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外伝69 宴会顛末記

 話は凡そ一ヶ月ほど前に遡る。

 一方の朝廷から発せられた討伐令をうけ、諸侯らは続々と軍を再編し、荊州へと向かっていた。

 

 先行したのは右北平太守の公孫瓚、并州牧の丁原、雍州牧の董卓だ。

 その数、合わせて三万八千。

 しかも、公孫瓚には若き勇将趙雲、丁原には国士無双の呂布や新進気鋭の張遼、董卓には豪傑の華雄と名将徐栄らがいる。


 ただし問題点がない訳ではない。

 何れも騎馬が中心であり、水上の戦さには不得手である点だ。

 それだけでなく、丁原と董卓は犬猿の仲だし、公孫瓚は協調性が皆無という問題もある。

 

 このことから襄陽に入ると、襄陽王の劉表の歓待もあって進軍は止まってしまったのだ。

 更には丁原の蒯通、董卓の李儒が各々の主君に自重するよう助言したからでもある。

 それと同時に兵数が万に満たない公孫瓚も身動きが取れず、ただ悪戯に襄陽で宴会をして過ごすことになってしまった。

 

「予想通りだな。全く・・・・・・」

 

 王允の甥であり、董卓の孫娘の婿である王凌は愚痴を溢す毎日だ。

 伯父である司徒の王允は既に大理寺の獄舎に入れられ、その子である王蓋らも連座する形で蟄居を申し渡された。

 また、王凌の父である王宏は平民に落とされ、王凌は忸怩たる想いを募らせていたのである。

 

 ここで一つ注意しておきたいことがあるので、説明させて頂きたい。

 「大理寺の獄舎」とあるが、これは間違いではないということだ。

 元々、寺という漢字は役所という意味合いがあり、現在の仏教とは何の関係もなかったのである。

 

 また、大理寺とは最高裁判所の特徴も兼ねており、そこで罪状も決まる。

 つまり罪状認否も行われる場所でもあり、大理寺に送られれば即刻罪人という訳でもない。

 とはいえ、無罪放免になるケースは極稀であるのだが・・・。

 

「彦雲(王凌の字)君。短慮はいかんぞ。焦る気持ちは分かるがね・・・」

 

 話を元に戻そう。

 そう言ってきたのは郭淮。字を伯済という若者だ。

 王凌と同じ并州太原郡の生まれで年齢も同じ。

 祖父の郭全は大司農にまでなった名家の出自である。

 そして何より王凌の妹とは恋仲で、既に結婚を誓い合っていた。

 つまり未来の義弟にあたる人物という訳である。

 

「そうは言ってもだよ。これではどうしようない」

「だから焦りは禁物だ。君は運良く董州牧の縁者になったから、官軍に属することが出来ているんだぞ」

「・・・分かっているさ」

「そりゃ君が活躍すれば、君の父君の名誉回復が可能だろう。だが、君が死んでしまえば元も子もない」

「君に言わないでも分かっているよ。けどさ。こんな事なら伯父上と父上を説得して荊南でも行けば良かったよ・・・」

「・・・・・・僕の前だから良いが、くれぐれも他言はせぬようにな。しかし何故、そのような事を・・・?」

「これを見てくれ。孫君から手紙だ」

「何? 孫君?」

 

 孫君とは姓は孫。名を資。字を彦龍という王凌らと同世代の若者だ。

 この孫資は既に衝陽郡の従事中郎として司護に仕えている。

 王允からもその才能を高く評価され、何れは王凌らと共に都仕えを嘱望されていた。

 ところが育ての親である兄夫婦が十常侍の縁者に殺されてしまい、その仇を討ったことで太原郡から逃げる羽目になる。

 そういう経緯で孫資は、十常侍の権力が及ばない所として荊南を選び、才を買われて司護の家臣となっていた。

 

