外伝3 銀色の夢
さて、韓曁らが長沙に戻ってきた。
途中、解放された女性達や山に篭っていた子供や老人、そして自警団の若者らは数が半分になっていた。
これは途中の襄陽にて別れたためである。
襄陽にしばらく居た後、落ち着いたら村へ帰るためであった。
勝手な行動をした鞏志は内心、叱られると思ったが、司護は笑って韓曁への手助けを褒め称えた。
それと同時に今後は「まず、自分を通してから行うように」と釘を刺された。
これは後々、家臣らが勝手に行動しないようにする為であることなので、鞏志も素直に聞くことにした。
長沙へ着くと早速、韓曁が得た情報による区星らが財宝を貯め込んだ根城への出兵が決まった。
そして、厳顔や鞏志は長沙にて留守をするように命ぜられた。
鞏志は少し不服だったが、王儁と共に守備隊の副隊長に命ぜられたので、少しは気が楽になった。
だが、それでも仕事がない。
厳顔や王儁には仕事は命じられたのに、鞏志には一切、命じられることがなかったのである。
そこで、思い切って鞏志は司護が出兵する前に政務室に入り、問うことにした。
「我が君。拙者はこれまで、あまり仕事らしい仕事が出来ないでおります」
「……う、うむ。資金繰りがちと厳しくてな……。だから、今は内政が一番なのだ。武官の君にはすまんとは思っているがね」
「私も若輩者でありますが、年齢的には陳端殿や秦松殿と大差ない筈ですよ」
「うむ。確かにそうだが……。そうだ、君に丁度、頼みたいことがある」
「おお!? どんな事でしょう?」
「韓曁の手伝いをしておくれ。鉱山を発見するには人手も必要であろうからな」
「……そのような仕事ですか?」
「何を申すか? 『資金繰りが苦しい』と余はたった今、申した筈でないか?」
「確かにそうおっしゃいましたが……」
「鉱山を発見するのは、この国の重要な案件の一つだ。鉱山が見つかれば長沙だけでなく、荊南四郡も発展が見込めるのだぞ」
「……我が君お得意の夢のお告げですか?」
「……う。否定はせぬ。だが、重要なことだ。それにだ」
「……それに?」
「実は王儁殿に会いに行く前に、余の夢の中で天女から『麒麟児と呼べる若武者が声をかけてきます。その者を召しだしなさい』と言われたことがある」
「……それが何か?」
「分らぬのか? つまり、余の夢は正夢なのだ。麒麟児とは正しく君のこと。少々詰まらぬ仕事かと思うかもしれぬが、我慢してくれ」
「……え? あ?」
「分ってくれたかね? 荊南の麒麟児よ」
「ははっ! 有難き幸せ!」
だが鞏志はその場では感激したもの、しばらく経つと、どうも丸め込まれたような気がしてきた。
しかし、張任と厳顔という長沙では全く無名の猛将も「夢のお告げ」とやらで召し出したのも、また事実だ。
その両名と同じということであれば、自身にも出世の糸口がありえると思うことにした。
一方、韓曁はというと、いきなり鉱山の発見を命じられたことに少々、戸惑っていた。
鉱夫もやったことがあるとはいえ、無名の自分に「山師をしろ」というのだから無茶である。
しかも周囲に自分が鉱夫をしていたことは、あまり話していなかったから猶更だ。
韓曁がいつもの安酒場で酒をあおっていると、丁度司護と話したばかりの鞏志が店の中に入ってきた。
韓曁が自宅にいなければ、そこしか行く場所がないからだ。
そして鞏志は韓曁を見つけ、話しかけてきた。
「あまり良さそうな酒じゃなさそうだね。韓曁殿」
「これは鞏志君か。いや、主命とはいえ、些か困ったことになったもんでね」
「ああ、鉱山を見つけるというやつだね」
「うむ。私は山師ではないし、どうすれば良いのか分らぬ……。何故、このような命が下ったのかも謎だ」
「それはきっと『夢のお告げ』であろうよ」
「……本当のことのようだね。夢のお告げで無茶なことを言う癖があるというのは」
「いや、正夢だからさ。そうに決まっている」
「どうして、君はそう思うんだね?」
「だって、拙者がかの『養由基のような麒麟児だ』と夢のお告げで言われたからだ」
「……むぅ」
「だから我が君の夢は正夢さ。それとも信じられないのか?」
「それを言われたら、君に恩がある私は『信じる』としか言い様がないじゃないか」
「ハハハハ。そういうことになるな」
「全く……。だが、君のお蔭で少しは気が楽になった。有難う」
「いやいや、拙者も貴殿を手伝うことになったから、正夢じゃないと困るんだよ」
