外伝65 羽扇の行方
五行祭の開幕に鳳凰が降り立ったのは瞬時にして周囲に広がった。
何故なら衝陽郡だけでなく、荊州近辺でも目撃されたからである。
現代のようにスマホなどはないが、迷信深い人々にとっては噂の物種となり拡散されていく。
鳳凰が出現したことにより、衝陽は更に熱気を加速させた。
司護を讃える声はあちこちで聞こえ、それに非を唱える者は皆無に等しい。
そして、それに同調して演説をし捲し立てる者もいる。
その中でも未だ釈然としない者がいる。
劉備と共に衝陽にやって来た禰衡、字は正平という者だ。
開会式にはいなかったが、彼も遠目から鳳凰の姿を確認していた。
「どうにもおかしい。矛盾している。本来なら鳳凰が現れたというのなら、自身が帝を名乗るのが当然じゃないのか?」
そもそも鳳凰が出現するというのは、新たな天子が現れることを意味する。
しかし、司護は「帝になる意思はない」と断言している。
それ故、釈然としないのだが、それ以外にも自身の司護の評価が間違っていたことになるので、認めたくないという心情もあった。
禰衡は祝いの酒という名のタダ酒を貰い飲み歩きながら、鳳凰が出現した理由を模索していた。
それによっては「今後どう劉備を焚きつけるか」という指針にもなる。
「ううむ。妖術か? それとも幻術という技か? だが、そのようなことが出来るなら何故、今日まで隠していた?」
どうにもしっくり来ない禰衡だが、遠目でふと辻で騒いでいる者を見つけた。
「おっと。気分直しに丁度良い。いっちょからかってやろう」
辻にて騒ぐ男は民衆に対し、如何に司護が天に憶えめでたい人物であるかを力説していた。
民衆は司護に陶酔しており、そのことが男を更に饒舌にさせる。
禰衡は暫く泳がせ、頃合いを見計らって異議を唱えようとした。
しかし、その矢先であった。
「待て! 君の話には矛盾がありすぎる! それとも民衆を焚きつけ、惑わすことを荊州牧は由としているのか!?」
一人の青年が男に対し、そう発言した。
男はキッと青年を見ると、こう返した。
「何だと!? お前は誰だ!」
「フン! 人に名を聞くのなら、まずは自ら名乗るが良い! それとも荊州では、そんなことまで知らぬのか!」
「なっ!? 私の名は姓を許、名を汜! 字は玄碧だ! して、お前は!?」
「姓は虞! 名を翻! 字は仲翔だ!」
「何っ!? 会稽の別駕従事ではないか!」
「おう! そういうところだけは地獄耳だな! 如何にもだ!」
「ふざけるな! その別駕が何故、荊使君が矛盾していると言うのだ!」
「たわけっ! 矛盾しているのはお前だ! 私は荊使君のことを言ってはおらん!」
「何だと!?」
「お前は元々、天帝教で民衆を焚きつけていた痴れ者であろうが! 何故、また不用意に焚きつけるのだ!」
「だっ! 黙れ! 焚きつけるとは何だ!?」
「ハハハ! 図星だから慌てておるな! ならば良い! 聞かせてやろう!」
「・・・お、おう! 聞こうではないか!」
「先ほど君は『帝は荊州牧に禅譲するのが本来の道』と申したな!」
「当然だ! そうでなければ鳳凰が舞い降りた理由にならぬ!」
「楊県令は君みたいな痴れ者を弟子にして恥ずかしくはないのか・・・。呆れたものだ」
「なっ!?」
「良いか! 不用意に禅譲を迫ってみよ! 王莽の如き誹りを受けるのは荊州牧となるぞ!」
「何故だ!? それに王莽は鳳凰を呼び起こしてはおらぬ!」
「確かにそうだ! だが、都にいる帝の前に十常侍や何進が鳳凰の件を握りつぶすぞ!」
「連中が何と言おうと天の意思に逆らえまい!」
「この大たわけ! そもそも君は荊州牧ではない! 君のような自分勝手に忠義顔をした者が煽動し、騒ぎを起こすことこそ、荊州牧の災いとなることを解らぬかっ!」
当初はニヤついて聞いていた禰衡だが、次第に腹が立ってきた。
虞翻と名乗る者が言おうとしたことを全部言ってしまったのだ。
これでは許汜をからかいたくともからかえない。
むしゃくしゃしていると、脇から色白の一見少女のような童が「失礼しますよ」と顔を覗き込んだ。
邪魔だと思った禰衡だが、それと同時に後ろから童を呼び止める声がした。
「おい! 孔明! 何をしているんだ!」
「子瑜兄さん。これはその辺の見世物よりも面白い。兄さんは私に構わず、伯父上からの役目を果たしてきて下さい」
「全く呆れた奴だ。お前は常に勝手すぎるぞ」
「アハハ。雲は常に勝手気ままです。雲に乗り、天空へと羽ばたくには勝手気ままが一番です」
禰衡はそのことを聞くと
「こいつは面白い。吾輩と同じようなことを申すとは大いに見所がある」
