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外伝45 江東の覇王

 

「何たる失態だ! 曹操なんぞに、ここまでしてやられるとは!」

 

 袁術は冠を叩きつけ、這う這うの体で戻って来た張勲を激しく叱りつけた。

 張勲は俯き、袁術の罵声を耐え凌ぐしかない。

 

「もう良い! 下がれ!」

「……御意」

 

 張勲が下がると、脇で見ていた者が袁術に声をかけてきた。

 許靖、字を文休という汝南郡の平輿へいよ県出身の者である。

 人物評を得意とする許劭は従弟にあたり、自身も人物評で名を馳せている。

 

 ところが、この許靖と許劭は驚くほど仲が悪く、相容れない関係である。

 それ故、劉繇を頼った許劭に対し、その劉繇に敵対関係にある袁術を頼って、その配下となっていた。

 許靖も名声を博しているので、袁術の御眼鏡にも適っている。

 

「袁使君。曹操を侮ってはなりませぬ。子将(許劭の字)は奴を『治世の能臣、乱世の奸雄』と評したようですが、それだけではないようです」

「……どういう事だ?」

「私が見るに、奴は『性質は王莽の如く、謀は鬼谷の如し』と思われます」

「何? 鬼谷だと?」

「はい。油断ならぬ者です。張将軍には、些か酷な相手であったと思われます」

「……では、どうすれば良い?」

「ここはまず、周りから固める事が先決でしょう」

「……劉祥を脅すのか?」

「劉府君は確かに小心者ですが、背後には黄巾党や荊南が目を光らせております。それは逆効果でしょう」

「……ううむ」

「ここは江夏郡や廬江郡を荒らしている賊徒どもを降しましょう」

「……そんな者達をどうする気だ?」

「そ奴らは二万以上の兵を有しております。それに周辺を熟知しており、江夏攻略には必ずや有益となりましょう」

「……ふぅむ。なら、そのように致そう。誰を遣わせれば良い?」

「紀霊将軍が宜しいでしょう。それと弋陽郡の孫府君を副将に命じて当らせましょう」

「……孫堅をか?」

「はい。孫府君もまた、あの周辺の賊徒の討伐を望んでいる筈です。必ずや良い結果を生むでしょう」

「……うむ。では、そう手配致そう」

 

 かくして紀霊を総大将とし、旗下には李豊、荀正、陳蘭らを連れ三万の軍勢が寿春から出立した。

 肥沃な寿春には十万余りの兵が常時おり、袁術の屋台骨を支えている。

 派手好きな袁術としては奢侈を尽くしたいところだが、現状において必要以上な贅沢は出来ないでいるからだ。

 

「ほう? 今度は、少しはまともな事をしてきたな」

 

 孫堅はその事を聞くと笑い、自身も準備を始めた。

 弟である孫静に留守を任せ、祖茂、黄蓋、程普、韓当、朱治らと共に、一万余の兵を率いて弋陽郡と廬 江郡、そして江夏郡が交わる郡境へと向かった。

 

 頭目の賊将は梅乾、梅成、雷緒という武勇に長けた者と聞いている。

 賊の数は二万を超え、江夏郡と廬江郡だけでなく、弋陽郡も荒らしている者達だ。

 賊といっても、もとは長江を縄張りにしていた漁師や、付近の山周辺で猟師を生業にしていた者らが結束したものである。

 そして、篭る塞は湖沼地帯と入り組んだ丘で囲まれ、難攻不落の様相を呈している。

 

「何? 袁術と孫堅が攻めて来た?」

 

 一人の若者が杯を片手に、そして傍らに美女を侍らせながら、その報告を頭目の一人である梅乾から聞いた。

 そして杯に並々と入った酒をグイッと呷ると酒臭い息と共に、雷鳴のような声で大笑いをした。

 

「面白いではないか! 丁度、雑魚どもを殺すのにも飽きてきたところだ! 相手にとって不足はない! 者ども! 迎え撃つぞ!」

 

 轟音のような大声で梅乾、梅成の兄弟、そして雷緒の三名に命じると、自身も大きな馬に跨り、塞を後にした。

 まずは野戦にて迎えようという腹積もりである。

 

