外伝4 長沙の勃興と武陵の蜂起
司護らが秣陵を離れ、徐州へ向かっている頃、家族を連れて長沙へと渡る者達がいた。
蔡邕、顧雍、徐奕、是儀の四名である。
蔡邕以外はまだ若いが、何れも聡明そうな者達である。
蔡邕は船中で他三名に宮中での話や、様々な学問の話を請われたので、若い三名に教授する日が続いている。
蔡邕は以前にも、顧雍と徐奕に儒学の講義をしたことがあったので、知り合いではあるのだが是儀とは面識がなかった。
だが、是儀を知るやその才覚に舌を巻いたのである。
それと同時に
「司護殿は如何なることで、この者を連れて参ろうとしたのであろう?」
という思いが湧きあがったのだ。
そこである日、蔡邕は是儀に対し長沙へ渡る理由を聞いてみることにした。
「是儀君。ちょいと良いかね?」
「は、蔡邕先生。何なりと御申しつけください」
「いやいや、そんな大したことじゃない。君が長沙に行くことになった経緯を知りたいのだ」
「……そのような事ですか?」
「うむ。他の者二人は私が推挙したからなのは分かるのだ。だが、どうやって司護殿が君を見つけたのか分らぬのでな」
「……それは私も未だに分らないのです」
「……どういうことかね?」
「実は秣陵の城内にて、許劭様の人物評を聞きに参った時のことです」
「……そこで知り合ったのかね?」
「ええ。私が順番を待っていると不意に司護殿が、私の名を訊ねてきた後、城外に共に出たのです」
「……ふむ」
「その時に司護殿が私に『君には蕭何、鮑叔牙と同じ相がある』と言われて……」
「なんと。その場で君に人物評を?」
「はい。最初は『何の冗談か?』と思ったんですが、必死に私に長沙に来るように説得し始めて……」
「で、この船に乗ったと」
「本当にあの方は不思議な人です。ですが、不思議と悪い気にはなりませんでした。しかし……」
「……しかし?」
「こうして先生や徐奕君、顧雍君と出会い、今では司護殿以外に仕えようとするお方が、すっかり思い浮かばなくなりました」
「当初はどなたに仕えるおつもりだったのかね?」
「劉府君(劉繇)のつもりでした。運が良ければ許劭様に推挙されるかと思いまして」
「成程、そのつもりもあって城へ出向いたのか」
「はい。ですが、この長沙行きは正解でした。こうして先生と共に長沙に行けるのですから」
「ハハハ。この蔡邕、そこまで大した者ではないがね」
「いえいえ。それに先ほど徐奕君とも話したのですが」
「うむ。何だね?」
「わざわざ、あの張昭殿の所にも出向いて長沙へお連れするというもので」
「張昭殿のことは噂に聞いている。中々の強情者のようだが……」
「はい。未だに再三再四、陶府君(陶謙)の要請を無視しているお方です」
「だが、それ以上に才に秀でているという評判だ。司護殿は本当に連れてくると思うかね?」
「あの方は私のような若輩者にですら、頭を下げて請う方です」
「顧雍君や徐奕君にも同じように頭を下げたらしいな。随分と頭の低い府君らしい。ハハハハ」
「フフ……そのようですね。しかし、民を思う気持ちは古の周公にも引けをとらないかと」
「うむ。しかし、気持ちは大事だが、伴わなくてはならぬ。我らが支えねばな」
「はい! 王儁殿にも会えるので、今から待ち遠しい限りです」
一行は長沙の街の様子を見て、目を疑った。
長沙は最近まで区星らの賊が跳梁跋扈し、荒れ果てていると聞いていたからだ。
しかし、最早その様子はないどころか、秣陵と遜色ないほど発展を遂げているのである。
「……これは驚いた。司護殿が統治してから、まだ一年も経ってないとのことだが……」