「ハハハハ。そういうことか。まぁ、良い。駄目もとでやってみよう」
とはいえ、鉱鉱を見つけるにも、まずは山師がいないと始まらない。
そこで韓曁は、人種に関係なく募集することにした。
それに応じたのは皆漢人ではなく、長沙蛮、桂陽蛮、山越人などであった。
彼らは当然、山岳の中腹にいた者も多く、近辺の山などは庭のようなものだ。
だが、長沙は広く、西は主に湿地が広がるが、東から南にかけては山が連なる。
それらを一か月の間に見つけるとなると正直、気が遠くなる。
思わず鞏志は溜息をつき、韓曁に愚痴を漏らした。
「参ったな。どうせなら主の夢とやらで、位置ぐらい教えてくれれば良いのに」
「そんな事を言っても仕方がないさ。大変な仕事だから『麒麟児の君にも手伝え』とおっしゃったんじゃないかね?」
「……そう言われるとグゥの音も出ないな」
「私も鉱脈を見つけ出すのは初めてだから、不安がないといえば嘘になるが」
「しかし、鉱夫をやっていれば、少しはマシなんじゃないかね?」
「マシと言っても君とあまり変わらんよ。まぁ、やるだけのことはやるがね」
二人がそう話していると、一人の山越人の男から「奇妙な男がいる」と聞かされた。
その男とは会稽の生まれで呉範。字を文則と言い、占い師をして生計を立てているという。
丁度、その男が長沙に訪れているというので、早速二人は呉範の下へ行くことにした。
占い師の呉範もまだ若く、二十代半ばぐらいである。
二人はもっと老年の者だと思っていたので、面を喰らってしまった。
だが、当の呉範はそんな反応に慣れているようで、二人にこう話しかけてきた。
「君らの探している方角は恐らく巽の方角だ。大体、そこで合っていると思う」
すると韓曁はまだ訊ねていなかったので、呉範にこう言い寄った。
「まだ何も聞いていないだろう。何故、貴殿は分かるのかね?」
すると呉範は顎鬚を撫でながら、こう言ったのだ。
「君らが捜しているのは鉱脈であろう? だから巽の方角にあると言ったのだよ。嘘だと思うのなら他を探せば良いだろう」
「これは驚いた……。何故、分ったのかね?」
「貴殿は韓曁殿だね」
「何故、私の名を……? それも占いか?」
「いやいや。君はちょいとした仇討ちをした有名人だからね。これは占いじゃないよ。ハハハハ」
「だが、何故分ったのだ?」
「何故……と言われてもな。貴殿の主の夢とやらと同じようなものだよ」
「……はぁ?」
「さて、それでは私はこれにて失礼するよ。野暮用があるんでね」
「何処に行かれるのですか? 呉範殿」
「官に推挙されまして、ちょいと都にね」
「そうですか……。それはお気をつけて」
「おっと……一応、地図に印につけておいた方が良いでしょう。少々、お待ちを」
呉範はそう言うと、小さい振り子を出し、地図の上で回し始めた。
しばらくすると、振り子はある部分で小刻みに激しく動きだしたので、呉範はそこに印をつけたのである。
そして、若く不思議な雰囲気を持つ占い師の呉範は、鼻歌を歌いながら長沙から出て行った。
二人はこれを天佑と思い、急いで東南の山岳地帯へと採掘隊を率いて向かうことにした。
東南の山岳には時折、猛獣が出ることもあり、地元の猟師も雇って捜索をすることにした。
韓曁は鞏志に対し
「養由基なのだから、弓で一撃じゃないのかね?」
とからかったが
「蜻蛉や柳の葉は襲ってこないが、虎は襲ってくるだろう? 勝手が違うんだよ」
と笑って誤魔化した。
数日かけ目的の山に着くと、山頂部分は既に白くなっていた。
十一月ということもあり、流石に亜熱帯に近いといっても、標高が高くなれば寒くなる。
ただ、幸いなことに毒蛇の類はほぼ冬眠状態に入っているので、それだけが救いである。
問題は冬眠前の熊に気をつけなければならないことであった。
しかも手っ取り早く鉱脈を見つけるには、洞窟の中に入るのが一番である。
洞窟の中となると、そこには当然、熊がいる確率は高い。
ただ、他にも清流の浅瀬で探る方法もあるため、洞窟に入るのは一先ず、先延ばしすることにした。
捜索は困難を極めた。当然のことである。
簡単に見つけることが出来れば、希少価値がないのだ。
希少価値があるからこそ、人は黄金を求めるのである。
浅瀬にて、それらしい石を見つけては捨てることを繰り返す。
地味な作業だが、それしか方法はない。
そして、渓流にて偶に魚をとり、野鳥を狩って、腹を満たす。
それから五日ほどが過ぎると、流石に韓曁と鞏志は焦りだした。
