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外伝41 孔明の出廬

 徐庶は食事を終えると、ふらりと外へ出て行った。

 一人で夜風に当たり、知らない街を散歩するのが徐庶の嗜好であるからだ。

 関羽もそれを知っていたので、止めることもなく徐庶を行かせた。

 そして関羽自身はというと、チビリチビリと静かに一人で酒を飲むのが好きなのだ。

 

 関羽が一人で飲んでいると店は更に混んできた。

 そろそろ出ようとした矢先、一人の青年が声をかけてきた。

 

「失礼。相席願えるか?」

「構わんよ。そろそろ出ようと思っていた所だ」

 

 青年は席に座ると関羽をチラリと見た。

 そして、それと同時に口を開いたのである。

 

「貴殿は浪人か? 宜しければ我らに仕えて欲しいのだが……」

「ハハハ。残念ながら私には主がいる。お気遣いは感謝致すがね。ところで貴殿は?」

「これは失礼。拙者、廖化。字を元倹と申し、襄陽郡中盧県の生まれの都尉です」

「おお。江陵で蔡府君(蔡瑁)相手に活躍したという廖化殿でしたか」

「ハハハ。お恥ずかしい限りです」

「某は関羽。字は雲長と申す。元漁復県令の劉備に仕えております」

「漁復県? 涪陵郡のですか?」

「左様。今は楊州王君の元で裨将軍ひしょうぐんとなっております」

「……して、貴殿は?」

「ハハハ。お恥ずかしい限りですが、部曲長ですな」

「何と……。見たところ、かなりの英傑にお見受けしますのに……」

「ハハハハ。お世辞は止して下さい。ところで廖都尉殿は、これからどちらに?」

「交州との州境ですよ。援軍として出陣する張将軍(張曼成)の副将としてね」

「成程」

「そこにいる連中が実に厄介な連中でして……」

「何故?」

「お恥ずかしいことに以前、黄巾党を名乗っていた連中が荒らしているのです」

「……では、以前の同僚が相手ということですか?」

「……そういう事になりますが、奴らはただの面汚し。遠慮する必要はありません」

「……面汚し?」

「卞喜や張闓ちょうがいといった連中です。婦女子に乱暴を働き、略奪を行うなどしたため、密かに粛清しようとした矢先、逃げられましてね」

「……ふぅむ」

「それが今では交州牧の配下として州境で略奪を働いているのですよ」

「何と!? 交州牧の董重殿は元驃騎将軍ではありませんか!?」

「ええ。しかし、漢室も随分と落ちぶれたもんですよ。あんなダニのような連中まで使わざるをえないとは……」

「………」

 

 関羽は苦虫を噛み潰したような表情で、自慢の顎鬚を握りしめた。

 本来ならば、そのような者達を取り締まるべき漢室の縁者が一緒になって民を苦しめているからだ。

 そして、逆に廖化という黄巾の若者は礼儀正しく、模範になるべき人物なのだ。

 

「これでは民が増々、漢室を見限っていく……。どうにかせねば……」

 

 関羽は頭を抱えたが、どうする事も出来ない。

 今、出来ることは劉備に従うことしかないのだ。

 

 一方、その劉備はというと、遊郭でドンチャン騒ぎをしていた。

 丁度、その時に新たな都尉になった者が二人いて、一緒になって騒いでいた。

 二人の名は龔都きょうと、劉辟といい、汝南にて何曼の下で働いていた者である。

 だが、両者は人情家であり、何曼の素行を苦々しく思っていたので、波才に密告した上で何曼を除こうとした。

 そのことを気付いた何曼は、落ち延びて知り合いの刑道栄を頼ったのだが、司護の配下である甘寧に討ち取られている。

 

 劉備は三日三晩もの間、遊郭に通い続け、知り合いとなった他の者にも豪勢に振る舞った。

 そして豪遊三昧をした後、あることに気が付いた。

 文字通りの文無しになったのである。

 

「いやぁ……。参ったな。どうしたものか」

 

 流石にこの事を部下たちに打ち明けることは出来ない。

 そして一番の問題は、この地が南昌ということである。

 隣の荊南なら司護に頼み込んで金策が出来る筈だからだ。

 ……少なくとも劉備はそう思っている。

 