 手紙には荊南の経済状況や軍勢の多さ、そして民度が詳しく書かれている。

 それを見た郭淮も思わず溜息をついた。

 孫資は双方ともに親友であり、手紙に嘘を書く理由はない。

 それに聞こえてくる市井の噂も同様のものだ。

 

「なぁ伯済君。これが本当なら此度の遠征は何なんだ?」

「僕に言われてもね・・・。成程、道理で李儒さんが進軍を躊躇するよう申し出ている訳だ・・・」

「丁州牧の蒯別駕(蒯通)も同様らしい。互いに足の引っ張り合いしてちゃどうにもならん」

「進軍したところで勝ち目は薄いからな。可能性があるとすれば・・・」

 

 郭淮はそこまで言うと押し黙った。

 何れも可能性はゼロに等しいと思われたからだ。

 一つは南陽に駐屯している主力との連携。

 もう一つは益州から出陣する皇甫嵩らの別働隊の活躍であるが、何れも希望的観測というより、妄想としか言い様のない現状であった。

 

 一方の南陽の宛城に駐屯する主力軍だが、ここでも連日連夜の宴会が催された。

 宛城は北西に長安、西に南鄭(漢中の郡都)、東には豫州頴川郡の玄関口の一つである襄城などがある。

 北には南陽に属する魯陽があり、更に北へ向かえば洛陽が、東へ向かえば許県(許昌)が見えてくる。

 南には史実において劉備が雌伏した新野を経由して襄陽へと続く。

 正しく有数の交通の要衝であり、人口も多く、活気に溢れた都市である。

 かつて黄巾の乱で荒らされたのは遠い昔のことのようだ。


 何進を始め、袁紹、袁術、陶応、張温らは南陽に入ると盛大に歓待された。

 劉岱が劉表と示し合わせて行軍を遅らせるためである。

 これには何進だけなく、諸将も気を良くした。

 ただ、一人を除いては・・・・・・。

 

「くそ! 忌々しい! ここは余の土地だ! 何故、余が客人の扱いとなるのだ!」

 

 こう家臣らに漏らしているのは誰であろう。答えは袁術である。

 袁術にとって幼少期を過ごした南陽は、汝南と同様に地盤として認識している。

 加えて南陽の発展は見張るべきものであり、その財産を食いつぶしている劉岱は忌むべき存在の一人だ。

 

 劉岱が赴任した直後、黄巾の乱で荒らされた南陽は実に嘆かわしい状態であった。

 だが、現右相であり前南陽太守の秦頡と前左相の曹操らの尽力もあって復興させたのだ。

 そこに司護から供出された潤沢な資金を投じさせ、更なる発展を遂げさせたのである。

 ただ指を咥えているだけで、勝手に復興や発展がする筈がない。

 

 しかし、袁術にその理念はない。

 名族が治めていれば勝手に発展するという妄想に囚われている。

 劉岱は王家の血筋だがかなりの傍流なので、自身の方が血筋は上という勝手な理屈もある。

 

 それから毎晩宴会が続き二十日以上過ぎたある日のこと。

 面白くない袁術は早々に宴会の席を蹴り、仮の屋敷において一人で酒を呷っていた。

そんな袁術に寝耳に水の報告が入った。

 報告者は何進の配下、上党太守張楊の家臣である楊醜である。

 楊醜は金に貪欲な男で、袁術から賄賂を貰って情報を流している者の一人だ。

 

「それは真か!? 何故、そのようなことを・・・」

「聞けば逢紀が関与しているとの噂です」

「逢紀? あの逢紀か? だが何故、奴が・・・」

「逢紀は南陽の出自ですぞ。紛れることは造作もないことです」

「・・・ううむ。して、袁紹が推す徐州牧の名は?」

「劉備と申す者です」

「なっ!? なんと申した!?」

 

 楊醜の報告によると、逢紀は主君の袁紹の許可を得て何進に近づき、新たな徐州牧として劉備を任命するよう働きかけているという。

 劉備は現時点で徐州牧を名乗っているが、正式な徐州牧ではない。

 後ろ盾は朝敵の揚州王劉繇でもあるので、袁術からしたら噴飯ものであった。

 

