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外伝5 蒯越の訪問

 左豊は司護に詰られ、立腹しながら一路、まずは襄陽へと向かった。

 襄陽は荊州牧の劉表がいる場所で、当初荊州牧は王叡というものが赴任する筈だったが、病と称し辞退したので劉表となった。

 

「あの司護という若造め! 小童め! 今に見ておれ!」

 

 呪詛を呟くように左豊がそう小声で独り言を言っていると、ふと声をかけてきた者がいる。

 蒯越。字を異度といい、長身で立派な体格をした政治、軍略に長けた名将である。

 この蒯越は劉表の補佐役として劉表に請われ、共に洛陽から荊州へと来たものであった。

 

「そこにいるのは小黄門の左豊殿ではないか」

「お、おお。これは蒯越殿。久しいですな」

「まさか、このような場所で出会うとは。相変わらず、金の無心ですかな?」

 

 蒯越は宦官を嫌っていた。

 何進に宦官の誅殺を願い出たが聞き届けられなかったので、劉表の請いを受けて荊州へと渡っていたのである。

 宮中ではこのようなことを言えば帝に讒訴される危険があるが、幸いここは荊州で劉表の下であれば讒訴されてもお構いなしだ。

 劉表は漢王室の流れを組む名家であり、荊州牧というよりも王に近いというのもある。

 

「な……如何に蒯越殿と言えど無礼ですぞ!」

「ハハハ。何を言う。毎度のことではないか」

「貴様といい、あの司護といい、荊州は無礼者しかいないようだな!」

「……何? 今、司護と言ったか?」

「ああ、言ったとも! それがどうかしたか!?」

 

 蒯越は左豊が、何故ここにいるのかをそこで察知した。

 そして「司護に賄賂を拒まれた」と直に結論づけた。

 司護は巷で「有名な賄賂嫌いで評判の賊太守」という噂で持ちきりだからだ。

 

「……ふむ。いや、左豊殿、許せ。ちと私も最近ムシャクシャしておりましてな」

「何を今更……」

「いや、司護という奸賊が荊南に蔓延っているのに、まるで劉刺君は取り合おうとはしない」

「……お、おお! そうだ。そうなのだよ。私の折角の計らいを無碍にして……」

「このままでは何れ漢の災いとなろう。貴君はどうするつもりかね?」

「決まっている。帝に全てを話すつもりだよ」

「当然だな。このままでは黄巾賊よりも大きな災いになるであろうしな」

 

 実は司護のいる荊南では、以前から諸異民族や賊徒が度々、蜂起していた。

 二十年前にも大乱がおき、馮緄ふうこん、応奉、度尚、抗徐といった名将らが鎮圧していた。

 しかし、この度の司護という奸賊はそれらと大いに違う点があった。

 そこが蒯越の心に随分と引っかかっている。

 

 その理由として以前、宮中に関わっていた王儁、蔡邕といった者らが関わっているのだ。

 特に蔡邕は度尚の碑を書いた人物で、書家としても有名である。

 しかも、蒯越は以前、蔡邕と面識があり、清廉潔白な人物としてみていた。

「何故、蔡邕が賊と組する?」と考えてもおかしくはない。

 

 蒯越は左豊を自宅へ招き、存分に左豊に酒を飲ませ、愚痴を聞いた。

 その愚痴の中には王儁や蔡邕への悪口も混じっていた。

 彼らが「朝廷を無視し、賊の家来に成り下がった」と喚き散らしたのである。

 

 聞くに堪えない悪口の数々だったが、その中には有益な情報もあった。

 司護の配下の中に鐘離昧、陳平の名があったのである。

 当初、蒯越は「同姓同名の者であろう」と考えていた。

 しかし最近のわらべ歌に奇妙な歌があるのだ。

 

 古の楚漢から 乱を聞き 再びこの世へ また来るよ

 乱の目覚めは 楚漢の目覚め 覇王は何処いずこ 今、何処

 漢の臣は懲らしめに 楚の臣は覇を求め


 昨今、黄巾賊が跳梁跋扈し、様々な奇妙な歌が蔓延している。

 この歌もそのうちの一つであろう。

 そして、その歌を誰かが流行らせ、漢を貶めようとしている。

 それを司護が利用しているように思えたのだ。

 

「司護というのは妖邪の術でも使うのだろうか? まぁ、出任せであろうが……」

 

 蒯越は妖邪の術というものを信じてはいない。

 だが、何か引っかかるのである。

 王儁や蔡邕が「妖邪の術で惑わされている」とすればと思うと気が気でない。

 

 翌日、気になった蒯越は登城し、劉表と面会した。

 左豊とのことを報告する為である。

 劉表も宦官のことは蔑んでいたので、左豊のことを聞いた時点で顔をしかめた。

 だが、司護のことに話が及ぶと思わず姿勢が前のめりとなった。

 