と勝手なことを思った。
さて、虞翻に論破された許汜は「ぐぬぬ」と黙ると同時に辺りを見回した。
すると許汜は、ある者に気づいて声をかけた。
「これは来先生! いや、ここで会うとは奇遇ですな!」
来先生と声をかけられた者は来敏、字を敬達という者だ。
訓詁学の権威でありながら偏屈屋としても有名な人物である。
その来敏ではあるが、特に許汜と親しいという訳ではないので、如何にも嫌そうな表情をした。
しかし、許汜はそのことに気づかない振りをし、更に話しかける。
「来先生。今、私は荊使君について人々に対し、その徳を説いていたところです」
「そ、そうかね。なら、そのまま続けておれば良いではないか」
「ですが、何故かは知りませんが、虞別駕が邪魔をするのです」
「そんなことを言われてもな・・・。別に良いではないか」
「良い訳がない。ここは先生のお力で・・・」
そう許汜が話していると、止せば良いのに虞翻が口を出した。
「やぁ! 実の所、荊州牧は人が少ないと見える! 狐が威を借りようとした先には虎ではなく、狢がおるようだ!」
流石に来敏は、これには頭がきた。
許汜にことはどうでも良いが、自身が狢と言われたからだ。
「ぶっ! 無礼な! 儂が狢だと!?」
「ハハハ。気に障ったならお許しあれ」
「ふん! 先ほどのことを聞いてはおったぞ。ならば、君は荊使君に対し、どのようにせよと申すか!?」
「私は会稽の者です。私が的確な助言をしたとしても、あなた方は疑うでしょう」
「ほざくな! 自信があるなら素直に申せ!」
「では、申そう。隠居をすれば良い」
「なっ!? 何と言うた!?」
「隠居をすれば良い。そう申したのだ」
「どういうつもりだ! 荊使君を隠居させるとは!」
「鳳凰が舞い降りたのに禅譲には興味がない。つまり役立たずだ」
「なっ!? 何だと!?」
虞翻の発言に周囲は騒然となった。
そんな時、禰衡の傍らにいた童が突然、大笑いした。
「ほう? 何がおかしいのかな?」
禰衡は興味本位で童に話すと童は声高らかにこう答えた。
「そりゃあ朝廷も『いきなり禅譲せよ』と言われて『はい、そうですか』とは成りませんよ」
「そりゃそうだ。で、何がおかしいのかな?」
「荊使君が隠居するということは、同時に天の怒りを買い、荊州だけでなく全てが天変地異に襲われるということでしょう?」
「有り体に申せばそうなるな」
「先日、開会式とやらで宣言したのが嘘でないならば、それは無理でしょう」
「ほう」
「というか、荊使君が隠居したら天もお怒りになる筈でしょう。そうなれば、荊使君は本当に役立たずになりましょう」
童の答えを聞いた虞翻は思わずギョッとした。
虞翻の考え方は「天変地異が起きた後、再び司護が戻り、そこで禅譲すれば良い」と思ったからだ。
もしも神通力が失われていたら、それこそ意味が無くなってしまう。
「では、君はどうすれば良いと思うのかね?」
禰衡の問いに対する童の答えは、至って簡素なものであった。
「どうにも解りません。天の意思など、どうやって知れば良いのです?」
「ま、確かにそうだな」
「ならば答えは簡単なことです。荊使君にお任せするしかない。それが答えです」
「成程な」
「天は天のみぞ知る。それで良いではありませんか」
童はそう言うとまた「アハハ」という甲高い笑い声を上げた。
皆がすっかり感心し「この子は正に神童なり」と周囲が持て囃すと、一人だけ許汜が童に対し、こう言った。
「君は恐らく太学にて神童と持て囃されたいから、この場にてそんなことを申したんだろうな」
「そう思いますか?」
「フン。君以上の才知は、この衝陽に数多の如くおるよ。それに神童と騒がれた者は、決まって大人になれば大したことないものだ」
童は気にもしていなかったが、その問いに禰衡は許汜に対し、こう言い放った。
「ま、それじゃ君は童の頃に、さぞかし神童と持て囃されたのであろうな」
周囲は一気に笑いに包まれた。
許汜が顔を真っ赤にして周りを見ると、あろうことか来敏まで大声で笑う始末である。
居ても立ってもいられず、許汜は逃げるようにその場から離れた。
「ああ、可笑しかった。貴方も中々やりますね」
童は禰衡に対し、そう話しかけた。
そして、矢継ぎ早に申した一言が、禰衡が思わずギョッとした一言だった。
「今の返しは孔先生の子供の時の逸話ですね。貴方は孔先生のお弟子さんですか?」
だが、禰衡は焦る気持ちを抑え、童に対しこう返答した。
「如何にも。吾輩こそ孔先生の一番弟子。禰衡、字は正平である」
