外伝50 逃避行と盟約
「なんてぇふざけた話だ! それでも人の親かってんだ!」
翌日、劉協は今までの出来事を洗いざらい鮑出、蘇則、吉茂の三名に打ち明けた。
蘇則と吉茂も腸が煮えくりかえったが、それに輪にかけて鮑出は我慢ならない。
鮑出は遊侠の徒であるが、それ以上に孝を大事にする者だ。
孝は子が親に良く従うことだが、それは親が子を思い、子も親を慕うからこそ成り立つものと鮑出は考えている。
これは当時としては少し異質な考え方だが、鮑出はそれ故、立身出世を考えてはいない。
しかし、そうでなくても自分の子供を他人に殺させておいて、自分は遊び呆けるなど言語道断である。
「……そう言うな。鮑出よ。それでも余の父親ぞ」
「……しかしですね。協の坊ちゃん。こういっちゃあ何だが、俺は情けなくて涙が出てきますよ」
「………」
「考えてもみて下さい。あろう事か、それが現在の帝ですぜ。言わば俺らのテッペンなんですぜ……」
「……すまぬ」
「いやいや、坊ちゃんが謝ることじゃありません。だが……嗚呼、何て言えばいいんだ……?」
劉協と鮑出の会話の後、暫く沈黙が流れた。
それを破ったのは吉茂の一言である。
「涼州王君。私の叔父に吉本。字を称平という者がおります」
「……ほう? どんな人物であるか?」
「市井で町医者をしていますが、中々の腕でございます。西平郡に戻るのであれば、必ずや必要となりましょう」
「確かに西平の道中は難儀なものである。腕の良い医師がおれば心強いな」
「はい。その上、律儀な忠義者でございます」
「うむ。良きにはからってくれ」
吉茂は吉本の家に訪れて事の次第を伝えると、吉本は驚いて患者を全て弟子に預けて庵に赴いた。
そして吉本が劉協に拝礼するやいなや、一人の若者を推挙したのである。
その若者とは以前、涼州の刺史であった孟佗の息子である。
孟佗は十常侍の一人、張譲に賄賂を贈って涼州刺史となったのだが、それなりに善政を敷いた者だ。
汚職こそあったものの、羌族との融和政策を掲げ、涼州安定の道筋を作ろうとしたのである。
しかしながらその矢先、流行り病に倒れてしまい、わずか二年で在職のまま他界してしまった。
そして、その後を継いだのが鴻都門学の門人である梁鵠である。
この梁鵠とその後任となった涼州刺史、耿鄙が涼州大乱の元凶となり、韓遂や辺章などまで反乱者に仕立て上げてしまったのだ。
その為、孟佗の治世を懐かしく思う羌族の民も多く、孟佗の息子を登用すれば羌族を味方に引き込みやすいというのである。
「吉本よ。それは尤もな事である。早速、その者を招聘しよう」
吉本は再び拝礼すると、その若者がいる屋敷へと急いだ。
急ぐ理由があるからだ。
丁度その頃、若者は同年代の友人と碁を打ちながら今後の相談をしていた。
三年前、兄弟と母親を流行り病で亡くした若者は、この地の未練は既にない。
そして、その喪も明けたので、立身出世をすべく旅立とうとしていたのだ。
「なぁ、子敬。それで何処へ行くのか決めたのか?」
「孝直よ。それが未だに迷っているのだ。流石に簡単には決められぬ」
「確かに容易ではない。だが、君の父上は元涼州刺史ではないか。何処にでも茂才されるであろう」
「そういう君も南郡太守を輩出した家柄であろう? 何故、荊南に拘るんだい?」
「当然じゃないか。荊南こそ一番、立身出世しやすい所だ。自信があるなら荊南に行くべきであろうな。ただ、問題があるがね」
「今、訪れたとしても、あの元賊太守が居ないことだな。その問題というヤツは……」
「確かにそうだが、我らはまだ若い。焦る必要はないだろうぜ」
「……ううむ。それもそうか。では、やはり荊南に頼ることにするか……。む? 珍しいな。君以外の客が来たようだ」
その矢先、屋敷に誰かが訪れたのが吉本である。
若者も流行り病を患った際、助けてくれたのが吉本だった。
「これは称平先生。お珍しい。いや、丁度別れの挨拶に行こうとしていたのです」
「そうであったか。間に合って良かった。おお、孝直もいるとは都合が良い」
「それで、我らに何用です?」
「吉報だ。その方たち、涼州王君に仕えるつもりはないかね?」
「ええっ!? 涼州王君ですか!? しかし、我らには伝手がありませんよ」
「それがあるのだ。今、私の甥である叔暢(吉茂の字)の庵に匿われているのだ」
「……信じられませぬ。しかし、涼州王君がこのような所にいるとは、危険ではありませんか?」
「私も当初、信じられなかった。だが、それが事実なのだよ」
吉本は若者二人に事の次第を告げると、若者らも大いに驚いた。
