第百二十九話 典範とは噴飯もの?
ただ一番の問題として張昭が事実上、蟄居に近い状態にある。
この問題を何とかクリアしないと、登城することもままならない。
・・・となると、ここは・・・。
「何!? 儂が頭を下げて許しを請えだと!?」
・・・そうなんだよ。張昭の一番の問題点は過剰なまでに高いプライドなんだよ・・・。
どう説得しようか・・・。
「留府長史(張昭のこと)殿。主に頭を下げるのは出奔まがいな事をした鐘離権です」
「だが、儂も頭を下げるのであろう!?」
「留府長史は仰々しく謝罪しなくても良いでしょう。形としては付き添いみたいなものですよ」
「・・・いや、しかし」
「大体、留府長史がいきなりスンナリと謝罪する方が不自然です。ここは・・・」
「黙らっしゃい! 儂は自分に非があればスンナリと頭を下げるぞ!」
「・・・そうですね。しかし、ここは私が寝殿に潜り込むためにも・・・」
「・・・ううむ」
「それにこれは留府長史にとって一時の恥かもしれません。しかし、頭を下げねば一生。いや、永久の恥となるでしょう」
「どういう意味だ?」
「このまま祖父君は心を蝕まれ、やがては命を落とします。それをただ何もせず己の事しか考えない佞臣と・・・」
「ぬぅ!?」
「己の事しか考えないのであれば、宮中に巣くう十常侍と何ら変わりがありませぬ。それで宜しいのですかな?」
「・・・・・・」
この後、僕は二時間近くかけて説得を試みた。
強情で頑固な上にプライドが高い張昭を説得するのは、正直いって堅牢な虎牢関を陥落させるようなものだ。
しかし、粘った甲斐があって何とか折れてもらうことに成功した。
因みに一方の鐘離権は、最近になって醸造され始めた黒糖焼酎でスンナリ頭を下げることに同意。
あと重要なのは葛籠の仕掛けだ。
葛籠は上げ底になっていて、寝そべった子供ならギリギリ入れるぐらいだ。
幾らなんでもこれなら刺客が紛れ込んでいるとは思うまい。
ま、僕は刺客ではないんですけどね。
三日後、僕は虎の毛皮と共に葛籠に入り、担がれて行くことになった。
一応、空気穴はあるけどそれでも息苦しいし、何と言っても寝返りがうてないからキツい。
寝ている底の部分はマットの代わりに綿の敷物があるけど、それでも痛い。
更に揺れる上に声も出せないから厳しいことこの上ない。
でも、こればかりは我慢するしか・・・トホホ・・・。
「これは張昭。まさか鐘離権と共によくもおめおめと余の前に顔を出せたものだな」
揺られたり置かれたりの繰り返しで、この状態で数時間が経った。
嫌味ったらしい声の主は司政ことフクちゃんだろう。
暫くして更に性格が歪んだか・・・?
やはりストッパーのジンちゃんがいないからな・・・。
ま、ジンちゃんも暴走癖があるけどさ・・・。
「は。先日の件、よくよく考えましたが某の過ちに気づきました」
「そうであろう。そうであろう。折角の義父君の申し出を無碍にする訳にはいかぬ」
「・・・はっ」
「大体だな。お前が鄭玄、陳紀ら儒者どもと一緒になって反対する方がどうにかしている。そもそもお前は腐れ儒者ではないであろう」
「御意・・・」
「それにこれは竹千代、引いては皆の為でもある。余の為ではない。理解しておるか?」
「・・・それを理解したが故、己の恥を忍び参内した次第でございます」
「うむ。そなたが理解してくれたという事は大きな前進だ。めでたいな・・・。フハハハ!」
「・・・」
すげぇ悪人っぽいじゃねぇか・・・。
それに僕や皆の為って何のことだ?
義父君というのは・・・あ、劉寵?
凄く嫌な予感がする・・・・・・。
その後は張昭に対し、司政ことフクちゃんが嫌味の大攻勢。
張昭の青筋が目に浮かぶようだ。
それでも張昭は我慢し、何も言わずにいた。
嫌味に耐えてよく頑張った! 感動した! おめでとう!
