外伝43 袁術の目論見
「くそっ! 何ということだ! あの裏切り者め! どうするか見ておれ!」
袁術に劉祥から手切れの書状が届いたのは江夏郡の西部が割譲された一か月後の西暦189年。中平二年のこと。
袁術は未だに鎮圧されていない徐州に対し、軍を展開させている最中だった。
それ故、直には江夏へ進軍出来ないことに苛立ちを見せた。
自分の爪を噛みながら手切れの書状を見ていると、一人の男が袁術の前に姿を現した。
陶謙の次男である陶応である。
陶応は袁術の手によって勝手に徐州牧を名乗り、袁術のために奔走している者だ。
「何だ? 陶州牧よ。余に何の用だ?」
「は…はい。未だに父上は見つかりません」
「じゃあ、何しに来た!?」
「ひっ! ですが、その代わりに父上の部下であった者達を連れて参りました」
「……ふん。ならば通せ」
袁術は陶応を見下している。
事もあろうに陶謙が出奔し、それと同時に徐州牧の印璽まで持ち出されたからだ。
本来なら打ち首にしても全く問題ない無用の者だが、仕方なく徐州牧の地位を預けたままである。
それもその筈で、陶応の息子は実質、自分の息子であり、ゆくゆくは袁家の一族を名乗らせる予定なのだ。
陶応が合図をすると、三名の男が入ってきた。
一人は、かつて下邳国の相でもあった曹豹。
そして、その部下である許耽と章誑だ。
曹豹は武勇で知られ、何度も徐州で黄巾党と戦ってきた男だ。
「おお。曹豹か。君の勇名は知っているぞ」
「恐縮にございます。袁使君」
「君が余の下に来てくれたのは幸いだな。君を牙門将軍に任じ、そこの二人は都尉に任じる」
「有難き幸せ。我ら三名、袁使君に対し、忠義を尽くします」
「うむ。心強い限りだ。では、下がって宜しい」
「ははっ!」
曹豹は頭を下げたまま素直に退出した。
しかしまだ陶応が依然としてそこに居る。
「何だ? まだ居るのか? まだ余に言いたい事があるのか?」
「はっ…はい。それが、妻のことでして……」
「娥姁がどうかしたのか?」
「……はい。我が子が産まれてからというものの……。いえ、一度も未だに添い寝もままならない有様で……」
「情けないことを……」
「しかし、子供が生まれたのは些かおかしな事と思う訳でして……」
「それはお前の兄が孕ませたからであろうが」
「い、いや……しかし……」
「お前の兄はお前の父に殺される前に婚儀を挙げたのであろう? ならば、おかしくないではないか」
「ですが……」
「それとも何か!? 余の娘がふしだらな行為をしたとでも言うのか!?」
「ひっ……。い、いえ。そのような事は決して……」
「もう良い! 下がれ! それと早く貴様の父を見つけて来い! 首にしても構わん!」
「えっ!? ……く、首? 梟首ということですか……?」
「いや、お前の父なんぞ、最早どうでも良い! 早く徐州牧の印璽を見つけるのだ! 分ったな!」
「は……はい」
「それまで余に二度と顔を見せるな! とっとと出て行け!」
陶応はスゴスゴと引き下がり、袁術はまた爪を噛む。
「全く使えない奴だ。これだから名家でない者は困るのだ」
袁術は袁家に誇りを持っている。
それ故、名門意識が強く、名を馳せた者以外の扱いはぞんざいこの上ない。
そして、袁術の娘であるが実の娘ではない。
かつて自身の愛妾であった者で身籠った時に当初、陶応の兄である陶商に娘として嫁に出した者だ。
今は袁雉と名乗っているが、元は呂雉、字は娥姁という女である。
陶応が退出すると、またもや別の男が部屋に入ってきた。
手簿の閻象である。
「何だ? 今度は閻手簿か。で、良い報告であろうな?」
「……良い報告とは言い難いですな」
「何ぃ?」