 一方、攻め手の紀霊は孫堅と合流すると、孫堅に対し豪快に笑いながら、こう言い放った。

 

「なぁ、孫府君。相手は所詮、賊しかない。ここは君と俺とで頭目の首を競ってみようではないか」

「ハハハハ。紀霊将軍。それは余興としては面白いかもしれんが、貴殿が出るほどではあるまい」

「臆したか? 孫府君よ。君は齢十七の時に、妖賊の許邵を討ったことがあるというではないか」

「俺は臆してはないよ。紀霊将軍。ただ、雑魚相手に本気になっても詰まらんだけさ」

 

 そんな折、二人の話を割って入った者がいる。

 都尉の陳蘭だ。

 

「紀霊将軍。ここは某にお任せあれ」

「陳都尉か……。君に務まるかな?」

「侮られては困る。この陳蘭。賊などに遅れは取りませぬ」

 

 当初、紀霊は許可を与えるつもりはなかった。

 しかし、必死に食い下がる陳蘭に対し次第に面倒くさくなり、仕方がないので先鋒を任すことにした。


 その三日後、賊たちの塞から距離にして十里(約5km)の北西の平原において、両陣営は対峙した。

 賊の兵数は近隣の土豪も交え、その数は二万五千余り。

 それに対し、袁術の軍は孫堅の軍を合わせ五万の軍勢である。


 数の多さでは袁術軍は二倍の多さではあるが、賊たちは臆した様子を一切見せていない。

 それは率いる者が異様な者だからである。

 

「あれは誰だ? 報告と違うようだが……」

 

 紀霊は目を疑った。

 総大将らしい異様な者は、見た目からして成人して間もないようだが、身長は一丈二尺(2m)を超える大男で、目は爛々と光っている。

 豪傑として名高い紀霊だが、その若者の眼に睨まれると、さしもの紀霊も背筋に寒いものを感じた。

 

「紀霊将軍。あれは雷諸や梅兄弟ではありせんぞ。軽々しく当たればタダでは済みますまい……」

 

 紀霊にそう言葉を投げた孫堅もまた、若者が尋常な者ではないことを肌で感じていた。

 幾多もの豪傑や猛将と渡り歩いてきた孫堅も顔に滴る冷や汗を流すほどだ。

 

「ハハハハ! 紀霊将軍も孫府君も何を臆しているか! まずは某があの者の化けの皮を剥いでやりましょう!」

 

 そう言って陳蘭は単騎で若者に向かっていった。

 陳蘭も本当は内心で「しまった」と思っていたが、引っ込みがつかないからである。

 

「賊将覚悟しろ! この陳都尉が貴様の首を……」

 

 陳蘭が近寄って、そう若者に行った瞬間であった。

 

「下がれ! この雑魚めが!!」

 

 若者は雷鳴を口から発すると、陳蘭は「あっ!」と叫び落馬してしまった。

 陳蘭が落馬すると若者の後方に控えていた将兵らが、どうっと大笑いをし、陳蘭を嘲笑した。

 

「何だ!? 袁術とかいう奴は大層な羽振りと聞いていたが、こんな雑魚しかいねぇのか!? もっとマシな奴を寄越せ!」

 

 若者は大声でそう叫ぶと同時に、また雷鳴のような笑い声を挙げた。

 その笑い声は近隣の山々に木霊するのか、四方からも袁術の軍に襲いかかっていた。

 

「ううむ……。何だ? あいつは……」

 

 紀霊は思わず歯噛みした。

 自身だけでなく、その軍勢までもが、その圧倒的な存在感に呑まれてしまっているからだ。

 

「くそっ! ならば、この俺が!」

 

 孫堅の陣営から一人の若武者が二本の刀を持ち、飛び出した。

 祖茂。字を大栄という若武者だ。

 

「早まったことをするな! 死にたいのか!?」

 

 そう叫びながら得物の鉄鞭を片手に黄蓋も飛び出した。

 そして、その黄蓋に続くように程普も駆けだしたのである。

 

