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外伝68 失念と失望

 

 劉邦が宮中に現れる数時間前のこと。

 当の劉邦は洞窟の中で酒を呷りながら寛いでいた。

 そこにひょっこりと南華老仙こと老師がやって来た。

 

「よぉ。そろそろ俺様が出張っても良い頃合いだろう? いい加減ここで酒を呷るのも飽きてきたところだ」

 

 劉邦が呑気にそう言うと老師はこう言い放った。

 

「儂もいい加減お主に出て行って欲しいところじゃ。好きな所へ出してやるから場所を決めよ」

 

 劉邦はグビッと更に酒を呷ると酒臭い息をプハァと吐いて老師に質問した。

 

「おう。俺様は何と言っても初代の漢王朝の皇帝様だ。それなりに派手な登場が良いな」

「どうするつもりじゃ?」

「確かお前さんが鳳凰に化けて荊州に現れたんだよな? じゃあ、やはりそこが一番かなぁ」

「おお、そうか。じゃあ早速・・・」

「いや、待て。お前さんのことだ。ろくでもない隠し事してねぇだろうな?」

「そんなことはしておらんわい。ま、強いて言うなら・・・」

「何だ?」

「荊州牧の義理の息子が項籍ということだけじゃな」

「なっ!? おい! どういうことだ!?」

 

 老師は劉邦に事のあらすじを言うと劉邦は左右に首をブンブンと振った。

 

「ふざけるな! 奴が記憶を取り戻したら俺様が真っ先に狙われるだろ!」

「記憶が蘇っているのは范増ぐらいなもんじゃ。安心せよ」

「もっと安心出来ねぇよ! よりによって范増の爺だと!?」

「こればかりは仕方ないのぉ。だが、安心せよ。陳平や彭越、灌嬰もおるぞい」

「余計に安心出来ねぇよ! 陳平なんぞは俺様が殺されてもニヤつくだけだろうし、彭越に至っては項籍以上に俺様を殺してぇ筈だ!」

「記憶がないから大丈夫じゃよ」

「灌嬰のガキだけじゃどうしようもねぇな・・・。やめだやめだ」

「・・・では、このままここに居座るつもりか?」

「いや、そうじゃねぇ。おう爺。お前さん『どこでも』とかぬかしたよな?」

「・・・おう。ぬかしたぞい」

「じゃあ、決まりだな」

「・・・・・・何処じゃ?」

「決まっている俺様の本来の居場所だ」

「本来の居場所とな・・・?」

「おう! 宮中に決まっているじゃねぇか!」

「なっ!?」

「あの劉宏というのが元凶だろ? じゃあ、そいつをどかして俺様が帝位に就けば丸く収まるじゃねぇか」

「・・・・・・そう上手くいくかの?」

「あたぼうだ! 大体、俺様が創った王朝だぞ! 俺様が復帰して何が悪い!」

「・・・・・・分かった。それでは連れて行くぞい」

「おう! これで司護という奴は・・・待てよ」

「何じゃ?」

「確か虞もいるんだよな?」

「いるぞい・・・」

「じゃあ、決まりだ! 項籍から虞を引き剥がして俺様の側室にしてやろう! 本当は娥姁(呂雉の字)みてぇな田舎娘なんぞ俺様には不似合いだったんだ!」

「・・・そうか。上手くいくと良いのぉ。では、お前さんを宮中に出すとするぞい」

 

 このような経緯で宮中に現れたのだが、上手くいくわけがない。

 劉宏に暴虐の限りを尽くした後、護衛の宦官に追われる羽目となった。

 

「てやんでぇ! 俺様を誰だと思っていやがるんだ! どいつもこいつも不忠者だらけじゃねぇか! 腐れ儒者どもは何を教えていやがった!」

 

 劉邦が崩御して既に四百年。

 当然、劉邦の姿を知る者なんぞいる訳がない。

 仮に宮中に張良らがいたとしても記憶がないので、それも意味がない。

 

 取り囲もうとする宦官らをバッタバッタと斬り捨てながら、褌姿の劉邦は宮殿の外へと飛び出た。

 そこに行けば逃走用の馬車があると思ったからだ。

 しかし、当然ながらそんなものはない。

 

「おい! 夏侯嬰! 何処だ!? さっさと馬車を引け! ガキどもはいねぇから全速力で飛ばせるぞ!」

 

 そんなことを叫んだ所で夏侯嬰は涼州である。

 居る訳がない。

 

「くそっ! 何処だ!? おおい周勃! 樊噲! 盧綰! 何処にいる! とっとと俺様を守りやがれ!」

 

 やはり叫んだところで誰も来ない。

 虚しく声だけが響き渡るだけである。

 悲しいかな劉邦は他の者達が全て記憶を無くしていることを失念していた。

 いや、老師から聞いている筈なのだが、危機的状況となったことで忘却してしまった。

 

「なんて奴らだ! 不忠にも程があるぞ! 俺様の恩を忘れるとは言語道断だ!」

 

 劉邦が歯ぎしりして門の外へ飛び出すと、そこには詰めていた董卓の兵らがいた。

 李粛の指図で詰めていたのである。

 