「実は正式な徐州牧が任命されました。前荊州牧の焦和でございます」
「何だと? 焦和だぁ?」
「はっ……」
「また面倒な奴を押し付けてきたな……。それ以上に楊彪は何をしていたんだ? 頼まれた仕事もロクに出来ぬとは……」
「それが『陶応殿を正式に徐州牧にするには業績がない』と王司徒(王允のこと)に反対されたとのことで……」
「くそっ! あの忌々しい老いぼれめ! 董卓とつるんでいることを良いことに口を出し過ぎだ!」
「……如何致しましょうか?」
「金の無心だけが取り柄の焦和のことだ。どうせまた『賄賂を寄越せ』と言ってくるであろうよ」
「……ですな。しかし、今度は面倒ですぞ」
「……ううむ。どうしたものかな?」
以前、焦和が荊州牧になった際は江夏郡の西陵を地所とし、劉祥を江夏郡の太守として正式に任命させている。
そしてその際、便宜を図る為に焦和に対し賄賂を贈ったのだ。
この事により、江夏郡から黄祖を追い出し、劉祥が統治する大義名分を得られたのだ。
だが、その一方で焦和には困難な宿題を袁術から突き付けられた。
荊南五郡、即ち長沙、零陵、桂陽、武陵、臨賀の諸郡である。
この五郡は司護が押えており、とてもじゃないが他の者を任命するには現実的ではなかった。
南郡は蔡瑁が有しており、蔡瑁は中央や荊州の諸豪族との繋がりもあるため、別の者を任命する訳にはいかない。
また、南陽や襄陽は郡から国にされているため、荊州牧の権限では任命することが出来ない。
その中で荊南五郡は、他の者を任命出来る可能な郡ではあるが、事実上不可能な場所になっていた。
そこで焦和は江夏郡の西陵を地所とし、適当に袁術の要請を無視して遊んで暮らしていたのである。
一方、その焦和を推挙した王允はというと、これもまた別の思惑があった。
これ以上、袁術の版図を広げさせない為である。
それ故、王允は荊州牧に司護を推挙し、遊んでいる焦和を今度は徐州牧に任命させることにしたのだ。
当初、董卓を徐州牧に推す声も多かったが、董卓が徐州牧になると王允が困るからである。
董卓が都において力を持つ理由には当然ながら訳がある。
董卓の領有する地は長安の近郊にあり、軍勢もそこで養っている。
その為、董卓を罷免、または暗殺などを行えば長安が火の海と化す可能性がある。
そうなると涼州王劉協を押す韓遂ら涼州軍閥が大挙して押し寄せるということになる。
それ故、董卓の発言力は日に日に大きくなりつつあった。
王允はそれを見越して縁戚になったのだ。
故に十常侍や何進が袁術と組んでいる現在では、董卓や王允が目の上のこぶになっている。
話を元に戻そう。
荊州牧をクビになり、徐州牧に任じられた焦和だが、これにより安堵と目論みが一気に芽生えた。
司護はビタ一文たりとも賄賂を寄越さないであろうが袁術は違う。
袁術が推す太守を任命する際に、度々賄賂を要求出来るのだからこれほど美味しいことはない。
そう、その筈であった……。
「何? 焦和が殺されただと?」
袁術にその一報が届いたのは、それから一か月後のことである。
当然ながら袁術は耳を疑った。
それと同時に内心、素直に喜んだ。
「これで運が向いてきたな。あとは徐州を平定し、楊州、豫州を平定すれば自ずと余の天下となる」
内心、上機嫌でそう思っていたところに面会をしたいと申す者達がいるという。
袁術は取りあえず、その者達に会うことにした。
袁術が謁見の間に入ると、既に二人の男が畏まっていた。
そして、その二人の前には一つの首が置かれていた。
「何だ? 君らは? それにその首は何だ?」
畏まっていた者の一人が、頭を下げながらこう答えた。
「これは焦州牧を殺した曹宏という者の首でございます」
