外伝76 南蛮放浪記その2
楊鋒、木鹿大王を味方にした周魴ら一行だが、兵の数はそれでも五千に満たない。
反乱軍の数は一万未満の軍勢なので、あともう一押しが必要だ。
そのもう一押しとは、孟一族が保有する兵である。
問題は孟一族の孟獲、孟優兄弟が劉焉寄りなので、これをひっくり返す必要がある。
そうなれば長兄の孟節が再び当主となり、反劉焉の筆頭となるだろう。
現在、西に位置する隣の永昌郡でも黄元が反乱を起こし、劉焉の討伐軍は専らそちらの鎮圧にあたっているため、これは追い風となっている状況だ。
ただ本来ならば黄元に近づき、共に反劉焉の旗を揚げたいところだが、そう上手くはいかない。
何故なら黄元は漢人であるだけでなく、異民族の村を次々と略奪して回る凶賊だからだ。
反乱を起こした理由も身勝手な理由からであり、呉越同舟をするにしても無理がある。
そして周魴には、やや困ったことになっていた。
当初の予定では興古郡の北部を放棄し、興古郡南部と扶南郡北部を南詔郡として統治する予定である。
しかし、このままだと興古郡北部にも進出せざるを得ない状況となる。
だが楊鋒らの居る地域は、興古郡の中央からやや北部に位置した場所のようだ。
「ちと出しゃばった真似をしてしまったようだ…。しかし今更、反故にする訳にもいかぬか…」
元々、益州南部は秘境の地にて、地図も正確ではない。
しかし、このままでは不用意に戦線拡大させる怖れもある。
「どの道、劉焉とは対峙することになるのだ。その為には周辺の蛮民を結束させねば成らぬ。ま、それに俺の首が飛べば良いだけかな」
周魴は剛胆な性格であるが故、それ以上は考えないようにした。
無責任なようであるが、現場と中枢で食い違うことは往々にして特に珍しくない。
ここで興古郡や永昌郡における状況について説明しておきたい。
反乱軍と対峙する劉焉の討伐軍は、若い黄権を筆頭に雷銅、呉蘭を副将として南下していた。
途中、羽嬰と共に劉焉に降った建寧郡の現太守雍歯、その配下の雍闓、朱褒、高定、鄂煥。
そして羽嬰の部下であった王武、程処、柱天侯らと合流し、総勢三万余りに膨れあがっていた。
本来なら、この軍勢は交趾郡へ向かう予定であったのだが、興古郡の反乱のせいで急遽、進路を変えざるを得なかった。
まだ若い黄権が抜擢された理由だが、韓信の推挙があったことと、もう一つ理由がある。
時、同じくして永昌郡でも黄元が蜂起したので、そちらに劉誕らが軍勢を率いることになったからだ。
このため早急に平定をしなければならない状況に陥っている。
黄権は戦わずに矛を収めるべく、反乱を起こした兀突骨らを赦免し、帰順させようとした。
これに対し、王武、程処、柱天侯らが激しく抵抗したのだ。
ただし、これは羽嬰に対する恩義からではなく、兀突骨らから害される危険性があるため、自身らの命を案じてのことである。
そこで次に黄権は、孟獲が実質的な長となっている孟一族へ使者を出し、協力を求めることにした。
だが孟獲は隣の永昌郡での反乱を理由に断ってきたのだ。
確かに孟獲の領地は永昌郡に近いのであるが、それは表向きの理由であり、本当の目的は自身らの存在価値を高めるためである。
その一方で兀突骨らの勢力であるが、こちらは先程にも申した通り規模が一万にも満たない勢力だ。
だが皆、密林などに慣れた地元の兵であり、ゲリラ戦に長けた連中なので、どうにも厄介な相手である。
特に首謀者の兀突骨の武力は秀でており、羽嬰が自慢していた猛者三人を一人で倒してしている。
次いで永昌郡の状況なのだが、太守は広漢郡の葭萌県にて県令をしていた祝亀という文人肌の人物だ。
特に汚職とかはないのだが戦いに疎く、また極度な事なかれ主義でもあったので、これが原因で黄元の反乱を招いてしまった。
この事についても少し触れておきたい。
黄元は元校尉で、勇猛だが横暴で短慮という人物だ。
自分の地位を笠に着て、哀牢夷と呼ばれる異民族の周辺の村を略奪して回っていたのだが、祝亀は当初それを見て見ぬ振りをしていた。
だが、哀牢夷らの不満が暴発すると、流石に祝亀は不味いと思ったのか黄元を更迭しようとした。
ところが、そのことが黄元の耳に入ってしまい結果、祝亀は逃亡し、黄元は永昌王を名乗ってしまう。
これに対し、哀牢夷の精夫の一人である劉冑が黄元に対し、抵抗しているという状況である。
話を元に戻そう。
既に司護の元から二ヶ月ほど経過し、時は十月の中旬となっていた。
周魴もただ無為に月日を経過させている訳ではなく、楊鋒を介して孟獲に使者を送っている状況が続いている。
ただそれも特に効果はなく、悪戯に時間が過ぎていくだけだ。
