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外伝79 南蛮放浪記その5


「そいつは本当かい!? 柱天候が禿竜洞に攻め込んだってのは!?」

 

 宴会の三日目、祝融は柱天候が禿竜洞に攻め込んだということを木鹿大王から聞き激高した。

 祝融が激高した理由は柱天候こそ両親の仇だからだ。

 

「ああ。今頃、泉の中で溺れながら骨まで溶けている筈だろうぜ。どうだ? せいせいしたろ?」

「冗談じゃない! この手で奴の首をカッ斬ってやると誓ったんだ! こうしちゃいられない!」

「あ、待て。何処へ行くんだ? 酌ぐらいして・・・」

 

 あからさまに人妻に酌をさせようとする木鹿大王を無視し、祝融は孟節がいる屋敷に向かった。

 孟節は下戸な上にバカ騒ぎが苦手であり、弟夫婦の婚礼の儀を済ませた後は屋敷に籠っている。

 因みに途中、楊鋒の女兵士達に色目を使う夫の片耳をムンズと掴み、無理矢理同行させた。

 

「義兄さん! 出てきておくれ! 兵を借りたいんだ!」

 

 ぐでんぐでんに酔っ払った孟獲の片耳を引っ張りつつ、祝融は屋敷内で大声を張り上げる。

 痛がる夫は人質という訳ではないが、それに近い意味合いを持つ。

 

「なんですか? 騒々しい」

 

 現れたのは孟節ではなく、参軍の呂凱であった。

 呂凱は二人の光景を見た途端、思わず噴き出しそうになった。

 仮にも新婚の二人が獄卒と惨めな罪人にしか見えなかったからだ。

 しかも獄卒側の方が妻だからおかしくない訳がない。

 

「・・・オホン。それで何用ですか?」

 

 呂凱は咳払いして誤魔化し理性を保ったが、一方の祝融は激高して理性なぞ微塵もない。

 

「今すぐ柱天候をブッ殺しに行く! 兵を貸しな!」

「彼奴はその内、禿竜洞にて死を迎えるでしょう・・・。我らは・・・」

「グズグズ言わずに貸せばいいんだよ!」

 

 呂凱はすぐに祝融の激高ぶりからして、瞬時に柱天候こそが祝融の仇であることを察した。

 だが、個人的には許可しようとしても、出来ない理由が呂凱にあった。

 

「・・・残念ながら許可は出来ません」

「何故だい! 普通に禿竜洞に援軍を出すだけじゃないか!」

「・・・したくても出来ないのです」

「だからどうして!?」

「現在、永昌郡の劉冑が岐路に立たされております。本来ならすぐにでも永昌郡へ向かいたい所ですが・・・」

「え? じゃあ・・・」

「勿論、貴方の婚姻の件もありますが、兵にも鋭気を養わければなりません。そこで託けて宴会をさせたのです」

「・・・・・・」

 

 呑気に宴会をしているぐらいなので、援兵は確約されたものだとばかり祝融は勝手に解釈していた。

 しかし、事情は全く異なっていたのである。

 

「呂凱殿。ちょいと良いかね・・・?」

 

 呂凱の背後から現れた人物が徐にそう話しかけた。

 その人物はやつれており、見た目は壮年にも見えるが実際はまだ青年と言って良い年齢の男だ。

 

「孟府君・・・」

「私は正式な建寧太守ではない。孟節で良い」

「いえ。上使君から正式に貴方を太守に命じたのです。故に府君と呼ぶに・・・」

「・・・ならば建寧太守として許可を出しても良いな」

「・・・ぐ」

 

 孟節は力が人並み以前だが、芯の強い男だ。

 それに力がない以上に知識があり、医術にも長けている。

 ただし、南蛮は腕っ節が強い方が上とされるため、弟の孟獲に軟禁されてしまったのだ。

 

