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外伝49 劉協の危機

「上手くいったようだ。これで劉協を殺せば褒美はたんまりだな」

 

 まんまと劉協を連れ出した趙高の手の者らは、内心ほくそ笑みながら東に向かった。

 途中、涼州内において劉協を殺してしまえば、韓遂の州牧就任も反故にしやすい。

 それ故「涼州内おいて劉協を始末せよ」と趙高に命じられている。

 

「そろそろ頃合いだ。悪いが恨むならテメェのバカ親を恨みな」

 

 三日ほど馬車を走らせ、ある峠にさしかかった時である。

 馬車を止めて山林で始末しようと劉協を連れ出した。

 しかし、その時に思わぬ一団が後方からやって来た。

 数にして兵は百ほど、全て騎馬でこちらへ向かって来たのだ。

 趙高の手の者は狼狽したが、劉協は声変わり前の甲高い声で一団に叫んだ。

 

「何者だ! 余を劉協と知っての狼藉か!?」

 

 すると一団の先頭にいた頭目らしい男が下馬し、跪いて礼をとった。

 

「これは韓将軍に命じられ、涼州王君を都まで供するよう命ぜられた者です!」

「そうか! 大義である! その方の名は!?」

「はっ! 某は閻行えんこう、字を彦明と申し、先ごろ校尉に任じられた者です」

「韓将軍の忠義は誠に天晴である。その方のような万夫不当の勇者を余の護衛につけて下さるとは有難い限りだ」

「はっ! お褒め頂き、恐悦至極にございます!」

「では、貴殿に供を命じる、ついて参れ!」

「ははっ! 命に変えましても涼州王君をお守り致します!」

 

 閻行は近隣にも勇名を轟かせる韓遂旗下の随一の武人だ。

 それをわざわざ護衛に付かせたのは、韓遂に虫の報せが届いたからかもしれない。

 それは兎も角、趙高の手の者はこれで韓遂の領内において劉協の命を奪えなくなった。

 

「韓遂め。余計なことを……。まぁ良い。扶風郡に入れば連中も来れぬ筈だ。そこで始末することにしよう」

 

 現在、扶風郡の太守は朝廷から派遣された司馬防という人物が務めている。

 扶風郡は長安を地所とする京兆郡の西隣にあり、長安を守ることにおいて重要な拠点だ。

 厳格で堅物なだけでなく才覚のある人物として知られ、王允の推挙で洛陽県令から右扶風(太守と同格)となっていた。

 子供には八達と呼ばれる八人もの兄弟がおり、かの司馬懿は次男にあたる。

 この司馬防が董卓派閥の段煨だんわい樊稠はんちゅうを巧みに使い、韓遂らの軍勢を良く防いでいる。

 しかし、それが結果的に劉協の命を危うくすることになろうとは、当の司馬防も想像だにしていない。

 

 一行が漢陽郡(天水郡)から扶風郡の郡境の峠に差し掛かると、趙高の手の者は閻行を呼び止めた。

 これから先は同行を許可出来ないというのである。

 

「何故だ? 何故、動向することが出来ぬ」

「閻校尉。これから先は扶風郡でございます。同じ涼州とはいえ、今はまだ韓遂殿は正式な州牧ではございません」

「……何だと?」

「密勅には『協殿下をお連れした後に』と記されている筈。朝敵を殿下と共に参らせる訳にはいきませぬ」

「ふざけるな! このような場所で殿下を置き去りにするなんぞ出来る訳がなかろう!」

「置き去りではございません。近くには右扶風(司馬防)の部隊が待機しております」

「……ならば、その隊が到着するまで」

「いけません。先ほど申した通り、貴殿らは朝敵でございます。朝敵とあらば見過ごす事は出来ないでしょう」

「うぬっ! 言わせておけば朝敵、朝敵と……」

 

 思わず閻行は腰の剣に手をかけた。

 連中の高圧的な態度に我慢ならないのもあるが、それ以外にも不審な点がありそうだからだ。

 ただ、それは確実な証拠がないため、確信に至っていないのだが……。

 

「閻校尉! 大義であった! 韓将軍に宜しく伝えてくれ!」

 