「…ううむ。やはり自ら赴いた方が良いか…。しかし…」
流石に剛胆な周魴も少し焦りが生じてきたが、孟獲は劉焉との接触を断ってはいない。
それ故、この段階において劉焉との全面的な衝突を避けるためには、司護の存在を隠しておくことが必要である。
そのことが周魴に二の足を踏む原因となっていた。
そんなある日のこと、周魴に会いたいとある人物が来訪してきた。
聞けば永昌郡において従事中郎をしていたが、黄元の反乱で逃亡してきたという。
そこで永昌郡の現状も探りたいため、周魴はその人物と面会することにした。
見るとまだ若く、周魴らと同世代の男である。
「某、永昌郡不韋県の生まれにて、姓は呂、名は凱。字は季平と申します」
すると周魴と同席していた顧悌が声を上げた。
「その名には聞いたことがあります。もしや秦の名臣、呂不韋の御末裔であらされるか?」
すると呂凱は少し俯いた。
呂凱にとって呂不韋の末裔であることは、最も誇らしいことなのだが、それが俯かせた理由だ。
「はい。ただ、父祖には申し訳ない限りですが…」
「何故、申し訳ないのですか?」
「先の府君(祝亀)に『黄元を速やかに誅殺せよ』という助言を聞き入れて貰えず、悪戯に乱を引き起こしてしまったからです」
「…しかし、それは君の責任ではあるまい」
「私の一族は代々、永昌郡にて孝武皇帝陛下(武帝)からこの地を任され、異人らを教化し、安寧に統治して参りました」
「…ふむ」
「しかし、私の力量では到底及びませんでした」
「……」
「自害することも考えましたが、この地に上使君の使者がいると聞き及び、こうして参った次第です」
「…ま、待て。一体、誰から聞いたのかね?」
最後に発言したのは周魴である。
周魴はなるべく周囲に漏らさぬよう心掛けていたのだが、どういう訳か漏れていたからだ。
「はい。支謙殿と申す若い僧の方でございます」
「なんと!?」
支謙は既に永昌郡周辺にて布教活動を行っている。
ただし、単に仏教の布教ではなく、現地の土着信仰と融合した形にして布教しているので、哀牢夷らの受けも良い。
いわば独自の神仏習合路線といったところか。
「それ故、支謙殿から『貴方々にお会いせよ』と…」
「おかしいな…。支謙殿のことは聞き及んでいるが、我らがこの地に来ていることは…」
「風の噂で、化け物瓜のような乳房を持ち、身長が九尺を超える女傑がいるから、まず間違いない…と」
「……あ」
大陸広しといえども、趙媼のような女はまずいない。
それを周魴は失念していた。
「アハハハハ!」
周魴は突然、大笑いをし、他の二人を唖然とさせてしまった。
今まで司護の存在を喧伝することを控えていたのが馬鹿馬鹿しくなったからだ。
「…な、何を突然」
「い、いや、気にしないでくれ。だが、それなら堂々と上使君の存在を孟獲に知らせることが出来る」
「…はぁ」
「兎も角、永昌郡に詳しい君を得たことは大いに喜ばしい。まずは歓待の宴といこう」
「その前にお渡ししたい物がございます」
そういって呂凱が取り出した物は「平蛮指掌図」と呼ばれる永昌郡とその周辺の地図であった。
長きに渡り呂凱の先祖が作成、加筆してきたものである。
「これは素晴らしい! これは正しく万の兵に匹敵する代物だ!」
そう叫び周魴が大笑いすると、今度は呂凱と顧悌も釣られて大笑いした。
そして、呂凱を歓待する宴が開かれたのである。
宴には三人の他、帯来洞主、その姉の祝融、木鹿大王、楊鋒、そして趙媼の姿があった。
宴には楊鋒の女兵士らが舞い踊り、伴奏には特有の打楽器が使用される。
そして酒だが、既に量産体制が整った茅台酒が振る舞われた。
これには呂凱だけでなく木鹿大王も大いに喜び、そしてこう言い放った。
「こんな美味ぇ酒を振る舞ってくれる大仁君は古今東西一人だけだ! 孟獲の野郎、四の五の抜かしたら俺がブッた斬ってやる!」
すると新参者の呂凱が木鹿大王に対し、こう述べた。
「木鹿大王君。まず孟獲の前にやらねばならないことがありますぞ」
「おう!? なんでぇ!?」
「孟獲の配下には忙牙長という猛者がおります」
「ハッハ! そいつをブッ殺せば良いのか!?」
「…いえ。なるべくなら生け捕りにし、孟獲を誘き寄せる餌としたいのです」
「それならアタイに任せな!」
最後に言い放ったのは趙媼だ。
腕っぷしには自信のある木鹿大王だが、流石に趙媼には敵わない。
また木鹿大王が操る猛獣達も同じく同様である。
自称乙女の趙媼だが、実際にはキップの良い姐御肌の人物で、今では妹分となった祝融のために人肌脱ぎたいと考えていた。
そこに忙牙長という手頃な獲物が出てきたため、自分を売り込んだのだ。
