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外伝47 司護の一時的な帰宅

 さて、今回は荊南のことについて説明させて頂きたい。

 衝陽の巨大都市計画以外にも劉岱や曹操らへの資金捻出。

 更には荊州内だけでなく、交州、益州、楊州への街道整備などもあり、荊南の財政を圧迫しつつある状態となっていた。

 

 司護が逐電してから半年後、別駕従事の鄭玄は荊南の各太守を呼び寄せることにした。

 財政会議を開くためである。

 その中において「何処を削るのか」という話になり、大揉めになる騒ぎとなった。

 

 ない袖は振れない。

 それは当然のことである。

 だが、既に劉岱や曹操への資金援助は決定事項であるし、衝陽を発展させるためにも街道整備は欠かせない。

 

「弱ったことになったのぉ……。どうすれば良いのやら……」

 

 鄭玄は頭を抱えた。

 著名ではあるが、あくまで儒者として著名な人物である。

 ある程度のことは理解しているが、全てを把握し、予算を削ることなど決められない。

 

「……あの方に相談してみよう。何か良い知恵があるやもしれん」

 

 鄭玄は司護から「亜父」と呼ばれる范増を呼んだ。

 范増の役職は臨時長史というもので、言わば臨時顧問といったところだ。

 これは范増が高齢なための措置である。

 

「珍しいこともあるものじゃな。別駕従事殿が儂に用があるとは……」

「いやいや。貴殿は荊使君から亜父と呼ばれる人物。知恵を拝借致したく……」

「先ほど簿曹従事中郎の孫乾から聞いたわい。随分と難儀なようじゃな」

「ええ。どうにも良い知恵が浮かびませぬ……」

「しかし、困ったのぉ……。儂にもどうにもならぬ」

「そ、そんな……」

「いやいや。こればかりは儂もお手上げじゃ。許されよ」

 

 范増はそう言うと、そそくさと帰ってしまった。

 実のところ、ない訳ではない。

 ただし、その案がまず通ることはないと思ったのだ。

 

 范増が屋敷に戻り、書斎に入ると思わぬ人物がそこに居た。

 范増は目を擦りもう一度確認したが、やはりそこに居るのである。

 

「これ! お主! 何時の間に戻って来たのじゃ!?」

「ハハハ。亜父よ。驚いたようだな」

「当たり前じゃ! さっさと政庁に戻らぬか! 皆が探しておるぞい!」

「そう焦るな亜父よ。何やら皆、大変なようだが……」

「馬鹿なことを申すな! お主が衝陽を洛陽以上のものにすると言い出したからであろうが!」

 

 思わぬ人物とは司護であった。

 しかし、司護は本来、ここにはいない筈の者である。

 

 実はここにいる司護はフクちゃんとジンちゃんのみで形成された人物である。

 本体である司護本人は呑気に温泉に浸かっている最中だ。

 そして、フクちゃんこと梟雄の司護が范増の応対をしているのだ。

 

「大方、分っている。財政が逼迫ひっぱくしているのであろう?」

「分っているのならどうにかせんか!」

「簡単なことではないか。兵糧が腐るほどあろう。売れば良い」

「お主は正気か? 穀物の値は豊作続きで底値ではないか……」

「ハハハ! ここで売るからそうなる! ならば高く売りつける場所で売れば良い!」

「……出来るのか?」

「亜父よ。豫州辺りで大規模な取引が出来る豪商に知り合いはいないか?」

「それならば田一族が一番じゃろうが……。良いのか?」

「何がだ?」

「田一族は袁術の御膝元じゃ。故に袁術が買い漁るのは必定だからじゃ」

「ハハハハ! 願ったり適ったりだ。どんどん散財してもらおうではないか」

「お主、正気か!?」

「我らは袁術と直接的には接しておらんからな。後始末は曹操、劉繇、張角、劉寵、劉岱、劉表らに任せるとしよう」

「……しかし、それ以上に面倒なのが儒者どもじゃ。連中が納得出来ると思えないのじゃが」

「それは余が説得をする。案ずるな」

「……出来るのかの?」

「ハハハハ! 詭弁を弄するのは儒者の専売という法はないからな」

 

 この事は范増も腹案として考えていたものだ。

 だが儒者も多い荊南において、この策が通る見込みがないと考え、鄭玄には打ち明けなかったのである。

 問題のルートであるが、これは襄陽国、南陽国への通商ルートを経由すれば問題ない。

 劉岱へ兵糧を援助するのは決定事項であるし、そのついでに豫州頴川郡へ足を延ばせば良いだけだ。

 

 范増の屋敷を出た後、司護は政庁へと戻り、驚く官吏たちへ早急に会議する旨を伝えた。

 政庁は蜂の巣を突いたような騒ぎとなり、五郡の太守を始め、主要な従事や官吏が招集されることになった。

 

