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外伝53 狼狽と笑顔

「今日は滅多にない目出度い席だ。荊使君の若君婚姻の祝杯を、前途ある君らと乾杯しあえることを嬉しく思うぞ」

 

 曹操は目を細めて孫策らを褒め称えた。

 自身の下で働いてもらいたい為である。

 

「この曹操。確かに今は小さな郡の太守だが、必ずや飛躍してみせる。その時に君らのような若者がいてくれると心強い限りだ」

 

 曹操は顎髭を撫でながら言葉巧みに勧誘する。

 勿論、孫策らが応じることが出来る訳はない。

 だが間髪入れず立て続けに曹操が話をするので、孫策は思いきって口を挟んだ。

 

「曹府君。実は我らは近郊の者でなく。揚州呉郡の生まれで呉の地に未だ父母を残しております。軽々しく別の地でお仕えするというのは・・・」

「ならばご両親のみならず、親類縁者も連れて来るが良い。まとめて面倒をみよう」

「いえ。父が頑固なもので、呉の地を離れようとはしません。故に・・・」

「・・・・・・ううむ。それは困ったな」

 

 そこで曹操が目を上にやり、少し考えようとすると、不意に劉備が割り込んだ。

 

「なんだ? 呉郡の何処だい? 今じゃあ、あの辺はオイラの庭みてぇなもんだ」

「何? 玄徳君。それは初耳だぞ」

「いやぁ孟徳さん。まぁ、こちらにも色々ありましてね。でも、それならいっそ・・・」

 

 孫策は焦った。

 まさか呉郡の者がいると思わなかったからだ。

 だが、助け船を出したのは誰であろう。曹操である。

 

「だが、君は涪陵郡魚復県で県令をしていた筈では・・・?」

「それがほら・・・。孟徳さんもご存じのあの張忠が太守じゃないですか。もう滅茶苦茶なんで、県令を辞してしまったんですわ」

「・・・・・・ふぅむ」

「で、何時の間にやら揚州に住むことになりまして」

「・・・・・・う、うむ?」

 

 曹操は頭を捻った。劉備が何故、揚州に行ったのか経緯が解らないからだ。

 そしてその瞬間、関羽が思わず叫んだのである。

 

「あ、兄者!」

「な、なんだ? 雲長。藪から棒に・・・・・・あ」

 

 劉繇は揚州王と名乗るが、現時点では逆賊扱いである。

 劉寵も逆賊扱いだが、婚約した時は当時の司護も逆賊扱いされていた時であった為、朝廷が黙認せざるを得なかっただけだ。

 ただし、朝廷としても認めるか認めないかで、相当意見が割れた案件でもあるのだが・・・・・・。

 

 劉備は関羽の強張った表情で、その事を思い出したのである。

 司護は表向きには朝廷に帰順しており、劉繇とは形だけだが敵対関係にある。

 

「まさかだが・・・玄徳君。君は劉繇殿のお世話になっているのか?」

「い、いやだなぁ・・・孟徳さん。そんな訳ないじゃないですか。仮にもオイラは中山靖王君の末裔ですよ。そんな不忠なことを・・・」

「では、どういうことかね?」

「あ、あくまで呉郡の一亭長が知り合いにいるだけですよ。アハハハハ・・・」

 

 劉備は笑って誤魔化そうとするが、曹操の目は冷たい。

 曹操も劉繇と司護の間に密約があるのは気づいている。

 しかし当然ながら、それは表向きには出来ない暗黙の了解なのだ。

 

 曹操としても劉繇と司護が繋がっているのは、現時点において歓迎することである。

 何故なら袁術がまた章陵郡に攻めてくるか解らないからだ。

 劉繇と繋がっていれば、当然のことながら袁術に対する牽制になる。

 

 一方で孫策や周瑜も劉備を凝視した。

 劉繇の配下として働いているのであれば、関羽や張飛という猛者と対峙するかもしれないのだ。

 そんなただならぬ様子に泡を食った劉備は左手の薬指で左膝を小刻みに叩いた。

 決まって助け船を求める時の癖である。

 