 その時である。見かねた劉協が大声で閻行を制した。

 だが、閻行もおめおめと引き下がる訳にはいかない。

 どうにも腑に落ちないからである。

 

「しかし、涼州王君。我らの使命は無事に都へ王君を送り届けることですぞ」

「それ以上、言うな。閻校尉よ。そなたが危険な目に遭うのが忍びないのだ」

「……いえ、それは任務ですから」

「貴殿を失わせたら大恩ある韓将軍に余は申し訳が立たぬ。分ってくれ。閻校尉よ」

「………」

 

 閻行はそれ以上、何も言えなかった。

 それと同時に趙高の手の者らは内心、小躍りをするような気持ちである。

 

「馬鹿な奴だ。自ら墓穴を掘ってくれるとはな。利発そうに見えて、やはり血は争えないって訳だ」

 

 趙高の手の者は閻行らが見えなくなると「待っていました」とばかり劉協を半ば強引に押し込めようとした。

 すると流石に劉協も驚いたのか、声を荒げた。

 

「何をする! 無礼であろう!」

「殿下。ここは危のうございます。今、暫く我慢なさって下さい。直に右扶風の者達と合流致しますので…」

「しかし、そろそろ日も暮れる。夜道を急ぐほうが反って危ないのではないか?」

 

 劉協がそう言うと同時に劉協は突き飛ばされ、馬車の中で頭を軽く打ちつけた。

 

「痛っ! な、何をする!」

「うるせぇ! ゴチャゴチャ抜かすな! ここで死にたいのか!」

「……な、何を?」

「いいから黙って大人しく座れ! 少しはマシな所で殺してやるから!」

「ああっ!」

 

 男は御者に合図すると馬車は街道を逸れ、間道へと向かい出した。

 劉協は薄々と嫌な予感はしていたが、ここまでとは思わなかった。

 流石に父である帝が自分を殺そうとは思わなかったからである。

 そして更に、男は容赦なく劉協を詰った。

 タチの悪いことに、この者は弱者を責め立てることで悦楽を貪る者だったからだ。

 

「おいバカ皇子。良い事を教えてやろう。お前の親父は韓遂に涼州牧の地位と引き換えに、お前を殺すことにしたのだ」

「嘘だっ! そんな事、誰が信じるものか! それならば閻校尉が同行した理由がないだろう!」

「ああ、それか。韓遂の奴は『自分の領内では困る』と散々、駄々をこねていたからな。それのせいだろうよ」

「出鱈目を! では何故、閻校尉を追い払ったのだ!」

「あいつが韓遂から聞かされてなかったからだ。韓遂の奴、テメェの領内で殺すのはバツが悪いと思ったんだろうよ」

「……なっ。韓遂までもが」

「ワハハハ! 分ったか! それじゃあ大人しく冥府の身支度でもしろ! だが、その前に……」

「なっ! 何をする!?」

 

 男は不意に劉協の衣服をビリビリと破き出した。

 劉協は母親に似て端整な顔をしており、まだ幼さが残る。

 男はその容姿に掻き立てられ、あろう事か劉協を犯そうという欲情を露わにした。

 

「無礼者! 余を誰だと思っている! やめろ!」

「へへへ。女も知らずにあの世に行くのも憐れなもんだ。なら、せめて俺が楽しませてやるってのが情けってもんじゃねぇか」

「こっ! この破廉恥な獣め!」

「ハハハハ! 女みてぇな声で騒ぐから余計に俺も興奮してきたぜ! その辺の田舎娘よりも可愛いツラしてるしな!」

 

 男は御者に命令し、馬車は止まった。

 そして止まった馬車は激しく揺れはじめた。

 劉協が激しく男の魔手から抵抗しているからだ。

 

 そこに一人の男が弓を片手に通りかかった。

 狩猟をしていたのだが、獲物を一匹も獲れずに遅くまで山林に留まってしまい、急いで帰路についた途中である。

 そこで偶然にも劉協が乗る馬車を見つけたのだ。

 

