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外伝55 江夏戦役(前編)

 陳平は都督に就任するやいなや出陣する者らを選抜する仕事に着手した。

 そして、以下の者達である。


 長沙郡からは鞏志、周泰、蒋欽。武陵郡からは甘寧、趙儼、沙摩柯。

 桂陽郡からは灌嬰、太史慈。零陵郡からは是儀、鐘離昧。

 そして衡陽郡からは都督の陳平以外に彭越、杜襲、徐奕、周倉、秦松らが出陣することになった。


「よし! これで司使君が帰参する前に一手柄を立てられるぞ!」

 

 鞏志は手を叩いて喜び、妻にそう断言した。

 妻は頷くが少し不安な表情を浮かべる。

 鞏志はそれが引っかかったらしく、妻にその事を問うた。

 

「何だ? もっと喜んでくれても良いだろう?」

「だって、今度の戦いは袁術が相手と言うではありませか」

「それがどうした?」

「今までの相手とは違うでしょうに・・・・・・」

「おいおい。こちらの軍勢は十万以上の大軍勢だぞ。確かに戦さは数だけじゃないが、俺も含めて皆、優秀な猛将、鬼才の集団なんだぜ」

「・・・・・・」

「それに陳平さんが都督なんだ。間違いはないさ。これで負ける方がおかしい。袁術なんか怖くもないよ」

「それならば宜しいのですが・・・・・・」

「ハハハ。心配性だな。お前も」

「きっと帰ってきて下さいね」

「ああ、それは『手柄を立てて帰って来い』ってことだね。ハハハ。当然だとも」

「・・・・・・・・・」

 

 妻はそれ以上、何も言わなかった。

 常に明るく振る舞っているが、悶々としていた鞏志の内心を理解していたからだ。

 

 そして同じく悶々としていた人物が袁術の下にもいた。

 項籍のことである。

 徐州の黄巾党残党狩りや不平分子の豪族討伐で転戦していたが、骨のある者とは一度も対峙したことがなかったからだ。

 相手はすぐに降伏するか逃亡してしまい、やり甲斐を失っていたのである。

 

 項籍は何度も出奔を考えた。

 だが、その度に孫策、周瑜の顔がチラつき、思いとどまったのだ。

 折角出来た弟分と別れるには寂しかったのである。

 

 そんな項籍は暇さえあれば片手に酒瓶を持ち、常に草原に寝転んで空を黙って見つめる。

 昼には雲を、夜には星をただ見つめる。

 未だに会えない女の顔を只管思い出すためだけにである。

 

 天下無双の項籍だが、その精神は意外と脆い。

 孤独に慣れているようで、実際は寂しがり屋でもある。

 それ故、義弟二人と別れるのは忍びないのだ。

 

「このまま袁術の下でき使われるのも癪だ・・・・・・。やはり頃合いを見て殺すか」

 

 いつも通り物騒なことを考えながら寝転んでいると、遠くから大声で何者かが近づいてきた。

 義弟の孫策であった。

 