「どうしたのかね? 玄徳君。何時もの君らしくないではないか」

「・・・・・・あ、いや。そんな大したことじゃないのに随分と食いつくんですね」

「当然だ。劉繇殿は今や揚州の雄だ。それに張宝、張梁の兄弟という黄巾の長達も配下にいる」

「・・・そ、そう言えばそうですね」

「巷では悼恵王君(劉邦の庶子、斉王劉肥のこと)の末裔であることを良いことに、自ら帝を僭称するとの噂もある」

「ええっ!? まさか!」

「・・・ほほう。その口ぶりでは、既に劉繇殿とお目にかかっているようだね」

「・・・・・・う」

 

 狼狽する劉備であったが、その窮地を救ったのは意外な人物であった。

 未だに慣れない白い羽扇を口元に当てながら割り込んできたのである。

 

「そのことで私からお伝えしたい旨があります。曹府君」

「貴殿は?」

「胡昭。字を孔明と申します」

「何と!? 貴殿が!?」

「いやはや、お恥ずかしい限りです」

「何大将軍(何進のこと)や袁州牧(袁術のこと)の招きにも応じなかった貴殿が何故・・・・・・」

「玄徳殿に恩がございまして・・・・・・。それは兎も角、実は玄徳の母君が大病を患っており、この地にいる医聖を訪ねてきた訳です」

「えっ? しかし・・・・・・」

 

 劉備は胡昭の言葉を聞いて、すぐさま泣真似しようと試みた。

 だが、おかしくて笑みがこぼれそうになり、堪えるのに必死だ。

 しかし、思わず吹き出しそうになったその瞬間・・・・・・。

 

「ひぎぃ!?」

 

 奇妙な劉備の悲鳴が辺りに響いた。

 原因は胡昭が劉備の尻を力の限りつねったのだ。

 それと同時に劉備の目から涙がポロポロと溢れてきた。

 あまりの痛さ故である。

 

「これは・・・・・・どうしたかね? 玄徳君」

「曹府君。玄徳殿は今まで隠していたのですが、私が思わず漏らしてしまったので、我慢していたのを堪えなくなったのです」

「・・・・・・そうなのかね? 玄徳君」

「曹府君。玄徳殿はこの通り、感極まって話せないではありませんか」

「・・・・・・」

「それに玄徳殿が県令を辞したのは、母君が病で倒れたからであります。それを張忠は勝手に出奔したと言いふらしているのです」

「・・・・・・ふぅむ」

「当初、荊使君に頼ろうとしましたが、玄徳殿は荊使君にご迷惑が掛かるからと荊州を後にしたのでございます」

「・・・・・・ううむ」

 

 曹操は劉備の表情を覗うが、何とも言い様がない。

 ずっと胡昭が劉備の尻を抓っているからだ。

 痛さは本物なので、迫真の演技という訳ではない。

 

 曹操と同様、孫策や周瑜も劉備を不審がっていた。

 だが、下手をすれば曹操からやぶ蛇が出る恐れもある。

 それ故、あえて特に追求しようとはしなかった。

 

「それはお気の毒に・・・・・・。先ほどの様子からして、そのようなことは露知らずだ。許してくれ」

「曹府君。ご理解頂き忝い限りでございます」

「治療には金もかかろう。少ないが少し持って行くが良い。曹操からの見舞金だ」

「有り難く頂戴仕ります。このご恩、私も玄徳殿も忘れませぬ」

「いやいや。知らぬとはいえ、宴席なんぞに誘ってしまったのだ。これぐらいしないと申し訳ないからな」

 

 こうして鼎談は思わぬ方向で幕を引いた。

 因みに見舞金は内出血が酷い劉備の尻の治療費と酒代に消えたことは言うまでもない。

 

 さて、鼎談が行われている頃、政庁では司進が劉煌の到着を前にして落ち着きがない状態だ。

 張昭の説教で覚悟を決めたものの、それでも内心では不安で一杯である。

 それを見かねたのか、義理の姉である虞麗主が司進に諭していた。

 

