第百一話 やはり基本は内需拡大
范増の目は鋭い。まるで鋭利なナイフのような鋭さだ。
既にかなりの高齢であるのにも関わらず、異様な殺気のある目をしている。
正直、恐いとしか言い様がない。
けど、ここで本当のことがバレたら拙いなんてもんじゃない。
いや、まず信じて貰えないだろうから、どうなるか分からない。
なので、どうにか誤魔化さないといけないんだ!
「亜父よ。亜父は神々にお目に掛かったことはあるか・・・?」
「な、何を突然・・・」
「・・・ないであろう?」
「・・・ある訳があるまい」
「・・・つまりそういう事だ」
「どういう事だ!? 意味が全く分からんわ!」
「現世に生きる者が神々と面会する。その時、何かが失われる・・・」
「・・・・・・はぁ?」
「・・・余は何とか正気を保っておる。皆に心配を掛けたくないのでな。しかし、亜父には見抜かれたか・・・」
「ま、待て! 儂が何を見抜いたのじゃ・・・?」
「・・・余の覇気だ。何れ戻るかもしれぬが、このままかもしれぬ・・・」
「・・・・・・」
「亜父よ。余には失望したか? 失望したなら今からでも遅くはない。子羽(項籍)の元へ趣き・・・」
「たわけっ!!」
范増のド迫力に僕は圧倒された。
今まで見たことないド迫力だ。
何処にそんな力があるんだろう・・・・・・?
「どうかしたか?」
「それはこっちの台詞じゃ! 何故、黙っておった!?」
「・・・それは」
「良いか! 既に儂はお主の片棒を担ぎ、天下太平とやらのためにお主に尽くしておるのじゃ!」
「・・・・・・」
「儂は天下太平なんぞどうでも良い。じゃから、儂なりに楽しませて貰う。良いか。ここまで来たら儂らは一蓮托生じゃ!」
「・・・そうか。それを聞いて安心した」
「当たり前じゃ。儂らは陰。お前さんは陽じゃ。一人で陰陽を背負うには、お前さんは確かに力不足じゃ」
「・・・うむ」
「それで良い。儂らは陰でお主を支える。安心せい。悪手を打つほど儂はボケてはおらん」
「・・・だが、今後は事前に相談をしてくれ。そうでないと余も把握しきれぬ」
「分かったわい」
「有難い。これからも頼むぞ。亜父よ」
「これで儂もまだまだあの世に行けなくなったのぉ。カーッカッカッカッ!」
范増の初めてのパターンの笑い声が辺りを木霊した。
心強くはあるけれど、暴走するのが少し恐いな・・・。
フクちゃんやジンちゃんの暴走は把握出来るけど、范増らの暴走は把握しきれないだろうし・・・。
けど、こちらとしては早く帝を暗殺せねばならないんだ。
そうでないと更に面倒なことになるのは目に見えている。
てか、どっちが早く暗殺するかなんて前代未聞なんですがね。
ということで、范増に皇帝暗殺計画の進捗状況を確認しようか・・・。
「・・・それで亜父よ。帝の命は取れそうか?」
「それは儂にも分からぬ。あの宦官が邪魔だからのぉ・・・」
「黄皓のことか?」
「そうじゃ。趙高の右腕という噂だけあって、やたらと鼻が利きそうじゃ」
「そうか・・・。奴が・・・」
「お主、彼奴のことを知っておるのか?」
「・・・うむ。趙高と同じ厄介な獅子身中の虫よ。趙高ほどではないがな」
「・・・それよりも何故、彼奴を知っておるのじゃ?」
「・・・・・・」
しまった! 変に考えすぎてボロが出やがった!
でも、下手な嘘は拙いしどうしよう・・・。
ここは滅茶苦茶だけど、ゲーム世界ということをバラし・・・。
いや、ダメだ! 余計に変なことになりかねない!