「ふん! 少しはマシな奴もいるようだ。それに三人か。良かろう。まとめて相手してやる」

 

 若者はまたも大笑いすると得物の九環刀を愉快そうにジャラジャラと鳴らした。

 この九環刀とは大きな薙刀のようなものであるが、刃の反対側に九つのリングが備わっている。

 それ故、振る度にジャラジャラという音が鳴り響くのだ。

 それが更に若者を不気味に演出している。

 

「賊め! 覚悟っ!」

 

 祖茂の両刀、黄蓋の鉄鞭、そして程普の鉄脊蛇矛が若者に襲いかかった。

 しかし、若者は眉一つ動かさず、猫がじゃれ合うように見事に打ち払う。

 三人とも孫堅陣営においては豪傑で知られる者達だ。

 しかし、その三人をもってしても、若者にかすり傷一つもつけられないのである。

 

「こいつは本当に人間か……? 我ら三人をこうまであしらうとは……」

 

 黄蓋は舌を巻くと同時に、若者は一言、こう呟いた。

 

「……ああ、もう飽きた。いいから死ね」

 

 若者の鋭く、そして重い一撃が頭上から黄蓋を襲った。

 

「最早これまで!」

 

 そう思った黄蓋だが、意外な人物がその一撃を受け止めた。

 

「この紀霊を忘れて貰っては困る! お主らだけに任せておいては、この紀霊の名折れだ!」

 

 紀霊は得物の三尖刀から伝わる猛烈な痺れを噛み締めながら、そう叫んだ。

 それと同時に若者の背後から一閃、鋭い一撃が襲いかかった。

 

「おっと……。危ねぇな……。この俺様でも、今のは流石に焦ったぜ」

 

 言葉ではそう言っているが、難なくその一撃を若者はヒラリと躱した。

 その一撃は孫堅の名刀「古錠刀」の一撃であったのだが、それでも手傷一つも負わせることは出来ない。

 孫堅は歯噛みしたが、それでも容赦なく古錠刀を振り回して若者に襲いかかった。

 更には体勢を立て直した陳蘭も加わり、ついには若者に対し六名もの猛者が囲み、必死に食い下がっていく。

 

「ハハハハ! こいつは愉快だ! 雑魚でも数さえあれば、充分楽しめるものだな!」

 

 若者は雷鳴のような笑い声と、不気味にジャラジャラと鳴る九環刀を駆使して六名と撃ち合う。

 孫堅以下六名は必死の形相だが、若者は高らかに笑いながら一撃を繰り出すのだ。

 そして、その一撃は受け止める度に、雷に撃たれたような衝撃を両腕に襲いかかる。

 

「ああ、今日は愉快だった。久しぶりに美味い酒が飲めそうだ。また明日、やるとしよう」

 

 若者はそう言うと同時に、一気に六名の囲みを外し、高らかに笑いながら陣営へと戻っていった。

 孫堅以下の六名は呆気に取られながら、その様子に指を咥えて見るしかなかった。

 

「世間というのは広いものよ……。あんな奴は見たことがない」

 

 孫堅は思わず呟き、そして溜息をついた。

 自身の武勇を今まで疑った事は今まで一度もないが、それが思わぬ形でへし折られたからだ。

 しかし、同時に天下無双と思える若武者を「何としてでも味方につけたい」という願望も芽生えた。

 そして、その様子を朱治は見逃さず、孫堅に話しかけた。

 

「孫府君。あの者をお望みですな」

「当然だ。大体、このまま戦っても勝ち目は無い。あいつの笑い声だけで我が将兵は縮み上がるんだぞ」

「でしたら帰順させれば宜しいでしょう」

「簡単に言うな。どう帰順させる?」

「天下無双の勇者と言っても、今は山賊でしか過ぎません。それなりの物を提示すれば食いつくと思いますが……」

「……うむ。問題はそれが何か…だな」

 

 孫堅は静かに目を瞑った。

 そして先ほどの若武者の眼を思い出していた。

 その眼は無邪気であり、戦いをまるで遊び同然で楽しむような眼であった。

 

「……ううむ。分らぬな。面前で聞くしかないか……」

 

