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外伝64 漢の二傑


 時は西暦194年1月、光熹元年一月まで遡る。

 涼州では二つの勢力が対峙している。

 涼州王の劉協と涼州牧の韓遂の勢力である。

 

 劉協の陣営には新たに蘇則、鮑出、孟達、法正らを加え、羌族の協力も取り付けて反撃の狼煙を上げた。

 だが、韓遂もる者で、因縁の敵である筈の董卓や丁原らとも連絡を取り合い、巧みに牽制をしている。

 しかし何と言っても拮抗状態になった最大の要因は、韓遂の領内でも大麦や燕麦などが五年続きで大豊作となったことだ。

 これにより双方ともに大量の食料がもたらされ、長期に渡る持久戦という状況になりつつある。

 

 南の益州王の劉焉も皇甫嵩らに阻まれており、漢中郡はおろか益州北部にさえ届いていない状況が続く。

 張魯が支配する漢中郡は涼州、益州ともに都への重要な足掛かりとなる場所にある。

 また、漢中郡の東には南陽国が控えており、兵力も充分に備えている。

 そして一番厄介なことに南陽国は荊州であるため、南陽国まで兵を進めると司護という強大な力が立ちはだかる怖れもあった。

 

 秘密裏に張良は劉寵の使者と会い連絡を取り合っているが、劉寵としても三方に囲まれている。

 そのため劉寵の返答も芳しくなく、双方ともに都へ攻め入る約定も宙に浮いた状況である。


 ただ、劉寵には劉協側にはない切り札がある。

 それは司護との縁戚関係というものだ。

 張良としては現時点において、その接点を掴むことが重要と考えていた。


 そしてある日、張良はある決断をする。

 そのことを劉協に伝えると、劉協は驚き張良に問い質した。

 

「子房(張良の字)よ。君は余を見捨てるのか?」

「見捨てる訳がございませぬ。しかし、このままでは埒も明きませぬ」

「・・・かといって、君がわざわざ豫州王君(劉寵)の下へ向かうとは・・・」

「それしかないからです。それに現状では、韓遂や董卓もこちらに攻め込むことはないでしょう」

「・・・う、うむ。確かにそうだが・・・」

「それに我らには司護の助けが必要です」

「なっ・・・・・・」

「漢中郡の五斗米道の信者も司護を崇めている者が多いと聞き及んでおります。それに南陽国への牽制ともなります」

「確かにそうだが・・・」

「豫州王君は唯一の司護の縁者。司護との接点にこれ以上の者はおりませぬ」

「・・・しかし、君は余が信用できる数少ない者だ。君に何かあったら余は・・・・・・」

「ご安心なされよ。蓋勲殿、傅燮殿といった義士や馬騰殿もおります。必ずや戻りますので、どうか暇を与えて下さいませ」

「・・・・・・君の決意は堅いようだね。あい分かった。豫州王君に宜しくな・・・」

 

 こうして張良は身支度を調えると、夏侯嬰を従えて西へと向かった。

 長安や洛陽にて、少し情報を得ておきたいこともある。

 途中、関所などはあるものの、行商人のふりをすれば問題ない。

 もし怪しまれたとしても、役人に袖の下を渡せば造作もないことだ。

 

 さて、長安へと入った張良であるが、宿を探す際に一人の少年に出会った。

 少年は市井の役人と碁を打っていたが、その打ち方は正攻法でありながら、同時に奇策も狙う妙手とも思える。

 それだけではない。少年の格好は町人のような格好であったが、役人達は皆、恭しく接している。

 

 その様子からして、位の高い者の子であることは察することが出来た。

 少年は柔和な笑みを浮かべ、如何にも温厚そうに振る舞う。

 しかし張良は、その少年の眼光に寒気とも思えるものを感じた。

 

「どうしたんですかい? 張の旦那」

 

 夏侯嬰は張良の表情を察し、思わず声をかけた。

 それに対し張良は無言で頷き、こう返した。

 

