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外伝70 衝陽雑記前編

 話は数ヶ月ほど遡ることをお許し頂きたい。

 今回は少し衝陽の細かな状況について記述してみたいと思う。

 

 劉煌。字を智云という女性は、劉寵の娘にして司進の妻である。

 生来、芯が強く勝ち気な性格だが、慕っていた義姉の慶里が項籍と結婚し、揚州へ行ってしまった。

 それ故、その気の強さに少し陰が差し掛かりつつあった。

 

「家にいるばかりでは体に悪い。少しは気晴らしに外へ出てみてはどうだ?」

「・・・でも」

 

 現代であれば違法であるが、司進と劉煌は既に寝床を共にしている。

 寝床では既にラブラブの二人だが、養父の司護に謁見した際は両者ともひた隠しにしていた。

 それは司護の配慮からである。

 

「慶里姉さんは本懐を遂げたのだ。君にとっては寂しいだろうが、喜んで欲しい」

「文恭様。私も慶里様が本懐を遂げたのは嬉しゅうございます。そして、こうして貴方と共にすることも幸せでございます」

「・・・うむ。父君には申し訳ないがね。父君にも君のような良妻を傍にとは思うのだが・・・」

「誰かおりますの?」

「・・・いや。傍には女とは呼べないような野卑な化け物しかいない」

「まぁ!?」

 

 野卑な化け物とはゴリ子こと趙媼のことである。

 劉煌も直ぐにゴリ子の顔を浮かべたので、思わず吹き出してしまった。

 

「おいおい。笑いごとじゃないよ・・・」

「すみません。余りにも可笑しくて・・・」

「でも、それだけ笑うことが出来るなら、安心したよ」

「私なら大丈夫です。ご心配は無用ですよ」

「そうは行かないよ。君には僕らの子を産むという大仕事がある。母子ともに健康でなければいけないよ」

「フフッ。それならちゃんと私を満足させて下さいね」

「うっ・・・」

 

 思わず絶句した司進に対し、劉煌は歳には似つかない妖艶な笑みを浮かべる。

 昼は司進にイニシアチブを譲る代わりに、夜では専ら劉煌がイニシアチブを取るのだ。

 

「全く敵わないね。君には・・・」

「こんなことで弱音を吐くようでは、男としての勤めは果たせませんよ」

「ふぅむ・・・。そうだ。明日、久しぶりに外出でもしたらどうかな?」

「何です? いきなり・・・」

「文姫(蔡琰の字)にはあの日以来、会っていないのだろう? それでは視野も狭くなってしまうよ」

「・・・そうですね。では、久しぶりに外にでも出てみましょう」

「うん。そうした方が良い。護衛には李部曲長(李秀)を付ければ問題ないだろうし」

 

 司進の狙いだが、劉煌を少しでも疲れさせることでもある。

 それだけ劉煌は激しく、若く漲る司進も毎晩同じように迫られては堪らないのだ。

 しかし、劉煌は「そんなことはお見通し」というような表情で司進を見ていた。

 

 翌日、劉煌は李秀、蔡琰を伴い、三人で衝陽に繰り出すことにした。

 五行祭も終わり、少しは穏やかさを取り戻しつつも、未だに街中は活気が溢れている。

 その中で劉煌はふと奇妙な光景を見つけた。

 

「ねぇ文姫。あれは何をしているの?」

 

 奇妙な光景とは汚い話だが、糞尿を蓄えた穴から糞尿を掬い取り、樽に移している光景であった。

 下水道が既に設置されているが、糞尿を垂れ流すことを由としないからだ。

 これは下水道と言っても地中に埋設されておらず、側溝のことを意味するものである。

 あくまで下水道は、風呂や洗い物に使用された水のみに使用されるものなのだ。

 

「あれは堆肥の原料を取り出しているのですよ」

「堆肥?」

「はい。堆肥とはアレを一定の間放置しておき、それを田畑に撒くのです」

「えっ? あんな汚いものを田畑に?」

「そうです」

「なんておぞましい・・・。よく平気ね・・・」

 