 男の名は蘇則。字を文師という者だ。

 扶風郡の生まれで同郷の吉茂と共に山中にて暮らしている。

 両者とも茂才を受けたのだが、双方ともに正義感が強く、招聘を断って隠遁していた。

 当時の県令から茂才する代わりに賄賂を要求されたからである。

 

「おや? あんな所に馬車が……。しかも、様子がおかしい……」

 

 目を凝らし、耳を澄ませると、どうやら女の悲鳴が聞こえてきた。

 馬車の周りには数人の男がおり、辺りを頻りに警戒している。

 

「婦女を拉致して慰みものにする最中ということか……。許せぬ」

 

 しかし、蘇則は腕に覚えがない。

 そのため、歯噛みして様子を窺っていると後ろから声がした。

 

「ありゃ? 文師さんじゃねぇか。もう日も暮れるというのに、まだ兎狩りかい?」

 

 声をかけてきたのは鮑出。字を文才という者だ。

 農民の出だが腕には自信があり、遊侠となって博打を生業としていた。

 

「おお、文才さんか。丁度良いところに来てくれた」

「丁度良いところ?」

「あの馬車を見ろ。どうやら娘御を連れ込んで不逞ふていを働くつもりらしい」

「何っ! 年端のいかねぇ娘相手に不逞を働くとはふてぃ野郎だ!」

「しっ! 声がでかい! それに、この状況でそんな寒いことを言うんじゃない!」

「ガハハハ。悪い悪い。それで文師さんはどうするつもりだい?」

「何とかして助け出したいのだが、私には……その、何だ」

「ガハハハ! そういう事かい! それなら俺に任せな! あんな奴ら一捻りだ!」

「済まぬ。借りは返す故、助け出してやってくれ」

「おう! また美味い酒でも奢ってくれぃ! じゃあ、行ってくる!」

 

 鮑出はそう言うと同時に飛び出して、馬車の前に現れた。

 驚いた男の手下達は鮑出に飛びかかったが、鮑出は意図も容易く男達を持っていた鉈で切り裂いた。

 

「ぎゃっ!」という悲鳴が上がると劉協を犯そうとしていた男は「何事か」と下半身を剥き出したまま、外へ飛び出した。

 すると御者を始め、配下の者達が見るも無残な屍と化していた。

 

「だっ! 誰だ!? 貴様は!?」

「馬鹿野郎! まずテメェから名乗りやがれ! それ以前に、そのお粗末なモノを隠しやがれ!」

「なっ! 何だと!? この俺のモノがお粗末だぁ!?」

「お粗末なモノをお粗末と言って何が悪い! しかも臭すぎてここまで臭うぞ! こりゃあ地獄の泰山府君も敵うまいなぁ!」

「貴様! 許さん!」

 

 激高した男は持っていた剣で鮑出に斬りかかった。

 男はかつて趙高が黄巾党に所属していた頃からの手練れなのだが、それでも鮑出の腕の方が勝っていた。

 十数合ほど斬り合いした後、男は鉈で首をかっ斬られ絶命した。

 

「ザマァみろい。お粗末なのはモノだけじゃなかったようだな」

 

 鮑出は男の屍にペッと唾を吐くと、今度は馬車の中を覗いた。

 すると女と思っていた者は服を散々に破かれた少年であった。

 

「あの野郎……。とんだ変態野郎だ。こんな奴を手籠めにしようとしていたのか……」

 

 すると劉協は鮑出をキッと睨み付け、甲高い声で鮑出を叱責した。

 

「無礼者! 余を『こんな奴』とは何事だ!」

「なっ!? 助けてやった者に礼を言うのが、まず先じゃねぇのか!」

「それには礼を言う! 余の難儀を助けたのは大義である! だが、それとこれとは話が別だ!」

「ふざけるな! 何が大義だ! 年端のいかねぇクソガキが偉そうな事を言うな!」

「ぶっ! 無礼者!」

「テメェこそ無礼者じゃねぇか! このクソガキ!」

 

 ついには言い争いになってしまい、退けない状況となってしまう。

 そこに馬車の傍まで来た蘇則が鮑出に外から話しかけた。

 