主の夢と呉範の予想は「ひょっとしてアテにならないのか?」とも疑いだした。
だが、二人はその疑念が出るたびに、首を振って石を拾い集めた。
十日を過ぎた頃、鞏志はとうとう不貞腐れ、浅瀬の小石拾いをやめてしまった。
十一月の少し肌寒い中での水仕事は、いつの時代でも重労働である。
鞏志は川岸に座り込み、黙々と作業をしている韓曁に言った。
「おい。韓曁さん。もう駄目だよ。そろそろ洞窟にでも入らないと期限切れになっちまう」
韓曁もまた痺れをきらしていたので、無言で頷き、山越人の狩人らを先頭にして洞窟に入ることを決意した。
そこから洞窟を探すこと二時間。
ポッカリと口を開けた大きな洞窟を見つけた。
中を覗くと下へ下へと繋がっているようである。
「まずはここを探してみよう。駄目なら次に行くまでさ」
韓曁が静かにそう言うと、鞏志も無言で頷いた。
大きさ的に熊が居てもおかしくはない洞窟なので、用心しなければならない。
先頭には地元の猟師である長沙蛮の若者が、荒れた足場を物ともせずに器用に降りて行く。
洞窟の高さは高いところだと2メートル程で、幅も3、4メートルほどとこれまた広い。
ただ少し進んだところに、4メートルほどの急な崖があったので、熊の心配はなさそうである。
崖を過ぎるとさらに中は冷たく、鍾乳石と氷筍が混在している箇所に出た。
松明の灯りを頼りに進むも、時折滴り落ちる水滴があり、松明の灯りだけでは少し心細い。
しかし、それを事前に察知していた韓曁は、最近自身が作ったばかりの代物を使っていたので、不安にならずに済んでいた。
その代物とは現代で言うところの手持ち式のランタンで、中には蝋燭が灯っているものだ。
あまり透明とはいえない硝子が、四方を囲んでいるので薄暗いのが欠点だが、少なくとも水滴には対応できるのだ。
そして、水滴を我慢しながら、さらに奥へ進んで行くと、急に黒い群れが一行を襲ったのである。
「うわっ!? なんだ!?」
鞏志は慌てて短剣を抜き、羽ばたく黒い群れに反応する。
特に慌てる必要のない蝙蝠の群れであるが、あまりにも暗く、慣れない場所なのでつい慌ててしまったのである。
「わわっ! よせ! ああっ!!」
さらに鞏志は叫んだ。足を滑らし、脇にあった斜面に足をとられたのである。
足元は水に濡れて滑りやすく、急斜面になっていたため、その場から一気に滑り落ちてしまったのだ。
「うわぁぁぁぁ!! 助けてくれぇ!!」
滑り落ちて行く鞏志の姿を誰も見ていなかった一行は、姿を消した鞏志を慌てて探しだした。
それと同時に激しい水しぶきの音が洞窟内に響いた。
「うわっ! 冷たい! 誰か助けてくれ! 助け舟っ!」
流石にバシャンバシャンと下から音がしていれば、誰でも気づくものだ。
皆が斜面を見下ろすと、慌てた鞏志が狂ったように水面でもがいていた。
実は膝下ぐらいしかない浅い地底湖なのだが、鞏志は気が付かずに溺れていたのである。
思わず吹き出しそうになりながらも、韓曁は落ち着いて鞏志に言った。
「おい、鞏志君。君は何をやっているんだね?」
「何って!? 見れば分かるだろう!?」
「ああ、君が水の中で戯れているのは分かる」
「戯れているんじゃない! 溺れているんだ!」
「そんなに浅いのに、どうやって溺れることが出来るんだね?」
「そんなに浅いって……え? あ?」
鞏志が思わず手足の動きをやめてみると、尻が地についていることが感じられた。
ハッと鞏志が気づくと、上の方では皆が声を出して笑っているのである。
「おい! 笑いごとじゃないぞ! 少しは『可哀想だから助けてやろう』ぐらい思わないのか!?」
「いやぁ、悪い悪い。古の養由基も同じことをしていたのかと、つい過ったものでね」
「酷い奴だな……君は。仇討ちの恩人にそれはないだろう……」
「ハハハ。それもそうですね。では、助け……わわっ!」
助けようとした韓曁も思わず足元を滑らせ、鞏志の横に見事、着水した。
そんな韓曁を鞏志は仇討ちとばかり大声で笑う。
すると韓曁もおかしかったのか、自らも大声で笑ったのだ。
一頻り大笑いすると、火の灯ったランタンが水面の近くに落ちていた。
韓曁が近づくと、ランタンの光に反射した光を確認したのである。
その光は鈍く、淡白い光であった。
「これは……まさか銀か!?」
急いで確認すると、それはまさしく銀であった。
そして、その声に反応した皆は、大い騒ぎ、そして笑い合ったのである。