「やっぱりここか。子羽兄貴」

「何だ。伯符か。随分嬉しそうじゃないか。今度は俺も荊南に連れて行ってくれるのか?」

「ちぇっ。またそれかよ。しょうがないじゃないか。兄貴が居なかったんだから」

「ああ。あの馬鹿の下の大馬鹿のせいでな」

「陶応のことだろ。あいつは袁術の傀儡しか能が無いから致し方ない」

「お前らは良いよなぁ・・・・・・。どうだ? いっそお前の親父も巻き込んで袁術を殺しちまおうぜ」

「・・・・・・勘弁してくれよ兄貴。今、そんなことをしたら俺らが逆賊だ」

「何を言っているんだ。元は劉邦とかいうヤクザ崩れが作った国じゃねぇか」

「・・・・・・そうだけどさぁ。あ、兄貴。ちゃんと『高祖』と皆の前では言ってくれよ」

「何が高祖だか・・・・・・。俺が本当に『項羽の生まれ変わり』ってんなら、そいつの国をブッ潰すのが筋ってもんだろ?」

「・・・・・・た、頼むから他でその話はやめてくれ。それよりも良い話があるんだ」

「この国をブッ潰すよりも良い話か?」

「・・・・・・い、いや。そうじゃないけど、俺も初陣を飾れることになった。兄貴と一緒にだぜ」

「それの何処が良い話だ?」

「相手は荊州勢だ。しかも、かなりの大軍勢らしいぜ」

「・・・・・・ほう。確かにそいつは面白ぇな。お前が会った関羽や張飛とかいうのも相手か?」

「あいつは揚州らしいからいねぇと思うが、荊州にはゴロゴロと強い奴がいるらしい」

「ふぅむ・・・・・・。まぁ、良いだろう。それよりもマシな馬はいねぇか? 袁術の野郎、ロクな馬を寄越さねぇ」

「それならこの前、絶影とかいう名馬が袁術に献上されたようだが」

「あの野郎。テメェはろくに戦場に来ないくせに、そんな馬を持っているのか」

「兄貴のお陰で徐州は既に文句も言えない状況なんだ。ケチな袁術でも馬ぐらいはくれるだろ」

「よし! じゃあ、俺自ら袁術に直訴してくる!」

「・・・・・・い、いや。それは拙い。親父に任せてくれないか」

「親父殿にか? 大丈夫なんだろうな?」

「そりゃあ絶対とは言えないが、少なくとも兄貴よりは袁術の扱いは心得ている筈だ」

「分かった。俺も奴のニヤケ顔を見るとついブン殴りたくなるしな。親父殿に頼むとしよう」

 

 孫策も短気だが、項籍はそれに輪をかけて短気だ。

 しかもやることが滅茶苦茶なので、孫策も気が気でない。

 いつもは周りに宥められる孫策も、項籍の前では宥め役に成らざるを得ないのである。

 

 孫堅は孫策から事の次第を聞きくと、直ぐさま袁術に直訴した。

 袁術は折角手に入った名馬を手放すことを嫌ったが、項籍が出奔するかもしれないと聞くと渋々了承した。

 僅か二年余りで項籍の存在は無くてはならない存在になっていたからだ。

 

 項籍を手放さないで済んだ袁術は、汝南太守袁胤の援軍として総大将を橋蕤きょうずいとし、紀霊を副将とする号令を発する。

 橋蕤らはまず汝南郡の治所である平輿へいよへ入り、袁胤の軍勢と合流。

 その後、南へ向かい弋陽郡よくようぐんの孫堅と合流する。

 そして合計五万の大軍勢となった袁術軍は、さらに南へと進軍。

 左手に現在でも有名な景勝地、潜山県天柱山を見ながら悠然と進めていくのであった。

 

 一方、荊南の勢力は二手に分かれて江夏郡へと進軍を開始していた。

 主力の陳平が率いる六万の軍勢は、まずは長江を渡り、北に位置する南郡の江陵を経由し、そこから西の江夏郡へと進軍。

 その際、襄陽国からは兵一万を率いた蒯越が、南陽国からは相となった七千の兵を伴った秦頡が合流する。

 そして章陵郡からは太守の曹操自らが精鋭三千の兵を率いて合流。

 数こそ少ないが、その中には夏侯淳を筆頭に猛将、知将らがひしめきあう。

 また、別働隊として長江を周泰、蒋欽らの水賊衆らが二万の兵を率いて江夏郡の南へと向かう。

 

「・・・・・・凄い軍勢だ。でも、他の奴に手柄を取られる訳には・・・・・・」

 

 いつもは軽口を叩く鞏志だが、この大軍勢には息を飲むしかない。

 同じく援軍として参加する蒯越、秦頡、曹操らも名前は荊南にまで響いている。

 

「おい。もうビビッてんじゃねぇか。また足を引っ張るんじゃねぇぞ」

 

 鞏志の後ろから、そうおちょくった言葉が聞こえてきた。

 

「おい甘寧。いつまでも同じことを・・・・・・。しつこいったらありゃしない」

「ヘヘヘ。こちとらおめぇさんの養由基ばりの活躍を期待しているんだぜ」

「ああ、分かったよ。今度は俺がお前を助けてやるさ」

「へぇ。こいつぁ頼もしいこった」

「借りたもんは返してやるよ。ついでに取られた手柄も倍にして返してもらおう」

「アッハッハ! 言うことだけは既に養由基も真っ青だ!」

 