「しっかりなさい。貴方は司護の一人息子ですよ。相手が皇族の娘だからといって気後れしてはなりませぬ」

「しかし、姉上。私は・・・・・・」

「良いですか。これは民のためです。それにこれは貴方が帝になる好機となるやもしれないのですよ」

「ええっ!? そ、そんな・・・・・・」

「今の朝廷は腐敗しきっております。ですが、父君は簒奪するような真似はしないでしょう」

「・・・・・・・・・」

「ですが、豫州王君が帝になれば、自ずと貴方が次の帝になる機会も得る筈です」

「そんな恐れ多い・・・・・・」

「男子たるものそれ位の気概がなくてどうします!」

「・・・・・・」

「勿論、貴方がそれで民を苦しめるというのであれば、私も容赦しません。いや、父君が許さないでしょう」

「そ、それは当然です!」

「文恭よ。依然として貴方が司護の唯一の息子であることをいい加減に自覚しなさい」

「言われなくても・・・・・・」

「いいえ。貴方は分っていません。父君が今まで、どれだけの若き英俊、逸材を登用してきましたか?」

「・・・・・・え?」

「しかし何れも養子にしていないでしょう。貴方にかけている証拠です。そこを良く理解なさい」

「・・・・・・は、はい」

 

 虞麗主は司進を厳しく諭した。

 司進は覚悟を決めたが、それと同時に違和感を覚えた。

 というのも、虞麗主は朝廷に対して快く思っていない節が見受けられるからである。

 

 事実、虞麗主は朝廷に対し、尊崇の念がない。

 それどころか忌み嫌っているのだ。

 司護に嫌われないために司護の前では隠しているのである。

 その鬱憤が思わず司進の前に出てしまったのだ。

 ただ、その迫力もあって司進は覚悟を決めた。

 因みにだが司護は以前、曹操の息子の一人を養子に迎えたいと言ったのだが、これは二人には知らされていない。

 

 さて、その数日後のこと、いよいよ司進と劉煌が対面する時が来た。

 劉煌はまだ幼さが残るが、到着し馬車から降りると、周囲の者達に毅然と応対した。

 実は内心では高を括っていたのだが、衝陽に到着した途端、その規模に圧倒されたためだ。

 

 それだけではない。

 鄭玄をはじめ、王烈、王儁、張範などの著名な名士らが出迎えたのである。

 荊南は荒廃した田舎という思い込みもあったから余計だ。

 

「これは・・・いや、あくまで私は豫州王君劉寵の娘。下手に出て侮られては父上に申し訳ない」

 

 と、そう思い直し、艶やかな深紅の花嫁衣装で新郎がいる政庁の一室へと向かうことにした。

 途中までは侍女が案内していたが、新郎の待つ部屋に近づいたとき、一人の美女が案内の代わりを申し出た。

 ただの美女ではない。正しく傾国の美女と言って相応しい艶やかな女性だ。

聞けば新郎の姉という。

 

 だが、新郎とは血が繋がっておらず、当然ながら司護とも血は繋がっていない。

 年齢的には二十代前半なので、本来であれば司護の妻になっていてもおかしくない。

 政略結婚で邪魔になれば直ぐに側室にさせれば良いのである。

 

「このような美しい女性を妻にしないとは・・・・・・。一体、司護という方は何を考えているのかしら・・・・・・」

 

 あどけない表情でまじまじと虞麗主の顔を劉煌が見つめると、その様子が可笑しかったのか思わず虞は吹き出した。

 

「私の顔に何かついていますか?」

「あ、いや。本当に荊使君の奥方様ではないので?」

「父君は平和な世の中になるまでは奥方は貰わないと誓っております。それは貴方もご存じの筈でしょう?」

「・・・・・・ええ、そのことは伺っております。しかし不躾で恐縮ですが、何故貴方様は嫁ぎませんので?」

「・・・・・・さぁ。父君は私をどう思っているか分りませんし」

 

 劉煌が幾ら聞いても暖簾のれんに腕押しである。

 それもその筈で、虞麗主も司護の真意が分らない。

「何れ相応しい男性に嫁がせる」と司護は言うが、根拠は全くないのだ。

 