歓迎の宴の翌日、出兵の準備を進めていると、斥候の兵が戻り事態の急変を告げる。
兀突骨と行動を共にしていた金環三結が兵を率い、俄にこちらへ進路を変更したというのだ。
これは金環三結が、木鹿大王の元へ大量の穀物が運び込まれたという情報を得たからだ。
「面白いじゃないか! まずはそいつを生け捕ってやるさね!」
そう意気込む趙媼だが、それに待ったをかけた者がいる。
妹分となっていた祝融だ。
「趙の姐貴さ。まずはウチに任してくんないかい? 全部を姐貴に任しちゃウチの面目がないよ」
祝融がそう言うと周魴がニヤリと笑い、祝融に策を授けた。
祝融は素直に喜んだが、これに怒ったのは意外にも趙媼であった。
「ふざけんじゃないよ! 乙女の肌を何だと思っているんだい! アタシャ反対だよ!」
顔を真っ赤にして怒った趙媼だが、それに周囲がドッと笑った。
一番、乙女とは無縁と思われる趙媼の発言だったからだ。
更に顔を真っ赤にした趙媼だったが「ふん!」と一言だけ残し、奥へと引っ込んでしまった。
そして周魴の策には逆に趙媼の存在が邪魔になってしまうので、その方が反って都合が良い。
「おい! あっちに桃源郷があるぞ!」
「何だと! 俺にも見せろ! 何処だ!」
数日後、進軍する金環三結の部隊では騒乱となっていた。
途中、滝壺のある泉で水の補給をしようとしたところ、若い女性達が全裸で水浴びをしていたからだ。
食料以上に若い女を飢えていた兵にとって、それは垂涎の的であった。
「こらぁ! てめぇら! 俺を出し置いて何をしていやがる!」
隊長の金環三結はそう言い、覗き見で群がる兵をかき分けると、正しくそこには男にとっての桃源郷があった。
「キャアッ! 誰か覗いているわよ!」
女の一人がそう騒ぐと、女達は我先に陸へと上がりだした。
その様子に更に興奮したのか、金環三結は涎を垂らしながら女達を追う。
「うひひっ! たっ! 堪らねぇ! おい! 逃げるな! 待ちやがれ!」
一番、最後に逃げ遅れた女は、恥ずかしいのか陸に上がると繁みに身を隠した。
こうなれば袋の鼠である。
その繁みにジリジリと金環三結は近づいたのだが、その刹那に何かが繁みから飛んできたのだ。
「うわっ!? なんだ!?」
飛んできたのは主に狩りに使われるボーラというものだ。
それがいきなり飛んできて、金環三結の両足に絡みついたのである。
「ぐわっ」という情けない声と共に金環三結が倒れると、先程全裸だったと思われる若い女性が立ち上がった。
全裸ではないが簡単に胸と胴体に毛皮を巻き、大事な箇所は隠してある。
「全く…本当にこんなに簡単に引っかかると思わなかったわ。男って何処まで馬鹿なのかしら」
そう呟いたのは祝融だ。
自ら囮となり、全裸になって欺いたのである。
「親玉は捕まえたよ! お前たち! 一人も逃がすんじゃないよ!」
慌てふためく金環三結の兵は降参する者が続出するが、中には当然逃げ出す者もいる。
しかし、それらは待ち伏せていた兵や、祝融と共に全裸になり囮となっていた女達に捕まってしまった。
余りにも情けない方法で捕らえられた金環三結とその兵は、そのまま周魴らがいる陣営に連行された。
そして連行された直後、周魴は縄を解くように命令したので、金環三結は目を丸くした。
しかし、理由は縄を解かれたからではない。
周魴の上に掲げられた旗の一文字「司」を見たからである。
その様子を見て、空かさず周魴は金環三結に呼びかけた。
「ハハハ。驚いたかね。如何にも我らは上使君の者だ」
「じょ…上使君? 何故、上使君の者がここにいるのだ?」
「上使君曰く『漢人も蛮人も民は民。蔑ろにする者は、例え宗族でも容赦せぬ』と仰せだからだ」
「…では、本当に上使君がこの地を?」
「当然だ! これは上使君が三皇五帝に誓った命である! 前非を悔い、我らに助力すれば、必ずや報いるであろうぞ!」
「へっ…へへぇ!!」
その場の勢いに屈した金環三結は、先兵となって働くことを選んだ。
金環三結の兵も同様で、その数は八百ほどだ。
こうして八百の兵が無傷で帰順したのである。
その晩、またもや宴が行われた。
これも物資が豊かであるからこそ可能なことだ。
そして宴の中、酒と肉を満喫する金環三結に、彼を捕縛した祝融は意地悪くこう述べた。
「…どうでも良いけどさ。少しは恥ずかしくない訳?」
すると金環三結は悪びれることなく、こう言い放った。
「今まで俺が生きてきた中で一番、良い形をした尻だったからだ。他の女ではこうはいくまい」
「!?」
逆に顔を真っ赤にした祝融であったが、周囲が大笑いしたので、祝融は負けじと高笑いした。
恐らく趙媼に対する対抗心がそうさせたのであろう。