「そこの者ども! そこにいる不埒者を斬るのじゃ! 斬れば褒美がタンマリ貰えるぞ!」

 

 門の中から一人の宦官がそう叫んだ。

 それと同時に董卓の兵らが劉邦に飛びかかっていく。

 

「雑魚どもがぁ! 恐れ多くも劉邦様と知っての狼藉か! どけどけぇ!!」

 

 劉邦は迫る兵を蹴散らしながら強行突破を図る。

 当然のことだが皆、報償目当てだ。

 皮肉にもこの状況は、かつて項籍も同じ道を辿ったものである。

 

 項籍ほどではないが劉邦もまた腕っ節には自信がある。

 しかし悲しいかな。どんな豪傑でも体力には限界がある。

 これが項籍ならば可能であったが、劉邦となると話が違う。

 

「おう! 邪魔だ! あいつの首は俺が取ってくれる!」

 

 部下の兵を押しどけて名乗った者は、董卓配下において随一の豪傑として知られる華雄だ。

 幾多もの武人を相棒と呼ぶに相応しい得物の鷹頭刀で屠ってきた実力者である。

 

「くそっ! どきやがれ! テメェなんぞ樊噲に比べたら・・・」

「問答無用! 褒美は貰ったぞ!」

 

 既に体力の限界に近かった劉邦に華雄が相手では分が悪すぎた。

 僅か数合で肩口から真っ二つにされてしまったのだ。

 

「な、なんでだ・・・。俺様は漢王朝初代の帝だぞ・・・。この不忠・・・」

 

 絶命した劉邦の太ももには夥しい黒子がある。

 伝説と同じ容姿でもあるので、兵らも困惑を隠しきれない。

 

「ふん。これが高祖なものか。もしそうだとしても、俺様は命令に従ったまでだ。関係ねぇ」

 

 華雄はそう呟くと、サッと手際よく劉邦の首をかっ斬ってズカズカと宮中に入っていく。

 宮中は既に混乱が収まりつつあったが、血飛沫を浴びた華雄を来るとまた騒ぎが大きくなった。

 止めようとする宦官らであったが、華雄がギロリと大きく睨むと腰を抜かすだけの存在だ。

 

「陛下! お喜び下され! この華雄が曲者を殺してやりましたぞ!」

 

 劉宏が顔を濡れた布で冷やしていた所に華雄は無礼にも入ってきた。

 それと同時に劉宏の目の前にゴロンと何かが転がった。

 

「ひいっ!?」

 

 劉宏の目の前で転がったのは劉邦の首であった。

 いや、先ほどまで自分を劉邦だと名乗っていた曲者の首であった。

 

「陛下! ご安心召されよ! これで陛下を脅かす者はおりませんぞ!」

「あ・・・う、うむ・・・」

 

 勢いで曲者を殺すよう命じた劉宏だが、冷静を取り戻しつつある現時点では後悔の念に駆られていた。

 本当に劉邦であったらと思うと気が気でないからだ。

 普通ならまず有り得ないことだが、念のために曲者の遺体を調べるよう趙高に命じることにした。

 

「真か・・・それは?」

 

 遺体を確認した結果、太ももにある黒子は全て本物であると実証された。

 そして、その数は七十二だという。

 

「ほ・・・・・・本当だったのか? 朕はまさか・・・」

「陛下。まだ本当の高祖と決まった訳ではありませぬ。陵墓をあらためれば分かること」

「さ・・・左様じゃ。急いで検めよ」

 

 趙高の進言を由とした劉宏であるが、この時すでに趙高の術中に嵌っていた。

 陵墓を検分した結果、劉邦の遺体はなかったのだが、陵墓を守る者達を脅して隠すことにしたのだ。

 その結果、劉邦は劉邦を名乗った曲者として処理されることになった。

 

 劉宏は陵墓のことを聞くと安堵の溜息をついたが、そこに趙高は機知を働かせた。

 今こそ司護を讒訴し、追討令を出させる好機と睨んだのだ。

 

「陛下。此度の高祖を名乗った偽物の件ですが、どうも荊州牧が絡んでいるとのことですぞ」

「なっ!? 何故、そのような・・・」

「あの者が痺れを切らし、高祖を名乗る偽物を帝位に就かせた後、禅譲して帝位を奪うためです」

「い、幾ら何でもそこまで・・・」

「陛下! 王莽のことをお忘れか!? 奴は本性を現す前、清貧を装っていた儒者であったということを!」

「・・・・・・まさか」

「鳳凰の件も禍々しい妖術を使い、民を惑わせておるのです! 彼奴こそ張角、いや王莽以上の大奸物ですぞ!」

「・・・・・・」

「陛下! 彼奴は高祖の名を騙った曲者を使い、陛下を惑わせたのですぞ! このような者を野放しにして良いのですか!?」

「・・・如何にもその通りじゃ。おのれ! 司護め! この朕だけでなく、高祖まで貶めるとは!」

 

