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外伝75 南蛮放浪記その1

「くそっ! 面白くないねぇ! なんだってアタイが!」

 

 がなり声を上げながら大股で歩く趙媼は不機嫌そのものである。

 率いる象兵部隊は解散させられ、新参者の朱桓と入れ替わるように別部司馬の役職を外されたからだ。

 

 当初、破竹の勢いで交州を蹂躙していたが、益州の劉焉が韓信を都督とした数万の軍勢を董重の援軍に出したことで事態が変わる。

 これは交趾郡を欲していた劉焉が朝敵討伐の錦の御旗を掲げ、前涪陵郡の太守である張忠と共に号令をかけたからだ。

 これにより、一年近く両軍は交趾の地にて対峙するだけとなった。

 

 散発的に戦いは局地的に発生するものの、両軍は大規模な戦闘を控えている。

 これは劉焉、司護の双方とも大攻勢をかけることを禁止しているためだ。

 そして、交趾郡の太守の士燮に双方とも使者を遣わし、互いに牽制しているのである。

 

 更に皮肉なことに、五年以上にわたる全国的な大豊作が、双方とも数万規模の軍勢の補給を容易にしている。

 特に司護の軍勢は董承らの焦土作戦のため、倍以上の兵糧が必要であるのだが、荊南の特筆すべき生産能力がそれを補っている。

 これが双方ともに読み違いをした結果、この状況に陥ってしまっていた。

 

「仕方がありますまい。密林が多いこの地において攻め手は不利ですからな」

 

 そう趙媼に言ったのは朱桓と同じく新参者の周魴だ。

 そしてもう一人。顧雍の遠戚にあたる顧悌と、腕に自信のある烏滸蛮の兵が十人ほど供をしている。

 

「ふん! アタイの象兵隊がいれば簡単に踏みつぶせるわさ!」

「そうとは限りますまい。韓信はその点を考慮し、底なし沼が付近にある場所に砦を築いております」

「…なんでそんなことが分かるのさ」

「地元の狩人から得た情報です。間違いはないでしょう。もし象の何体かが底なし沼に嵌れば、後続の兵も混乱しますしね」

「ちっ…面白くないね」

「貴女は上使君(司護)のためになりたいのでしょう? それならば、この役目は重要です。共に成し遂げましょう」

「……ふん!」

 

 趙媼は二メートルを超える巨漢であるが、密林を歩くことは手慣れたものだ。

 更に虎や豹と出くわしても奇声を発して威嚇し、問題なく突き進むことが出来る。

 未開の地にてこれより頼もしい護衛はまずいないだろう。

 

 交趾郡の陣営から出立し、十日ほどで一行は交趾郡の西の郡境から興古郡へと入った。

 興古郡は牂牁国南部と建寧郡南部から独立した郡で、正しく秘境の地と言っても過言ではない場所である。

 史実において興古郡は、蜀が建てられた時代に諸葛亮の発案で独立したのだが、この世界においては韓信の立案である。

 また、本来なら建寧郡の名称は益州郡なのであるが、これも韓信の立案で名前が変更されている。

 

 興古郡の太守には、かつて牂牁国にて反乱を起こした羽嬰が任命されていたが、既に殺されていた。

 原因は単純に給料の未払いによる反乱である。

 しかしこれは羽嬰が悪い訳ではなく、興古郡の収入が余りにも低すぎたのが原因であった。

 そこで羽嬰は周辺の異民族の村を手当たり次第に略奪し、金品や女を掠ったのだが、更に悪化させた結果となった。

 

「周魴さん。ここの太守になった羽嬰ってのは、どこまで馬鹿だったんでしょうね」

 

 道すがら通る村々の惨状を見ながら顧悌は思わず呟いた。

 顧悌からしたら理解不能だからだ。

 

「何故そう思うんだい? 顧悌君」

「考えてもみて下さい。花椒の木が良く生い茂っています。ある意味、宝の山ですよ」

 