「呂凱殿。今や祝融君は私の義妹だ。それは分かりますな?」

「・・・そ、それは」

「・・・となれば、義兄の私にとっても仇だ。兵を出しても宜しかろう?」

「・・・・・・」

「ただし、兵の数は三千だ。それならば支障は出ないでしょう」

「確かにその数であれば・・・」

「聞く所によると、嘗て上使君の旗下の武陵太守、張府君(張任)は武陵蛮精夫の沙摩柯に仇を討たせてやったという」

「その話は聞いたことがあります・・・」

「私もそれに倣い仇を討たせてやりたい。仇を取る権利は、漢人も蛮も関係ないという上使君の意思でもあろうからな」

「・・・御意。急ぎ、三千の兵を再編させます。祝融殿。存分に仇を討たれよ」

 

 その途端、祝融は号泣し、何度も孟節に対し叩頭の礼をした。

 そして、その横では孟獲が鼾をかいていた。

 

「全く・・・どうして兄弟でこうも出来が違うんだろうね!」

 

 翌日、祝融と孟獲の夫妻。そして楊鋒を加えた三人は三千の兵を率いて一路、禿竜洞へと向かった。

 因みに孟獲は祝融の嫌味の攻撃の餌食になりながらである。

 昨日の失態が原因なので、自業自得としか言い様がない。

 

「こんなことならアンタの兄貴の嫁になれば良かったよ」

「・・・それは無理だ」

「なんでだい!?」

「・・・俺からは言えぬ」

 

 執拗に夫よりも兄の孟節の方が出来た人物なので、祝融は孟節が後を継ぐべきだと夫を詰る。

 だが、孟獲はそれにはダンマリを決め込んで我慢するしかなかった。

 

 後日、祝融は孟節本人に聞かされるのだが、その理由は幼少期に罹った熱病が原因である。

 幸い一命は取り留めたのだが、それにより子孫が残せない体となってしまったのだ。

 所謂、医学的に言えば勃起不全というものだ。

 子孫を残せなければ跡取りにはなれないのである。

 そして、それが孟節を医術の道へと誘った理由でもある。


 祝融らが率いる軍勢は、出立してから十日過ぎほどで禿竜洞付近へと辿り着いた。

 祝融は特に考えもせず先走りそうになったが、これは孟獲ではなく父の友人であった楊鋒が止めた。

 

「祝融よ。焦ってはならぬ。必ず仇は取らせる故、まずは落ち着くのだ」

「すぐそこに奴がいるんだ! 落ち着いてなんかいられるか!」

「ここは場所が場所だ。それにお前まで冥府に旅立たれたら、俺がお前の父親に会わす顔がない」

「・・・う。じゃ、じゃあどうする気だよ」

「そうだな・・・。柱天候の奴は用心深い。それにこの視界ではな・・・」

 

 辺りは硫黄の臭いで充満し、そこかしこで高温の間欠泉が飛び出す地である。

 そのため、蒸気があちこちで湧き出ており、それが視界を阻む。

 そのような場所なので、当然ながら草木はまばらで、殺風景な赤茶色の岩石だらけの場所だ。

 日本で言うところの地獄谷のような場所と言えば分かりやすいだろうか。

 

 楊鋒は考え抜いた挙げ句、梟飛きゅうひという渾名の女兵士を呼んだ。

 文字通り夜目が利く上に素早く、夜襲や夜間偵察には欠かせない女である。

 弱点があるとすれば顔の半分に特徴的な青痣があるので、色仕掛けはまず不可能といったところだろう。

 

「あちきに用とは何です? 頭目」

「お前に祝融のために一役かってもらいたい。やれるか?」

「祝の姐さんの為ならえんやこらだ。合点ですよ」

「・・・そうか。ならば夜陰に紛れて朶思大王の元へ行け」

 

 朶思大王の元へ向かわせたのは当然のことながら連絡もあるが、それ以上に南蛮随一の知恵者ということがある。

 丑三つ時の頃、梟飛は足を忍ばせて禿竜洞へと入り、朶思大王に事の次第を申した。

 