 大笑いする甘寧につられて笑う鞏志だが、内心では「なにくそ!」と思った。

 甘寧だけではない。

 武勇に自信のある何人もの者達が、既に功績を挙げ鞏志を追い抜いている。

 そして司護の養子、司進までもが既に鞏志を凌駕している。

 

「くそっ! 今に見ていろ! 俺だって司使君(司護のこと)から麒麟児と言われたんだ! 負けるもんか!」

 

 甘寧の他愛も無い軽口で鞏志の闘志に火がついた。

 いや、既に闘志には火がついていたので、油を注いだといった方が良いだろう。

 それだけではない。他の郡国との連合軍であるため、功を争う者は司護の配下以外にもいる。

 それが更に鞏志を焦らせる原因でもあった。

 

 双方とも互いに出陣してから一ヶ月余り、江夏郡の地所である西陵には続々と兵馬の波が押し寄せてきた。

 劉祥は現金なもので、味方の援軍の数を聞くと手放しに喜び、一番先に到着した荊南の別働隊を率いる周泰、蒋欽らを宴会に招いた。

 そして詳しく援軍の概要を二名から聞くと大きく頷き、こう言い放った。

 

「ああ、やはり私の目は間違っていなかった。幾ら袁術や孫堅でも、それだけの大軍勢には舌を巻くことであろう」

 

 劉祥は調子に乗って、更には自身の息子である劉巴を荊南に送ったことも羅列する。

 本当は勘当同然に劉巴を江夏郡から追い出したのくせにだ。

 これには周泰、蒋欽だけでなく、賄賂をガッポリと稼いだ婁圭も苦笑いするだけである。

 

 荊南勢の別働隊が西陵に入った五日後、袁胤を主軸とする袁術勢が西陵の東北の方角から四十里(約20キロメートル)に布陣。

 包囲はせず、様子を覗うことになった。

 これは二万の軍勢が西陵の城内に入った報せがあったからだ。

 

 袁胤は「他の増援が到着する前に攻撃せよ」と主張したが、援軍の総大将たる橋蕤が頑なに拒んだ。

 これは今では縁戚となった孫堅らの反対もあるが、荊南の増援軍の規模を考慮したからである。

 包囲して最中に逆に包囲されたら目も当てられない。

 

「何を呑気な! それならば増援が来る前に一気に城門を叩き壊せば良いだけではないか!」

 

 軍議において袁胤はそう主張するが言うのは容易い。

 何故なら袁胤は戦いを知らず、袁術の甥というだけの理由で汝南太守を任されている。

 孫堅は、そんな袁胤を苦々しく思いながら反論した。

 

「汝南府君(袁胤のこと)よ。更に倍の敵が増援に向かっているのですぞ」

「だから何度も同じことを言わせるな! 今すぐ城門を破れば事が済む話だろう!」

「お待ち下さい。西陵の城門が堅牢なことは、皆が良く存じております」

「ふん。黄巾どもが黄祖という小童相手に手を焼いただけであろうに」

「確かに黄祖は名将とは呼べないかもしれません。それ故、その黄祖が大軍から守りきったのは、西陵が如何に堅固な城であると証明して・・・・・・」

「うるさいぞ! 孫堅! 貴殿は以前、董卓が臆病風を吹かしているという理由で、董卓を斬ろうとしたというではないか!」

「・・・・・・それとこれとは事情が」

「余もお前を斬って全軍に示しをつかねばなるまいな!」

 

 孫堅は袁胤のその言葉に憤慨し、思わず剣を抜こうとした。

 しかし、その様子を遮ったのは者がいる。

 援軍の全指揮権を持つ橋蕤だ。

 

「いやいや。汝南府君。ここで孫堅殿を斬れば逆に士気に響きます」

「ならば貴殿の意見はどうだ?」

「悪戯に兵を損なうのも馬鹿らしい。それ故、降伏させれば宜しかろう」

「何? どうやって?」

「項籍を使いましょう。あの者は、この江夏郡でもつとに有名と聞きました」

「・・・・・・ほう。あの新参者がな」

「はい。それが駄目ならば総掛かりと参りましょう」

「宜しい。期限は何時だ?」

「敵の増援が来るのは一ヶ月を要すと聞いております。十日ほど猶予をくれてやりましょう」

「良かろう。では、項籍にまずは任せよう」

 