 その間、自らの寝室に司護は閉じこもると静かに頭の中で会話し始めた。

 ボンちゃんこと本体は不在のままである。

 

「それじゃあ、後は宜しく頼むぜ。腐れ儒者よ。お前は詭弁しか能がないからな」

「黙れ凶賊め! 本来このような事は私のやるべき事ではない!」

「おいおい……。仕方ないだろ? 現実的にこれしか方法はねぇんだしよ」

「大体、どうやって説得するのだ?」

「材料なら腐れ儒者お決まりのやつがあるだろ? 『民のため』ってやつだ」

「袁術を利することの何処が民のためなのだ?」

「か~~ぁ……腐れ儒者は相場も分らなねぇのか? 大量の穀物が出回れば、それだけ民の方にも安く購入しやすくなるだろ?」

「………」

「これから先の残り四年間は何処もかしこも豊作続きになる。そうなれば現在持っている兵糧は高く売れなくなっちまうだろ」

「………卑怯なことを」

「馬鹿か? それが世の中の道理だ。正確な情報をより多く所有する者こそ、勝利者になるのに相応しいのだ」

「………」

「それとだな。ついでにお隣の豫章郡辺りの兵糧も買い漁るぞ。それを頴川郡で売れば数倍になるしな」

「そんな事をすれば背信行為ではないか!」

「豫州や兗州の商人に売るんだぞ? 何処が背信行為なんだ?」

「そうではないか! 袁術に兵糧が渡ると分っていながら……」

「うるせぇ! これもボンちゃんの為なんだから仕方ねぇだろ! ゴチャゴチャ言わずにお前の仕事をしろ!」

 

 本来ならボンちゃんこと司護つかさまもる本人が止めに入るところだ。

 だが、肝心の本人がいない為、纏まりがつかない。

 

 二人のやりとりは長時間に及んだ。

 その結果、ジンちゃんが折れる形となった。

 ジンちゃんは納得していないものの、これ以上続けると双方どころか本体に悪影響を及ぼしかねないからである。

 

 普段であれば誰もいない部屋を日本語で騒ぐのだが、この二人のやりとりは周りから見れば瞑想しているようにしか見えない。

 その様子をジッと窺っている人物がいた。

 義理の息子、司進である。

 

「一体、父上は何をなさっておるのだ……? ただの瞑想とは思えぬが……」

 

 司護は自室に閉じこもってから数時間ほど座して目を瞑ったままだ。

 それなのに身動き一つもせず、呼吸音すら聞こえてこない。

 まるで彫像のような佇まいである。

 

 やがて丑三つ時となり、様子をずっと窺っていた司進も扉の前で眠りこけてしまった。

 すると不意に肩に手が置かれたので、見上げると司護がそこに立っていた。

 

「こ、これは父上……」

「……ここで何をしておるのです? 風邪をひきますよ」

「……い、いえ。父上が心配だったものですから」

「余の心配はいらぬことです。余は黄帝君に守られております。少なくとも今は……」

「いえ。それで増々心配なのです」

「何故ですか?」

「父上はこれまでも唐突に出奔を繰り返しているではありませんか。もし、それがそうした慢心からだとしたら……」

「安心なさい。慢心ではありません。それよりも姉君と共に、力を合わせて荊南を守るのですよ」

「……はい」

「余が各地を渡り歩いてきたのは、天下万民のために乱世に終止符を打つためです。それは張羨殿の願いでもあります。分かりますね」

「………」

 

 司護の話ぶりに、司進は少し違和感を覚えた。

 それもその筈で、応対したのは普段のボンちゃんではなく、ジンちゃんだからである。

 だが、司進はそれ以上、何も言えなかった。

 本当の父である張羨の名を出されては抗えないからだ。

 

 数日後、政庁には太守を始めとする主なる者が招集された。

 そこで司護は兵糧の運搬、及び売却を提言した。

 

 これには当然、賛否両論が巻き起こった。

 主に「否!」と口々に捲し立てたのは鄭玄を始めとする者達だ。

 こと儒教において、己を利する為の商売は禁忌とするところなので、当然とも言える。

 そして、ジンちゃんと同じく背信行為と思えたからである。

 

 一方、賛成に回ったのは張昭を始めとする者達だ。

 儒者の観点からではなく、現実的に資金を捻出する方法としては一番、現実的だからである。

 

 議論は白熱し、喧々囂々(けんけんごうごう)となって双方ともに譲らない。

 理想論と現実論のぶつかり合いだ。

 それをジッと司護は見つめるだけである。

 司護の中でも再び言い合いが始まってしまったからである。

 

