第百十六話 生ける孔明、死人同然の雑魚を走らす?
さてと、どう孔明に返答しようかな・・・。
それよりもチャチャが喧しそうだから、先に禰衡を酔い潰してしまおう。
「あ、孔明君。この席でそのような事は無粋ですぞ。ささ、禰先生」
「うむ。いやぁ、ここは物も人も大したことないが、酒だけは一流だ!」
「・・・お褒め頂き恐縮です」
それから二時間、酒豪の毒舌家禰衡も流石に鼾をかきだした。
これで孔明とタイマンだ。
問題はどんな案を提示するかだな。
「孔明君。要は孫堅殿と直接、対峙しなければ宜しいのであろう?」
「はい」
「・・・どのような方法でもかね?」
「ハハハ。手段は問いません」
「・・・それなら」
あの穀潰しの役立たずを使うとするか・・・。
そう、衝陽で拘留中の陶応のことだ。
一応、名目上は未だに徐州牧だしな。
「ならば陶応を釈放し・・・」
「やはりその手ですか。しかし、それだけですか?」
「それだけ・・・?」
「はい。素直に帰しても、そのまま徐州牧から剥奪されるのがオチです。下手したら殺されるだけでしょう」
「・・・しかし、殺したら問題が出るのではないかね?」
「そんなもん適当にでっち上げる口実を作るだけです。上使君が妖術を使い、陶応を操って袁術を殺そうとしたとか・・・」
「・・・・・・」
言われてみればその通りかもしれないけど・・・。
だけど未だに十代半ばなのに、よく平気でそんな事が言えるな。
・・・けど、それも孔明だからか。
「では、君はどのようにすれば良いと思うのかね?」
「はい。簡単なことです。陶応を袁紹の元へ走らせるのです」
「・・・えっ?」
「さすれば袁紹が玄徳さんを調略する必要がなくなります。ま、恐らくその後に陶応は誰かと交代という形で徐州牧を剥奪されるでしょうがね」
「・・・待て。では、その後に玄徳殿が改めて調略の対象になるのではないか?」
「アハハ! そこは賭けということになりますかね!」
「賭け・・・だと?」
「正直申しますと、揚州王(劉繇)との繋がりが切れた段階で玄徳殿は終わりです」
「・・・・・・」
「なので、玄徳殿は袁紹に寝返るふりをしつつ、好機を待つのが上策でしょう」
「・・・続けたまえ」
「要は袁術と揚州王の争いに袁紹を巻き込み、膠着状態を作ることこそ徐州の戦いが避けられるのです」
「・・・それでは問題を先送りするだけではないか」
「そうではありません。その隙に上使君が豫州王(劉寵)と示し合わせて上洛を果たすのです」
「・・・ううむ」
「短気で高慢な袁術のことです。陶応の件で失敗したとすれば、必ずやそこに固執します。その間に・・・」
「ま、待て。簡単に申すな」
「交州も見れば人心が安定しつつあるようです。益州を警戒しつつ、北上すれば必ず都を落とせます」
本当に簡単に言ってくれるぜ・・・。
けど、孔明って北伐失敗しまくっているんだよな・・・。
ま、まぁ馬謖や李厳のせいでもあるんだろうけど・・・。
「君の意見は確かに当を得ている。だが、そんな容易なことではない」
「何故です?」
「同じことは既に他の者からも進言されている。しかし、余は全て断ってきたのだ」
「えっ!?」
「あくまで余は孝桓皇帝陛下に漢室を守ると誓ったのだ。それでは漢室を滅ぼすことに成りかねん」
「なんだ。じゃあ、簡単なことです」
「・・・ほう?」
「孝桓皇帝陛下の名の元に錦の御旗を立て、上洛すれば良いだけでしょう」
「そ、それは偽勅ということか?」
「今更驚くことはないでしょう。誰でも考えることですよ」
いや、誰でもじゃねぇし・・・。
確かに一度、同じようなことをやったけどさ・・・。
でも、その結果が現在の朝敵扱いだからなぁ・・・。
「・・・孔明君。それは出来ぬ相談だ」
「またですか・・・」
「それは天命に背く行為となるからだ。約定を違えたとなれば天の神々はお怒りになり、どのような禍が降りかかるか分からぬ」
「・・・そ、それは」
「故にやりたくても出来ぬのだ。分かってくれ」
「・・・・・・」
流石に孔明でも神々と会ったことはないからな。
てか、これこそ僕だけの最強の説得材料だ。