・・・となると、ここは・・・。
「・・・亜父よ。貴殿は過去の記憶がほぼ戻りつつあるよな?」
「・・・それがどうしたのじゃ?」
「余も似たようなものだ。亜父とは違うがな・・・」
「・・・どう違うのじゃ?」
「余は未来の記憶だ。しかも、本来あるべき姿の未来だ・・・」
「・・・何じゃと?」
「嘘ではない。最後まで話を聞いて欲しい」
僕は本来の三国志の話を蕩々(とうとう)と語った。
本来ならば既に帝の劉宏は死んでおり、董卓が洛陽を灰燼にした後に呂布に殺されている筈だ。
いや、それだけじゃない。
曹操は徐州にて大虐殺をし、袁紹は公孫瓚と争い、孫堅は劉表に殺され、子の孫策は江東に進出している。
しかしこうなったのは僕を始め、范増や項羽らが過去から蘇ったことで歴史が狂い始めた結果なのだ。
僕はそう范増に話した。
暫く范増は目を瞑って聞いていたが、僕の話を聞き終えると自分の右膝をポンと叩いてから口を開いた。
「成程。確かに信じがたいが辻褄は合うのぉ・・・」
「今まで誰にも話しておらぬことだ。他言はせぬように・・・」
「話したところで儂がいよいよボケたと見られるのがオチじゃ」
「・・・・・・」
「それでお主やたらとあちこちに赴き、無名の連中まで漁ったり、曹操、孫堅は兎も角、劉備といった胡散臭いのまで買っておったんじゃな」
「・・・う、うむ」
「ならばもっと良い活用方法があったじゃろうに・・・」
「誰に相談せよと言うのだ・・・」
「確かにそれもそうじゃな。それに本来の未来とは既に違うから今更活用も出来ぬか・・・」
「・・・・・・」
「そして、下手に未来とやらを知っておったから機会が幾度もあったのにも関わらず、自重しておった訳じゃな」
「呆れたか・・・?」
「いや、呆れてはおらん。儂も同じような立場なら分からんしの」
「そうか・・・」
「じゃが勿体ないのぉ。折角、未来からとやらの知識があるなら、それを他に活かせることは出来ぬのか?」
「・・・ううむ」
蒸気機関を発明させて蒸気船を開発し紡績工場を立ち上げるとかか・・・?
けど、これは余りにも現実離れしている。
蒸気機関は既にヘロンという人物が考案しているらしいが、大した馬力はない。
火力を上げて力を生み出そうにも、石炭などはないし・・・。
極少量ではあるけど、石油は既に発見されている。
しかし、現実においてはゴマ油の代用品に近い代物だ。
せいぜい火矢に巻き付ける布に染みこませるぐらいしか活用出来ていない。
あと、菜種油の原料となるアブラナは既に栽培されているが、主に野菜としてしか扱われていないらしい。
ゴマは貴重品に近いので、油を作るとしたら菜種油を作る方が安上がりかも・・・?
そして一番の課題は塩だ。まずこれは間違いない。
現在は武陵蛮、五渓蛮、板盾蛮の領地にある岩塩鉱山から塩を荊南に運んでいる。
ただ人口が日増しに増える荊南ではそれだけでは足らず、主に中原や益州からも塩を輸入している状態だ。
意外にも揚州、交州はあまり塩を産出していないことから、恐らく塩田というものはあまりないのだろう。
となれば、揚浜式か入浜式の塩田を交州で作れば問題は解決する。
幸い僕は社会科見学などで、ある程度の知識はある。
ただしその為には、一刻も早く交州攻略を成功しなければならないのだけど・・・。
「・・・黙ってないで答えんかい」
「・・・す、すまぬ」
いかんいかん。基本、内政チートしか能がないから、未来の知識とやらはどうしてもそっちに頭が向いてしまう。
けど、重要なのは戦場で勝つことよりも、如何に有利になるよう構築することだ。
それは何時の時代も変わらない筈だと思うからね。
「これ。また黙りおるか・・・」
「すまぬ。逡巡しておったのだ。改めて言われると難しいものだからな」
「・・・やれやれ。では、儂はこれで失礼するぞい」
「あ、待ってくれ。亜父よ」
「何じゃい?」
「もう一度、礼を申す。感謝するぞ亜父よ」
「ふん・・・。儂も感謝するぞい。嫌でも寿命を伸さんといけなくなったからのぉ」
范増にはある程度バレちゃったけど、問題が無ければそれで良い。
しかし、ここに来てから取り繕う嘘がそこそこ上手くなった気がする。
現実世界に戻ったらこのスキルを活かすのも良いかな・・・。
前科者になるつもりはありませんけどね。
范増との密会の後日、僕はゴリ子を伴い巡検しに衝陽の街へ繰り出した。
他にも何か内政チートが出来そうな材料があるかもしれないからだ。
未だに討伐軍の進軍はないし、帝の暗殺は范増や楊慮らが蔡瑁らと画策中で僕の手の届かない場所にある。
加えて名無しの官吏が使えない以上、他にやることもない。
数日間、僕は衝陽の街で色々と見て回った。
その結果、何かが足りないことを気づく。
綿花の畑や養蚕場はあるけれど、生産性の効率があまりにも低いのだ。