 逢紀が何進に言うには劉備を正式に徐州牧にし、それを伝手として劉繇の帰順を促すという策だ。

 南陽王の劉岱は劉繇の実兄でもあり、南陽を有する劉岱にも恩を売りたい。

 そこで徐州牧に劉備を任命させれば徐州だけでなく、揚州も纏まるというのだ。

 

 袁紹が逢紀の提案に乗り、劉備を徐州牧に任命する理由だが政略的なものは左程ない。

 にも関わらず劉備を徐州牧に推挙する理由はただ一つ。

 単なる袁術への私怨による邪魔立てである。

 

 一方で本来ならば、何進としては袁術を怒らせるような真似はしたくはない。

 だが、密かに傲慢で血統第一主義の袁術を嫌っており、袁紹とサシで飲む際は決まって袁術の陰口だ。

 何進と袁術は何皇后の妹を袁術の息子である袁燿の嫁となっているので、縁戚関係ではある。

 しかし、袁術の対応は傲慢で「肉屋の娘が息子の嫁」と周囲へ自虐的に吹聴しているのだ。

 袁術はそんなことはお構いなしで「事実を言って何が悪い」と開き直る。

 更に袁術は自身が嫡流であることを主張し「妾腹の息子じゃないだけ寧ろ有難くおもうべきだ」とも漏らしている。

 これでは何進も面白い訳がない。

 

 そういったことがあるためか、毎晩の宴席は決まって袁術を無視する。

 しかも、他の諸将にも無視するよう陰で働きかけ、拍車をかけている。

 袁術が宴席で自慢話を話そうにも、すぐに話題を別にものにすり替えられるのだ。

 元々自慢話ほど退屈なものはないのに、それが袁術によるものだから尚更面白い訳がない。

 それ故、特に何進や袁紹が諸将に言い含めなくても、自然と無視されることになる。

 

「だからか・・・。劉岱め。余の扱いがぞんざいなのは・・・」

 

 劉岱はこの段階において、劉備を徐州牧にしようという動きには関与していない。

 ・・・なのだが、被害者意識が芽生えた袁術は既に劉岱も関与しているという疑いを持っている。

 

 それだけではない。娘婿にあたる徐州牧の陶応も毎晩欠かさず宴会に出席し、酒と料理を満喫している。

 そしてあろう事か何進の側近らと楽しく歓談をしているのだ。

 常に怒鳴り散らす袁術より、お世辞攻勢を仕掛ける何進の側近に陶応が行くのは当然なのだが・・・。

 

「くそっ! 陶応を呼べ! 今すぐここにだ!」

 

 既に丑三つ時に近い夜であったが、怒りが収まらない袁術は陶応の仮宿舎に使者を走らせる。

 だが今夜も宴席の美味い酒で心地よい眠りについていた陶応は爆睡しており、起きずにそのまま眠り込んでしまった。

 そして、小便のために起きて厠へ向かう際に起きたのは、陽が昇り始めた時であった。


 厠から出た後、袁術からの急使から俄に報告を聞いたので「すわ何事か!」と流石に目が醒めて袁術の所へ走った。

 袁術は袁術で睡魔の急襲に遭っていたが、余りの怒りと苛立ちで寝ていない。

 そこにあろう事か陶応が未だに酒の抜けていない赤ら顔で来たので、袁術は余計に怒りに拍車が掛かる始末だ。

 

「陶応! 貴様! 何をしている!」

「な・・・何を・・・って・・・」

 

 身に覚えがない陶応は目を白黒させて袁術を見る。

 思わず「そりゃ寝ていました」と言いそうになったが、空気を読んで思わず口を塞いだ。

 

「この酒を飲むことしか出来ぬロクデナシめ! 貴様の体たらくで全てが台無しになりそうだぞ!」

「な・・・何のことでしょう?」

「惚ける気か!? ならば言ってやる!」

 