 花椒とは山椒に近いものだ。

 料理だけでなく漢方薬にも使用されるのだが豊富に採れるので、この地域では高価な代物ではない。

 だが荊南などではそれなりに値段がつき、良質な商品として取り扱われている。

 

 興古郡の中央に位置する所は山地や盆地が多数あり、標高もそれなりにある。

 そしてある日、標高五百メートルほどの廃村へ入った時であった。

 大股でズカズカと歩いていた趙媼がピタリと立ち止まった。

 

「どうしました? 趙媼さん」

「顧悌よ。鳥の鳴き声が聞こえないねぇ…。何か潜んでいやがるね」

 

 趙媼が号令をかけると、瞬時に護衛の兵は周魴と顧悌を囲む。

 そして兵らは皮張りの大きな異形の顔が描かれた盾を構える。

 

「出てきな! 隠れたって無駄だよ!」

 

 趙媼がそう言い放った刹那、上空の方からキラリと何かが光った。

 時、同じくして趙媼は驚くほどの速さで、右手で何かを打ち払った。

 

「…チッ。こんな物で簡単に殺せると思われているんなら、アタイも随分となめられたもんだわ」

 

 趙媼の足下には飛刀が落ちていた。

 いや、叩き落とされていた。

 普通の者なら間違いなく命を落としていたであろう。

 

「キエエエェ!!」

 

 すると今度は甲高い悲鳴に似た奇声と共に、飛刀が放たれた同じ上空から人が飛んできた。

 片足は趙媼の顔面を狙ったのだが、逆に趙媼に掴まれてしまう。

 

「キエッ!」

 

 だが掴まれた瞬間またもや奇声を上げると、もう片方の足で趙媼の胸を蹴り、趙媼から逃れた。

 

「あんた何者だい! てか、女じゃないのさ!」

 

 五メートルほどの木から飛び蹴りをしてきたのは、まだ十代後半ほどの少女の面影を残す褐色の女だった。

 そのせいで体重はまだ軽いのだが、その俊敏性たるや大の大人を遙かに凌駕するほどのものだ。

 

「父上、母上の仇! 覚悟!」

 

 女はそう叫ぶと同時に趙媼にまた蹴り技を繰り出す。

 だが趙媼の強靱な筋肉と、蔦などで補強された皮鎧には意味の無いことだ。

 

「待ちたまえ! 父母の仇と申したが、一体誰と間違えているのだ!」

 

 数分後、攻め疲れをしたところを見計らい、顧悌が女に呼びかけた。

 

「あんたら漢人だろ!」

「ああ、漢人だ。しかし、だからといって君の仇とは限らぬ」

「じゃあ、なんでここに居るのさ!」

「我らの目的は上使君の命により、益州南部を占拠することになったのだ。そういう訳で…」

「ちっ…ちくしょう!!」

 

 女はそういうとワンワンと泣き出した。

 驚いたのは先ほど戦っていた趙媼である。

 そこで趙媼は恐る恐る女に訳を聞いた。

 

「アンタ…何でいきなり…」

「だってそうじゃないか! もっと上使君が早く来てくれれば、ウチらの両親や村の皆は助かったんだよ!」

「……」

「なんでだよ! 上使君ってのは漢人だけじゃなく、ウチらも助けてくれるんじゃないかよ!」

 

 司護には一切の責任はない。

 だが、周りには気まずさが漂う。

 

 そして、暫くして女は泣き疲れたのか、冷静さを取り戻した。

 女は中々の美女であるが、宮中にいるような美女ではなく、野生美といえるような美を備えている女である。

 

「…悪かったわね。確かにアンタみたいな大女はここらじゃいないよ」

「ここらだけでなく、全土を見渡してもいないと思いますがな」

「ほっときな!」

 

 女が言ったと同時に周魴が言うと、それに趙媼が突っ込んだ。

 するとプッと女は吹き出し、笑顔になった。

 

「ここじゃなんだし、アジトを案内するよ。付いておいで」

 

