第八十六話 ついに奴が来た!
歩騭と別れた後、僕は護衛のゴリ子と許褚、衛兵らを連れ、暫く散策することにした。
四月に入り、五行祭開催による下準備が官民問わず、より拍車を掛けている。
武道大会だけでなく、様々な種目の競技の予選会が行われており、そういった所にも僕は顔を出すことにしている。
そんな最中、不意に僕の足下に鞠が転がってきた。
「こ、これは荊使君! 失礼を…」
「ハハハ。構わぬ。それ、返すぞ」
僕は鞠を蹴り返し、予選会場のフィールドを見た。
競技の中には蹴鞠も含まれており、懸命に汗をかきながら鞠を追う姿がそこにある。
皆、名無しのモブだけど、本当は名無しではなく、家庭を持つ良い夫であり、良い父でもある者が大半だ。
ここに来た当初、僕は既に蹴鞠があることに驚いた。
話によれば既に五百年ぐらいの歴史があるというのだから、現代に置き換えると二千三百年もの歴史があることになる。
ルールは現代のサッカーとは全く違うものですけどね。
鞠はゴム製ではなく主に羽毛が使われているので、反発が少なく、軽すぎてドリブルとか上手く出来ないのです。
因みにですが、球技としては蹴鞠の他にもテニスがあります。
名称は当然、庭球ですけどね。
これは西から渡来した形で、ボールは丸い石に綿などを巻いたものを使用しています。
ラケットにはガットはないし、ボールも弾まないけど、それなりに受け入れられつつあります。
スポーツだけではありません。
競技には囲碁、六博、シャンチー(象棋)も行われます。
シャンチーとは日本で言うところの中国将棋でして、なんでも韓信が考案したものとか…。
六博は早い話、中国版の双六ですね。
これは子供にも楽しめるよう、更にルールを簡易化させたものを開発し、既に廉価で売り出しております。
現代の双六に近い形なんですが、春秋左氏伝などが遊びながら学べるといったものです。
主な制作者は潁容と来敏。それと邯鄲淳がアドバイザーという形かな?
他にも大酒大会やら詩作大会、算盤大会、曲芸大会、麻雀大会なども行われます。
ま、早い話が「身分や民族、老若男女問わず、皆が楽しむ」ということです。
こうしたことが更なる発展に繋がると僕は思うんですよ。
別に「スポーツの祭典じゃないといけない」という決まりはないですしね。
「これは荊使君! 是非、うちの月餅を食べていって下さい!」
「荊使君! オラの落雁も是非!」
屋台から売り主らが声をかけ、僕に菓子を勧めてくる。
衛士の一人が毒味役を兼任しているので、まずはその衛士が少し囓った後に僕が食べる。
これは仕方ないことなんだけど、早くこんなことをしない世の中にしたい。
とはいっても、江戸時代の将軍とかも同じだっただろうからなぁ。
目黒のサンマは実話じゃないだろうしね。
「うむ。中々の美味であった。お代は幾らかな?」
「とんでもねぇ! バチが当たりますよ!」
「そうはいかん。それでは余にバチが当たる。幾らだ?」
「……へぇ。それでは有難く頂戴します」
こういうことは些細なものほど肝心だ。
自身が甘えると、他の者に示しがつかなくなる。
それが何時しか取り返しがつかなくなることもある。
一番上がそれを実践すれば、下の者もそれに倣う。
戦乱がない平和な時こそ、それが大事なことだと常々思うんです。
のど元過ぎれば熱さを忘れるでは困るんです。
平時であればあるほど、自分を律する心構えが大事なんです。
でも現実世界において、僕はそれを実践出来る自信はないので、しがない一公務員で終えたいんです。
ゲームの世界で、しかも僕にはチートなスキルがあるから、上手くいっていると自覚しているんです。
それがなかったら、ここまで上手く行っている訳がない。
上杉鷹山公を始め、阿部忠秋、荻原重秀、田沼意次とか尊敬する人物は多いけど、真似するのはまず無理だ。
そんなことを自問自答し、暫く散策していると、遠くで長椅子に腰掛けながら談笑する見覚えのある人物がいた。
張良と裨将軍で桂陽郡に居る筈の灌嬰だ。
灌嬰は桂陽郡での殖産事業のことで時折、衝陽には来るらしいけど、何故この二人が…。
引き抜かれたらシャレにならないので、急ぎそこに向かい、声をかけましたよ。
「これは子房(張良の字)殿と灌将軍(灌嬰)ではないか。ここで何をしているのかね?」
「これは荊使君。この仁長(灌嬰の字)、帰途の前に衝陽を散策していた所、子房殿と出会ったのです」
「ほう?」
「何故かは知りませんが、お互い初めて会ったが気がしない。不思議なものですなぁ」
「う、うむ。そうかね」
「ああ、ご安心を。涼州には向かいませんよ。荊使君が陳都督(陳平)との約束を守っていらっしゃいますからな」
「い、いや。別にそんな心配は…」