 現時点において徐州は安定しているように見える。

 だが、実際はそうではない。

 徐州の全てで更なる重税を課しており、諸葛玄の東海郡を除いては各地の城が反旗を翻しつつあった。

 これに反袁術の豪族らが呼応し、徐州は大乱の一歩手前の状況に陥っていた。

 

 ただし、徐州は全て袁術の配下が太守となっており、陶応に責任を押しつけるのは些か不条理でもある。

 それだけではない。更なる重税の措置は袁術が指示したものだから尚更だ。

 そして唯一、諸葛玄だけが増税に反対し、東海郡を守っている。

 これは東海郡が、劉備が保有する南の広陵郡と接しているためで、兵役を課すために増税を免除したと言い訳をしていたからだ。

 とは言っても兵役はあくまで建前で、実際には単に増税を無視しているだけなのだが・・・。

 

 実のところ、諸葛玄は水面下で劉備と交渉をしている。

 これは諸葛玄の養子の一人である諸葛亮が、劉備の軍師である胡昭と接点を持ったことが要因である。

 また、胡昭は逢紀にも通じており、既に水面下では劉備の養子である劉封と袁紹の娘の縁談も持ち上がっている。

 だが、この事は当然ながら秘密裏に行われているものであり、双方ともに知らされていない。

 

「お前がロクでもないから、満足に徐州を治めることが出来ぬのだ!」

「・・・・・・そ、それは」

「何だ!? 陶応!」

「・・・・・・いえ、別に」

「良いか! お前に先陣を任してやる! あの司護という妖賊の首を持って参れ!」

「そ、そんな無茶な・・・・・・。項将軍(項籍)や孫府君(孫堅)もいないのに」

「何!? 余が貴様の名誉を回復する機会を与えたとは思わぬのか!? この不孝者め!」

「・・・・・・」

 

 こうして容赦のないプレッシャーを与えられた陶応は、次の日から宴会に出なくなった。

 余りにも不自然な陶応の宴会不参加の原因は、当然ながらすぐに諸将に知れ渡ることになる。

 そしてこの事を張温の旗下となっていた蔡瑁も知ると、江陵にて待機する黄祖に使者を出したのであった。

 

 後日、陶応が一万余りの軍勢を率い、蒲圻ほきにて蔡瑁の輸送艦隊と合流した。

 数千を残した理由だが、蔡瑁曰く「全てを輸送するには艦船が足りない」とのことである。

 この時に残したのが劉延という人物で、平凡であるが唯一素直に陶応に従っていた者である。

 故に随行することになったのは曹豹、許耽、章誑、潘璋、馬忠の五人な訳だが、五人とも既に負け戦を予感していた。

 そこで潘璋は曹豹にこう提案をした。

 

「どうせ負け戦だ。ならば、被害は少ない方が良いですぜ」

「どうするというのだ? 潘都尉(潘璋)」

「陶応を残し、俺らはそのまま蔡瑁の艦隊と一緒にトンズラしましょうや」

「それは名案だ。しかし、上手くいくか?」

「陶応の奴に『袁術を納得させるには先陣をきるしかない』と吹き込むんですよ。そうすれば・・・」

「ハハハ! 実に面白いぞ! それならビビリ屋の陶応もビビッて先陣をきるしかないな!」

 

 曹豹は上手く袁術の名を使って陶応を脅し、陶応ら二千の兵を真っ先に下ろした。

 と、同時に自身らは蔡瑁の艦隊と共に引き上げてしまったのである。

 残された陶応と兵達は慌てて何も出来ず、手薬煉てぐすねを引いて待っていた三万の軍勢に降伏するしか道はなかった。

 

 のこのこと戻ってきた曹豹は袁術に対し、陶応は自ら進んで投降したと嘘を並べたてた。

 当然ながら袁術の怒りは全て陶応に向けられたので、事なきを得たのであった。

 以上が事の顛末である。


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