 蔡琰は少し鼻から息をフッと溜息をついた。

 劉煌の反応を予測していたからであろう。

 そして、糞尿を取り出していた者からある物を借りてきて、それを劉煌に見せたのである。

 それは木の札で「汚濁清浄おだくしょうじょう」という文字が書かれている。

 

「それは何?」

「文字通りです。汚濁清浄の木札ですよ」

「だから、それは何なの?」

「この木札を一緒に入れておけば、中にある汚物は浄化して草や木の発育を助ける役割となるのです」

「・・・ど、どうして?」

「この木札には念が込められており、そういった作用をするのですよ」

 

 堆肥は普通に植物の生育を助ける。

 それには木札なぞ意味はない。

 だが、元が糞尿だったものだと忌み嫌われるので、司護が木札と一緒に入れされることを考えついたのだ。

 しかも木札は有料で、その金は税と同じように国庫に納められる仕組みである。

 つまり一石二鳥の策という訳だ。

 因みに有料の理由だが、清めの儀式を行っているからだという。

 実質的に詐欺に等しいが確かめようがないので、人々はそれを受け入れている。

 

 更に蔡琰は劉煌にあることを追加して教えた。

 何時の世でも試しにやりたくなる者はいるようで、ある男が肥だめに木札を入れなかった。

 結果、同じように堆肥は作られたので、巡検に出ていた司護に詰め寄ったのである。

 

 司護は当初、少し驚いたのだが、男に対しこう述べた。

 

「木札を入れなくても問題はない。だが、臭いで太歳が来る恐れがある。そうなれば君だけでなく、家人も危険となるぞ」

 

 男は慌てふためき、急いで木札を肥だめの中に入れたのであった。

 

 太歳とは祟り神の一種とも言える妖怪で、肉塊に多数の大小の目が蠢くというものだ。

 そのようなものが来るくらいなら、木札を購入した方が遙かにマシである。

 木札の値段は現在の貨幣価値で百円ぐらいの値段だから当然だ。

 因みにその木札であるが、使えなくなった足場用の材木など廃材を利用したものでもあるので、原価はタダである。

 

「そういうことですか。でも、その木札の文字が汚濁清浄だなんて、清流派の方々からすれば文字通り清々しい気分なんでしょうね」

「それはちょっと違うかもしれません」

 

 劉煌の問いに、今度は李秀が応えた。

 

「どういうこと? 淑賢(李秀の字)」

「はい。荊使君は『清すぎれば魚住まず』と申しております」

「え?」

「物事は程々が一番ということです。昼があるから夜もある。何事も過ぎれば災いとなると」

 

 劉煌は蔡琰の顔を見た。

 蔡琰の父、蔡邕さいようは清流派の一人だからだ。

 見ると蔡琰は苦笑している。

 

「勿論、濁りすぎても魚は死に絶えます。今の朝廷は濁りすぎており、確かに浄化は必要です。ですが、浄化しすぎても民は怨嗟の声を挙げるとのこと」

「待ちなさい淑賢。何故、清すぎてはいけないのですか?」

「水準を越した師も水準に達しない商も、ともに十全ではない。人の言行には中庸が大切である」

「・・・孔子ですね」

 

 過ぎたるは猶及ばざるが如し。

 意味するものは正しくそれである。

 

 劉煌も李秀の意図したことが分かると納得したようで、ニコッと笑い歩き始めた。

 次なる目的地の寺子屋に向かうためだ。

 

 その寺子屋とは主に道観に設置されているお堂のことを意味する。

 道観とは道教寺院のことを意味するので、日本で言えば寺のお堂の一角を借りて授業をしていると思って下さると有難い。

 そして道観とは本来なら「道館」の方が正しいと思われるが、現在では道観が一般的なので道観とする。

 なお、衝陽のような都市部では道観内であるが、郊外の農村などでは庄屋の離れなどを利用しているケースも多い。

 

 本来ならば既に学校は邴原の立案で建設されているのだが、その学校に入るにしても最低限の文字を憶えなければならない。

 寺子屋は簡単な文字や計算を憶えるための施設であり、学業を志す幼子が通うための施設である。

 当初は学校もその役割を担っていたのだが、人口が増えるにつれ、更に細分化されていった経緯があるのだ。

 現在の感覚からすれば、寺子屋が小学校、学校が中学校、太学や医学館などは大学か専門学校といったところか。

 ただし年齢による進級制度はないので、寺子屋に成人した文盲もいるし、太学には未成年者もいる。

 