「何? 曹宏?」
「はっ。某の名は陳勝。同じく控えますのは呉広でございます」
「何者だ?」
「我らは前州牧である陶謙の名の下に天帝教徒を討伐していた者どもでございます」
「ふむ?」
「先日、その者の一人であった曹宏を討伐した所、この者が焦州牧を殺したことが判明しました」
「……何故、そう言いきれる?」
「はっ。実はこのような物を所持しておりました」
袁術に手渡された物は何と徐州牧の印璽である。
陶謙所有の物とは違い、新たに作られ焦和に渡された物であった。
「これは正しく徐州牧の印璽……」
「はっ! 我ら両名の調査致しましたところ、曹宏めが焦州牧一行を襲い、金品を強奪したとのこと。その内の一つにこれがありました」
「……成程。君らの仕事ぶりには感謝しかないぞ」
「ははっ! 有難き幸せ!」
袁術はすっかり上機嫌になった。
これで陶謙が見つからなくても堂々と陶応を徐州牧に任じることが出来る。
あとは適当なところで陶応を殺し、自らの庶子に徐州牧を渡せば良いのだ。
そんな袁術の上機嫌に追い討ちをかけたのは陳勝呉広のお世辞である。
両名は袁術と袁紹と比較し、如何に袁術が袁紹よりも人物、気品、名声が優れているかを羅列した。
袁術がこれに喜ばない筈はない。
「気に入ったぞ! 両名とも早速、校尉に取り立てる!」
陳勝、呉広は内心してやったりである。
そもそも曹宏のせいにしているが、実際に焦和を殺したのはこの両名だ。
曹宏に罪を全部、被せたのである。
陳勝、呉広は顔を知られていない。
しかし、曹宏は既に顔を知られており、陶謙統治時代の怨嗟の的の一人だ。
それ故、曹宏が選ばれ、梟首にされたのであった。
徐州牧の印璽が渡ったと事実が徐州全体に広がると同時に、袁術の徐州平定の加速度が増した。
蜂起していた者達が、こぞって帰順を競い始めたのである。
その中には天帝教団として暴れていた者も多く、陳勝、呉広もその中で辣腕を振るった。
それでも袁術を毛嫌いする者は、それぞれ劉寵、劉繇、張角らを頼り、落ち延びて行った。
翌、西暦190年。中平三年。
徐州をほぼ手中に治め、残るは劉繇が治める広陵南部と下邳郡南部のみとなった。
袁術は、ここで次の進出先を模索することになる。
「豫州を平定するか、或いは荊北を併呑するかだな……」
豫州は頴川郡に豫州牧の地所となる許昌がある。
現在、豫州牧の黄琬が、頴川郡の太守、皇甫酈と共に守っている。
それと袁術が保有する汝南郡、弋陽郡、安豊郡の三郡以外は、劉寵が手中に治めている。
当然ながら劉寵の所領に対し、総攻撃することも考えた。
だが、劉寵の保有する兵の数は多く、それに徐州から逃れた者達も多く加わっている。
攻略するには袁紹の手も借りないといけない状況だが、それは出来るだけ避けたい。
袁術のプライドが許さないのだ。
「そうなると、まずは金魚の糞を倒してからだな……」
金魚の糞とは、即ち曹操のことである。
曹操はかつて袁紹の不良仲間であった過去があり、都では共に遊侠の類を騙っていたことがあるからだ。
同じく袁術も遊侠の類を騙っていた過去もあり、それが袁紹と火花を散らす一因となっている。
言わば「ヤンキー同士の縄張り争い」といったところであろうか。
未だにそれを引き摺っているのである。
「おべっか宦官(曹騰のこと)の孫で能無し売官爺(曹嵩のこと)の倅だ。おまけにチビとくれば大したことはあるまい」
袁術は曹操を見縊っている。
曹操の身長はチビというほどでもないが、高身長の袁術自身からすればチビである。
曹操自身もコンプレックスを持っており、若い頃に袁術が曹操をからかう際には常に「チビ」と言ってあざ嗤ったものだ。