・・・うん。あくまで心の声ですよ。
「よっ・・・うん? 重いな・・・」
不意にガタッと葛籠が動き、危うく僕は声を上げそうになる。
恐らく名無しの官吏が運ぼうとしているのだろう。
「この葛籠は特製やねん。毛皮を傷つけないために補強してあるんや」
そういう鐘離権の声が聞こえた。
ここでバレたら今までの苦労が水の泡・・・。
それから揺られて十数分。
葛籠がゆっくり置かれると完全に静寂となった。
恐らく寝所に着いたのだろう。
寝所には誰も居ない筈なんだけど、万が一ということもある。
だからといって、このまま葛籠の中じゃいざという時、あまりの苦痛で動けなくなってしまう。
覚悟を決め、僕は葛籠の中で軽く音を出すことにした。
誰かがいたら声を出すだろうけど、気のせいで済ませてくれるだろうから。
・・・そうであって欲しい。
幸いコンという軽い音を出して一分以上、何も反応が無かったので、僕は覚悟を決めてそーっと葛籠の蓋をずらした。
そこから覗くと僕は呆気にとられた。
寝所のあまりの広さ故にね。
色々と豪華な置物とかもあるけど、恐らく三十畳以上はあるだろう。
そこに天蓋つきの広いベッドがほぼ真ん中にある。
恐らく誰もがうらやむベッドなんだろうね。
因みに僕は全くうらやむことはないけどさ。
僕だったら逆に落ち着いて寝られないよ。僕って貧乏性なのかな・・・?
それ以前に購入額やら何やら考えてしまうけど。
更にベッドが置いてある場所にはかなり大きい絨毯が敷かれてある。
この絨毯は恐らくペルシャあたりから贈られたものだ。
値段は想像を絶するんじゃないかな・・・。
全くふざけた話だよ。僕がやってきた事の真逆じゃないか・・・。
寝所は幸い隠れられそうな場所というか置物が幾つもあった。
その中の一つ、大きな箪笥の影に隠れることにした。
形状は和箪笥に近いから中には入れない。
ま、ハンガーがないから当然か。
体を折り曲げ体育座りに近い状態でいること数時間以上。
時折、周りに人がいないのを確認してから立ち上がり、ストレッチをする。
それを繰り返ししていたら、今度は次第に眠くなってきた。
更に数時間が経ち、僕がウトウトとし始めた頃、扉が開いた音がした。
確認したいのは山々だけど、ここは我慢。
すると今度はドサッという音がしたので、恐らくベッドに横たわったのだろう。
扉の前には衛兵がいるだろうけど、流石に中には他に誰もいない筈だ。
「かなり近いと思うけど、この距離なら出来る?」
僕は心の中でジンちゃんにコンタクトをとった。
「無理です。あくまで接触しなければ出来ません。もう暫く待ちましょう。そして寝込みを襲うのです」
「襲うのは違うと思うけど・・・。まぁ、ここまで来た以上もう少し我慢するよ。鼾でもかいてくれると助かるなぁ・・・」
夜の帳が降りたせいか寝殿はかなり暗く、移動するにも注意が必要だ。
一応、中には行灯や燭台と呼ばれる照明器具があるにはあるが、LED電球とは比較にもならない。
ここで躓いて音を立ててしまったらと思うと凄いプレッシャーだよ・・・。
寝息が聞こえ始めてから小一時間、僕は覚悟を決めた。
抜け足、差し足、忍び足・・・。
こんな事をやったのは、幼稚園で隠れんぼ以来だ。
そして、残りあと1メートルといったその時、チリンチリンという鈴の音が!
まずい! こんな事ならベッドの周りを調べておけば良かった!
「ぬっ!? な、何ヤツ!?」
「南無三!」
フクちゃんが起き上がろうとしたその刹那、僕はフクちゃんに飛びついた!
体のどの箇所で良い。触れられさえすれば・・・!
