第百二十五話 范増疑獄事件
皇甫嵩がここを発ってから数ヶ月が経ち、秋となった。
僕は練師を鄭玄らの受講生の一人にし、連日勉学に励む毎日となっている。
以前は兄弟子の周不疑に補足を教えるだけだったが、今では僕が練師に教えを請われる身となった。
才女と言われている女の子に教えることが出来るなんて、これを役得と言わずして何だろう。
「兄ぃ。また鼻の下を伸ばして歩いているやん。あまり腑抜けになられても困るで」
「しょ・・・小督!」
酒酔いキャラの妹である小督が帰宅途中、いつもこうして冷やかしてくる。
いや、実際には酒は飲んでいないけどさ・・・。
「お、お前こそ少しは勉学に励め。武ばかりで学が無ければ、どこぞの部下に暴力を振るうような乱暴者になるぞ」
「誰やねん。それ?」
張飛くしゃみでもしているかな?
ま、どうでもいいか・・・。
「そないな事よりも兄ぃも少しは武芸でもしぃや。折角のええ別嬪さん守れないやないの」
「ば・・・馬鹿。そうならないようにするのが私の役目だ。一番重要な事は戦さをせぬことだぞ」
「へいへい。ま、ええって。ウチが二人とも守ってやるさかい」
そういうと小督は何かに気づいたようで、途端に凄い勢いで走り出した。
「一体なんだ?」と思った途端、後ろから金切り声で怒鳴られた。
「竹千代! 小督を見ませんでしたか!?」
「は・・・母君。小督ならあちらへ走っていきましたが・・・」
「あの子ったらまた琴をサボって! このようなことではお嫁に行けませんよ!」
「・・・はぁ」
「貴方も貴方です! 小督を甘やかす変な者を屋敷に連れ込んだりして!」
「・・・・・・」
そんなのとばっちりだ!
僕は鐘離権を招いてはいないぞ!
・・・と面と向かっても無駄だろうな。うん・・・。
「それよりも母君。小督を追わなくて宜しいので?」
「そ、そうでしたね。しかし、良いですか! これ以上、あの子を甘やかさないように!」
「・・・はい」
別に僕が小督にどうこうした訳じゃないのに・・・。
てか、小督って孫尚香の路線まんまだな。
孫尚香の代わりにスケベ親父の嫁になったりして・・・。
「・・・竹千代君が羨ましいですわ」
ヒステリー教育ママの劉煌が小督に負けないぐらいの猛スピードで走り去った後、練師がポツリと呟いた。
「僕が羨ましい・・・?」
「はい。私にも兄弟がおりましたが、皆流行り病に罹ってしまい、私は一人だけになってしまいましたので・・・」
「しかし、君にも母御がおるではありませんか?」
「おりますが長年の労苦が祟り、現在では歩くのがやっとです。幸い子山(歩騭の字)様のお陰で何とか凌いでおりますが・・・」
「・・・ふぅむ」
いつまでも あると思うな 親と金 ってことか・・・。
実際の僕の両親は僕に全くの無頓着だけど、それはそれで有難い存在だ。
下手すりゃ「高校なんて行かない。中卒でいい」とか言っても多分「あっそ」で終わったかもしれない。
ま、僕の方もあまり強請るようなことはしていないけどね。
パソコンもバイトとお年玉を貯めて買った訳だし。
しかも自作だからかなり安く仕上がった・・・・・・。
あれ? そういえば作成途中でよく分からない部品があったな・・・。
まさか、あの部品が関係しているのか?
「如何しましたか?」
「ん? いや、身につまされると思ってね・・・」
「こ、これは失礼しました」
「いや、謝ることはないですよ」
そう。これは謝られることじゃない。
・・・というより、少しは親孝行した方がいいのかな?