「それで蒯越よ。本当に司護という者は妖邪の術を使うと思うか?」

「いえ。劉使君(州牧の敬称)。それはまだ分りかねます」

「そうか。だが、長沙を始め、あの辺一帯は司護が統治しているというが……」

「はい。前長沙太守が宦官韓忠の縁者で悪政を布いていましたから、その反動というのもありますが……」

「だが、商人から聞けば随分と繁栄していると聞く……」

「そうらしいですな。噂では配下にいる張昭という者は中々の賢者で以前、陶謙殿が召し出そうとした者だとか……」

「……江東にいる筈の者が何故、長沙まで行くのだ?」

「そこまでは某も分りませぬ」

「そうよなぁ……。しかし、面妖な……」

 

 そこへある者が厳かに入室してきた。蒯良である。

 蒯良は蒯越と同性であるが、血縁はない。

 だが、蒯良は蒯越と劉表との良き相談相手となっている。

 

「……蒯良か。何用だ?」

「劉使君と蒯越殿がここにいると聞きましてな。何でも、長沙の司護なる者の相談とか……」

「うむ。丁度、その話をしていたところだ」

「劉使君は如何様に考えておられますので?」

「巷では妖邪の術を使うと聞く。黄巾どもとは手を繋げておらぬようだが……」

「実は手の者を行商に化けさせ、長沙を調べさせに行きました」

「何? で、どのような者であったか聞いたのか?」

「はい。目元が涼しい若者であったとか……。面妖とは程遠いらしいですな」

「そんなもの、どうにでも化けられる」

「確かにそうですな。ただ、長沙の繁栄は洛陽に迫る勢いだとか……」

「な……何? そこまでか?」

「はい。それが以前の王門、周允などとは随分と違います。ましてや潘鴻、卜陽といった……」

「もうよい。蒯良よ。では、司護はどのように扱うべきであろうか?」

「官位と候を推挙しましょう。かの者は『漢の臣として名乗りたい』と周囲に漏らしているとのことですから」

「いや、それはならん」

「どうしてです?」

「考えてもみろ。妖邪の類を余が推挙したとなれば、どんな誹りを受けると思う?」

「……しかし、それはただの噂でしょう?」

「噂でもだ。それに、あ奴が黄巾の連中と繋がっていたらどうする? その責任をどうとればよいのか?」

「………」

「それにあ奴めは周泰、蒋欽という賊を飼っている。しかも、その首は寄こさぬのだぞ」

「しかし、その両名は実際には略奪などを行っておりませんし、前江陵県令のでっち上げにしか過ぎません」

「その前江陵県令が厄介者なのは君も知っていよう……。それに蔡瑁にも面目が立たぬ」

「……そうですな。では、推挙は当面、見合わせるということにしましょう」

 

 蒯良は溜息をついて出て行った。

 蒯越としてはどちらの言い分も分かる。

 それだけにどちらを支持するということも出来ない。

 

「どうも、分らぬ……。本当に妖邪の術などを使って、あの蔡邕殿を御するなど出来ようか……。この上は確かめてみるか」

 

 蒯越は静かに蒯良の後を追うようにして部屋を出た。

 そして帰る早々、馬を引き、一路南へと向かった。

 蔡邕と直接会うためである。

 

 数日かけ、江陵から船で長江を渡るとすぐに長沙の港が見えてくる。

 夏ということもあり、蒸し暑さもあるが汗が止まらない。

 そんな暑さを我慢しながら馬に乗り替え、更に南へ下っていくと、城壁が見えてきた。長沙の街だ。

 

 長沙の街に入ると、つい最近まで戦火に包まれたとは思えないような光景が目に焼き付いた。

 区星などの賊や長沙蛮が跋扈し、民が逃げ惑うような光景はそこにはない。

 あるのは平和で賑やかな都市、そのものである。

 洛陽とまではいかないが、それに迫るような活気だ。

 

「信じられん。本当にこれが少し前まで荒れ果てた街なのか……?」

 

 蒯越は噂でしか以前の長沙のことを聞いていたが、それでもやはり驚くべきことである。

 時折、役人が通りかかるが、町民を脅して賄賂をとろうとする者もいない。

 それどころか、笑顔で会釈するぐらいである。

 殊更驚いたことは、漢の者ではなく長沙蛮か山越の民らしい者が役人となって巡回しているのだ。

 

 驚きを隠せない蒯越であったが、さらに聞くために茶店の中へと入った。

 茶店で菓子と茶を頼み、茶をすすっていると若い商人が入ってきたので、蒯越はその若い商人に聞いてみることにした。

 