「・・・・・・うむ。あの少年からは法正、孟達といった若者以上の才気を感じるのだ」

「ええっ? でも、あの二人は油断出来ぬが、当世の才人と旦那もおっしゃっていたではありませんか」

「そうだ。それ以上の才気をあの少年から感じるのだ・・・・・・」

 

 暫くして少年が碁を終えると、その場から去ろうとしたので、思わず張良は少年に声をかけた。

 

「・・・もし、そこの君」

「はい? 私に何か用ですか?」

「・・・うむ。先ほどの碁のお手前は見事でありました」

「ハハハ。そんなことでしたか。何、下手の横好きですよ。それよりも貴方は・・・」

「これは失礼した。手前は張亮(張良の偽名)と申します。油の行商をしている者です」

「そうでしたか。私は姓を司馬。名を懿。字を仲達と申します」

「これは失礼いたした。右扶風君(司馬防)のご子息であられましたか」

「よして下さい。父は父、私は私です」

「いやいや、一介の油の行商風情が軽々しく・・・・・・」

「確かに父は大人たいじんです。ですが、私まで大人という法はありません」

 

 司馬懿と名乗る少年は頑なに謙遜し、絶えず柔和な笑顔で応対した。

 しかし、その目の奥底には、冷徹な眼光が絶えずギラついている。

 話せば話すほど、張良は如何ともし難い寒気を憶えた。

 

「世間とは狭いようで広いものよ・・・・・・。かような者が絶えず現れるのだからな・・・・・・」

 

 張良は司馬懿と別れると、そんな独り言を思わず呟いた。

 韓遂が今までで一番の梟雄と思っていたが、それ以上の大器を司馬懿から感じたのだ。

 

 張良と夏侯嬰は長安に二日ほど滞在した後、洛陽へと向かう。

 長安では特にこれといった情報を得ることは出来なかった。

 得た情報といえば、五年に渡る大豊作で食料の値下がりが目立つぐらいである。

 

 本来なら歓迎すべきことだが、穀物を扱う大商人にとっては大きな痛手だ。

 だが、それに不満を漏らすとなると、余計に厄介なことになる。

 長安でも近年の大豊作は、司護の神事のおかげとされているからだ。

 

 更に間の悪いことに、南に位置する漢中郡が帰順したことにより、それに拍車をかけている。

 漢中郡はほぼ盆地で形成されており、長江の支流である漢江が南北に縦断している。

 そのため田畑が多く、食料を生産する一大拠点でもある。

 その漢中郡が帰順したのだから、一気に穀物の価格が下落したのである。

 

「長安はただでさえ難攻不落・・・。故に長期戦となれば勝ち目はない。かと言って・・・・・・」

 

 短期決戦にするにも現状では兵が足りない。

 大体、韓遂の軍勢と拮抗している現状では、土台無理な話である。

 そうなると、やはり強大な軍事力を南から押し上げ、長安を不安にさせるしかない。

 

 ただ、張良には一抹の不安もある。

 司護が王莽の類ではないという保証がないためだ。

 それ故、劉寵と面会した後、自らその本質を見極める必要がある。

 

 少しここで王莽について触れてみたい。

 良く話に出てくる王莽だが、この人物とは前漢の末期に出現した外戚の一人だ。

 儒者の皮を被った佞臣であり、儒教を曲解しつつ利用して禅譲し、新の王朝を開いた人物である。

 今作品において出てくる趙高クラスの佞臣と言っても過言ではない。

 

 司護が王莽と被ると思われる節だが、これにも理由はある。

 王莽は当初、清貧を心がけ名高い儒者を丁重に扱い、上り詰めていった過去がある。

 それだけに豹変した場合、どのような危険が孕むのか想像することが恐ろしいのだ。

 現に五行祭などという神々を祀る行事を、天子でもない者が行うというのは、その前触れかもしれないのである。

 

