第三十四話 脱却と決意
どうすれば、本当に元に戻れる?
こんな世界からは早く抜け出したい……。
勝手なことを言うようだけど、やっぱり平和な日本がいい。
確かに色々と面倒な世の中ではあるけれど、こんな思いをするぐらいなら……。
僕の頭の中では、過去に起きた出来事がその時、ハッキリと思いだした。
過去の出来事といっても、こっちでの世界の出来事だ。
現実世界の僕の記憶じゃない。だけど……。
そう……僕が長沙太守と県令を家族もろとも……。
「何をボーッとしておる……。帰る方法じゃがな。一つはまず統一することじゃな」
「……それは『帝になれ』ということか?」
「いや、帝にならなくても、相国などになって、漢室を牛耳ることでも良い」
「……二つ目は?」
「天寿を全うせよ。それだけじゃ……」
「じゃあ、長沙太守とかやらずに、何処かで隠れていてもいいの?」
「うむ。そういうことじゃな」
「それなら……」
「して、出奔してどうする?」
「決まっているさ。僕以外の……王儁あたりに今の座を譲って」
「そして、荊南周辺に乱を起こさせるか。それもよしよし」
「王儁がそんな事をする訳ないじゃないか!?」
「確証はないじゃろう? それに……」
「……それに?」
「お主はまだ気づいていないようじゃから、お主の一番の強みを教える」
「……何だよ? 強みって?」
「固有スキルの『吉兆』じゃ」
「……そんなの何処が強いのさ? 未だに特に役に立ってないよ」
「……お主、本当に分らんのか? 飢饉や疫病に苦しんでいない場所は、ここ周辺だけじゃぞ……」
「………まさか?」
「そう。お主が吉兆を持っているから、民は飢饉にも疫病にも苦しんでおらぬ」
「でも、他にもあるじゃないか!? 飢饉や疫病にも苦しんでいない所が!」
「……今のところはな。だが、この先どうなるかは分らぬぞ」
「そんな無茶苦茶な……」
「それと断っておくが、吉兆を持っているのはお主だけじゃ。だが、それを無視して出奔するのも良かろう」
「………」
「あくまでここはゲームの世界じゃ。皆、疑似的な存在じゃ。そう考えれば楽であろう?」
「………そうだけど」
「そして、その中には零陵の民も含まれるがのぉ……。それもよしよし」
「………」
関係ないよ……。もう、そんなの。
だって、張羨だって本当に生きている人間じゃないんだもの……。
それに日常生活にだって、登用出来る人物以外は衛兵Aだの、町娘Aだの、そんなのばっかだし……。
あの人達にも名前はあるらしいけど、僕は全く憶えていないし……。
ジンちゃん辺りが対応して、その人達の名前を呼んでいるだけだし……。
そう思っていると、何時の間か水鏡先生は消えていた。
考えてみれば、この水鏡先生なんかは特にそうだ。
だって、黄巾の乱の当時の筈なら、水鏡先生は爺さんじゃないからだ。
また横になり、どうやって天寿をこの世界で全うするかを考えた。
そして、しばらくしてから、僕は陳平と范増を呼んだ。
あの二人が僕に焚き付けて、張羨さんを殺させたからだ……。
二人は僕が刺客に襲われたことを聞いていたので、部屋に入るなり、僕に怪我がないことを知ると素直に喜んでくれた。
けど、僕にとってはそんな事はどうでもいい……。
せめて……。せめて、この二人を問い詰めないと、僕の気がすまないからだ。
「亜父、陳平……」
「我が君、安堵しましたよ。この陳平、我が君がいなくなったら、誰に仕官していいやら分らなかったですから」
「うむ。そうじゃのぉ。無事で何よりじゃわい。我が君が我らを呼んだのは、刺客を放った奴を知りたいからじゃろ?」
「いや、亜父よ……。それは違う」
「……何じゃと? もう、見当がついておるというのか?」
「違う。その事で呼んだ訳じゃないんだ……」
「では、我が君。我らを呼んだのは如何なる訳で?」
「うむ、陳平。そして亜父よ。何故、張羨殿の本当のことを僕に黙っていた?」
「え? そ……それは……」
「何故、黙っていた? そう聞いているのだ。教えてくれ……」
「それはその……」
「陳平よ。君は最初から知っておったのか?」
「とんでもない! 私は知りませんでしたよ! 范増殿が教えてくれるまでは……」
「……では、亜父よ。何故、黙っていた?」
「……お主に教えたとしよう。お主はどう行動していた?」
「……それは。いつも通りに単独で張羨殿に会って、事情を……」
「それだからだ! このたわけ者!」
「何だよ!? いきなり!」
「良いか!? お主が一人でノコノコと会いに行っていたら、今ごろお主は死んでおったのじゃ!」
「何で張羨さんが僕を殺すんだよ!?」
「曹寅の使いで、楊松が張羨に会った際、お主が長沙でやったことを大袈裟に吹聴し、讒言したからじゃ!」
「……なっ!?」
「あ奴を何故、最初から殺さずに生かしておいたのじゃ!? そもそも、それが大間違いの元じゃ! この竪子めが!」
「………ああっ!?」
僕は泣き崩れた。……それとも、ジンちゃんがかな?