だが、答えは直に出せない。
何故なら劉協の首には莫大な賞金が懸けられているからだ。
二人は「少し相談する」と吉本に告げ、別室に行くと密談を交わした。
劉協を突き出すかどうか迷ったからである。
そして一時間ほどであろうか、二人は吉本に劉協に仕える旨を伝えた。
密告したところで役人たちは腐っており、賞金が貰えるどころか命さえ危ういという判断をしたのだ。
それよりも荊南に訪れるより、立身出世が容易いと思ったので、劉協に仕えることにしたのである。
さて、この孟佗の息子の名であるが孟達、字を子敬といい、その友人は法正、字を孝直という者だ。
この二名を加えた劉協一行は一路、涼州の西平郡を目指した。
そしてその道中、ある噂を耳にした。
韓遂が涼州牧となったというのである。
これは趙高の下に劉協殺害の報告が来なかったのが原因だ。
趙高は失敗したことを察知し、蹇碩に全ての責任を擦り付けたのである。
蹇碩は趙高宛に「協皇子が来た際には共に十常侍と何進を打倒し、弁皇子を幽閉する」という旨の密書を書いていた。
しかし、これは趙高が最初に同じような趣旨の密書を送っていたために書かれたものである。
だが、趙高からの密書は既に燃やされてしまい、この世には存在しないものとなっていた。
蹇碩に謀反の罪を陥れる際、趙高が自身の兵を率い、蹇碩の屋敷に強襲した時に燃やしてしまったからだ。
その時、趙高は帝に対し、こう弁明した。
辻褄を合わせるためである。
「陛下! 申し訳ありませぬ! 蹇碩が協皇子を……。おおお……恐ろしい」
「何と!? 何故、そのような事を!?」
「蹇碩が私に謀反の誘いをかけてきたのでございます。私は恐ろしくなり、密告しようとしたらその矢先……」
「その矢先……?」
「蹇碩めは事が漏れることを怖れ、よりによって協皇子を亡き者にしようと謀ったようでございます。嗚呼、何という事を私は……」
この時、趙高は多額の賄賂を、張譲を含めた他の十常侍に渡し、取り持つように便宜を図っていた。
そのため、十常侍らは涙を流しながら趙高と一緒になって床に頭を叩いたのである。
「もう良い……。朕も蹇碩を信じたのが悪いのじゃ……。あのような奸物を信じたばかりに……許せ、協よ……」
蹇碩とその三族は市中にて引き回され、牛引きの刑に処せられて死んだ。
最後まで趙高に罵声を浴びせながら……。
さて、韓遂が涼州牧になった経緯だが、これにもカラクリがある。
結果的に劉協が亡き者となったと思われる訳だが、涼州牧就任の密書は既に韓遂が所持しているからだ。
趙高としては韓遂も同罪にさせたかったのだが、証拠がない上に自身も加わった形跡が僅かでも露見することを怖れた。
そのため、韓遂の涼州牧就任を奏上したのである。
こうして韓遂は涼州牧となった訳だが、韓遂の涼州牧就任を風の噂で聞いた劉協は、韓遂を酷く恨んだ。
韓遂の耳にも劉協が亡くなったという噂が届き、動揺したのだが、涼州牧となると早速、太守を任命しだしたのである。
武威郡には王国、安定郡には辺章、金城郡には宋建といった者達が宛がわれたので、涼州は一先ず落ち着く形となった。
だが、肝心の劉協が殺されたという噂も同時に広がり、張良や蓋勲を始めとする清流派の士大夫らは挙って韓遂を非難した。
そこで韓遂は、それらの声を黙らせるために、涼州軍閥八豪族の楊秋と李堪を派遣し鎮圧しようと目論んだ。
「おのれ韓遂! ついに馬脚を現したな! もう容赦はせぬ!」
張良は眦を裂き、烈火の如く怒った。
蓋勲、傅燮らもそれに従い、更には馬騰も合流したため、一戦交えることになった。
結果は楊秋と李堪の惨敗となったが、これで両者の決裂は決定的となったのである。
劉協はその事を聞き内心では喜んだが、張良らが守る西平郡を通るには韓遂の息がかかった所を通過せねばならない。
そこで劉協は奴隷に扮し、汚いボロを着て目を逸らさせることになった。
因みに蘇則と吉茂が奴隷商人、鮑出がその護衛、他は皆、劉協と同じく奴隷に扮することになった。
「協の坊ちゃん。今暫くの辛抱だ。我慢して下さい」
「ハハハ。案ずるな文才(鮑出の字)よ。これしきの事は苦しゅうない。それよりも余の言葉使いは大丈夫か?」
「……そうですねぇ。もうちっと、その……品というものを無くして下せぇ」
「それでは……旦那ぁ。これでいいんですかい?」
そんな言葉を劉協が唐突に使ったものだから一同は驚き、そして大声で笑った。
劉協も負けじと大声で笑った。
劉協にとって現在の方が、宮中にいるよりも遥かに生きた心地がしたからだ。
