第三十三話 司護(しご)の過去
僕は二万の軍勢を率い、長沙から出陣を開始した。
大勢の文官たちまで連れて来たのは当然、零陵復興に全力を注ぐからだ。
零陵の城は、完全に崩壊しているらしく「恐らく刑道栄らは野戦を仕掛けてくるだろう」と亜父范増と陳平は僕に助言してきた。
刑道栄といえば、猛将であることは僕でも知っている。
ただ、架空の人物であったかどうかまでは分らない。
何となく、そう聞いたことがあるような気がするくらいだ……。
だから、その為に鐘離昧を連れて来ている。
刑道栄を斬った趙雲の武力が、ここではどれ程かまでかは分らないけどね。
けど、鐘離昧も同じぐらいだと思うから、問題はない筈だ。
僕がそんなことを考えていると、後ろから馬に乗って誰かが走ってきた。
見ると徐奕が慌てた様子で、急いで来たらしい。
「どうした? 徐奕。まだここは長沙の筈だが……まさか」
「いえ、そうではありません。我が君」
「では、何をそんなに慌てている?」
「それが陳端殿の知り合いと名乗る者が、我が君に会わせろと……」
「なんだ。そんな事か……。まさか、長沙が襲われたのでは!?」
「いえ、そうじゃないんです。陳端殿の知り合いとは到底、思えない者でして……」
「……どういう者だ?」
「それがかなり派手な者で、どうも巴人の侠客のようです」
「何? 巴人の侠客? 陳端の知り合いにそのような者が?」
「……はぁ。如何いたしましょう?」
「丁度、皆も疲れてきている頃合いであるし、休憩がてら会ってみることにしよう」
「宜しいので?」
「構わんよ。仁義を重んじる侠客なら、余は大歓迎だ。ハハハハ」
一応、僕はジンちゃんを出して応対した。
これからは使い分けが肝心だ。
くれぐれも范増とかの対話の場合にはジンちゃんはNG。
同様に王儁とかの時は、フクちゃんがNGだ。
どっちも、とってもマズい事態になるからね……。
でも、巴人の侠客って誰だろう……?
僕が座って待っていると、鈴をチリンチリンと鳴らしたド派手な恰好の背の高い青年がやってきた。
……現代でいうところのヤンキーってやつ?
背中に「夜露死苦」とか書いてそうな感じだ……。
徐奕が慌てた理由はこれか……。
けど、陳端の知り合いってどういうことだろう?
昔、よく壁ドンされてカツアゲされていたとか……?
僕がそんな事を考えていると、近づいてきてスッとしゃがんだ。
そして、大声でいきなり……。
「おひけぇなすって!」
「……お、おう」
うわぁ……ヤクザものの時代劇で見たことがある光景だ。
でも、ここ日本じゃないよね……?
デフォルメされているのかな?
「早速のおひけぇ有難うござんす! 手前、生国は益州巴郡の臨江県で、長江にて産湯をつかい、姓は甘、名を寧。字は興覇と発します」
「……お、え? ……かん?」
「つまらねぇ渡世人でござんすが、仁義に篤い司護の親分を慕い、今日ここにやって参りやした」
「………」
「どうか、この甘寧を漢にしてやってくだせぇ。漢にしてくれたぁ暁には、恩義はきっちり払います」
「……お、おう。真に甘寧と申すのだな?」
「へぃ。司護の親分。俺様を騙るような物好きなんぞ、この世には一人もいませんや」
「よし! 喜んで迎い入れるぞ!」
「有難き幸せ! では、早速末席に加えさせて頂きますぜ!」
マジか!? やった! 甘寧だ!
なんか変なデフォルメされているけど!
そうと分かったら、早速パラメータのチェックだ!
甘寧 字:興覇 能力値
政治2 知略7 統率8 武力9 魅力7 忠義6
固有スキル 豪傑 水軍 歩兵 制圧 怒号 鉄壁 機略
つっ! 強えぇ!! 思っていた以上に強ぇぇ!!
ここにきてのまさかの甘寧!
けど、陳端! 知り合いなら、もっと早く紹介してよ!
僕は思わぬ援軍である甘寧も入れて、零陵に意気揚々と進軍を再開した。
これで刑道栄なんか恐くないぞ!