でも、そんなのどうだっていい。
僕も泣きたかったから……。
僕は泣きながらも、張羨さんに楊松がどんな讒言したのかを聞いた。
それによると、どうやら僕は張羨さんの見舞金を着服し、その金で武器を買い、人を集め、乱を起こした。
そして、それに怒った長沙太守が僕の家族を皆殺しにした。
その後、僕が長沙太守、県令を家族ともども殺し、長沙太守の座に居座ったというものだった。
張羨さんは憤激し、僕を「漢室を乗っ取るために今は仮面をつけているだけ」と信じ込み、あれだけ頑強に粘ったということだ。
しかも、王儁や蔡邕を「僕が上手く誑し込んだ」と考えたらしく、張角以上に危険人物と見なしたらしい。
だから僕が、そのまま零陵に行ったら范増曰く「そこで殺されていただろう」というのだ……。
どうも范増は僕のことを思って、掴んでいた情報を今まで隠していたとのこと。
結果的にもし僕が知っていたなら、江陵に攻め込むかもしれなかったから、范増を攻めることは出来ない。
それと刺客を楊松に送らなかったのは、既に楊松が護衛スキルを持っている者を雇ったからだそうだ。
楊松が雇った奴は、なんと賈華。
「おのれ……楊松め。八つ裂きにしても飽き足らぬ!」
この声はフクちゃんだった。
僕もこれには同調した。
だから陳平、范増の前で、僕の口を使って思い切り叫ばせたのだ。
「亜父よ……。楊松はまだ江陵か?」
「それが、どうも逃げたようじゃな……」
「くそっ! こういう時の逃げ足は速いな……」
「廖化が既に南郡の東半分を占拠したからのぉ……。城を捨てて博士仁と共に落ち延びたようじゃぞ」
「……行先は?」
「漢中のようじゃ。そこに楊松の親族もおるらしい」
「……刺客は放てるか?」
「無理じゃ。情報が少なすぎるぞい。それに賈華だけでなく、楊松の遠縁の楊任という者が近くにおると聞く。この者がなかなかの豪の者のようじゃ」
「……ううむ。漢中か」
「まさか漢中に攻め込む訳にも行くまい。劉表と劉焉の双方を敵に回すことになるぞ」
「……確かにそうだ。今は……」
僕は迷った。楊松を討つべきか……。
それとも、諦めて出奔するかだ。
「ボンちゃんよ。少し宜しいか?」
僕の頭の中で声がした。
この口調はジンちゃんだ。
「何だよ? 今、それどころじゃないぞ」
「いや、話を聞いてくれ。どちらにせよ、零陵の民を救いたい」
「……あ」
「出奔するにも、楊松を討つにも、それからでも遅くはないだろう?」
「確かにそうだ……。フクちゃんもそれでいいかな?」
「俺はそれで構わん」
「じゃあ、決まった。まずは零陵を安定させよう……」
僕の腹の中は決まった。
そして二人を見ると、陳平も范増も「またか」という顔で僕を見ていた。
奇妙な言葉で独り言を言う癖は、もう慣れてしまっているからだ。
「まずは零陵を攻める。その後、民を慰撫する。そして……」
「そして……我が君。何ですか?」
「うむ。陳平。刺客を放った者を洗い出す。それとも、既に分ったのか?」
「いえ、それは未だ判明出来ずにいます」
「そうか。ならば急ぎ調べよ。それと、余の傍には、常に周倉を置いておくことにする」
「それが良いでしょう。周倉殿なら安心です」
「……うむ。それとすまなかった。二人とも」
「な? 何を?」
「何故、謝るのじゃ?」
「余が不甲斐ないばかりに、二人にしなくても良い心配をかけた。許せ……」
僕は二人に頭を下げた。
そして、二人は僕の手を握った。
そして、その一人。范増が僕を諭すように話しかけてきた。
「我が君、やはり貴殿は竪子ではない。この范増、命ある限り、何処までもお供しますぞ」
「亜父よ。忝い。まずは刑道栄を叩く。そして、次は蔡瑁か十常侍だ……」
「我が君は、そのどちらかが刺客を放った者と思っておるのかの?」
「当然だ。……それとも他に心当たりが?」
「うむ。儂が思うに、黄巾党の中にも怪しい者がおる」
「……しかし、張梁殿が余を消そうと思っているとは、到底思えぬ」
「張梁ではない。宦官と黄巾党の双方に繋がる者じゃ」
「……何? 誰だ? 馬元義か?」
「馬元義でも、ましてや張角でも十常侍でもない。それらの後ろにおる者よ……」
「……分らぬ。そんな者がおるのか?」
「我が君が分らなくて当然じゃ。恐らくじゃが、我らと同じ者よ……」
「………古の者ということか」
楚漢の時代? いや、戦国春秋?