 女はそう言うと、廃村から山の方へと歩き出した。

 一行もそれに従い、山の方へと歩き出す。

 途中、獲物を仕留めるための罠などもあるが、女はそれを全て知っているので、問題はない。

 

「自己紹介がまだだったね。アタイは趙媼。字は氏貞だ。アンタは?」

 

 何気に後ろから趙媼がそう言ったので、女もそれに答えた。

 

「祝融さ。さっきは悪かったわね」

「気にすることじゃないよ。てか、また仰々しい名前だね」

 

 祝融とは火を司る神の名だ。

 それ故、趙媼はわざわざ「仰々しい」とつけたのである。

 

「昔から短気でね。すぐにカッとなっちまうから『祝融』なんて渾名がついちまったんだよ」

「ふぅん…。じゃあ、本当はなんて名前なんだい?」

「もう捨てちまったよ…。ウチはこれが似合っているからね」

 

 祝融と名乗った女は少しはにかんだ。

 自分で言って少し気恥ずかしかったのであろう。

 

 一時間ほど歩くと、鬱蒼とした茂みの中にポツンと空いた洞穴に辿り着いた。

 洞穴は小柄な大人でも少し屈まなければならないほどで、趙媼からしたら、ほぼ四つん這いにならざるを得ない。

 あまりに小さい洞穴なので、趙媼は祝融に愚痴を漏らした。

 

「こんな所が隠れ家なのかい?」

「隠れ家ってだけじゃないのよ」

「…だけじゃない?」

「この辺はウチらだけじゃなく、洞主が当主って訳さ」

 

 この世界において益州南部の異民族が祭祀を行う場所は洞穴が多い。

 そして、祭祀を行う者が当主となるのが仕来りとなるため、洞主が当主となるのだ。

 

 趙媼はブツクサと文句を言いながらも洞穴を進むことにした。

 他の者も同様に進み、二十メートルほど進んだところで、ポッカリと大きな空間に辿り着いた。

 そこは松明が光源で、鍾乳石や地底湖が少し光を反射する少し神秘的な場所であった。

 

 そこには女子供が数十人ほどおり、自然に出来た鍾乳石をやや加工した椅子には少年が座っていた。

 少年は祝融の弟で帯来洞主と名乗り、一同を歓迎した。

 因みに帯来洞主とは名前ではなく、代々洞主となった時に名乗るのが慣例である。

 

 ここで周魴は興古郡において現状を打破すべく、情報収集と計画立案を申し出た。

 すると帯来洞主は少し考えぬいた挙げ句、ある人物を列挙した。

 

「少し自信はありませんが、孟節殿や楊鋒、木鹿大王らしかございますまい」

「どのような連中だ? 帯来洞主殿よ」

「楊鋒の部族は女も勇猛な者が多く、男と共に戦う者が多いと聞き及んでおります」

「…ほう」

「木鹿大王は猛獣を扱うことに長け、それらを操り、人を襲わせる術を会得しております」

「…また面妖な。して、孟節という者は?」

「漢人であり、医術に長け、人徳を施す者と知られております」

「成程。では、孟節殿こそが最も相応しいと言えるな」

「…しかし、孟節殿は一番の問題があります」

「問題?」

「はい。弟の孟獲と孟優という者が劉焉に加担し、孟節殿を幽閉しているとのことです」

「…ううむ」

「そんな奴が何だってんだい!」

 

 周魴が黙り込もうとした直後、いきなり趙媼が叫んだ。

 何故なら趙媼は祝融に同情し、義憤に駆られたからだ。

 

 趙媼も両親と兄がいたが、土地問題を巡る訴訟で当時の九真郡の太守に殺されている経緯を持っている。

 訴訟の相手は漢人の豪商だったのだが、従事である太守の弟に賄賂を使い、逆に詐欺扱いされた挙げ句の果てにである。

 これに怒った趙媼は豪商と太守の弟や役人を殺し、逃亡して荊南まで来たのだ。

 

