前編)

 零陵に張羨が太守として赴任してきたのは黄巾党が蜂起する一年前である。

 同じ頃に桂陽には張忠が陸康に代わり赴任してきた。

 その頃からの話である。

 

 張羨は決して凡庸な人物ではなかったが、色々と欠点も多い人物であった。

 気位が高く、嫉妬心が強く、そして何より猜疑心が強い人物でもあったのだ。

 このことが後に大きな災いになろうとは、まだ本人も知る由がなかった。

 

 この頃、荊南四郡の武陵、長沙、零陵、桂陽の四郡は全て飢饉に見舞われていた。

 四郡だけでなく、範囲は揚州、交州、そして益州にも被害が及んでいる。

 その中で零陵だけが少ない餓死者で済んだのは、張羨の尽力の賜物であった。

 

 この荊南四郡で一番始めに太守の座を降りて、いなくなってしまったのは前長沙太守である。

 十常侍の縁者というだけで、まんまと太守になったのは良いが、能力不足としか言い様のない人物だ。

 しかも、自分は贅沢を好み、賄賂を強請り、中央の機嫌をとるために平気で嘘をつくような男だった。

 

 張羨は寛容な人物であると同時に、そういう脱落者を見ては自尊心を満足させる傾向があった。

「自分は仁徳者である」という自負により満足するのだ。

 ただ結果的には、民にとって有益な施政者である。

 

 長沙が混乱するにあたり、自腹で見舞金を長沙の国境付近にも届けさせたりもした。

 これは後々、長沙を手に入れようとする野心からでもある。

 民衆の力を得れば容易に落ちることを予測していたからだ。

 

 そして、結果的に長沙には太守がいなくなった。

 脱落者が出たことでほくそ笑んでいたが、謎の男が何時の間にか太守を僭称していたのだ。

 それが司護である。

 

 当初、司護を賊と同様に見ていたが、区星らが長沙付近で暴れていたので、敢えて無視をしていた。

 自身の周りでも周朝、郭石、觀鵠、蘇馬といった賊もいたからだ。

 そして、桂陽からも張忠がいなくなり、まずは桂陽を落とすことにしようと企てた。

 

 配下には鮑隆、陳応、楊齢という頼れる武官もいたし、劉先、趙範という従事もいる。

 しかし、汚吏も以前、蔓延っており、容易にそれらを排除出来ないでいた。

 そんな矢先、劉先からあることを聞いた。

 

「張府君。某に考えがあります」

「何だね? 劉先」

「武陵には王儁殿がおります。かの者を登用し、この零陵の復興に尽力してもらえれば、必ずや豊かになりましょう」

「そうか。王儁殿といえば、都でも評判であった仁徳者。まだ若いが、必ずや力になってくれよう」

 

 しかし、王儁には素っ気なく断られ、張羨の自尊心に傷がついた。

 当初は腹が立ったものの、武陵太守曹寅も素っ気なく断られたのを聞いて、一先ず落ち着くことにした。

 そして時間をかけて口説き落とそうとしたのである。

 

 だが、思わぬ者がその王儁を配下にしてしまった。

 司護という素性の分らない青二才の太守気取りの賊徒である。

 

「王儁とは頭がおかしいのか!? 何故、余の招聘に応じず、青二才の賊なんぞに!」

 

 張羨は地団太を踏んだが、後の祭りだ。

 だが、部下にはそのようなことはおくびにも出さず、寛容な人物を気取って司護を褒め称えた。

 

 次に張羨が司護を意識したのは武陵での区星討伐である。

 折しも周朝と郭石も区星に合流し、軍勢を三万に膨らませていた。

 そこで一網打尽にするべく、あまり仲が良くない曹寅に使いを送り、鮑隆、陳応らを向かわせるつもりであった。

 そんな時、新人従事の金旋から思わぬ報せが届いた。

 

「張府君! 吉報ですぞ!」

「どうした? 金旋。何が吉報なのだ?」

「区星が破れました! そして、あの忌々しい周朝も討ち取られた由にございます!」

「なんと!? 討ち取ったのは刑道栄か!?」

「違います。長沙の司護です」

「なっ!? しかし、何故、その司護が動いたのだ?」

「司護は周囲に『武陵の民も漢の民。賊の餌食になるのは忍びない。義をもって、これを討つ!』との触れを出した由にございます」

「………そうか。若いのに随分と見上げた若者だな」

「御意。あの者がいれば荊南四郡は、何れ安寧に導いてくれるやもしれません」

「……かもしれぬ。だが、奴は賊だ。それを忘れるな」

「……はっ。しかし……」

「もう良い。下がれ」

「………御意」

 