「成程。貴方が劉州牧の軍師殿ですか」
「うむ? それを知っているとは、君は何者かね?」
「失礼しました。私は徐州琅邪郡の生まれで姓を諸葛、名を亮。字は孔明と申す者です」
「ほう? 徐州の諸葛氏と言えば由緒ある家柄だ。成程、そうであったか。ところで・・・」
「何です?」
「どこの諸葛氏だ? まさか、諸葛玄の手の者ではあるまい?」
「ええ、そのまさかです。諸葛玄は伯父で、僕は兄と弟と共に養われております」
「何と!?」
童は禰衡が驚くと同時にカラカラと笑った。
現在、諸葛玄は袁術に属し、徐州牧を称する陶応と共に劉備と相対している。
ただ袁術に属していると言っても、諸葛玄の事情により袁術についているだけに過ぎない。
諸葛玄は悪い人物ではない。
寧ろ性格は実直なのだが、凡庸で周りに流されやすい傾向にある。
それが災いしてか、影響力のある袁氏にすり寄ろうとする家臣らに押し切られ、袁術についている。
「あのヒラメ未満の大凡人の甥が、まさか徳祖(楊修の字)君以上の器とはな。解らんものだ」
そう思うと同時に
「待てよ。あの大凡人も気持ちは揺らいでおる筈。まずは、この童を吾輩の弟子にしてやろう。そうすれば、何れ我が陣営に靡くであろう」
という実に勝手でおかしな結論に至った。
「なぁ孔明。君に会わせたい人物がいる。それと君には、学問の師父はいるのかね?」
童は首を傾げた後、暫くしてからこう言った。
「強いて言うなら兄上でしょうか」
「む? それはいかん。折角の玉がタダの石ころになってしまうぞ」
「そうですか? ならば、何方の弟子が良いでしょう?」
「ハハハ。幸い、目の前に吾輩がおるではないか」
「ご貴殿が?」
「そうだ! この天下の鬼才、禰衡より上は孔先生ぐらいなものだ!」
「ハハハ。そうでしたか。ま、孔先生の孫弟子となるなら悪くありませんね」
「ふむ。素直ではないな。いかんぞ。吾輩のように素直にならねば、学問を極めることは出来ぬ」
「ハハハ。そうですね。では、素直になりましょう」
「宜しい。では、ついてまいれ」
「はい。師父様」
禰衡はそう呼ばれると「うむ」と頷き、同時に「ついて参れ」と孔明に言った。
孔明は少し鼻から溜息のような息を出すと、禰衡に言われるままついて行った。
そして、ついた先は居酒屋であった。
「よう! 孔明さん!」
禰衡が居酒屋に入るなりそう呼んだので、童は思わず返事をしそうになった。
だが、返事をせず様子を覗うと、静かに挙手をした青年がいた。
挙手した青年は白い特徴のある装束を着ており、迷惑そうな表情を浮かべながらこう返した。
「また何だね? 厄介ごとはいい加減にして欲しいものだ」
禰衡は「ふふん」と鼻を鳴らし、孔明と呼んだ男にこう言った。
「孔明さんに吾輩の弟子を紹介しようと思ってね」
「君の弟子? そんな物好きがいるのか?」
「何を言う。この天下の鬼才、禰衡の弟子だぞ。これほど誇り高いものはない。ただ・・・」
「何かね?」
「天とは無慈悲なものだ。吾輩がいなければ、世間は必ずや我が弟子を天下の鬼才と評したであろう」
「アハハハ!」
同じ孔明と呼ばれるその者は、大笑いをした後、キョトンと見つめる童を見た。
童は童で、目の前にいる人物は噂に聞く名士、胡昭、字を孔明という人物だと気づいた。
最近では劉備の軍師となっているが、本来なら在野の大賢人として名高い名士である。
童も世間に出ず、一生のんびりと野で過ごすことを夢みていたので、興味がある人物であった。
「ほう? なるほど・・・」
孔明という青年は童を見ると、少し息を漏らしてから近くに来るよう手招きをした。
童が寄ると青年は自身の手中にある白い羽扇を、そっと童に差し出した。
「・・・・・・これは?」
「君が持っていた方が良さそうだ」
「何故です?」
「何と言えば良いだろう。天下の鬼才、禰衡が認めたほどの君だ。私よりも君が似合うであろうよ」
「えっ!? そんな! 胡先生の方が似合いますよ!」
「ほう? 私を知っていたのか。ならば、話は早いね」
「それはもう・・・。徐州の恩人の貴方様を知らない訳はありません」
「ハハハ! 私は大したことをしていないよ」
「しかし、これは受け取れません。私にそんな才覚はありませんので・・・」
「いや、あるよ。もし、そうだと思うなら、これに見合った才覚を持てるよう努力すれば良い」
「・・・私に出来ますかね?」
「ああ。何せ天下の鬼才が認めたんだ。間違いないよ」
胡昭はそういうとまたニコリと童に微笑んだ。
すると童もニコリと微笑み、その羽扇を受け取ったのであった。