「アハハ。冗談ですよ。こういう時は直ぐに顔に出ますな。子房殿。これで荊使君がどういう人物かお分かりでしょう」
「ハハハハ。確かに。合点がいきました」
「……」
そんなに顔に出やすいのか? 僕は……。
確かに麻雀とかでハネ満クラスをリーチした際、警戒されまくってたしな。
でも、灌嬰クラスが引き抜かれると思ったら、普通は顔に出るでしょ…。
あ、ついでにですが、僕は麻雀はやります。
ただ、賭けることは一切しておりません。
一応、違法だもんね。
僕に麻雀を教えた叔父は「図書券なら賭けにならんぞ」とかぬかし、笑っておりましたけど。
意味が全く分からないので、どうでも良いことですけどね。
張良がフランクな状態である思われるので、僕は灌嬰を交えて鼎談することにした。
劉協の状況や劉焉との同盟関係も知りたいしね。
「子房殿。ここでは涼州王君のことを、殿下と呼ばせて頂きますぞ。余は未だに殿下のことを、朝敵とは見做しておりません故な」
「私としては、寧ろそちらの方が有難い」
「ならば何故、涼州王などと名乗らせたのかね?」
「当時、涼州は韓遂を始めとする反乱勢力が多く、更には鮮卑と西羌、匈奴、氐らの侵攻もありました」
「うむ」
「そこで、こちらとしては殿下を旗印とし、鮮卑の力も借りて長安を攻略しようとしたのです」
「む? それで何故、韓遂らは貴殿らに従ったのだ? その時点において、彼奴らの方が兵は多いであろう?」
「確かに。そこで蓋勲殿、傅燮殿、馬騰殿。そして鮮卑、匈奴らの力を借りて韓遂らの兵数を上回ることに成功したのです」
「良く成功しましたね」
「鮮卑の大人、檀石槐の取り付けに成功すれば、後は簡単でした」
「ハハハ。子房殿は正しく万の兵に等しい御方だ」
「それはお門違いというものです。殿下がいらっしゃるからこそですよ」
「成程。それはそうと何故、貴殿は涼州に?」
「それが…どうにも記憶が曖昧な部分が多く。様々な地を旅していたのは確かなんですが、涼州に向かった経緯や目的は謎なのです」
「成程。それは奇妙だ。だが、安心し給え。余は変人で知られている故、理解出来るぞ」
「ハハハ。私も変人の仲間ですかね?」
「そうだ。そしてもし、より変人であったならば、恐らくここにいる灌将軍と共に我が幕下にいたであろうよ。ハハハハ」
「アハハハハ!!」
僕がそう言って笑うと、張良、灌嬰も思わず大笑いした。
そして、これを切っ掛けにして雑談を交えながら互いの情報交換をする。
そこで劉焉の話題になった時、妙な間が出来たんだ。
「聞けば益州王の配下には韓信と名乗る者がいると聞く。子房殿はお会いしたことあるかな?」
「いえ。それは未だに…」
「それに豫州王君の下には蕭何殿がいる。偶然にしては出来すぎているような気がするがね」
「全くです。そして、荊使君の下には陳都督(陳平)がいらっしゃる」
「ハハハ。確かにな。それで、次はやはり益州王の所に寄るつもりかね?」
「元よりそのつもりです。しかし、そのようなことを何故、気になされるのですか?」
「表面上は敵対関係にあるからな…」
「でうが、益州王が荊州へ攻めて来ることは、万に一つもないでしょう」
「うむ、余もそう思う。問題は涪陵郡の張忠のことよ」
「ああ、噂にはかねがね……」
「あの者が度々、郡境を侵してくるので、頭を痛めているのだ。抑も彼奴は、益州王の軍勢か朝廷の軍勢なのかが分からぬ」
「彼奴はどうにも蝙蝠のような類です。それを上手い具合に使っているに過ぎませぬ」
「左様。それだけに如何ともし難い」
「そういう所だけは鼻が利くのでしょうね。今は無視しておくのが吉でしょう」
「うむ。確かにそうかもしれぬな」
僕がそう返し、続けて劉焉のことを聞こうとした時だった。
突然「ドーン」という激しい雷鳴のような音が響いたんだ。
天気は快晴なのに、どういうことなんだろう?
青天の霹靂って良く言うけど、これは違うよなぁ…。
それに稲光も一切なしで…。
「一体、今のは何であろうか……?」
僕がそう言うと同時に、また再び「ドーン」という轟音が響く。
一体、何なんだ?
「これは雷鳴ではないですね。恐らく…」
張良がそういうと、続けざまに灌嬰が
「間違いない。奴だ。しかし、奴が何故……」
と呟く。奴って誰だ?
まさかとは思うが、灌嬰に問い質すことにした。
「灌将軍。奴とは一体、誰のことかね?」
「項籍です! 奴が大声を張り上げているんでしょう!」
「なっ!? アレが人の声とでもいうのか!?」
「並の将兵でも奴の声で震え上がります! 練度が低い者どもなら尚更です!」
「……ううむ。しかし、項羽が何故」
僕はそこまで言った時、ふと思い出した。
恐らく孫策が虞のことを手紙で項羽に伝えたんだろう。
しかし、来るのが早すぎですよ!