「ほれ、腐れ儒者。さっさと『民のため云々』とか言え。あまり時間はねぇんだぞ」

「黙れ凶賊。それならお前が言えば良いだろう……」

「俺が言うと口調が変わるから面倒なんだよ。それともボンちゃんの居心地を悪くしてぇのか?」

「……そ、それは」

「ほ~ら、見ろ。お前が大好きな『忠』とやらに傷がつくだろ?」

「黙れ! 『礼』の何たるかも知らないくせに!」

「馬鹿が。そんなもの知っていても腹は膨れねぇだろい。大体、貧乏自慢することの何が良いんだか……」

「貧乏自慢ではない! お前こそ貧乏者の極みであろう!」

「俺の何処が貧乏者なんだ?」

「そうであろう! 心根が貧しいにも程がある!」

「ケッ! お上品ぶっているから、そこに付け込まれるんだ。何処でどいつが死のうが構うもんか。まずはテメェファーストだ!」

「つくづく下品な痴れ者よ……」

「勝手に言ってろ。それはそうと俺がぶっちゃけても良いのか? 鄭玄やら何やらが呆れて出奔するぞ」

「……ひ、卑怯な」

「ま、俺は別に困らねぇけどな。けど、ボンちゃんは大変だろうなぁ……。良いのかなぁ……」

「………」

 

 ジンちゃんはついに決断をした。

 フクちゃんを言い負かすよりも、まずはボンちゃんの期待に沿えることの方が大事だからだ。

 当のボンちゃんこと司護つかさまもるは、この事を知らず呑気に温泉の湯船に浸かっているのだが……。

 

「……皆。聞いて欲しい。余が決めた理由は我ら領内のためだけではない」

「……し、しかし、荊使君。これは不義も同じですぞ」

「鄭別駕従事(鄭玄のこと)よ。分ってはいる。だが、豫州や兗州では未だに穀物の高騰が続き、民は困窮しているのも事実だ」

「……ですが、袁術めに大量の兵糧が渡れば」

「それ以上に民の暮らしは逼迫している。それは穀物の価格が高騰しすぎているからだ。故に民のためでもあるのだ……」

「………」

「今、荊南をはじめとする一帯は裕福だ。しかし、だからと言って無償で穀物を配るとなると、荊南の民も面白くなかろう」

「……そ、それは」

「それ故の措置でもある。分ってくれ……」

「……御意」

 

 鄭玄がそう言うと、司護は深々と鄭玄に対し頭を下げた。

 そして、司護が姿勢を元に戻したその時、不意に両肘をガッと掴まれた。

 掴んだのは周倉、そして許褚である。

 

「親分。許して下せぇ」

「オラもこんな事をやりたくはねぇだ。んだども……」

 

 二人がこう呟いたので、司護は「何故」と言おうとした矢先、後方から大きな声がした。

 

「是が非でも留まって貰いますぞ! 荊使君!」

「留府長史(張昭のこと)!?」

「先日から使者の目通りを断り続けておるのですぞ! このままでは荊州牧としても役目が果たせますまい!」

「……しかし、余は黄帝君に断って一時的に戻って来たのだ。さもないと全土に災いが降りかかる……」

「戯けた事を申されるな! 者ども、荊使君に部屋に案内せよ! 絶対に抜け出させてはならぬぞ!」

 

 部屋には数人の兵士が詰めて見張ることになった。

 しかし、交代時に皆が目を放した瞬間、司護の姿は跡形もなく消えていた。

 

 これには政庁内だけでなく、荊南周辺にまで噂が広まった。

 ただでさえ「上使君」と噂されるのだ。

 既に宗教がかっている司護信仰に拍車をかけてしまったのである。


 その一方で別駕従事の鄭玄は焦った。

 帝である劉宏は大の道教嫌いである。

 それ故、この事を帝が聞きつけ荊州牧を罷免しかねない。


 そんな両名が困っていたところに、ある者が助言をした。

 都督を拝命した陳平である。

 

「別駕従事殿。これは寧ろ吉報です。これを利用しない手はありません」

「陳都督。どういう意味だ?」

「逆に喧伝するのです。さすれば荊使君の名も上がりましょう」

「だが、もし災いが起きたら逆に名声は地に堕ちるぞ」

「その場合、何者かが神事を邪魔し、荊使君に危害を加えたことにします。差し詰め、隣には恰好の相手がおりますしね」

「……ううむ。気が乗らぬが」

「黄巾党の連中を見なされ。あの者達は張角を信じて疑わないため死も恐れませぬ。それに兵の中にも荊使君を文字通り信奉している者も多い」

「………」

「これ以上の好機はありません。今すぐ触れを出し、荊使君が神事を行っていることを大々的に報じるのです」

「……うむ。確かにそれは名案だな」

「しかも、丁度良いことに豫州近辺の大商人を通じて中原にまで広めることが出来る。ハハハハ。誠に好都合ですな」

 

 そして司護が予言した通り、全土に天災は嘘のようにピタリと止んでしまっている。

 その為、噂が噂を呼び、司護が黄帝に会っているという噂が中原だけでなく、華北にまで広まった。

 この事を知らないのは司護本人ただ一人である。

 


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