蔡邕が驚きの声をあげると、その蔡邕に声をかけて来た者がいる。
秦松であった。
秦松は、かつて少しだけ洛陽に居た頃に蔡邕から書を習ったことがある。
「これは蔡先生! 久しぶりですな!」
「おお、文表(秦松の字)君。本当に君か?」
「ハハハ。私は幽霊ではありませぬ。長沙へは何をしに? それとそのお三方は門弟ですか?」
「いやいや。司護殿に頼まれ、ここに厄介になることになった」
「えっ!? 蔡先生もですか!?」
「うむ。この三名も私の門弟ではない。司護殿に請われて来た者達だ。皆、まだ若いがな」
「そうでしたか。いや、先生やそこのお三方も来て下さるとは心強い」
「しかし、本当に私は必要なのかね? これは最早、復興どころではないぞ」
「我が君の命で『山越や荊蛮らも受け入れるべし』という方針でしてな。ここでは何人も自由に商いをし、田畑を耕せるのですよ」
「……そんな事が可能なのかね?」
「私も始めは『そんな事が可能なのか?』と思いました。それを見事にここまでにしてしまったんですよ」
「……ふむ。司護殿は一体どういうお方なのだ?」
「それが未だに私にも分りません。偶におかしな事を呟いたり、不思議な言葉で叫んだりしますが……」
「……随分と奇妙な方みたいですな」
「はい。奇妙な方です。ですが良い方です。そうでなければ、ただの狂人でしょう」
秦松はそう言ってから高笑いした。
若い三名の姿を見てある光景を思い出したからである。
それは訝しがる秦松を、半ば強引に陳端が司護の前に連れてきた光景であった。
当初、秦松と陳端は故郷の広陵を離れ、秣陵に向かう予定であった。
だがその時、偶々運が悪いことに秣陵付近では海賊が暴れており、秣陵へ行くことは断念したのである。
北へ向かおうにも野盗や山賊が方々で暴れており、まずは長沙に出てから襄陽へと向かうつもりだった。
長沙につくと何を思ったのか陳端は突然「司護に会いに行く」と言いだした。
秦松は止めたが陳端は言う事を聞かず、なんとそのまま司護の配下となってしまった。
呆気にとられた秦松はある日、一人で行く覚悟を決め、江陵へ渡ろうとするが追いかけてきた陳端に阻止された。
流石に秦松は怒り、陳端を詰った。
「おい! 子正(陳端の字)! これは何のまねだ!?」
「何のまねとは何だい? 私は君の出世の手助けに来ただけだよ」
「これの何処が出世の手助けだ!? いいから離せ!」
「君はこれから平凡な小役人で一生を過ごす気か? 竹馬の友としちゃあ、それは黙って見過ごせないね」
「お前まさか、あの司護とかいう馬の骨に腑抜けにされてきたのか?」
「腑抜けかどうかは自分の眼で確かめてくれないか? それからでも遅くはあるまい」
「それはそうだが……」
「なら、少しの時間を割いてくれても良いじゃないか。会うだけ会って、気にいらなければ何処へ行こうと構わないから」
「……仕方ないな。会うだけだぞ」
しかし、会うだけのつもりが、何故かそのまま司護の家臣となっていた。
自分でも良く分らないが、勝手に自らを売り込んでいたのである。
陳端の説得があったのもあるが、それ以上に言い表せない不思議なものを感じたような気がしたのだ。
さて蔡邕らが長沙に着いた頃、武陵には楊松と博士仁が曹寅の下へと既に身を寄せていた。
武陵太守の曹寅は王儁が自分の招聘には目もくれず、司護の下へと行ったのが気に食わない。
そこで楊松が得意の讒言で更に追い討ちをかけていた。
曹寅も馬鹿ではないが、近頃暴れている武陵蛮や賊などに頭を痛めていたので、そこに楊松に付け込まれていた。
配下には勇猛な刑道栄、新人従事の劉度を従えていたが、それらでは対処出来ないことも多い。