 張良は、そんな疑念を持ちつつも洛陽を出て、更に東へと向かった。

 向かう先は豫州王劉寵が待つ陳国だ。

 そしてこの時、既に涼州から出て一ヶ月が過ぎていた。

 

 陳国の地所、陳は現在でいうところの河南省淮陽県に当たる。

 歴史は古く、黄河文明の中心地であり、伝説では医薬と農業を司る神、神農大帝が都として治めたという。

 それだけに大地は肥沃で、有数の穀倉地帯として知られている。

 

 だが妙なことに張良は劉寵がいる政庁ではなく、少し外れた所にある宿屋を目指す。

 目的は劉寵本人ではなく、その側近の一人だからだ。

 そして、その側近は馴染みの宿屋に良く出入りをし、酒をあおる。

 張良が来た当日の黄昏時にも、その側近は一人で手酌をしていた。

 

「やぁ、久しぶりですね。蕭さん」

 

 張良から「蕭さん」と声を掛けられた男は、張良を見るなり笑顔で会釈した。

 この「蕭さん」と言われた男は蕭何といい、本来なら張良、韓信らと並ぶ漢の三傑の一人だ。

 現在は劉寵の元で出世をし、別駕従事となって駱俊や荀彧らと共に豫州の発展に貢献している。(外伝9参照)

 

「貴殿が自らこの地に来るとは…。それ程、切羽詰まっておるのですか?」

「恥ずかしながら八方塞がりです。ところで、例の件のことを豫州王君には…」

「いや。それは未だに…」

「何故です?」

「あの方は確かに名君です。ですが、それ以上に強い野心をお持ちの方だ。それだけに危うい」

「……ふむ」

「それに多くの難民達も漸く落ち着いたところ。それ故、都入りは避けたいのです」

 

 例の件とは劉弁の替え玉事件のことである。

 張良はこのことを劉寵に伝えようとしたが、蕭何がそれを阻んでいた。

 劉寵が替え玉の件を知れば、焦って足下をすくわれかねないからだ。

 

 張良はそれでも食い下がろうとするが、その度に蕭何は頑なに拒み、はぐらかす。

 流石に張良も蕭何の気持ちを汲み、話題を別のものに移すことにした。

 

「もう良い。貴方のお気持ちは分かった。この件でこれ以上は言うまい」

「そうして下さると助かります」

「なに。貴方と私の関係を悪化させる必要もないでしょう。貴方のお立場も分かりますし…」

「お察し頂き、感謝します」

「それよりも久しぶりにお会いしたのです。別の話をしましょう」

「…別の話ですか?」

 

 蕭何と張良がこの世界で出会ったのは、蕭何が難民として陳国に来る前だ。

 蕭何が徐州の沛県で小役人をしていた際、張良が同じ徐州の下邳かひからぶらりと寄ったことに始まる。

 その時に初めて会ったのにも関わらず、互いに妙な気持ちが湧いたのだ。

 この世界でも張良、蕭何と言えば著名な人物で知られる。

 互いに偶然と笑い合ったが、それだけでは片付けられない不思議な縁を感じ取ったのである。

 そのこともあり、張良はそちらの件で話題を振ることにした。

 

「なぁ。蕭さん。確か貴方の義弟には曹参という者がおるそうですが…」

「ああ、そのことですか。確かに奇妙なことです」

「私の部下にも夏侯嬰らがいる。そこで偶に思うのです。もしかして、私たちは本当に前世から来たのかと…」

「それは偶然でしょう。確かに出来すぎとは思いますがね」

「出来すぎついでにですが、もしも劉邦と名乗る人物が目の前に現れたら、貴方は如何するつもりです?」

「ハハハ。それは面白いことになりそうですね」

「面白いですかね? 益州には韓信を名乗る者がいるとか…。もし、その者が本当に韓信だとして、劉邦を助けるでしょうか?」

「ハハハハ。それはないでしょう。それは貴方も良くご存じの筈…」

「ハハハ。でしょうね」

 