天災が起きないというのが、ある意味において最強のチートであることにやっと気付きましたよ。
「それよりもだ。君には兄君や弟君がいるだろう?」
「はい。何故、ご存じで・・・?」
「君も含めて余が身柄を預かりたいのだ。頼む」
「・・・そのようなことを申されましても」
「やはり玄徳殿が気掛かりかね?」
「いえ。僕が気掛かりなのは伯父上と徐州です。玄徳さんは胡先生(胡昭)や元直(徐庶)さんがいますし」
「ならば伯父上や一族を含め、余が皆を受け入れる。それならば良かろう?」
「困りましたね・・・。そこまで私を?」
「当然だ! 君は古の管仲、楽毅、呂尚にも勝る大器だ!」
「そこまで無名の私を評価なさるので・・・?」
「余の元には幾多数多の驍将、猛将、策士、名士がおる。その中でも君は特筆すべき逸材だ」
「アハハ! そんなことを他の方々にも申しているのではないのですか?」
「・・・い、いや。そんなことは・・・。この通りだ!」
ええ。久しぶりに僕は自発的に土下座しました。
けど、孔明が来てくれるのなら、これくらい朝飯前。
ついでに諸葛瑾もついて来てくれるなら有難い限り。
「・・・そこまでおっしゃるのでしたら仕方ありません」
「おお! 真か!」
「玄徳さんは何らかの運命のようなものを感じていたのですが・・・」
「・・・い、いや。その、なんだね。まず君の師である禰先生ではな・・・」
「ま、特に問題はありませんけどね」
「いやいや。ここは楊慮殿をはじめ鄭先生(鄭玄)などがおる。正に恵まれた環境と言えよう」
僕は楊慮、鄭玄だけでなく、更に蔡邕、王烈、邴原、管寧、邯鄲淳、張範、潁容、陳紀、華歆と錚々(そうそう)たる面子を列挙した。
孔明もその事は知っている筈だけど、それでも興味を引きつけられるだろう。
それにこちらには既に蜀四名臣の一人、蒋琬もいるしね。
ついでに費禕と董允も欲しいけどさ。
「ま、何はともあれだ。まず君の策を二人にお聞かせしたい」
「ほう? 何方です?」
「先ほど申した楊慮殿。それと余が亜父と慕う范増だ」
「成程。楊先生は古の顔回に匹敵する天才。また范先生はその名の通り、范増の生まれ変わりと称される人物と伺っております」
「うむ。それでは夜更けで悪いのだが参るとしよう」
既に時刻は午後の十時を過ぎた頃だ。
本来なら後日あらためてと言いたいけど、禰衡が出しゃばったら面倒だからね。
という訳で楊慮と范増には悪いけど、急遽深夜の麻雀大会となった。
「いきなり何じゃ・・・。今度は周魴よりも若い小童ではないか・・・」
これに対し、孔明はニコニコとしているだけ。
范増のプレッシャーにもビクともしない。流石だ・・・。
「私は姓を諸葛。名を亮。字を孔明と申します。以後、お見知りおきを」
「そうですか。私は楊慮。字は威方。こちらにおわす御仁は范増。字は道泰殿でございます」
楊慮も同じくニコニコと対応している。
・・・ちょっと恐い。
「私が上使君に卓を誘われた理由は・・・ま、楽しみながらお話しましょう」
東風の親になった孔明はそう呟くと、先ほど僕に述べた案を蕩々と述べだした。
楊慮、范増の二人は静かに聴き耳を立て、真意を掴もうとしている。
孔明の言葉以外では牌が打たれる音と、時折「ポン」や「チー」といった声が響くだけだ。
「ふぅむ・・・。しかし、それじゃと余計に徐州は混沌とするだけと思えるがのぉ・・・」
孔明が話し終えると同時に范増が異議を唱えた。
ま、この辺のことは僕も思っていたけどね。
「確かに混沌となる可能性は高いです」
「・・・ならば何故じゃ?」
「徐州は攻めやすく守るに難し。そのことはお分かりになるかと・・・」
「そんなもん言われんでも分かっておるわい」
「そこが重要なのです・・・」
「はて? 意味が分からぬがの・・・」
范増だけでなく、僕も分からない。
楊慮も訝しがる様子を隠そうとしていない。
どういうつもりなんだ? 孔明は・・・。
「今は何処も膠着状態が続いております。その膠着状態を破るには攻めるに易いのは重要なのですよ」
「なっ!? お主! まさか!?」
いつも冷静な范増が思わず声を挙げてしまった。
楊慮も驚いた目で孔明を見ている。
・・・どういうことだろう?
