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外伝46 もう一つの桃園の誓い

 さて、孫堅の下に身を寄せることになった項籍だが、日々ぐうたらな毎日を過ごしていた。

 政務などは全く興味がなく、学ぼうという気概もまるで無い。

 孫堅から貰った古錠刀を腰に差し、日々ブラブラと散歩するのが日課となっている。

 

 袁術からは再三再四「出仕せよ」という命令を無視し、酒と女で暇を潰す。

 それを特に悪びれもしないので、袁術との交渉に当たる朱治の頭痛の種となっていた。

 

「少しはマシだと思っていたが、ここには俺に見合う馬も女もいない。こいつは早まったことをしたかな?」

 

 袁術がいる寿春に行けば、その可能性も少しはあるのだが、面倒くさがり屋の項籍にその気はない。

 大体、寿春に行ったら官位だの役職だの恩着せがましく渡されて気持ち悪いことこの上ない。

 それ以上に袁術の噂を聞く度にブン殴りたい衝動に駆られる有様だ。

 

「少しは慣れたか?」

 

 事あるごとに孫堅は項籍にそう声をかける。

 慣れる訳がないのだが、気をつけておかないと項籍は何を仕出かすか分らない。

 それもその筈で、ある日のこと、孫堅が軍費の捻出に頭を悩ませていた時に珍しく項籍が「策がある」と言ってきたことがあった。

 

「……して、子羽(項籍の字)よ。策とは何かね?」

「ああ、文台(孫堅の字)よ。ここから汝南は目と鼻の先だ。ちと兵を貸してきてくれれば簡単に金銀を持ち帰ってくるぜ」

「……どうするつもりだ?」

「決まっている。死んでいる金を掘り起しに行くんだ」

「……死んだ金?」

「つい先日、宮廷に居た仰々しい官職のやつが死んだだろ? そこの墳墓にたんまり金もそこに眠っているって言うじゃないか」

「なっ!? まさか!?」

「驚くことか? 大丈夫だ。見張りの墓守は必ず皆殺しにしてくるから」

「だっ! 駄目だ!」

「何故だ?」

「駄目に決まっているだろう! その墳墓とは袁逢君のものであろう!?」

「……そういう名前だったか? まぁ、細かいことは良いじゃないか」

「いかん! それだけは駄目だ!」

「だから何故だ?」

「袁逢君は袁術の父親だぞ! そんな事をしてみろ! 俺は一貫の終わりだ!」

「だからバレないようにやるって……」

「駄目だ! それとこの事は絶対に口外するな! いいな!」

「ちぇっ。面白くねぇな」

「実行も口外もせぬと言うのなら、お前の欲しがっていたこの古錠刀をやる」

「仕方ねぇな。それで手を打つよ」

 

 流石の孫堅も項籍の提案には度胆を抜かされた。

 確かに袁逢の墳墓には金銀財宝は眠っている。

 それは事実ではあるが、墳墓をあばくという行為は禁忌中の禁忌である。

 しかもそれが袁術の父親となると全てが水泡に帰すことになるのだ。

 孫堅の顔が蒼くなるのも当然である。

 

 項籍は折角の名案を却下されたので、面白くない事この上ない。

 あろうことか、それ以来どんな時でも見張られている気分である。

 それもその筈で、孫堅は項籍が無茶をしないように尾行をつけたのだ。

 

「……全く。尾行させるなら、もっとマシな連中にしろや。バカでも分かるわ……」

 

 事あるごとに付きまとう尾行に苛立ちを隠せない項籍であったが、仕方なく我慢した。

 ここで騒動を起こしたところで何の得にもならないのは明らかだ。

 

「こうなりゃ寿春にでも行って、その場で袁術を殺すか? それも一つの手段だが……」

 

 ブツブツと物騒な事を呟いていると、不意に後ろから「待て!」という声がした。

 後ろを振り返ると成人したばかりと思える男がまなじりを割いている。

 

「お前が項籍だな! 古の覇王の名を騙っているというじゃないか! この俺と勝負しろ!」

「お前は誰だ……?」

「俺は孫堅の嫡男、孫策! 字は伯符だ! 俺が勝ったら腰に着けている古錠刀を返してもらうぞ!」

「ハハハハ! なんだ! 文台の小倅か!」

「親父の字を……!? しかも呼び捨てに!?」

「面白い。丁度、暇をしていた所だ。付き合ってやろう」

 

 項籍は孫策を侮っていた。

 齢はそう離れていないのだが、孫策は成人したばかりである。

 

「おい。孫堅のひよっ子。お前じゃ数秒で片付いちまうから右腕だけで相手してやる」

「なっ!? 何だと!?」

「この右手から古錠刀が離れればお前にくれてやる」

「俺をナメるのも大概にしろ!」

「ハハハハ! 自分の力量ぐらい見極めてないと早死するぞ」

「うぬっ! 言わせておけば!」

 

 孫策は手に構えていた棒で項籍に飛びかかった。

 項籍は客将という立場なので、刃のついた武器で攻撃する訳にはいかない。

 もっとも、棒でも当たり所が悪ければ死ぬのだが……。

 