「ああ、君。つかぬことを伺うが」

「ええ、なんです?」

「ここの太守様は……」

「ええ、司護様でしょ? それがどうしたんです?」

「いや、本当の府君ではないと聞いたのだが」

「ああ、それはねぇ。本来ならいい加減、認めてくれても良いと思うんですけどねぇ」

「では、まだ認められてないのかね?」

「それならいっそ『国でも立ち上げてくれれば』って皆も言っていますよ」

「おいおい。滅多なことを言うもんじゃないぞ」

「へぇ、こいつは面白い」

「何が面白いのだ?」

「いやね。知り合いが司護様に会った時に、そう言ったらしいんですよ」

「……なんと。で、返答は?」

「それが旦那と同じようなことらしいんです。しかも『余のことは漢の朝臣と思えよ』なんてね」

「……それは面白いな」

「でしょう。今じゃ漢の威光は下がりっぱなしだってぇのに、律儀にそんなことを言うなんてねぇ」

「……成程、いや時間を取らせてすまなかったな」

「いえいえ。旦那は余所から来たんでしょ」

「……うむ。洛陽だ」

「道理で都訛りな筈だ。けどね、この長沙も都に負けていませんぜ。その内、どっちが都だか分らなくなっちまいますよ」

「ほほう。確かに満更、嘘でもなさそうな話だな」

「でしょう? いっそ、司護様が帝から禅譲してもらって……」

「滅多な事を言うでない。……と司護様から叱られるぞ」

「違ぇねぇ! ハハハハ!」

 

 他の者に聞いても司護のことを悪く言う者はいない。

 蒯越は司護に会いたい気持ちが昂ったが、我慢することにした。

 何故なら、お忍びで来たからである。

 

 当初の目的通り蔡邕の家に向かうと、蔡邕の屋敷は質素ではあったが、それなりの広さであった。

 蔡邕は華美な装飾を嫌うのは蒯越も知っていたので、特に驚く気持ちはない。

 

「ごめん! 誰かあるか!?」

 

 門の前で蒯越が叫ぶと中から一人の女児が現れた。

 

「はい。何の御用でしょう?」

「伯喈殿に会いにきた。蒯異度が来たと伝えてくれないか?」

「あ、はい。蒯異度様ですね。少々お待ちを」

 

 暫くすると蔡邕が出てきた。

 少し訝しんでいたが、蒯越を見ると非常に喜んだ。

 

「これは異度殿。良く来られました。まぁ、こんな所で立ち話もなんですから、奥の方へ」

「これは忝い。では、参りましょう。伯喈殿」

 

 二人は奥の間に行き、まずは他愛のない雑談をしだした。

 お互い腹の探り合いである。

 敵対していないとはいえ、微妙な立場の主を持っているからだ。

 暫くして、まずは蔡邕から切り出してきた。


「して、異度殿。貴殿の主、劉使君はご壮健ですかな?」

「うむ。ただ劉使君は近頃の乱で少し気が参っておる。だが、何れ乱は収まろう」

「そうですな。ここ長沙では既に遠い昔のような話です」

「ところで……その、司護殿という人物についてですが」

「……ハハハ。流石に司府君とは言いづらいですか」

「……うむ。流石にな」

「仕方ありませんな。未だに太守の印綬はないのですから」

「で、どうなのだ伯喈殿? まさか貴殿が司護殿に仕えていると思わなかったが」

「どう、と言われましても困りますな。私は名君と思っておりますが」

「しかし、朝廷は未だに賊扱いだ」

「致し方ないことでしょう。宦官が牛耳っている以上は……」

「だが、先日その機会があったと聞いたぞ」

「ああ、宦官が戯言を言いに来たアレですか……」

「そう、それだ」

「我が君は『真の臣なら帝をお諫めし、宮殿なんぞ後回しにするように言うべきなのに』と凄い剣幕でした」

「……成程、大体読めた」

 

 しかし、蒯越が驚いたのはその後の出来事だった。

 王儁に「座を譲って自分は逐電する」とまで家臣らの前で言い放ったことである。

 蒯越は「成程、それは見たかった」と大笑いしたが、内心では

「これはどっちだ? 忠臣か? それとも奸臣か?」

 と少し疑念を持ったのである。

 

 しかも、更に驚いたことに若年の実績がない者も頼み込んで配下にし、その者達もまた良く仕事をこなすことだ。

 それだけに城内では「人物評でも随一ではないか?」との評判もあるということを知ったのである。

 もしそれが本当だとすると、長沙の発展も蒯越は納得せざるを得ない。

 

「敵に回したら厄介どころでは済まぬぞ。黄巾と手を組む前に何とかせねば……」

 

 蒯越はそう思いながら笑顔で蔡邕の屋敷を去った。

 しかし、内心では他でも

 

「実にすぐにでも会いたいものだ。果たしてどれ程の者であろうか……」

 

 そう思っていたのである。

 そして、蒯越と司護が会いまみえるその日は、徐々に近づいてきていた。


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