 橋蕤と孫堅は軍議から解放されると、孫堅は橋蕤に言った。

 

「助かった。あのままでは俺が奴を殺しかねなかった」

「なぁに、娘たちの借りを返しただけにすぎぬ。それに貴殿が荊南か揚州に出奔されたら私も終わりですしな」

「それなら貴殿も私と共に落ちのびれば良い」

「容易く言ってくれるな。我が一族が袁一族に恩義があることを、貴殿も知らない訳ではあるまい」

「ハハハ。確かに貴殿は忠義者だからな」

「それくらいしか取り柄がないがね。それはそうと項籍はやってくれそうか?」

「俺から言うよ。あいつなら問題あるまい。それに奴を恐れる江夏の兵は多い筈だ。ところで荊州の増援到着だが・・・・・・」

「ああ、一ヶ月ということはあるまい。もっと早い筈だ」

「それを知っていながら・・・・・・貴殿は大丈夫か?」

「上手くやるさ。それに情報が攪乱しているなんてことは、別に珍しくないだろう」

「ハハハ。確かにな」

 

 孫堅が項籍にその事を伝えると、項籍は喜び勇んで翌日の早朝から西陵の北側城門前に向かった。

 城門から一里(5百メートル未満)ほど離れているものの、項籍は単騎で陣取ったのだ。

 流石に一里とあって矢は飛んでこないが本来なら自殺行為に等しい。

 その話を聞きつけた江夏の兵が、西陵の城壁にズラリと並ぶと同時に、項籍は雷鳴に似た怒号を発した。

 

「我こそは項籍! 字は子羽! 何人でも構わん! 俺を討とうする気骨ある奴はおらぬか!?」

 

 笑いながら項籍は挑発すると、逆に西陵の城は静まりかえる。

 西陵の兵も戦場に出た経験がない訳ではない。

 黄巾との戦いなどで修羅場もくぐっている。

 しかし、あまりの恐ろしさに声が出なくなってしまった。


「くそっ! このままでは士気が・・・・・・」

 

 周泰や蒋欽は歯噛みしたが、都督陳平に城から出ないように念を押されていた。

 しかし、両名は内心では安堵していた。

 武勇に自信がある両者ではあるが、彼らも項籍の迫力に圧倒されていたからだ。

 

 項籍は三日ほど城外で叫び続け、西陵の兵が太守劉祥に不信感が芽生え始めた時、項籍は現れなくなった。

 理由は項籍が飽きただけである。

 声を枯らして叫んだところで、相手は貝のように閉じ篭もり、梨のつぶてだからだ。

 

 袁胤は憤り、孫堅に項籍を連れてくるよう命じた。

 それに対し、孫堅は首を縦に振らなかった。

 何故なら袁胤が殴り殺されかねないからだ。

 

 袁胤の嫌みを耐えしのいだ後、孫堅は項籍を陣営に呼んだ。

 再び城外で挑発させるためだ。

 だが、項籍は意外なことを申し出た。

 

「おい。文台(孫堅の字)の親父。そんなことより、俺に兵二千を預けてくれ」

「どうするつもりだ?」

「実は南に一カ所だけ脆そうな城門がある。そこを突破すれば問題あるまい」

「大丈夫なのか?」

「そこの衛兵崩れの奴が言うんだから間違いねぇ。それに夜陰に紛れていくから心配しなさんな」

「幾ら脆いとはいえ城門だぞ」

「俺が徐州で城を落とした数は一つや二つじゃねぇぞ」

「・・・・・・ううむ。しかし、あまり無茶はするなよ」

「任せておけ。突破したら片っ端から皆殺しにして、西陵なんぞ潰してやるから」

 

 項籍があまりに自信満々に孫堅に言うので、孫堅は袁胤にそのことを取り次いだ。

 しかし、今度は袁胤が首を縦に振らなかった。

 項籍に功を独り占めされるのが気に入らなかったからである。


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