儒教で讃えられるほどの代物は無理ですけど。
三年も親の喪に服すなんて現実的じゃないしね。
親が死んだら三年間のニート確定ですよ。
暫くして歩練師と別れた後、僕は范増のいる屋敷へと向かうことにした。
市井でも色々な噂が飛び交っているが、それらはあまり当てにならないものが多い。
勝手に誰かがでっち上げ、それに尾ヒレがつくことなんて現実世界でも普通にあり得るものだからだ。
「待っておったぞい」
「うむ。亜祖父よ。手紙を貰ったが随分と情報が入ったようだな」
「そうじゃ。どうやら劉協は劉恒と組むつもりはないらしいのぉ」
「・・・そうか」
「仕方あるまい。韓遂が劉恒の支持に回ったのもあるが、涼州軍閥の連中も面白くなかろうて」
既に偽皇帝の劉弁討伐の檄文は各地に広がり始めている。
対する劉弁陣営も負けじと檄文を飛ばしている状況だ。
ここで現在の陣営の主な状況をみてみよう。
劉弁陣営
何進 董卓 袁術 袁紹 公孫度
劉協陣営
馬騰 劉焉
劉寵陣営
張角 劉繇
劉恒陣営
丁原 劉虞 韓遂 廬植
劉表、劉岱、劉普といった王や曹操を始めとする太守は現在の所、日和見の状態の者が多いらしい。
近い所では巴郡、巴東郡、巴西郡の三太守や漢中郡の張魯、涪陵郡の皇甫堅も同様のようだ。
ま、僕の陣営も現在は日和見に近い状況な訳ですが・・・。
ただ、涪陵の皇甫堅は親父の皇甫嵩が劉恒についている筈なので、近い内に劉恒支持を表明するかもしれない。
個人的には劉協は致し方ないとしても、劉寵と劉恒の間は何とか取り纏めたい。
そうすれば確実に一番大きな勢力となるからだ。
そして何よりこちらにとって一番都合が良い形となる。
そうなれば日和見の劉岱、劉表、曹操、張魯らもこちらに靡く筈だ。
上手く行けば孫堅も袁術を見限り、こちらにつくことも考えられる。
あと韓遂が劉恒側についた大きな理由として董卓との領地争いがあるらしい。
丁原も董卓の間に領地争いの火種があり、それが理由で董卓がいる劉弁陣営から抜けたとのことだ。
他にも軍閥や豪族らも同じような領地争いが大小問わずあり、どちらかの側に付くことで問題に終止符を打ちたいんだろう。
そこには当然ながら漢室に対する忠義なんてものは存在しない。
暫く范増と色々な策を出し合い、大体二時間ほど経った時のこと。
いきなり屋敷の外が騒がしくなった。
十数人ほどの男の声や馬の嘶きも聞こえる。
何があったんだろう?
そう思った途端、急に部屋の扉が開いた。
そこには衛兵らしき数人の男がおり、更にズカズカと部屋の中に入ってきた。
・・・何なんだ?
「臨時長史! 謀反の疑いで召し捕る! 大人しくお縄につけ!」
すると衛兵の中で一番偉そうな奴が急に声を荒げ、范増にそう告げた。
当の范増はというと鼻をフッと鳴らし、衛兵にこう答えた。
「儂は逃げも隠れもせんわい。何処へでも連れて行け」
范増が謀反? 意味が分からん。
「待て! 臨時長史に対し、そのような無礼は許さんぞ!」
僕は咄嗟に声を振り絞り、隊長らしき男に叫んだ。
すると男はこう答えた。
「臨時長史はあろうことか軟禁していた男を勝手に逃亡させた疑いがあるのです」
「・・・えっ?」
「そしてあろう事か、竹千代様を人質にし、逃亡をしようと企てたのです。これは紛れもなく謀反ですぞ」
「・・・・・・」
軟禁していた男とは皇甫嵩のことだろう。
しかし、何故それがバレたんだ?