どちらにせよ、あまり僕は詳しくはない。
ただ、十常侍と黄巾党の双方にツテがあるということは、相当厄介な奴であることに疑いはない。
僕は二人に連れられて広間に行くと、既に皆が集まっていた。
皆が僕の無事な姿を見て喜んでくれている。
ちょっと暑苦しいけど、素直に嬉しい……。
だって僕が小さい頃、インフルエンザで寝込んだ時なんか、両親ともそれどころじゃなかったし……。
僕は一人っ子で特に貧しい家とかじゃない。
特に裕福でもないけどね。
両親は共働きで遅いから、いつも一人でゲームしたり、漫画読んでいただけ。
怒られるのは嫌だから、勉強もそこそこやっていた。
だから成績もそこそこで、特に怒られも褒められもしていない。
宿題もすぐに片づけていたし、なるべく目立たないようにしていた。
目立つと後が面倒だから、将来の夢は小学校の頃から地方公務員。
何処にでもいるような顔立ちで、クラスの女子からは空気扱い。
幼馴染の女の子もいるけど、今は疎遠。
学校が変わったら、そんなもんでしょ……。
そんな僕だけど、今が人生の晴れ舞台かもしれない。
所詮、ゲームの世界だけどさ。
そして、目の前の人達も本物の人間じゃないけどさ……。
けど、本気で心配してくれるその様子を見ると、どうしても目頭が熱くなってきた。
僕が目頭を押さえて黙っていると、一人の男が縄で縛られて連行されてきた。
縛られた男は見知った顔で、衛兵長の一人だったんだ。
まさか、こいつが刺客を通したのか……?
「我が君! こやつは我が君に害する者を、屋敷に入れた不届き者です! この場にてお斬り下さい!」
連行してきた人物は杜襲だった。
杜襲が衛兵長の一人を睨みつけながら、僕にそう言った。
縛られた男は涙を流し、嗚咽している。
男は三十代ぐらいで、家庭もあるんだろう。
この世界では家族だけでなく、親類にまで罪が及ぶなんてことは、当然だからね……。
そして、その元衛兵長は僕に叫んできた。
「どうかお斬り下さい! ですが、母や妻! 我が子は、どうかお許し下さい!」
「何故、君は刺客をこの屋敷に入れたのかね?」
「違うんです! 司護様! 私もこの村の出身で、あの男をてっきり、この屋敷の使用人と思ったのです!」
「……どういうことだ?」
つまりは、こういうことだった。
縛られた元衛兵長は近所に住んでいた者で、僕がこの村で決起した時から付き従っていた者の一人。
そして、この屋敷にも偶に出入りしていたので、元使用人に変装した刺客が来た際、信用して入れてしまったらしい。
その刺客は事細かに、屋敷や村のことを知っており、到底嘘と思えなかったというのだ。
僕の頭の中で光らない以上、この男は嘘を言っていない。
問題はどう処断するかだ。
それによって、僕がジンちゃん寄りになるか、フクちゃん寄りになるか決まってくる。
二人の僕と同じ声が僕の頭の中で木霊する。
ジンちゃんは「助けろ」と言い、フクちゃんは「斬れ」と言う。
僕は少し悩んだ末、決断した。
「縄を解け……」
「しかし……」
「これは命令だ。杜襲よ。縄を解くのだ」
「承知しました」
男は嗚咽しながら何度も僕に土下座する。
僕はその男にこう囁いた。
「命までは取らぬ。だが、責任はとってもらうぞ」
「……はい。何なりと」
「衛兵長の任を解く。帰農して田畑でも耕せ」
「えっ!? では……」
「皆も聞け!」
僕は大声を出し、皆に語りかけた。
「今度のことは余の不用心が招いたことである! 今後はこのような事がないように、信用出来る者をつける。だから、余に免じて、この者を助けてやってはくれまいか!」
当初、家臣達はザワついた。
しかし、すぐにそのザワつきは止み、家臣の皆がこう叫んだ。
「家臣一同。仰せに従います!」
元衛兵長は、泣きながら僕に何度も頭を下げ、屋敷を後にした。
今後は毒味役もつけ、徹底的な管理をされるらしい。
堅苦しいけど、仕方がない。
そして、僕は気がついた。
僕にとって、このゲームの終着点は「こんな事がないような世の中を作ること」ということに……。