「そのまさかです。徐州を発端にし、上使君は徐州の民を守るために立ち上がれば良いのです」
「お主・・・そのために徐州を利用する腹か?」
「このままでは埒が明きません。袁術に煮え湯を飲ませれば、必ずや徐州の凶事となることでしょう」
孔明と范増のやり取りで流石に僕も分かってきた。
要するにわざと袁術に徐州で虐殺行為をさせ、孫堅たちを離反させるつもりだ。
そして、それを期に僕が兵を挙げ、徐州を発端にして全土を巻き込むということに・・・。
「待ちたまえ。孔明君」
僕は思わず声を挙げた。
確かに徐州の民が恨むのは袁兄弟ということになるし、孫堅はこちらに寝返るかもしれない。
・・・けど、曹操の代わりに袁術が徐州の民を大虐殺することを容認するなんて・・・。
でも、おかしいぞ?
さっきと言っていることが真逆じゃないか・・・。
一体、どっちが本意なんだ??
「何ですか? 上使君」
「そのような事を認める訳にはいかぬ・・・」
「だから、何時まで経っても佞臣が都で跋扈するのですよ」
「わ、分かっている。だが、こちらも策を講じている。その儀はもう少し待て」
考えてみれば孔明は曹操に荊州から追われる際、劉備に「民は置いていけ」なんて助言しているからな・・・。
その点はかなりドライなのかも・・・。
「恐らく上使君が講じているのは『帝に辨皇子が偽者であることを伝える』ということでしょう。違いますか?」
「そ、その通りだ・・・。何故、知っているのだ?」
「既に都だけでなく、全土にも噂は広がっております」
「ならば時間の問題では・・・」
「・・・寧ろその逆です。佞臣どもは更に帝に対し、外の声を聞かせようとしないでしょう」
「・・・・・・」
「現在は禍がないから豪族や民も我慢しているのです。一度、大きな禍が起きれば、取り返しがつかないことになります」
「・・・そんな訳が」
「上使君は自身の周りで禍が起こらないから、その観点が抜け落ちているのです」
「アハハハハ!」
孔明が言い終えると同時に楊慮が大声で笑った。
何がそんなに可笑しいんだろう・・・。
「どうした? 楊県令(楊慮)」
「いや、実に名案です。我らは陶応を心置きなく袁紹の元へと走らせるのが上策でしょうな」
「・・・本気で申しておるのか?」
「本気です。ハハハ。そこまで徐州は荒廃する心配はありませんよ」
「どういうことだ?」
「孔明君は上使君を試していたのでしょう」
「な、何?」
「考えてもみて下さい。揚州にて豫章郡に睨みを利かせているのは孫堅殿です」
「あっ!?」
「孫堅殿が袁術を見限れば、今度は豫章の元黄巾党の軍勢が汝南へと雪崩こみます。さすれば袁術は一溜まりもない」
「・・・確かに」
「加えて揚州王君(劉繇)らが同時に北伐を開始すれば間違いはないでしょうね」
「・・・では、袁術は動かぬということか?」
「それは分かりません。だが、どちらに転んでも我らに分がある。そうでしょう? 孔明君」
楊慮が孔明にそう指摘すると、孔明はニコニコしながら頷いた。
これは孔明が僕を試したということか?
・・・しかし、なんでまた。
「上使君はやはり仁君のようです。これで思うことなく仕えることが出来ます」
「おお・・・そうか。孔明君」
「ま、些か思慮に欠けるようですが、そこは私や楊先生、范先生で補うことにしましょう」
「・・・・・・」
・・・ふざけやがって。
現実世界の僕よりも年下なのに・・・。
でも、舐められるぐらいで配下になってくれるのなら安いもの・・・。
・・・なんか腹が立つんですけどね。
翌日、僕は衝陽の劉先宛てに書状を認めた。
陶応を解放した際、袁術の元に行かぬよう脅すためにね。
説得持ちの劉先は、衝陽にいる中において一番のうってつけなのだ。
そして、ついでに袁紹の元に走らせる際、真珠や珊瑚などの土産物も持たせる。
勿体ないけど、賄賂がないと厳しいだろうしね。
何せ僕が出会った中で、一番の愚物だからなぁ・・・。