 因みにこの時、区連とその父親が官吏をしていたのだが、この訴訟案件を無視している。

 故に趙媼は区連に対し、未だに根に持っている。

 

 だが、ここで気をつけなければならない点がある。

 この趙媼の過去は、あくまで当初から植え付けられた記憶に過ぎないということだ。

 本来なら趙媼の出現はもっと後なのだが、予定よりも早めた故、このような記憶が設定されたのである。

 

「まずは楊鋒って奴に話をつけ、その後に木鹿大王なんてご大層な奴を引っ張り出せば良いだけじゃないか!」

「簡単に申すな。趙媼さん。その二人をどうやって味方につける気だ?」

「やい周魴! それはお前の仕事だろい! ゴチャゴチャ抜かすんじゃないよ!」

「……」

 

 呆気に取られると同時に苛立ちを感じた周魴だが、趙媼の言うことにも一理ある。

 周魴は少し考えると、不安そうに見つめる帯来洞主に徐に問うた。

 

「この地では上使君(司護)はどのように伝わっているのかね?」

「上使君ですか…。そりゃ神々から遣わされた聖君と伝わっておりますが…」

「では、上使君の遣いと知れば、二人は協力してくれるかね?」

「楊鋒殿なら可能性は高いでしょう」

「木鹿大王は?」

「かの者は独自の神を信仰しております。故に少し難しいかと…」

「…そうか。ならば利で攻めねばなるまいか…」

 

 周魴は木簡をとり、即座に筆を走らせると、護衛で最も腕が立つ二人に木簡を渡し、急ぎ九真郡へと向かうよう伝えた。

 この地域は塩が貴重であり、九真郡から塩を届けさせるためだ。

 更に装飾品や穀物などもつければ、容易に交渉がしやすくなるだろう。

 

 さらに周魴は早急に行動を移すことにした。

 趙媼や祝融らを引き連れて楊鋒が籠る洞へ赴いたのである。

 その際、楊鋒を護衛する男女の兵に囲まれたが、祝融の姿を確認すると素直に楊鋒の元へと案内をした。

 楊鋒は祝融や帯来洞主の父と交友関係にあったからだ。

 

 しかし、楊鋒は祝融から事情を聞くと、すぐには頭を立てに振らなかった。

 楊鋒には楊鋒の事情がある。

 内乱には中立を保ち続けたお陰で、特に被害が出ていないからだ。

 

 そしてそんな楊鋒に対し、祝融や趙媼らが苛立ちを見せようした矢先、遮ったのは周魴だ。

 二人を宥めながら周魴は、楊鋒に対しこう述べた。

 

「楊鋒殿。先頃から聞いておったのだが、貴殿は劉焉のことを警戒しているんですな」

「左様。かの御仁は敵対する者には容赦がない御仁だ。儂は兎も角、部族全体を危険に晒す訳にはいかぬ」

「その点ならご安心を。必ずや上使君の軍勢が参ります。劉焉など恐るるに足りません」

「…そうは申すが、上使君はこのような辺境まで兵を進めて下さるのか?」

「既に交州は上使君が平定しつつあります。交趾も時間の問題です」

「…ならば貴殿に聞くが劉焉は宗室だ。二の足を踏んだとしても不思議ではあるまい」

「宗室だろうが外戚だろうが関係ありません。上使君は民を痛めつける相手には容赦致しませぬ」

「そうはおっしゃるが…」

「私の言うことは真実でございます。私の命に賭けてと言いたいところですが、ここで死ぬ訳にはいきませぬ」

「……」

「そこで父母に貰ったもとどりを切ることで証明致します。この髻に誓って必ずや兵を導きます。何卒…」

「あい分かった。上使君の使者である貴方がそこまでなされるなら、儂も嫌とは言えぬ。共に戦いましょう」

 

 こうして楊鋒は重い腰を上げ、それから更に一ヶ月ほどしてから木鹿大王が挙兵をした。

 あとは反乱軍をどう味方にするかである。


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