 この頃から張羨の歯車が徐々に狂ってきた。

 青二才の賊である司護の人望が、日に日に増してきているからだ。

 それが張羨にとっては歯痒い以外の何物でもないのである。

 

 それから数か月後、その司護から使者と名乗る者達が零陵にやってきた。

王儁である。

 自分には歯牙にもかけずに「青二才の賊に仕えた王儁がやってきた」と聞いて、張羨の腸は煮えくり返っていた。

 しかし、そんな素振りを見せようものなら、家臣達への誹りを免れない。

 そこで仕方なく、丁重に迎えることにした。

 因みに尹黙は零陵の様子を下見するため、街で過ごすことにした。

 

「おお、良くぞ来てくれた。苦しゅうない。王儁殿」

「先日のご無礼、お許しください。張府君」

「いやいや。余には貴殿と縁が無かっただけのこと。気にしないで良い」

「それを聞いて安心しました」

「ところで今日は何用で参ったのかな?」

「実は劉使君のことでして……」

「劉表殿か……」

「はい。この度、襄陽郡の太守から荊州刺史になられたことで、この四郡にも目を光らせているとの由」

「う……ううむ。その噂は余にもチラホラ耳には入ってきているが……」

「しかも、武陵の曹府君は劉使君と誼を通じているとのこと」

「どうも、そのようだな。だが、それがどうしたのだ?」

「はい。我が君、司護は仁君で知られる張府君にすがりたいとの仰せです」

「……余にどう縋りたいのだ?」

「盟約を交して頂きたいと……」

「何? 盟約だと?」

「……左様でございます」

 

 張羨は一瞬、迷った。

 曹寅とその背後にいる劉表は以前、都にいた時に散々コケにされた記憶がある。

 しかし、司護は日の出の勢いで台頭している賊だ。

 この両者を天秤にかけなければならぬのは、何とも筆舌し難い思いである。

 

「相分かった。だが、いきなりは決めかねる故、少し待って頂きたい」

「承知しました。では、下がらせて頂きます」

 

 張羨は王儁に客間を与えさせ、待たせることにした。

 そして、その王儁であるが、城内の兵に「少し散歩してくる」と伝え、外に出て行った。

 街で噂などの情報を収集している尹黙に会うためだ。

 

 夕暮れ時に待ち合わせた酒場へ王儁が向かうと、既に尹黙はそこにいた。

 いつもは朗らかな表情を浮かべている尹黙だが、この時ばかりは、あまり良くない酒をあおっていた。

 

「おい尹黙君。君らしくないな。どうした?」

「ああ、王儁さんですか。いやね。ちょいとムカッときたもんで……ついね」

「……増々、君らしくないな」

「そりゃ、こんな気持ちにもなりますよ。僕を巴人と思って馬鹿にしやがって」

「誰に馬鹿にされたのだ?」

「ここの役人どもにですよ。僕が司護の家臣と名乗ったら、あいつら何て言ったと思います?」

「………いや」

「あいつら『賊だから荊南蛮か巴人か分らん奴を家臣に取り立てるぐらい人材が欠乏しているのだ』なんて言われたんですよ!」

「………」

「そりゃあ、幾ら僕でも頭にきますよ。それに、どうも漢人は随分と良い暮らしをしているようですが、零陵蛮とかは酷いもんです」

「どんなふうにだね?」

「役人どもは漢人以外の訴状を全部、破棄しているんですよ。なんでも、ここの太守の意向とかでね」

「それは酷いな……。困ったものだ……」

「このままじゃあ、また荊南蛮の連中が蜂起しますよ。租税の額だって、漢人とそれ以外で酷い格差ですしね」

「なんだって張府君はそのようなことを?」

「それは僕にも分りません。分りたくもないですけどね!」

 

 王儁は張羨に諫言しようと思ったが、それで印象が悪くなり交渉に問題が生じると意味がない。

 大体、張羨の誘いを断っておいて、司護の下にいる身分だ。

 そこで腹にそっとしまっておくことにした。

 王儁に出来ることは、それぐらいなのだ。

 

 張羨の問題はもう一つあり「漢人としての誇り」が強すぎることにある。

 特に荊南蛮らを侮蔑し、ぞんざいに扱っているのだ。

 ただ、これには理由もあった。

 汚吏を粛清せずに、今日までやってこられた理由として、汚吏らの担当には荊南蛮の問題を宛がった。

 