 孫堅は決意を新たにし、明日を待つことにした。

 一か八かの賭けではあるが、それ以外に方法がないからである。

 

 翌日となり、敵は整然とまた戦場に現れた。

 当然ながら一騎だけで、あの若武者は九環刀を携えていた。

 

「他の者は来るな。俺だけで話して来る」

 

 孫堅は静止しようとする程普、韓当には目もくれず単身、若武者の前に馬を走らせた。

 

「おお! 今日は一人で相手をするつもりか!? その根性は気に入ったぞ!」

 

 若者は高らかに雷鳴のような笑い声を上げると、得物の九環刀を構えた。

 

「暫く待ってくれ。君に話したいことがある」

 

 孫堅は臆することもなく、静かに若者を制した。

 

「何だ? 怖気づいたのか?」

「怖気づいたのではない。君に提案があるのだ」

「何? 提案だと……?」

「そうだ。我らに与しないか?」

「……袁術にか? 奴が俺を扱えるとでも言うのか?」

「それは俺も分らん。だが、このまま山賊でも埒が明かぬであろう?」

「ふん! 大きなお世話だ! 俺は好きなように生きていく! それだけのことよ!」

「それも一つの選択肢であろうが、男として生まれたからには、羽ばたいてみたいと思わぬのか?」

「………」

「ここだけの話。確かに袁術は取るに足らない小人だ。だが、少なくとも軍勢も領地も金もある」

「……それで俺が釣られるとでも?」

「それに俺以上の豪傑とも出会える機会がある。そいつらと戦ってみたいと思わぬか?」

「何? お前よりも豪の者がいると申すか?」

「ああ、居る。必ずな」

「……それは面白いな。ここで燻っていたら確かに楽しめる機会も少ないか……」

「ならば話は早い。我らの……」

「それは待て。他の者と話してから決める。袁術を取るか、それとも荊南を取るか楽しみにしていろ」

「なっ!? 荊南だと!?」

「ハハハハ! 俺が司護の下に行くと聞いて顔色が青ざめたな。愉快愉快!」

「……ううむ。それは……」

「それよりもお前の名を聞いていなかったな。名は何という?」

「孫堅。字は文台だ」

「おお! 噂に聞いているぞ! 成程なぁ……。道理で剛毅な奴な訳だ」

「……して、貴殿は?」

「項籍。字は子羽だ」

「えっ!? まさか!?」

「では、明日会おう! 返事を楽しみにしていろ! ハッハハハ!」

 

 孫堅は若者の後ろ姿を呆気にとられながら見送った。

 古の項羽と同名であったからだ。

 当然、同姓同名であろうが、古の項羽に勝るとも劣らない豪傑ぶりに生き写しにしか見えなかったのである。

 

 項籍は陣営に戻ると同時に、配下になっている元三頭目の三人を呼びつけた。

 梅乾、梅成、雷緒は何事もなく戻ってきた項籍を訝しんでいたが、事情を聞くと納得をした。

 そして口々に、こう項籍に述べた。

 

「それは袁術の方が宜しいでしょう。確かに荊南は破竹の勢いのように見えますが、その実は張り子の虎です」

 

 三人には司護を敬遠する理由がある。

 それは、この三人は凶状持ちであり、幾つもの非道なことをしてきたからだ。

 司護は徹底的に過去を洗い出し、その罪状に照らし合わせて厳しい罰を与えるという噂があった。

 

 それに賊の多くは豫章郡や九江郡には行けなかった元黄巾党崩れの者も多い。

 それは皆、同じく凶状持ちであり、中には年端もいかない少女を強姦したような者までいるのだ。

 

「……そうか。お前らがそうまで言うなら荊南は無しだな。劉表や劉岱あたりは、たかが知れているし、黄色い布を巻くのも、ちと気が引けるってもんだ」

 

 項籍は三人の説得に応じ、孫堅に従うことにした。

 ただし、三人は喜び勇んで袁術の下へと向かったが、項籍は袁術の所には赴かなかった。

 それは項籍が孫堅の男気に気に入ったからであり、孫堅の下の方が居心地良いと感じたからである。


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