 話を元に戻したい。

 劉煌は寺子屋に入るとすぐに手習い本を手に取り、内容を確認した。

 内容は主に御伽噺や童話なのだが、劉煌は見慣れない文字を見つけたので、また蔡琰に質問した。

 

「この文字は何です?」

「ああ、羅馬ろーまの文字ですよ」

「・・・何故、羅馬の文字が必要なんですか?」

 

 蔡琰はニコリと笑い、必要である説明をした。

 ここでいう羅馬の文字とは、当然ながらアルファベットのことだ。

 何故、これが必要なのか?

 その答えは日本で言うところの振り仮名、要するにピン音のためだ。

 日本には馴染みが薄いピン音であるが、これがあるとないとでは全く違うのである。

 

 例をあげて説明したい。

 「京」という文字は当然ながら「キョウ」である。

 これはカナカナや平仮名があるから、振り仮名があればすぐに読める。

 

 一方で振り仮名がない場合、文字だけで読み方を教えるにはどうすれば良いか。

 答えは同じ発音を合わせた二文字などで振り仮名を使うことになる。

 例えると「居羽」ということになる訳だ。

 

 これだと分かりにくくなり、また人によっては「挙于」や「許禹」にもなる。

 そうなると当然ながら教える方も教わる方も混乱する可能性が高くなる。

 それを防ぐためにピン音を司護は広めることにしたのだ。

 

 このことに気付いたのにも当然、理由がある。

 司護はある日、友人達と連れ立ってカラオケに行った際、ふと中国の歌のカタログ本を見た。

 そこには漢字ではなく、ピン音で全て曲目や歌手名が表記されていたのである。

 

「中国人なのに漢字ではなくアルファベット???」

 

 家に帰って調べるとピン音の存在に気がついた。

 当然ながらこの世界もご多分に漏れず、文字を教えるのに四苦八苦しだしたので、ピン音をカタカナや平仮名の代用としたのである。

 これが効を奏し、初等教育において画期的なものとなったのだ。

 日本語もカタカナや平仮名が無ければ、江戸時代に農民の子供が本を読むことが出来なかったかもしれない。

 

 またもや話が脱線してしまったので、元に戻すことにする。

 それでも劉煌はまだ納得がいかない。

 

「文姫。読みが分からなければ、その場で聞けば宜しいでしょう。何故、蛮人の文字を憶える必要があるのです?」

「智云様や私は恵まれているから分からないのです」

「どういうことです?」

「私たちは個々で習うことが出来ます。翻って庶民の子らは、どうしても個々という訳にはいきません」

「・・・成程」

「それに後世に残すにも役に立ちます。庶民らが日記などを残しておけば、その時の状況を庶民の目線で見ることが出来ます」

「あっ!?」

 

 劉煌は愕然とした。

 そうなれば名も無き庶民が残した手記によって、王朝の正当性が後世で逆転される可能性が出てくる。

 更には後世に名を残したい者にとって、市井の町民がそれを残すのはある意味でプレッシャーにもなりうる。

 

 実際に史実において王允が蔡邕を殺した理由の一つに、蔡邕が王允の批判を後世に残す可能性があった。

 名士にとって後世に名を残すのは重要なものであるから、必然的にそれは驚異になりえるのだ。

 そして市井の町民の遺作と言っても、その時に権威のある者が関与し取り上げてしまえば問題ないのである。

 

「・・・荊使君はそこまでお考えになっているのでしょうか?」

「そこまでは分かりませんね。大体、あの方は何を考えているか誰にも分かりませんもの・・・」

「フフッ。それもそうですね」

 

 突然、司護が訳の分からない言葉で騒ぎ立てる性癖を周囲で知らない者はいない。

 更に勝手に不機嫌になったり、高揚したりと意味不明な変化が多い。

 これは老師との会話が原因なのだが、老師を見ることが出来ない以上、説明は無理なのである。

 


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