 孫策は渾身の力を込めて項籍に打ちかかった。

 だが、項籍は意図も容易く鞘のついた古錠刀で受け止める。

 本来なら孫策の一撃を片手で受け止めるのは自殺行為に等しいのだが……。

 

「おいおい。それで終わりか? 親父が知ったら泣くぞ」

「うっ! うるさい!!」

「ハハハッ! 威勢だけは一人前だな!」

 

 孫策は吠えるが、数十合も打ちかかったのに項籍はビクともしない。

 そして、孫策は既に肩で息をしているが、項籍は平然としたままだ。

 

「くそっ! これでも喰らえ!」

 

 孫策は既に気力がないが、それでも項籍に打ちかかる。

 既に疲れが足にも及んでいるのだが、その事を気にしている余裕は皆無だ。

 だが、体は正直である。

 項籍が逆に押し返すと、どうっと孫策は仰向けに倒れてしまった。

 

「アハハハッ! それで俺に立ち向かうとは無謀にも程があるぞ!」

「……ううぬ」

「負け犬なら負け犬らしく降参しろ。そして、俺の股をくぐれ。そうしたら許してやろう」

「ほざくなっ! てめぇ!!」

 

 その様子におかしかったのか、項籍はまた大笑いしようとした。

 その瞬間、不意に右に気配がし、向くと目の前に何かが眼前に迫ってきていた。

 

「うぬっ!?」

 

 項籍は思わず鞘のついた古錠刀でそれを受け止めた。

 その瞬間、ガシャンという音と共にそれは割れて破片と液体が飛び散ったのだ。

 項籍は右腕から上半身にかけて濡らされると、良い匂いが項籍の周りを包んだ。

 

「……これは?」

 

 項籍が戸惑ったが、それを孫策は見逃さなかった。

 

「隙あり!」

「くっ!?」

 

 孫策の一撃は項籍の顔を目がけて放ったものだが、当然ながら項籍は鞘で受け止めた。

 その瞬間である。

 思わず手が滑ってしまい、鞘を地面に落としてしまった。

 

「どうだ! お前の手から古錠刀が抜け落ちたぞ!」

「………」

「約束通り返してもらうからな!」

「フ……フハハハハッ!!」

 

 項籍はまたもや大笑いした。

 油断し、思いがけないものが飛んできたとはいえ古錠刀を落としてしまったのは自分に責めがある。

 それに項籍は、何故か孫策のことを気に入った。

 その理由も分らないのだが、それがおかしさに拍車をかけたのだ。

 

「いやぁ、参った参った。お望み通り古錠刀はくれてやる。持っていくが良い」

「……え? いいのか?」

「どうした? 欲しくないのか?」

「……い、いや、てっきり怒ると思っていたのでな……」

「怒るものか。暇潰しの礼だ。それに俺には用済みだしな」

「……用済み?」

「ああ。俺は出奔する。こうジロジロと見張られてしまっては息が詰まる。少しはマシだと思ったんだが、どうも勝手が違ったようだ」

「ま、待て! 待ってくれ!」

 

 孫策はそう叫ぶと跪いた。

 そして、続けざまにこう叫んだ。

 

「俺は覇王に憧れがあった! だから貴殿が勝手に覇王の名を名乗ったことを許さなかったんだ!」

「……覇王? 名乗った?」

「ああ! 紛れもない! 正しく貴殿は古の項羽そのものだ! だから出奔はしないでくれ!」

「……それが何の関係がある?」

「関係は大いにあるっ! 俺を義弟にしてくれ!」

「なっ!? 何ぃ!?」

「減るもんじゃないし良いだろう!? 寧ろ増えるものだ!」

「……お前が俺の義弟?」

「そうだ! 確かに兄貴の義弟としてはまだまだかもしれんが、そのうち直にでも兄貴に追いつくぜ!」

「ハッ! ハハハハハ!!」

 

 項籍は思わずおかしくなり、またも大笑いした。

 一連の中で一番、大きな声でだ。

 そして何故か懐かしいような心持ちがしたのである。

 

 項羽には本来なら親族に項声、項荘という者がいる。

 何れも弟のように接した者達だ。

 だが、この世界にこの両名は出現していない。

 

 項籍は一頻り大笑いした後、孫策を見た。

 確かに「誰かに似ている」そう思った。

 しかし、それを思い出せない。

 

 だが、項籍は少々気持ち悪いものの、それを気にすることはしない。

 気にしたところで仕方ないからである。

 

「ハハハ。物好きな奴もいたものだ。だが、孫策とか言ったな。親父殿は大丈夫か?」

「逆に安心するだろうぜ。何せ俺が兄貴のお目付け役になるんだし」

「心許ないお目付け役だな」

「……そ、それを言うなよ。子羽の兄貴」

「ハハハッ! まぁ、そういうことなら良いだろう。それとあいつは誰だ?」

 

 項籍はそう言うとジッとこちらを窺っている美青年を見た。

 方角からして項籍に何かを投げつけた者に違いない。

 