でも、刑道栄の能力値も良かったらどうしよう……。
結構、略奪とかもしちゃっているらしいから、許すとなると難しいなぁ……。
前非を悔いてくれれば、いいんだけどなぁ……。
零陵との郡境に差し掛かると、先行していた偵察兵団が帰ってきた。
それによると、刑道栄らはこちらの動きを察知して、四万の軍勢で向かってきているという。
こちらからの兵が二万と聞いて、先にこちらを叩くつもりだろう。
僕は急遽、近くに村名主の屋敷があると聞き、そこで軍議をすることにした。
屋敷を借りるといっても、おかしなことに屋敷には誰もいない。
それ以前に、この村には住んでいる人がいないらしいから、当然なんだけど……。
しかし、何故か知らないけど、妙に懐かしくて、落ち着く気がした……。
何故か僕は、やたらと傷がついた一本の柱を見つけ、そっと撫でた。
丁度、子供が成長する度に、身長の高さを計っていったような傷跡だ。
僕が不思議そうに柱を撫でていると、一人の中年の見慣れない優しそうなおじさんが、僕に話しかけてきた。
「これは公殷ぼっちゃん……よく、お戻りで」
「……?」
「私ですよ。忘れてしまったんですかい?」
「ん? ああ……?」
「そうですかい……」
「失礼だが……」
僕はそう言いかけた途端、頭の中で何か光った。
そして僕の頭の中で話しかけてきた。
「おい! ボンちゃん! 今すぐ、誰か呼べ!」
「えっと……その口調はフクちゃん?」
「いいから早く! 俺はまだ死にたくねぇんだ!」
「え? どういうこと……まさか!?」
僕は咄嗟に大声で叫んだ。
すると、そのおじさんは隠し持っていた短刀を抜き、斬りつけてきた。
慌てた僕は何かに躓いたけど、それが功を奏して上手く避けた。
「くそっ! 折角、てめぇの元使用人に化けたってぇのに!」
「だっ! 誰だ!?」
「そんなことはどうでもいい! 死ね!」
「くっ!」
転んでしまった僕は盾になりそうな物を探すが、丁度良いものがなかった。
「最早、これまで!」と思い、目を瞑った瞬間、辺りに断末魔が響いた。
ゆっくりと目を開けると、おじさんの胸は剣で貫かれていた。
血を口からダラダラ流し、僕を睨みながら、ゆっくりと息途絶えていったんだ……。
そして、動かなくなったおじさんが倒れ込むと、その後ろには鐘離昧が立っていた。
鐘離昧は冷静に僕に一言、声をかけた。
「ふぅ……間に合った。大丈夫ですか? 我が君」
僕はもう動かなくなった中年のおじさんを見下ろしながら、鐘離昧に話しかけた。
「これは一体……」
「いや、衛兵から『我が君の元使用人が来ている』と聞きましてね。『そいつはおかしい』と思って来てみたんですよ」
「……何故、そう思ったのだ?」
「……何故って……そりゃそうでしょう?」
「いや、全く思い浮かばないのだが……」
「ここは我が君の村でしょうに……」
「え……? あ……。だが、何故それを君が?」
「ええ。『知っているか』でしょう。范増さんから教えてもらったんですよ」
「亜父殿から?」
「ええ。けど、おかしなものですね。本当にこの村のことを憶えていないんですか?」
「……すまぬ。記憶にないようだ」
「……いや、よしましょう。思い出さないことが良いこともあります」
「………」
僕は軍議の時間を二時間ほど遅らせ、少し横になることにした。
衛兵だけでなく、鐘離昧や甘寧、王儁らも近くにいるという。
これで少しは安心だけど、ショックのせいか、それでもイマイチ落ち着かない。
個室に入り、一人になったところで、静かに目を閉じる。
「刺客に襲われた」ということだけは分かる。
問題は「誰が寄こしたか」ということだ。
そして、刺客の固有スキル保持者らしいのは誰だろう……。
一番怪しいのは蔡瑁だ。
蒯越や蒯良は除外して良い。
蒯良は僕が思っていたような狡猾そうな人じゃないし、蒯越はそもそも刺客の固有スキルを持っていない。
このゲーム上……いや、この世界では手練れの刺客を雇うにも、固有スキルを持っていないと使えないらしいからだ。
そうじゃないと固有スキルの意味がないしね……。
次に考えられるのはやはり袁術辺りか、それとも黄巾党か……。
でも、袁術とすれば今は黄巾党だけでなく、劉表や劉繇とも冷戦状態だ。
それに刺客のスキルを持っていそうな袁術の配下が思い当たらない。
黄巾党は黄巾党で、それどころじゃないだろうし……。
そして最後は、やはり十常侍ということになる。
僕さえ殺せば、自分達の縁者を「太守として赴任させることが可能だ」と思い込んでいるフシもある。
「蔡瑁か十常侍か……。どうしたものか……」
「ホッホッホッ……随分と悩んでいるようじゃの」
「……え? うわぁ!?」
こんな時に、いきなり現れるなよ! 水鏡先生!