「一体、何が足りないのだろう・・・?」
僕は何かを思い出そうとした。
確かに何かが欠けている。
でも、それは一体・・・・・・。
僕が馬に乗りながら必死に考えていると、偶々田んぼに水をくみ上げる足踏み水車を見たんだ。
「ん? 車・・・・・・?」
何か写真で見たな・・・。
・・・そうだ。ガンジーの写真だ。
糸車を回して只管、糸を紡ぐガンジーの写真・・・。
「そうか! 無いのは糸車だ!」
僕は幸い、学校の自由課題で糸車を制作したことがある。
難しいものではなく、極めて簡単なものだけどね。
けど、これで蒸気機関とかが無くても生産性を向上させることは可能だ。
僕は急いで政庁へ戻り、長沙から臨時に来訪している韓曁を呼び出すことにした。
因みに韓曁は鉱山従事から開発従事へ新たに任命されている。
既に銀山が枯渇しているから当然なんだけどね。
「開発従事よ。猪牙の開発は見事であった」
「これも研究従事中郎(馬隆)の協力と羅馬の船大工、そして閣下の閃きの賜物です」
「いやいや。余は提案したにしか過ぎぬ。ところで、君に新たにやって貰いたいことがある」
「何でございましょう?」
「これを作って欲しいのだが・・・」
僕は糸車のイラストを韓曁に見せた。
すると韓曁は首を捻り、何やらブツブツと独り言を言い始めた。
「出来そうかね? 開発従事」
「出来ないことはないと思います。ですが、これは何です?」
「糸車というものだ」
「・・・糸車・・・ですか?」
「そうだ。これで綿、絹、及び羊毛などの生産性を向上させるのだ」
「ふむ・・・」
「君は既に碾磑を開発している。そこで君が適任という訳だよ」
碾磑とは水車による力を利用した石臼のことだ。
これにより、稲、麦といった穀物の類の精製による生産が大いに向上されている。
おかげで塩ラーメンっぽいのが安く食べることが出来るのです。
あくまで塩ラーメンっぽいというだけで、味は本物の塩ラーメンよりは劣るんですが、それでもマシですよ。
衣料品が安く大量に生産できるとなれば、当然のことだけど交易の黒字化に拍車がかかる。
現在、人口は更に増えつつあり、このままでいけば確実にインフレが予想される。
その為には今までのような穀物の大量生産だけでなく、新たな交易品の開発をせねばならない。
交州を抑えれば塩も賄うことが出来るけど、塩田開発には時間を労するだろうしね。
ただ一つだけ気になることがある。
あくまでこれはゲームの中の世界だ。
内政も数値で表されるだけでなく、能力値とスキルによって向上する。
となると、これって反映されるのかね?
「ほいほい。儂の出番じゃな」
「あ、老師。丁度良いところに」
自室でそんなことを考えていたら、不意に老師が出現した。
僕のウリは間違いなくスキルの吉兆だけど、政治10というのも特出すべき長所だ。
「で、お主が聞きたいのはどう反映されるかじゃな?」
「当然だよ。反映されなきゃ意味ないじゃん」
「反映はされるぞい。ただし、マスクじゃ」
「・・・非表示ってことかよ。本当に反映されるの?」
「お主が気付かないだけじゃよ。現に碾磑と足踏み水車の開発で、民は食生活に満足しておるじゃろ」
「・・・そうだろうけどさ」
「それに他にも様々な教育施設を作っておるから、それもその内に反映されるじゃろ」
「例えば・・・?」
「名無しの官吏が重要なのはお主も認めるよな?」
「うん。もっと名無しの官吏がいれば、このような状況でも内政フェイズが可能だろうからね」
「つまりそういうことじゃ。領地や人口が多ければ多いほど、名無しの官吏が必要になる」
「成程ね」
「それだけではないぞ。調練なども名無しの有能な武官が必要なのじゃ。数人の将軍がいれば良いというものではない」
「現代で言うところの下士官という訳だね」
「その通りじゃ。更に大軍を指揮するには名無しの武官が多く必要になるぞい」
「ということは北伐を開始するにあたり、下士官を多く育てないと拙い・・・か」
一気に大軍を送り込むとなると、内需拡大に支障が出る。
それは兵站などに多数の名無しの官吏が取られ、内政に時間を割けなくなるためだ。
大軍を送り込んだ後、大勝すれば良いけれど、そうでない場合はただの浪費ということになる。
既に有能な将軍や豪傑は揃いつつあるけれど、最悪の場合も仮定しないといけない。
戦争の勝ち負けは古今東西、経済力の優劣で決まることが多いからだ。
そりゃ中にはモンゴルみたいな例外もあるけどさ・・・。
民衆の生活レベルの向上、文化のレベルアップ、それと同時に屈強な軍隊のための調練。
これらをセットで行うためには教育の向上以外、他にはない。
一朝一夕で済むようなものではなく、本来なら長い年月を掛けて行うことだ。
日本が文明開化を成功させ、欧米列強とすぐに肩を並べたのは江戸時代という大いなる土台があればこそだ。