「あのシブチンの孟獲が、援軍をわざわざ遣わせたというのはそういう理由からか。面白いな」

「朶思の頭目。そんな訳で良い知恵があるんでしたらお願ぇします」

「俺を誰だと思っている。まぁ良い。孟獲の貸しにしてやろう。今から言う事をちゃんと憶えておくんだぜ」

 

 柱天候の軍勢は禿竜洞から約十里(4km)ほどの拓けた場所に駐屯している。

 そこは言わば地獄の門の手前みたいな場所で、硫黄などの影響はまだ少ない所だ。

 そこから南に約五里の場所へ誘き寄せ、そこで戦いを仕掛けるよう話した。

 

 そこには目印になるものとして、蛇頭岩と呼ばれる少し形が変わった高さ二丈(約3、5m)ほどの岩がある。

 これは頂上が丁度、蛇が鎌首をもたげたような形に由来する。

 そして、その周辺は岸壁に囲まれた回廊となっており、大軍は展開しにくい。

 

 ここまでは相手が多数の場合に採用される通常の戦術だ。

 ただ朶思大王は他にも考えがあるようで、蛇頭岩から少し後退した位置に陣取れという。

 必ず相手を誘う時間は「太陽がやや傾きかけた頃合いを見計らえ」というおまけつきだ。

 梟飛は首を傾げ時間指定の理由を聞いたが、朶思大王は不敵な笑みを浮かべるだけだ。

 更に誘き寄せる方法として、朶思大王は思わぬ秘策を考え出したので、梟飛にそれを教えたのであった。

 

 その数日後、柱天候の軍勢の前に前代未聞の軍勢が現れた。

 規模は数十人程度だが、全て遠目からでも明らかに女性と分かるからだ。

 何故、分かると言えば全員、乳房を露出しているからである。

 それだけでなく、体中の露出している箇所には赤い模様が塗られている。

 これは復讐を誓うという意味合いが込められているものだ。

 

「柱天候はいるか! いるなら出てきやがれ!」

 

 声を張り上げたのは当然ながら祝融だ。

 

「ここにいるウチらは皆、てめぇが殺した両親や夫や子供の仇を討ちに来たんだ! 素直に首を差し出しやがれ!」

 

 これは当然ながら大嘘ではあるが、何らかの理由がない限り本来なら女は戦場には出ない。

 それ故、もっともらしい事を並べ立てて誘き寄せよういう算段だ。

 相手は女日照り続きの狼どもなので、雑兵は我先に来るだろうが、用心深い柱天候が食いつかないと意味が無い。

 

「ハハハハ! こいつぁいい! 丁度、不味い飯を喰うだけに飽き飽きしてきたところだ!」

 

 真っ先に柱天候の配下である王武が声を張り上げた。

 そして我先に女どもがいる軍勢に向かった。

 王武の兵も同様に走り出し、その数は女達の軍勢の五倍以上はある。

 そのせいもあってか、威勢の良い啖呵をきったのにも関わらず、女達は一目散に逃げ出した。

 

「やい! 王武! テメェだけ女にありつこうとはどういう了見だ!」

 

 同じく柱天候の腹心、程処も負けじと兵を引き連れて追撃を開始する。

 こうなれば正しく雪崩の如くである。

 

 ただ一人だけ柱天候だけは危機感を憶えていた。

 だが、ここで止めようにも既に止められる状況ではない。

 留まったとしたら余りにも少ない兵となり、敵の奇襲に対応出来ない。

 故に仕方なく殿軍として続くしかなかった。

 

「・・・何だ? ここは?」

 

 途中、柱天候は回廊にて奇妙なことに気がついた。

 晴天が続いているのにも関わらず、回廊の道が泥濘ぬかるんでいるからだ。

 しかし、注意しようにも皆、女のことに無我夢中でそれどころではない。

 

 そして三十分が過ぎようとした所であろうか、先頭で走っていた連中が脚を止めた。

 そこには女ではなく、屈強な男達が待ち構えていた。

 