寿命がメチャクチャ縮んだじゃないか!
「久しぶりじゃの。最近、会ってないから油断しておったのか」
「それどころじゃない! 刺客に襲われたんですよ!?」
「よしよし」
「良くない! マジで良くない!」
「これからは周囲に護衛のスキルを持つ者を、侍らせておくが良かろう」
「……そうします。あ、丁度良かった」
「よしよし」
「あの刺客が、気になる言葉を僕に言ってきたんですが……」
「よしよし」
「元使用人がどうたらとか……意味が分らなくて」
「よしよし」
「よしよし……じゃなくて、教えてくださいよ」
「うむ。それは、この世界での司護の出生地がこの村だからじゃ」
「え!? そうなの!?」
「うむ。そして隣の村へ避難して、お前さんは挙兵したのじゃ」
「ちょ……ちょっと待って。じゃあ、この世界の僕の両親は? それと兄弟とかは?」
「いないぞ。殺されたからな」
「ええっ!? どうして!?」
「長沙の県令が、お前さんの三族皆殺しを命じたからじゃ」
「……ど、どうして!?」
「ちと、長い話になるから、心して聞けよ」
要約すると……。
僕の父は村人に慕われていた名主だった。
だけどこの村、いや長沙だけでなく荊州、豫章郡、巴郡、交州一帯も同時に大飢饉に襲われた。
いや、そもそも大陸全土が大飢饉に見舞われたらしい。
今現在でも、それは続いているらしいけどね。ここら辺を除いてだけど。
流民しようにも疫病までも蔓延し、村を捨てることは出来なかった。
しかも、その時の長沙太守はやはり十常侍の縁者で、都に金や財宝を送ることしか考えていなかったらしい。
それ故、重税が課せられて、一帯は餓死者が多く出てしまったんだ。
父は零陵に村人を移住させようと当初は思ったらしい。
零陵の太守、張羨は気骨溢れる人物で、宦官への賄賂を嫌い、領内の村人の多くを救ったらしいんだ。
……ああ、僕はなんてことをしてしまったんだろう……。
道理で「零陵の領民の為に送った兵糧に手をつけた」という情報が来なかった訳だよ……。
だけど、父は他の村の名主と共に県令に直訴する道を選んだ。
というのも、疫病で動けない病人も多くいて、見捨てることが出来なかったからだ。
県令も太守の言いなりで、村名主たちを牢獄に押し込め、僕の父はその獄中で拷問を受けて亡くなった。
その後、県令の兵隊が押し寄せてきて、この村で略奪を始めた。
理由は「張羨が、わずかばかりの穀物と見舞金をこの村に送った」と県令に言った奴がいたらしい。
僕の母親や下の幼い兄弟たちは、その兵達によって殺された。
僕は幸い同志らを集めて、獄舎を襲う手筈を相談しに隠れ家にいた時だった。
復讐に燃えた僕は近くの長沙蛮や山越人の協力も得て、長沙の街を襲った。
そして、かなり汚いこともした……。
県令の下で働いていた楊松や博士仁を買収し、太守や県令の家族を人質にとった後で皆殺しにした。
買収したその金の出所は、実は……張羨がこの村に宛てた見舞金だった……。
知らなかったとはいえ、僕は何てことをしてしまったんだ!?
いや、なんでそんな事、知らなかったんだ!?
それで、間接的にも大恩人を殺してしまったんだよ!
それに太守や県令の家族は関係ないじゃないか!
いや、知っていたら真っ先に僕自身が張羨さんに会いに行ったよ!
「……怒っても仕方ないじゃろう。それに、どうせゲームの世界なんじゃし」
「仕方なくないだろう! なんで、そんな大事なことを教えてくれなかったんだよ!」
「よしよし」
「良い訳がない! いい加減、もう頭にきた!!」
「……実態のないこの爺は殴れんぞ? どうするつもりじゃ?」
「自殺して元の世界に戻る!!」
「自殺してって……戻れる保障はないぞい」
「じゃあ、どうすれば戻れるんだ!?」
「お前さんが戻れる方法か……。仕方がない。教えよう……」
「もう、こんな世界嫌だ! 元に戻せ! 早く!」
「………それはじゃな」
僕は息を思わず飲んだ。
僕には「早くこんな世界から解放されたい」という思いしか、もうないからだ……。