「ここにおいででしたか! 今、予選会場にて…」
「項羽が来たのか!?」
「はっ! 項籍と名乗る者をご子息(司進)や徐都尉(徐晃)、沈従事中郎(沈友)、丁部曲長(丁奉)らが対峙しております!」
「相手が相手だ。急がねば文恭が危うい」
「他にも客人の関羽殿、張飛殿、龍且殿、そして客員都尉らが駆けつけているとのこと」
「客員都尉? 誰だ?」
「確か、倭建殿でしたか…」
「何っ!? 武尊が!?」
「はっ!」
伝令が申すには、遠巻きではあるけど凄い面子が項羽を囲んでいるらしい。
てか、ヤマトタケル対項羽なんて夢以上の何物でもないカードです!
…と、現実逃避をしたいところですが、項羽対司進は勘弁して下さい!
「急ぎ向かうぞ! 許都尉! 趙部曲長!」
「はいな!」
「合点よ!」
僕は馬車に乗り、御者に急ぐよう指示した。
続くのは許褚、趙嫗、灌嬰、そして何故か張良までも早馬で続く。
項羽の来襲は他の予選会場にも伝わったらしく、我も我もと人が押し寄せる。
けど、幾ら腕自慢の浪人や武芸者でもモブだから、反って邪魔なんです。
流石に武力1の僕よりはマシだと思いますが、それでも邪魔なことには変わらないだろうな…。
馬車を走らせながら、僕は項羽と対峙した時のことを想像し、対策を練り始めた。
幾つか案が過ぎったが、どれも項羽という規格外の化け物には通用するか分からない。
それならいっそ、一か八か賭けてみるしかない!
近づいてくる雷鳴を聞いていると、そう思わざるを得ないんだ。
そう決心し、僕は早馬で併走する灌嬰に話しかけた。
「灌将軍。頼みが有る」
「はっ! 何なりと!」
「急ぎ政庁まで行き、慶里(虞麗主の字)を現場に連れて来るのだ」
「えっ!? ご息女を!? 正気ですか!?」
「余は正気だ。良いから一刻も早く連れて参れ」
「は…」
雷鳴のような轟音とも言うべき声は項羽のスキルだろう。
近づけば近づくほど、その恐ろしさがひしひしと感じてくる。
女子供も至っては恐怖で震え上がり、何も出来ない状態になっている。
件の予選会場に近づくと、一人の若い大男が見事な名馬に跨がり、周囲を取り囲まれていた。
間違いない。奴が項羽だ。
遠巻きながら能力値を見てやろう。
果たしてどんな化け物なのやら……。
項籍 字:子羽
政治4 知略7 統率10 武力11 魅力7 忠義5
固有スキル 覇王 無双 踏破 疾風 騎神 突破 制圧 護衛 強奪
武力11!? そして統率が10!?
しかもヤバそうなスキルが三つもあるし!
という訳で老師、お願いします!
「ほい。『覇王』は怒号の上級特殊スキルで項籍のオリジナルスキルじゃ。豪傑持ちではない相手は将兵問わず、全員震え上がる。逆に味方の士気が高まり、生半可な計略を無効化させるぞい」
「ひええ……」
「それと『無双』は豪傑の上級スキル。豪傑持ちが数人相手でもまず負けぬ。最後の『騎神』は騎兵の上級スキル。騎兵の倍近い攻撃力を誇るぞ」
「……む、無茶苦茶だ!」
「どうでも良いが一言。生きろ! じゃあの」
「ちょっ!?」
そりゃコイツと孫堅軍団がいれば、幾ら袁術でも負ける訳がないわぁ…。
兵の保有数もかなり多いらしいしさ…。
「荊州牧の司護はどいつだ! 雑魚どもに用は無い! 司護に会わせろ!!」
項羽は激レアスキルの覇王をどんどん連発させ、辺りを震撼させていく。
当然ながら、豪傑持ちではない僕も竦み上がってしまったんだ。
そんな最中に……。
「おい! 司護! 貴様は何をしている! 奴をどうするのか決めろ!!」
僕に気づいた倭建がこちらに大声で叫んだ。
ちょっと待て! 僕を殺す気か!?
この状況で振るんじゃない!!
「おう! そこにいたか!! 探す手間が省けたぞ!! ハハハハ!!」
項羽は全身に銀の鎧に身を纏い、これまた全身に銀の装飾で着飾った馬を駆ってこちらへ来る!
神々しいような気もするけど、僕からしたら恐怖の大王としか言い様がない。
いや、敵に回ったら皆、そう思う筈だ!
……なんて言っている暇はないぞ! 僕!!
ゴリ子! そして許褚!
何とか踏ん張ってくれ!! お願いだから!!