「やい! 柱天候! 女どもは渡さんぞ! 女どもが欲しければ、この孟獲を倒してからにしろ!」

 

 待ち構えていた男達の先頭にいたのは孟獲であった。

 ここで良いところを見せなければ、後で妻に何を言われるか分からないので、孟獲も必死だ。

 

「何だと!? 孟獲だ!? 俺らは漢軍であり、益州牧の軍であることを知らないのか!」

 

 王武が声を張り上げると孟獲は不敵な笑みを浮かべた。

 妻に比べれば可愛いものである。

 

「ふん! 今更、劉焉なんぞ怖れると思うか!? ヘソで茶を沸かせる気か!?」

「何だと!?」

「俺、いやこの地の者どもは、既に全て上使君に帰順したのだ!」

「ふざけるな! 司護は天下の大反逆人だぞ! 天を怖れぬ畜生だ!」

「ワハハ! こいつは片腹痛い! 天を怖れぬのは漢帝のことだろうが!」

「なっ!?」

「上使君が天を祀っているからこそ民が安寧に暮らせているのだ! テメェらが忠臣とか抜かすなら、さっさと都でも行って禅譲の用意でもしてこい!」

 

 司護本人が聞いたら慌てて止めるであろうが、当の本人はいない。

 とは言っても「天変地異を防いでいるのは司護」という噂を広めているのは、本人も了承済みでもある。

 本来、帝こそが鎮護する役割なのだから、そういうことを並べ立てられても致し方ないのである。

 

「言いやがったな! あの謀反人どもを始末しろ!」

 

 女どもがいない腹いせもあり王武、程処の二人は兵に突撃命令を下した。

 兵もその先には女がいると思い込んでいるので、当然ながら我先に孟獲らに襲いかかる。

 しかし、孟獲の兵は皆よく訓練されており、襲いかかる兵を次々と長槍で串刺しにしていく。

 更に回廊の広さはせいぜい三丈弱(5m)ほどなので、すぐに膠着状態に陥ってしまった。

 

 戦うこと三十分ほどであろうか。

 回廊の辺りから奇声に似た音と蒸気が包み始めた。

 

「うぎゃっ!? 何だ!?」

「熱い! ひいっ!」

 

 回廊のあちこちから間欠泉が噴き出したのだ。

 密集した所に熱湯が次々と浴びせかけられれば、混乱するのは必定である。

 

「ワハハ! 良い気味だ! それ! つまみに矢でもくれてやれ!」

 

 孟獲は背後にいた射手達に号令すると、射手達は次々に矢の雨を降らせる。

 哀れ王武は流れ矢で即死し、程処は転んだ後に味方の兵達に踏まれて死んでしまった。

 

 一方、柱天候は殿軍であったことが幸いし、我先に回廊の外へ出ることが出来た。

 だが、そこで待っていたのは誰であろう祝融と朶思大王の兵達であった。

 

 祝融が出口にいた理由だが、これは瞬間移動というものではない。

 回廊の一部に数人が隠れられるほどの穴があり、そこに隠れていただけのことだ。

 そして、頃合いを見て出てきただけのことである。

 

「くそっ! こんな所でくたばってたまるか!」

 

 柱天候は味方の兵を繰り出し、逃走路を確保しようとするが、今度は矢ではなく毒蛇が降ってきた。

 毒蛇に慣れた朶思大王しか出来ない芸当である。

 なおも諦めの悪い柱天候は逃げようとするが、やはり最後は祝融に討ち取られてしまったのである。

 

 柱天候の軍勢が大敗した同じ頃、隣の永昌郡では劉冑の軍勢に兀突骨らが合流し黄元を討ち取っていた。

 更に余勢を駆って劉誕の軍勢に勝利し、ここに劉焉の南蛮制圧の目論見は頓挫される。

 これにより劉焉は交趾から撤退を余儀なくされたのであった。


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