「上使君! どうしたんべ!」
扉が開き、声がした。この声とエセ東北弁の特徴は許楮だ。
「いや、なんでもない。寝ぼけただけだ。下がるが良い」
「へぇ・・・あれ? そこの子供は?」
「良いから下がれ。明日、皆の前で詳しく話す」
「へ・・・へぇ・・・」
僕は何時の間にかフクちゃんに抱きかかえられていた。
いや、ジンちゃんか? つまり司政に抱き抱えられていたということだ。
「危なかったですね。ボンちゃん。本当にギリギリでしたよ」
「うん・・・」
「ボンちゃん。てか、腐れ儒者まで。何しに来やがった?」
久しぶりの三者での心の会話。
感慨深いけど、今はそれどころじゃない。
「ボンちゃんの要請で来たのだ。この痴れ者め」
「んだと!? ここまで上手くやって来たってのに邪魔するんじゃねぇ!」
「邪魔するさ! 范増を殺してなるものか!」
「あいつが変な邪魔しようとしたからだろ! だから『大人しくしておけ』って言ったじぇねぇか!」
暫く僕はジンちゃんと連合を組んで、フクちゃんを問い詰めた。
文字通り小一時間問い詰めた訳だ。
「わかったわかった。で、どうして欲しいってんだ?」
「まず劉寵と組んで何をするのか教えろ。鄭玄らが反対するなら、何か理由があるんだろ?」
「ああ。アレか。お前さん、つまり竹千代を皇帝にする算段だ」
「はぁ!? どうやって!」
「お前は宗室の血脈でもあるんだぜ。問題ねぇだろ」
「大いに問題アリだ! このたわけ!」
最後に怒鳴ったのはジンちゃんだ。
確かに僕が皇帝になって統一すればクリアだけど・・・。
「どう問題なの? ジンちゃん」
「・・・ボンちゃん。そんなことも解らぬのですか?」
「・・・うん。ごめん・・・」
「ボンちゃんのいる現代日本でも最近まで問題になっていたでしょうに・・・」
「・・・へ?」
「女系問題ですよ。天皇家の・・・」
「ああ・・・。それの何が?」
正直、僕は女系だの男系だの何が騒がれていたのか理解出来なかった。
だけど、ジンちゃんからすれば。いや、王朝的にこれは完全にNGらしい。
ここで僕が漢王朝の先例を作るということは、この先も同じようなことを可能ということになる。
つまり禅譲や易姓革命というシステムではなく、外戚がそのまま乗っ取ることも可能になるということだ。
そうなれば皇帝の権威は否が応でも失墜することになる。
でも、それなら劉寵は何でそんなことを推し進めようとしていたんだ・・・?
「それはあのデブ帝(霊帝)の倅が継ぐぐらいなら、自分の外孫の方がマシという考えだからだろうさ」
「ま・・・まぁ、今のところデブ帝の倅しかないね」
「それでもって劉寵は娘はいるが息子はいねぇ」
「成程」
「ボンちゃん! 納得しないで下さい! 良いか! 今は良いがこの先、劉寵に息子が生まれる可能性だってあろうが!」
「その場合は断ればいいだけだろ。それでボンちゃんは外戚代表で丞相だ。どっちみち悪くねぇ」
「この凶賊! 悪いに決まっているだろ!」
「うるせぇな・・・。だから腐れ儒者ってのは融通が利かねぇって言われるんだ」
「な、何を・・・」
「ちょっと待って・・・」
最後に僕は二人の言い争いを遮り、密かに考えていたことを打ち明けることにした。
これなら問題ない筈だからだ。
「・・・何をしようというですか? ボンちゃん」
「ズバリ禁中並公家諸法度。・・・いや、この場合は皇室典範ってやつ?」
「ぶっ!」
「ば! 馬鹿! 正気の沙汰じゃねぇ!」
今度は二人が連合を組んで僕を攻撃してきた・・・。
・・・・・・何で?
「以前だって同じようなことをした筈じゃないか。でも、そこまで批判しなかったでしょ?」
「・・・あれは密勅という形だからですよ。公ということになれば話が違います」
「え? どういうこと?」
「あのなぁ・・・。いいか!? そんなことをしてみろ! 法が公的に帝を縛るということだぞ!」
「何が問題? それにジンちゃんは法家だから賛成じゃないの?」
「あくまでそれは民に対してです・・・。帝には当てはまりません」
「何故?」
「帝は天から許しを得た者です。それでは天が帝に対し、勅を与えたと同じことに・・・」
「・・・それの何が問題?」
「先程もありましたが、それでは帝の権威が法に劣るということに成り得ます」
「それでいい」
「・・・・・・嗚呼」
「完全に現代日本人の発想だな・・・」
いや、これを先例にしてしまえば問題ない筈ですよ?
大体、皇帝が好き勝手にやらないようにした方が、どうみても暴走に歯止めをかけることが出来る訳ですし。
確かに逆もまたしかりで、現代日本みたいになると・・・。
ま、こればかりは仕方ないか。要はどっちがマシということですし。
「前回は密勅という形だから失敗した。しかし、今回は二人に正式に要求する」
「・・・二人というのは劉協と劉恒のことですね」
「当然だ。劉弁は偽者なんだからね。で、これも正式に劉弁を偽帝として名指しする」
「・・・けどよ。そうなると劉寵はアテに出来ねぇぜ」
「協力してくれなくても邪魔にならなければ良いよ。問題なのは劉繇の方だし」
「劉繇というより、元黄巾の連中だろ?」
「ま、そういうこと。で、君達二人にはちゃんと司政として・・・」
「ちょい待ち。そりゃ無理だ」
「どうして?」
「どうしてって・・・腐れ儒者。コイツに話してねぇのか?」
「・・・・・・」
え? ジンちゃん何を隠していたの?
というか、何が無理なんだ?