 それで汚吏達は、漢人の住民には特に危害を加えていなかったが、零陵蛮を中心とする荊南蛮には今まで以上に粗悪な扱いをしていた。

 しかも悪いことに、前任の楊琁ようせん。字を機平と申す者が暗君であった。

 汚吏をそのまま放置していただけでなく、発言権もより強固なものにしてしまっていたので、張羨も一掃出来なかったのである。


 一方、その張羨であるが、政務室で司護と盟約を交すかどうかで迷っていた。

 劉表にも都で馬鹿にされた経験がある。

 その恨みを今でも引き摺って、今日に至っているのだ。


 暫く一人で悩んだ後、司護と密約を交わすことを決意した。

 曹寅にも大いに馬鹿にされた記憶があったからだ。

 曹寅はこちらが太守着任の祝辞の使いを送った際、こともあろうに「宦官の縁者だからお情けで太守になれた」と言い放ったことがあった。


 張羨は十常侍張讓の弟、張朔の妻の甥で、張讓の家系とも遠縁でもある。

 自身も確かに張讓の権威を利用したことはあったが、他の連中よりはずっとマシという自負がある。

 そして、それをコンプレックスにしながらも、今日まで生きてきたのである。


 曹寅は曹参の傍流で、名門意識が強く、鼻もちならない男だ。

 直流の曹騰とは違い、曹騰の父、曹萌の祖父の子からの家柄である。

 その為、曹騰を小馬鹿にし、養子の曹嵩とも仲が悪い。


 曹参の家柄から宦官が出たということで、曹寅は曹騰に対し酷く怒っていた。

 左程能力もないのに自身は清流派気取りである。

 ただ、危険察知能力だけは長けているようで、党錮の禁においては関与しておらず、難を逃れた経緯がある。


 話を元に戻そう。

 翌日、王儁を呼び出し、司護との密約に同意した。

 これに反対する者も少なからずいたが、その声は無視した。


 それから数か月後、思わぬ使者が来た。

 あの曹寅の使いである。名を楊松と名乗った。

 讒言もそうだが、御世辞もこの男は巧みなのだ。

 それで、この楊松を曹寅は使いに出したのである。

 楊松はヘラヘラと愛想笑いしながら、張羨にこう述べだした。


「お初にお目にかかります。楊松でございます。張羨様のご人徳を噂で聞き及び、今日を楽しみにしてきました」

「世辞は良い。それよりも何の用だ?」

「はい。昨今、荊南蛮が畏れ多くも漢の威光を踏みにじろうとしております。そこで張府君にご相談をしたいと思い……」

「余は相談なぞ……」

「あ、いや。御威光をお借りしたいと思い、参上したのでございます」

「余の威光だと?」

「はい。零陵での統治ぶりに我が君曹寅も舌を巻いてございます」

「……何が言いたい?」

「実は長沙の司護という者を共に討伐しようと……」

「何? 何故だ?」

「あの者はまず賊でございます。それに近頃は山越や荊南蛮らを取り込んでおります」

「うむ。それは知っておるが……」

「そして蛮族どもを操り、自身は帝として君臨するつもりですぞ」

「……そうとは限らないであろう。確かに不快ではあるが」

「……もしや、あの者の本性を張府君は知らないのでは?」

「本性だと?」

「あの賊めは張府君の見舞金を使いこみ、わざと反乱させたのでございます」

「何? それは真か?」

「はい。私は長沙で、それをつぶさに見て参りました。そして、何れ黄巾党と結び、漢を破滅させ、帝を……」

「それは本当なのだな!?」

「は、はいっ! しかも、長沙府君をはじめ、県令や役人を家族もろとも皆殺しにした張本人でございます!」

「証拠はあるのか!?」

「……これは張府君が見舞金と共に宛てた手紙でしょう。奴がそれを所持していました……」

「………」


 確かに長沙にある村名主宛に自ら書いた手紙であった。

 しかも氏素性の分らぬ司護は、村名主の倅で民にその金を使わず、武器を買って長沙蛮らを扇動したという。

 それが本当なら、司護という者はとんでもない大悪党である。

 さらに追い討ちをかけるように、楊松は尾ひれをつけて司護を批難する。

 あまりにショックが大きかったのか、張羨は楊松の言う事を鵜呑みにしてしまったのだ。


「……相分かった。曹府君に盟約の儀、しかと受け取ったと伝えてくれ」

「おお、流石は名君と噂される張府君。有難き幸せ……」

「もう良い。下がれ」

「では、失礼致しまする……」

 

 楊松は内心、大笑いしながら帰路へとついた。

 張羨が司護を仇敵と見なしたことに、笑いが止まらなかったからである。



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