その後、奴隷商人の一団に扮した劉協一行は西平郡へと順調に歩を進めた。
途中、豪雨による川の増水により宿場町で滞在することもあったが、どうにか一か月後に西平郡に到着したのである。
「……嗚呼、ご無事で何より。この子房、誠に面目次第もございませぬ!」
張良は、みすぼらしい姿に変装した劉協を見た瞬間、泣き崩れて頭を床に何度も叩きつけて侘びを請うた。
「……子房よ。そなたが悪いのではない。悪いのは余だ。許せよ。……それはそうと韓遂めは如何いたそう?」
「あの人非人めは八つ裂きにしても足りませぬ!」
「……子房よ。貴公らしくないぞ。冷静になり、韓遂を含む佞臣どもを討ち果たす策を頼むぞ」
「……は、はい。私としたことが……」
「うむ。それで如何いたそう? 幸い万夫不当の勇者鮑出を筆頭に忠義者の蘇則、吉茂、吉本、そして将来有望な孟達と法正が新たに加わってくれた」
「はい。誠に殿下のご人徳であらせられます」
「しかし、如何に人徳があっても兵馬が少なくては話にならぬ」
「……はい。背に腹は変えられませぬ。ここは益州王と盟約を交し、共に都へ攻める算段を整えましょう」
「劉焉か……。それ以外に方法はないのか?」
「今はそれしかございませぬ。韓遂めは涼州牧になったことを良いことに、王国、宋建、辺章らを従えております」
「……どうにかして、それらの者達を我らの陣営に引き込むことは出来ぬのか?」
「元々、韓遂と同様の私利私欲に塗れた連中です。例え殿下がご健在であることを知っても、容易にこちらへは靡かないでしょう」
「……ふむ。それでは今は臥薪嘗胆ということだな。良い。今は幸い何処も豊作だ。兵馬を養い、時期を待つことに致そう」
この二か月後、西羌の王を名乗る徹里吉を通じ、劉協と劉焉は盟約を結んだ。
これに気を良くした劉焉は、韓信に征北将軍に任命し広漢郡の梓潼攻略を命じた。
既に広漢郡の地所である雒は手中に収めているが、同じ広漢郡に存在する梓潼は北伐するために抑えねばならない所である。
広漢郡は劉焉がいる蜀の北に位置しており、防衛のためにも必要不可欠といえる。
一時は梓潼を陥落させたものの、巴西郡太守の郭典が隙をついて奪取されたばかりだ。
また、漢中郡はその先にあり、張魯との道が分断されている状態なため、是が非でも抑えねばならない要衝でもある。
現在、広漢郡の太守は朝廷側と劉焉側の二人がおり、朝廷側は元西園八校尉の一人である馮芳が、一方の劉焉側は三男の劉瑁が着任している。
劉焉の三男である劉瑁は、まだ若い上に兄である劉範、劉誕とは違い柔弱ということもあって反対意見も多かったが、劉焉は強硬に指名した。
前線の太守にさせることで自信を付けさせるためである。
一方の馮芳も元西園八校尉の一人ではあるが、実戦経験は乏しく、前線の太守に相応しいとはお世辞にも言えない人物であった。
だが、この時は益州にも大豊作が齎され、双方ともに徒に出兵しなかったので、平穏な日々を過ごしていた。
当の韓信は出兵に反対したものの、劉焉は先んじて益州平定を望んでいたので、半ば強引に梓潼へと兵を進めた。
この時、益州牧には張導が就任し、鉅鹿太守時代(西暦180年頃)からの部下である彭参と馬道嵩らと共に劉焉の動向を窺っていた。
しかし、張導をはじめ、部下たちも皆優秀ではあるが、あくまでそれは内政での話である。
戦場となると話は全く別であるのだ。
そこに韓信が兵五万を率いて梓潼へと北上してきたので、張導と馮芳が慌てたのは言うまでもない。
「弱ったのぉ……。誰か良い者はおらぬか?」
「張使君(張導のこと)。相手は、かの韓信を名乗る者ですぞ」
「そんな事は言われないでも分かっておるわ」
「同姓同名でしょうが、古の韓信にも負けず劣らずの名将と言われる者です」
「……だからどうすれば良い?」
「現在、任を解かれ、燻っている古の田単の如き名将を招聘すべきかと……」
「……彭別駕(彭参のこと)よ。一体、誰の事を申しておるのだ?」
「はっ。かの皇甫嵩将軍しかおりますまい」
「おお……確かに皇甫嵩将軍であれば申し分ない。……しかし、赴いて下さるのか?」
「急ぎ朝廷と将軍に使者を立てましょう。朝廷には事後承諾で宜しいでしょう。梓潼が陥落すれば漢中郡の張魯と共に長安を脅かされますからな」
「うむ、分かった。君の言う通りにしよう」
こうして急ぎ皇甫嵩が梓潼へと向かうことになった。
皇甫嵩は無欲な人物で、位階というものに興味がなく、処世術には無頓着な者だ。
それ故、賄賂というものには無縁であったため、十常侍から恨みを買って平民まで落とされていたのである。