 話を劉煌と司進の婚姻に戻したい。

 虞麗主に案内されて司進が待つ一室へ案内されると、そこには紺色の衣装をまとった司進が瞑想中であった。

 司進は司護がよく瞑想を行っているのを見て、自身も落ち着くために取り入れている。


 司護は老師との対話の際、瞑想しているように見えることが多いためだ。

 司進はそれを瞑想と思っており、少しでも司護に近づくためにしているのである。

 時折、日本語で一人だけで怒鳴り散らすこともあるが、司進も流石にそれは真似をしない。


「豫州王劉寵が娘、劉煌。字を智云と申します。貴殿が新郎殿でいらっしゃられるか?」

 

 劉煌は深々と礼をしながらも司進の品定めをする。

 すると司進は一言、こう述べた。

 

「左様。如何にも私が司護の一子。司進、字は文恭である。遠路はるばるご苦労であった」

 

 司進も相手から見くびられないように上から目線で応対する。

 どちらにも家格のプライドがある。

 そのために双方には緊張感が漂っていた。

 

「いやぁ、これは安心しましたなぁ。目出度い。実に目出度い」

 

 ひょっこりと現れた人物は邯鄲淳かんたんじゅん。字を子叔という者だ。

 その邯鄲淳が愛嬌のある恵比寿顔でニコニコしながら双方を嗜めた。

 因みにこの邯鄲淳も司進に教鞭をとった者の一人である。

 

「これは邯鄲淳先生。何をしにここへ?」

「若君。君は理想が高すぎる。それ故、不安になってここに来たのですなぁ」

「理想が高すぎる?」

「君は常に姉君がすぐ傍におったろう。それ故、自然と女子に対する理想が必然的に高くなってしまっておる」

「・・・・・・そ、そんなことは」

「だが、安心した。豫州王君の姫君は君の姉君と遜色ない美貌と知性が見受けられる。いやぁ目出度い。これで一安心」

 

 劉煌は悪い気はしなかった。

 いや、寧ろ気分が良かった。

 何故なら虞麗主は劉煌から見ても羨望に値する美貌の持ち主だからだ。

 思わず劉煌の顔に笑みがこぼれると、司進も自然と笑顔となった。

 

 自然と両人も緊張が解れたらしく、両人は和やかに自己紹介を始める。

 だが、そこで司進は表情には出さなかったが、またもや妙な気持ちになった。

 劉煌が劉寵配下の蕭何、曹参の話になった時だ。

 その両名とも劉寵の娘婿となっているので、系譜的には縁戚となる訳である。

 

 現在、司進の配下にも陳平、灌嬰、彭越らがいる。

 何れも劉邦の下で働いた名臣らだ。

 また、劉邦の配下ではないが、趙佗、鐘離昧、范増らもいる。

 偶然にしても同性同名の傑物が闊歩しているのだから、妙な違和感が起こっても不思議ではない。

 

「涼州に張良、益州には韓信もいるらしい。本当に偶然なのかな・・・・・・」

 

 頭の片隅にそう思っていると、劉煌がそれを察知したらしくボンヤリしている司進に話しかけた。

 

「貴方? 如何しました?」

「え? あ?」

「しっかりしてください。今日は晴れの舞台ですよ。お互い大事な日なのですよ」

「わ、分っています」

「本当ですか?」

「大丈夫だよ。もう敵わないなぁ・・・・・・。本当に姉上がもう一人増えたみたいだ」

「まぁ!?」

 

 司進が咄嗟に言った言葉が更に場を和ませる。

 皆が笑顔になり、司進は自身も照れ笑いし、そのまま宴席に向かった。

 しかし、そこには当然、司護の姿はいない。

 

「父君にも見てもらいたかったな。だが、父上が神々に祈祷しているお陰なのだ。文句は言えまい」

 

 そう思いながら隣の劉煌を見ると楽しそうに振る舞っているが、やはり一抹の寂しさも見てとれた。

 劉煌が父親の劉寵に会えることは、もう無いかも知れないからだ。

 

 そこで司進はその様子を見るや、そっと劉煌を自身の体に引き寄せた。

 劉煌は少し戸惑ったが、すぐに笑顔になり、そっと司進に寄り添った。

 そして二人は、いつもは気難しい顔をしている張昭らまでもが楽しそうに酒を酌み交わしているのを、ただ黙って見ていたのであった。


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