また司護とは違い、パラメータとかは当然見られないのだ。
刑道栄は勇猛で名高いが酒乱で、気性が激しく、気に入らない者には理由もなく鞭打ちの刑にするなどをしていた。
楊松はそんな刑道栄にも近づき、お世辞を使いながら武陵に溶け込んだのだ。
新人の劉度はそんな楊松を毛嫌いしていたが、何も言えず忸怩たる思いで過ごすしかない。
楊松は楊松で劉度を邪魔だと思っていたが、さしたる邪魔は出来ないことを知り、博士仁と共に不正を働き始めていた。
楊松が裁判を開くと決まって訴訟問題は賄賂の額で優越が決まるのである。
その為、不正を働く豪商たちが必ず勝つのである。
当然、そんなことをしていれば民衆から怨嗟の声があがる。
武陵の民衆だけでなく、武陵蛮らも含めた異民族も同様だ。
そして劉度は何度も曹寅を諌めようとしたが、曹寅は聞く耳を持たない。
それもその筈で曹寅も楊松から多額の賄賂を無心していたからである。
しかも、厄介なことに楊松は多くの汚吏からは支持されている。
司護の悪口雑言を周りに言いつつ、それらの汚吏を煽てあげ、金品を振りまくからである。
長沙から逃げてきた汚吏も数多くおり、さらに話に花が咲く。
汚吏は自分らこそが正当的な官吏と思い込み、賄賂などは当然の権利と思っているからタチが悪い。
数か月経ったある日のこと。
近隣の零陵蛮の娘を捕吏が連行し、強姦した後に殺害するという事件がおきた。
捕吏は「尋問中に死んだ」とだけ言い張り、娘の遺体は燃やしてしまったのである。
遺体を燃やした理由は「何らかの疫病に罹っていたから」という陳腐な言い訳であった。
だが、これがマズいことに零陵蛮の精夫(長のこと)の妻の姪であったため、騒ぎが大きくなったのである。
妻に泣きつかれ、怒った精夫は近隣の長沙蛮、五渓蛮、そして武陵蛮の精夫らにこの話を持ちかけた。
武陵蛮の精夫は前精夫の子で、前精夫が病で急死したため、まだ若いが武勇の誉れがある息子が後を継いでいた。
その名を沙摩柯という。
若く武勇があるだけでなく、血気盛んで義侠心に富む沙摩柯は大いに怒った。
それもその筈で、殺された零陵蛮の娘と婚姻の約束までしていたからである。
「ふざけおって! 曹寅め! 我ら武陵蛮らの力を思い知らせてくれる! 者ども続け!」
あろうことか、武陵蛮らは日頃から汚吏に恨みを抱く武陵の民も巻き込んで、武陵の至る所で一斉に蜂起したのだ。
驚いた曹寅は急ぎ刑道栄に命じて、反乱鎮圧に向かわせた。
だが、刑道栄はこれを抑えることは困難と分かると、一目散に兵を連れて零陵へと落ち延びたのである。
「おのれ! 刑道栄! 余を見殺しにする気か!? 恩知らずめ!」
曹寅は怒って地団太を踏んだが、どうすることも出来ない。
価値のある家財を持ち、江陵へと曹寅は落ち延びていった。
それに博士仁、楊松らも続き、武陵は沙摩柯の手に落ちたのである。
そして、逃げ遅れた汚吏を全員皆殺ししたものの、沙摩柯らだけでは統治は不可能である。
ノウハウがないだけでなく、文字すら読めないのだから当然だ。
しかも、唯一殺されなかった文官の劉度は自ら檻の中に入り、ただ只管黙るだけである。
「こいつは困った。このままじゃ立ち行くものも立ち行かない……」
沙摩柯は困ったが、隣の長沙、桂陽では「司護なる者が双方とも見事に発展させている」と配下の者に聞いた。
長沙の司護のことは沙摩柯も聞いたことがあり、心の中では尊敬もしている。
そんな沙摩柯だが、不意に思わぬ出来事が夜間に訪れた。
その司護を名乗る男が「飄々とやって来た」というのであった。