「ああ、あいつは俺の義弟で周瑜。字を公瑾って言うんだ」

「あいつに感謝しろよ。孫策。お前が古錠刀を取れたのもあいつのお陰だ」

「ちぇっ。それを言うなよ兄貴。それに字で呼んでくれ」

「それもそうだな。伯符だったっけ。あいつを呼んでくれ」

 

 孫策は周瑜に目配せすると、周瑜は笑みを浮かべながら近づいた。

 そして項籍の前に跪きうやうやしく礼をした。

 

「俺が伯符の兄貴ってことなら、お前も義弟ってことで良いのか?」

「ハハハ。そういうことでしょうね。宜しく頼みますよ」

「どうもお前さんが、この中で一番の知恵者なようだ。まぁ頼むぜ」

「はい。伯符以上に厄介な御守ですが何とかしましょう」

「ハハハハハ! 言ってくれるな!」

 

 項籍が大笑いすると、今度は孫策が周瑜に話しかけた。

 

「それじゃあ兄弟になった祝いに酒盛りするとしよう。お前、この界隈で一番の酒を持って来るって言っていたよな」

「ああ。それなら既に飲まれてしまいました」

「何っ!? ふてぇ奴だ! 何処のどいつだ! ふん捕まえて五体引きちぎってやるからよ!」

「……それは無理でしょう。飲まれた相手は…ほら、ここにおりますよ」

 

 周瑜はそう言うと濡れた地面を見た。

 孫策はそれに気づき項籍と共に大笑いした。

 項籍と孫策は共に一頻り大笑いした後、吉日を決めて酒宴を開くことにしたのだ。

 

「俺に義弟が二人もか……。増々、先が分らんな……」

 

 孫策が項籍の目付となることで、既に尾行は解任された。

 そこで項籍をはじめとする三人は狩猟したり、船遊びをしたりして既に青春を謳歌していた。

 

 ただ、項籍には少し不満があった。

 二人とも既に妻がいるのだ。

 二人とも絶世の美女であるが、羨ましいと思うより、自身の物足りなさがある。

 しかし、それの理由が皆目見当がつかない。

 

「子羽兄ぃ。兄貴も嫁を貰ったらどうだい?」

「伯符よ。嫁を貰うのは良いのだが、どうもその辺の女じゃ満ち足りないようだ……」

「……そうだよなぁ。子羽の兄貴の嫁となれば、やっぱり虞美人じゃねぇとなぁ……」

「……誰だ? それは?」

「えっ? 兄貴は知らないのかい?」

「知らぬ。聞いたこともない」

「へぇ……こいつは意外だ。古の覇王を名乗ったのは本当に偶然なんだ……」

「その古の覇王というのはやめてくれ。劉邦とやらに負けた負け犬ではないか……」

「おいおい! あまりそういう事を大声で言わないでくれ! 俺が親父に怒鳴られちまう!」

「そうか。しかし何故だ? 不思議と『劉邦』という名を耳にすると、何故か怒りが込み上げてくるのだが……」

「……本当に生まれ変わりじゃないのかね?」

「……さぁな。だが、俺は負け犬じゃない。違うであろうよ」

 

 孫策はそれ以上、何も言えなかった。

 そこで話を嫁のことに戻すことにした。

 

「……で、子羽の兄貴。兄貴の嫁なんだけどよ」

「何か宛でもあるのか?」

「袁術の娘なんかどうだい? 美人との評判だしさ」

「やめてくれ。真っ平御免だ。そんなに良いならお前が正室に貰えば良いではないか」

「……そ、そう言われると困るな」

「何れ嫁は貰うかもしれん。だが、今じゃない。今はその辺の芸妓相手に楽しむことにするさ」

 

 そして翌年の春となり、周瑜が江東一の美酒を手に入れたということで、酒宴の場所を設けた。

 くしくもそこは桃の花が見事に咲いた場所であった。

 

 三人は改めて義兄弟の契りを誓い合い、大いに歌って騒いだ。

 その中においてだが、余興として周瑜が笛を吹き出すと、孫策は舞を舞った。

 項籍は目を細め、その舞を眺めていたが、ふと目を瞑ったその時である。

 ふと見知らぬ女性の顔が脳裏に過った。

 

「ああっ!?」

 

 突然の項籍の大声に周瑜は笛を、孫策は舞を止めた。

 そして恐る恐る孫策は項籍に話しかけた。

 

「ど、どうした? 兄貴?」

「……い、いや、何でもない」

「何でもない訳ないじゃないか。急にそんな大声を張り上げてよ……」

「…う、うむ。ある女の顔が過ったのだ」

「……女の顔?」

「ああ。それも鮮明にだ」

「……で、その女を嫁にするのかい?」

「……うむ。俺はその女以外に嫁はおらぬ。そんな気がしてならない」

 

 項籍はどうしても女の名前が思い出せなかった。

 だが、孫策から聞いた虞という姓は、何故か妙にひっかかる。

 

「何れ転戦していれば会うこともあろう……。会えば何か思い出すやもしれぬ……。しかし、今は義弟が出来たことを祝うことにしよう」

 

 項籍は二人に軽く謝ると、また酒宴を続けた。

 そして、桃の花はそんな三人を静かに見守っていた。


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