 趙高の煽りに乗せられた劉宏は、趙高の意のままになった。

 まず新たな荊州牧に車騎将軍を歴任した衛尉の張温を任命した。

 張温は有能であるが極端に臆病な一面があり、十常侍の力を怖れている。

 その為、十常侍からは使い勝手が良い駒とされている状況にあった。

 これに伴い、反対する王允らを始めとする五人は入獄されてしまった。

 他にも尚書令の士孫瑞を始め、淳于嘉、趙温、田芬、張義らが挙って反対したが、その者らは蟄居を命ぜられてしまう。

 

「しめしめ・・・上手くいったわ。まさか、こんな展開になると思わなかったがな・・・」

 

 趙高は劉宏を更に言いくるめ、大討伐軍の編成を急がせる。

 更に益州の劉焉や揚州の劉繇らに帰順し出兵するよう伝令を出し、交州には南から討伐するよう命じる勅令を出した。

 董承が喜んだのは言うまでも無い。

 

 大討伐軍の陣営だが、続々と有力者が名乗りを挙げる。

 総大将として大将軍の何進は言うまでもないが、袁兄弟、即ち冀州牧の袁紹、揚州牧の袁術。

 更には并州牧の丁原を始め、徐州牧の陶応、右北平郡の公孫瓚、董卓らが名を連ねる。

 

 趙高は更に十常侍らにも働きかける。

 まず両巨頭の張譲と趙忠には多額の賄賂を贈り、長沙の太守に自身の弟である趙成。

 また、武陵の太守に娘婿にあたる閻楽を任命するよう説得し成功する。

 そして、問題の衝陽であるが、ここには趙忠の従兄弟である趙苞にすることで落ち着いた。

 更に他の十常侍からも不安が出ないよう、臨賀、零陵、桂陽の三郡にも他の十常侍の縁者に太守や県令を配置することになった。


「ハハハ。上手くいきましたな。これであの田舎州牧も終わりでしょう」

 

 趙高が屋敷に戻ってくると、留守中に屋敷へ通されていた黄皓が薄ら笑いを浮かべながら趙高を出迎え、こう申した。

 

「うむ。やはり天佑は我にあり。喜べ。君も十常侍の一人として力を振るって貰うぞ」

「有難き幸せ」

「ただ、これで満足してはならぬ。邪魔者はまだいるからな」

「ほう? 田舎州牧め以外にもですか?」

「そうだ。張譲と趙忠という厄介者を忘れるな」

「ええっ!? しかし、そのお二方は…」

「欲ボケしている哀れな老いぼれに過ぎぬ。この二人だけでないぞ。残りの十常侍どもも片っ端から除き、我らで宮中を牛耳るのだ」

「…しかし、まず如何にしてその両名を亡き者にするので?」

「フフフ。私に策がある。デブ帝の命は繋がったが、ついでにあのデブ帝も死んでもらう」

「……」

「君が駒として使っている娘は未だに官女であったよな?」

「貂蝉のことですか?」

「そうだ。頃合いを見て、帝を消すのだ」

「…して、いつ頃に?」

「ハハハ。そう焦るな。好機は何れやって来る」

 

 趙高は顎を摩ると満足そうな笑みを浮かべた。

 その笑みにつられ、黄皓も笑みを浮かべたのであった。

 

 さて、その貂蝉であるが、混乱の最中に逃げることは叶わなかった。

 誰が曲者の手引きをしたかで尋問を受ける羽目になったからだ。

 何せいきなり出現したのだから、誰のせいでもない。

 だが、こういったことは犯人を特定せねば収まりが付かない。

 結果、十常侍の一人で警護責任者であった孫璋の肝いりで官女になった娘が処刑された。

 ちなみに孫璋も責任問題で三族皆殺しとなり、代わりに黄皓が抜擢されることになった。


 これにより貂蝉は更に黄皓の目が光る場所に晒されることになった。

 納得がいかないのは貂蝉だ。

 後日、貂蝉が黄皓と二人きりになる機会があり、黄皓に詰め寄った。

 

「ちょっと! どういうことさ! アタシはもうお役御免だろ!」

「馬鹿なことを申すな。帝はまだ生きておるではないか」

「そんなこと知るかよ! いきなりあんな奴が現れるなんて聞いてないし!」

「それこそ私が知らぬことだ。だが喜べ」

「…何を喜ぶのさ?」

「お前が叫んでくれたお陰で帝はお前に感謝しているらしい」

「…は?」

「つまりだ。お前は帝に気に入れられたという訳だ」

「じょっ! 冗談じゃない! あんなキモデブ幾ら積まれてもお断りだよ!」

「ハハハ。案ずるな。何皇后の手前、上手く断れば良かろう」

「…それで上手くいくのかよ?」

「ああ。何せ王美人は何皇后に毒殺されたことがあるからな。上手く泣いて誤魔化せ」

「…冗談だろ?」

「本当のことだ。その件を引き合いに出してやれ。それと追って奴を始末する指令を出す」

「……」

 

 貂蝉は酷く後悔をしていた。

 あのまま帝が撲殺されていれば、司護に討伐令が出されることはなかったからだ。

 混乱に乗じて逃げていれば容易く黄皓の目を眩ませたかもしれない。

 そして、盗んだ金を元手に荊南の地で優雅に暮らせたかもしれないのである。


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