いや、それ以前に僕を人質にとるとか・・・。
「そ、そんな筈はない! 何かの間違いであろう!」
「間違いではありませぬ! これは上使君、直々の命令ですぞ!」
「なっ!?」
「上使君からは誰であろうと邪魔する者は容赦せぬように命ぜられております! 竹千代様といえど、その例外ではない!」
「ばっ! 馬鹿な!」
「騒ぐな! 孺子!」
最後に怒鳴ったのは両腕を縛られた范増だった。
そして、范増は続けざまにこう吐き捨てた。
「儂はどうせ老い先短い身じゃ! 捨ておけ!」
「・・・い、嫌だ。亜祖父が連れて行かれたら僕は・・・」
「たわけ! ここで婦人の仁を持ち出してどうする! 儂と一緒に黄泉路に旅立ちたいのか!」
「・・・・・・」
「おい! 牛頭馬頭ども! さっさと連れて行け! こんな孺子のツラを見ていたら反吐が出るわい!」
そして范増が連行された部屋に僕はポツンと取り残された。
まさかフクちゃんがここまでしてくるとは・・・。
僕は頭が真っ白になり、暫くその部屋で何も出来ずにいた。
「しっかりして下さい。ボンちゃん」
ふと頭の中で声がした。
あれから幾何の時が流れたのやら・・・。
「ああ、ジンちゃん」
「范増のことは致し方ありません。しかし、范増の死を無駄にしない為にも・・・」
「ま、待って。それって范増を見殺しにしろってこと?」
「当人は覚悟の上でしょう。ならば范増の忠義を無駄にしてはなりませんよ」
「・・・いや、見殺しにはしない。させるものか!」
「しかし、どうしようというのです?」
「・・・・・・」
恐らくフクちゃんは范増だけでは済まさないだろう。
とすれば、次の粛正の対象は鄭玄あたりの儒学者達だ。
下手すれば王儁も危うい。
そして粛正させた後、内政での不満を外征で補おうとするだろう。
現代でも内政の不満を外に向けさせ誤魔化すことなんて珍しくない手法だ。
既に兵数は満ち足りているし、劉繇を無視する形で張梁、張宝の軍勢を唆すかもしれない。
そうなればいやがおうでも劉寵も呼応し、一気に洛陽まで軍勢を進ませることは可能だろう。
だけど、そんなことをしたら洛陽は炎に包まれる危険性が高い。
それに大勢の死者も確実に出る筈だ。
そして劉弁だけでなく、難癖つけて劉恒も殺しかねないか・・・。
いや、それ以前に文恭に命じるとかして、まず僕を軟禁状態にさせるかもしれない。
他にも歩練師を脅しの材料に使うかもしれない。
そうなったら范増のいない今、僕のとれる行動は皆無だ。
「・・・ジンちゃん。どうにかしてフクちゃんは止められないものかな?」
「・・・出来ないこともないですが」
「出来るの?」
「はい。しかし、ボンちゃんに相当な負担が掛かります」
「構わないよ。ここで好き勝手にされたら意味がない。でも、負担って何?」
「私が一時的に司政の体を乗っ取ります。問題はその後です」
「だから、どんな問題?」
「現段階では私が同化するには時間が掛かり過ぎるのです。一時的に意識を乗っ取ることは可能ですが、完全に同化するには数年以上の歳月が必要です」
「それで?」
「その間、司政の体は休眠状態となります。となれば、その留守をボンちゃんが全てカバーしなければなりますまい」
「・・・確かに重労働になるな」
「それともう一つ。乗っ取るには司政の体に触れなければなりません。しかし、あの凶賊も警戒しているでしょう」
「・・・・・・」
現在、司政は就寝中、誰も近づかせないことを法律にしている。
これは親族も同様で、背けば即座に死罪となる。
事実、長年に渡り奉公してきた使用人が就寝中に布団を掛けた時、いきなり司政に斬られたらしい。
なんか曹操にもそんなエピソードがあったような・・・。
「・・・で、如何しましょう?」
「やるよ。幸い僕は小さく軽い体だ。荷物に紛れて潜むことも可能だろうし」
「ですが、手筈を整えることが可能な范増は既におりませぬ」
「・・・・・・いや、もう一人いる。不安だが賭けるしかない」
もう一人とは范増以外に実情を知っている人物となる。
そう雲房先生こと鐘離権だ。
だけど、いつもあの調子だからなぁ・・・・・・。