「文才さん。何をしているのかね?」

「おっと文師さん。いえね。このクソガキが『礼の一つぐらい言え』って言ったら『大義である』なんぞ抜かしやがる」

「何? 大義?」

「そうなんだよ。しかも、今度は俺を無礼者呼ばわりだ。これじゃあ、美味い酒だけじゃ割に合わねぇ」

「ハハハ。随分と気丈な小娘のようだ」

「小娘じゃねぇ。野郎だよ。確かに顔はウブな小娘っぽいけどよ」

「何? 男なのか?」

「そうだよ。胸元がはだけていたが、いくら発育が悪くても悪すぎらぁ」

「……ふぅむ」

 

 蘇則はそっと馬車の中を窺うと、まだ幼さも見え隠れする少年が気丈にも凛として座っている。

 その少年の顔には痣があり、口からは血が流れている。

 どうやら抵抗した際に乱暴されて出来た傷らしい。

 

「苦しゅうない! その方は何者ぞ! 名を名乗れ!」

 

 数秒ほど、沈黙が流れた。

 蘇則は少年の様子からして


「これはひょっとして高貴の生まれの者か。しかし、何だってこんな片田舎に……」

 

 そう思い、襟を正して姓名を名乗ることにした。

 特に売り込む気はないのだが、鮑出が行ったような言い争いは面倒だったからである。

 

「某は蘇則。字を文師と申す者です。こちらに控えます義士は鮑出。字を文才と申します」

 

 蘇則がそう言うと思わず鮑出はプッと吹き出し、こう言い放った。

 

「俺はただの百姓生まれの侠客ですわ。義士なんてガラにでもねぇ。やめておくんなさい」

 

 それを聞いた劉協も思わずニコッと笑い、声高らかにこう述べた。

 

「余は劉宏が次子。劉協である。二人のおかげで余の命は長らえることが出来た。心より礼を申すぞ」

「劉宏……え? まさか……」

 

 蘇則は耳を疑った。

 劉宏と言えば帝以外にありえないからだ。

 劉宏の息子が二人いることは知られており、齢からすれば自ずと答えは出た。

 

「まさか……涼州王君でいらっしゃられるか?」

「貴殿が疑うのも無理もない。だが、本当のことだ」

「……俄かには信じられませぬ」

「余は朝敵扱いの身であるぞ。わざわざ朝敵であると名乗るのがどれだけ愚かしいか、年端の行かぬ童でさえ分かるであろう……」

 

 劉協はそう言うと思わず涙ぐんだ。

 それは安堵と同時に情けない想いが込み上げてきたからだ。

 

「何故、父上は私をこうまでして殺したいのか……」

 

 このような問いを自問自答したのである。

 すると、あまりにも情けなくて涙が溢れだした。

 

「涼州王君。そのような恰好では風邪をひきます。まずは私の庵まで案内しましょう」

 

 蘇則はそう言うと自身の上着を劉協に着せ、劉協の手を引き帰路を急ぐことにした。

 状況を掴めない鮑出は戸惑っていたが、蘇則に事の成り行きを聞くと慌てて平伏した。

 その様子を見て、劉協は鮑出にこう述べた。

 

「クソガキなのだから平伏する必要はないぞ」

「とっ! とんでもねぇ! 知らねぇとはいえ、とんだ粗相をしちまいやして……。勘弁して下せぇ」

「……いや、君の言う通りだ。私はクソガキのようだ」

「……そ、そんな」

 

 劉協は寂しそうな笑みを浮かべ、それ以上は何も言わなかった。

 庵に着くと同居人の吉茂。字を叔暢しゅくちょうという者が出迎えた。

 吉茂は声を上げて驚くと、続けざまに蘇則にこう言った。

 

「ここ数日、狩りに行ってはボウズばかりだったのに……」

「今日こそは大物を持って帰ると言ったではないか……」

「馬鹿を言え! 熊でも虎でも驚きはせんが、龍となると話は別だ!」

 

 吉茂が言った途端、皆は声高らかに大笑いした。

 吉茂も口は悪いが義侠心に篤い男なので、劉協の世話を尽くした。

 それ故、夜の帳が降りると劉協は安心して眠ることが出来た。

 しかし、安らかに眠る寝顔からは一筋の涙がこぼれたのであった……。


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