その曹操が治める章陵郡は北に南陽国、西に襄陽国、そして南西に江夏郡がある。
東には汝南郡があり、既に章陵郡となっている筈の一部は袁術が保有している。
しかし、それより西の先は山地が連なっており、攻めるには少し苦労せざるを得ない。
その為、今まで攻め立てていないのだ。
当然、無視することも考えたが、江夏を攻める上において章陵は抑えておきたい。
江夏郡は荊州において少し東へ突き出した形になっており、楊州を攻める上でも江夏郡は欲しいところだ。
袁術は楊州において淮南郡を有しているだけなので、楊州牧としては少し格好が悪い。
そこで廬江郡を攻略するためにも必要なのである。
江夏郡さえ攻略すれば廬江郡も自ずと攻略に有利になるのだ。
それに江夏郡は、裏切り者の劉祥が治めている地でもある。
「……うむ。決めたぞ。まずは章陵だ。その上で江夏を攻め、劉祥を磔にしてやる」
袁術は決意を固めると張勲、陳紀(司護の下にいる陳紀とは別人)を呼んだ。
そして張勲、陳紀の二将に兵三万を与え、章陵への侵攻を開始させた。
「すわ! 袁術が襲来する!」
曹操に袁術軍襲来の報せが届いたのは、それから一週間後のことだ。
曹操は密偵を袁術の領内に忍び込ませ、逐一報告を受け取っていた。
「野郎! ついに来やがったな! あの時の恨みを晴らさせて貰うぞ!」
報せを聞いた曹操は思わず武者震いをした。
丸一年をかけ、章陵郡は小さい郡ながらも発展し、城の整備はほぼ整っている。
それに若い頃に受けた袁術からの屈辱は、未だに根深く、恨みを抱いている。
「まずは軍議だ。諸将を集めよ」
政庁に曹操子飼いの者達が招集された。
夏侯淳を筆頭に、夏侯淵、曹仁、曹洪、曹純、史換、衛茲、韓浩、楽進、李典らの諸将。
そして、戯志才を筆頭に郭嘉、陳宮、許攸の参謀らである。
その中に曹操が章陵太守になったことを聞きつけ、楊州からはるばるやって来た成人したばかりの若者もいる。
曹休。字を文烈という。
さて、諸将が集い、軍議が開かれた訳だが、事前に皆、状況は把握している。
その中で最初に発言した者は郭嘉、字を奉孝という若者であった。
「曹府君。私に策がございます」
「む? 奉孝か。よし、申してみよ」
「はい。袁術軍は恐らく西の山地を迂回し、狭間となっている麓の一帯を通って侵入するでしょう」
「そんな事は容易に分かる。だから、あの一帯には砦を八カ所も建設したのだ」
「そこで砦を使い、足止めをします。その間、少数の別動隊が山地の間道を通り、連中の背後に出るのです」
「それで挟み撃ちにするのか?」
「それだけではありません。袁術の援軍に扮するのです。そして、夜陰に乗じて蜂起すれば、必ずや混乱しましょう」
「ふむ……。それは面白いな」
曹操が愉快そうに頷くと「異議あり」と武者が立ちあがった。
曹仁。字を子孝という。曹操とは従弟となる。
だが、実際には血縁関係はなく、曹騰の兄である曹褒の孫にあたる者だ。
「子孝か。何故だ?」
「敢えて袁術の軍勢を砦の先まで通過させるのです」
「……それでは砦が奪われるではないか?」
「わざと奪われるのです。恐らく袁術の軍勢は兵糧が少ない筈。それ故、連中に略奪させましょう」
「何故だ?」
「あの一帯は我らに未だ臣従していない者どもが多い土地です。この際、この機に乗じて袁術に対し、怨嗟の声を広げさせるのです」
「………」
「そしてある程度、時を過ぎたところで周辺の領民どもを利用し、一気に殲滅するのです。さすれば更に統治しやすくなりましょう」
「ふむ……」
「しかも、我らが砦を放棄して逃げたとあれば、必ずや油断が生じます」
曹操はじっと目を瞑った。
どちらの案にせよ利点も欠点もあるからだ。