 張良は思わず苦笑した。

 韓信は項羽が討伐された後、劉邦によって殺されているからだ。

 そして、その殺害には蕭何も関わっている。

 そのこともあり少しばつが悪いのか、蕭何は話題を変えた。

 

「して、張殿(張良のこと)。これから貴方はどうするつもりで?」

「子供の使いじゃないんです。豫州王君が駄目なら別の手段を講じないといけません」

「…別の手段?」

「南に行き、荊使君(司護)と会うつもりです」

「えっ? 荊州へ?」

「左様。報告によれば幾多もの英俊を抱え、軍勢も袁一族を凌駕するほどだとか」

「ふむ…」

「ただ余りにも不可解な行動が多いようです。五行祭などは正しく度が過ぎております。それ故、禅譲を企てている野心家かどうか見定める必要がある」

「……」

「それに陳平、灌嬰といった人物もいるとのこと。彼らに会えば何か分かるかもしれない」

「しかしその一方で、范増、鐘離昧、彭越という者も…」

「はい。特に范増は、古の范増の如き者なのか注意せねばなりますまい」

「確かにそうですが、それよりも張殿は荊使君を少し誤解されているようだ」

「…ほう? どのようにです?」

「私は遠目から見ていただけに過ぎません。ですが、先が見えているのか見えていないのか、どうにも理解に苦しみます」

「貴方ほどの傑物が理解に苦しむ…?」

「いえ、私は傑物というほどではない。ただ、その場凌ばしのぎが多かった気がします。荀彧殿の評価はまた違ったものかもしれぬが…」

「荀彧殿のお噂は聞いています。荀卿の末裔で才気溢れる若者とか…」

「はい。紛れもない傑物です。私とは比べ物になりません」

「ハハハ。ご謙遜なされるな。私から見たら蕭さんは、正に稀代の傑物ですよ」

「いえいえ。それよりも荀彧殿にお会いすることをお勧めします。何よりあの方は荊使君と間近に接している」

「それは有難い。是非ともお願い致します」

 

 こうして張良と荀彧は蕭何の取り次ぎで会うことになった。

 本来なら荀彧は曹操に「我が張子房なり」と言わしめたことがある。

 そういう意味において、奇妙な因縁がこの二人にあると思うのだが、それは少々強引であろうか。

 

 翌日、張良は荀彧に会うと、真っ先に司護に対する見解を荀彧に述べた。

 すると荀彧は突然吹き出し、甲高い笑い声が辺りに木霊した。

 余りにも見当違いなことを張良が言ったからである。

 

「何が可笑しいのですか? 荀彧殿」

「いや、これが可笑しくない訳がないでしょう。確かに誤解されやすい御方ですがね」

「では、荊使君とはどのような御方なのですか?」

「有り体に申せば、余りにも浮き世離れし過ぎた仁者です。それに野心をお持ちなら、もっとマシなことをするでしょう」

「もっとマシなことですか?」

「はい。既に荊州だけでなく、各地の民衆を煽動することが出来るのです。黄巾以上の騒ぎを起こすことも出来ましょう」

「…確かに」

「しかし、それをしない。何故なら仁者であると同時に小心者だからです」

「…小心者?」

「ただ小心者と言っても、民のことを思う小心者です。そこが重要なのです」

「……」

「悪戯に挙兵すれば民が苦しむことを理解しているのです。そういう意味では、優れた仁者と言えるでしょう」

 

 張良は荀彧の言葉に納得した表情で頷いた。

 それと同時に別の不安が新たに浮き出た形となる。

 決して王莽の類にはならないだろうが、替え玉のことを話しても軍を動かさない可能性が高くなったからだ。

 

「確率は低い。しかし、全くない訳でもない。賭けるしかないか…」

 

 荀彧と別れた張良はそう呟き、陳国を後にした。

 向かうは司護がいる荊州の地所、衝陽である。


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