「……ええい。こうなったら、いっそ赴いてみるか」

 

 劉備は早朝、皆がまだ起きていないのを見計らい出かけた。

 その場所とは南昌の政庁であった。

 

「何? 司使君の友人が来ただと?」

 

 太守の張宝は別駕従事の波才から珍客のことを聞いた。

 その珍客とは劉備のことである。

 

「波才よ。それで一体、どのような人物であるか?」

「司使君とは竹馬の友で河間王君(劉虞)とも昵懇じっこんの間柄だそうです」

「……で、何しに?」

「……さぁ、それが何とも……」

「……ふぅむ。本当に司使君の竹馬の友なら良いが……」

「それと楊州王君の下で裨将軍として働いているそうです」

「……まぁ、良い。嘘だと分かったら叩き出せば良いだけだ」

 

 早朝からの珍客に張宝は会うことにした。

 本当に司護の友人であれば、粗末に扱うことは出来ないからだ。

 そして劉備の容貌を見るなり、張宝は怪訝そうな表情を浮かべた。

 特異な風貌であるが、以前に見たことがある風貌だったのである。

 

「はて? 何処かで見た風体だ……。何処であろう?」

 

 ところが怪訝そうな表情をしている張宝を余所に、劉備は勝手に話しはじめた。

 

「お久しゅうございます。鉅鹿以来ですな」

「何? 鉅鹿?」

「はい。あの時は敵味方に分かれていたとはいえ、誠に失礼しました」

「あっ!? では、あの時の!!」

 

 劉備は廬植の旗下として張宝と戦ったことがあった。

 散々、挑発するだけしておいた挙句、只管逃げる陽動作戦を任されたのだ。

 ただ張宝には見透かされていたので、張宝には打撃を与えることは出来なかった。

 打撃を与えることが出来たのは、勝手に挑発に惑わされた程遠志らである。

 

「いやぁ。まさかこんな形でお会いするとは思いませんでした。アハハハ!」

 

 劉備は大笑いして誤魔化した。

 内心では冷や汗を垂らしていたからだ。

 そして張宝はというと、苦虫を噛んだような表情で劉備をジッと見た。

 

「……して、劉将軍。ご用件は何であるか?」

「いやぁ。路銀を使い果たしたので、金を借りに来ました」

「なっ……何?」

「いえね。ここ南昌は実に素晴らしい。酒も美味いし、女も良い。……で、ちと使い込んでしまって」

「………」

「同じ楊州王君の配下ですし、ここは一つ大らかな気持ちでお願いしますよ」

「…………」

 

 張宝は呆れて物が言えなかった。

 だが、大風呂敷かもしれないとはいえ、仮にも司護の竹馬の友と名乗っている。

 それに路銀程度であれば雀の涙ほどであるし、司護には大きな借りもある為、仕方なく融通することにした。

 

「いやぁ! 有難い! これで野垂れ死しなくて済みます!」

「……劉将軍。こんな事は言いたくないが、少しは周りの事も配慮したまえ」

「いやいや。これでも配慮とやらはしているんですがねぇ」

「……ならば、足りぬということである」

「成程。肝に銘じておきましょう。アハハハハ」

「………」

 

 司護は確かに変人だが、この劉備という男も輪をかけた変人である。

 少なくとも張宝は、そう確信した。

 そして、それを更に裏付けるような事を劉備は言い出した。

 

「ついでにですが、同じ楊州王君の配下として暫く泊めて貰えませんかね?」

「なっ……何だと?」

「いやぁ。旅籠に泊まるよりも、こちらに泊めて下さると非常に有難いんですがね」

「………」

 

 張宝は呆れて物が言えなかったが、気にしないで劉備一行を泊めることにした。

 そして一か月の間、劉備は張宝の客人であることを良いことに遊郭を遊び倒した。

 張宝の客人ということであれば出費を抑えて遊ぶことが出来るからだ。

 その話を聞いた張宝は苦々しく思ったが、押し黙ることにした。

 司護に恩があるためである。

 

 さて、一か月が過ぎ、再び孔明の庵へ向かうとまたもや留守である。

 童子の胡綜が言うには帰ってきた途端、またもや物見遊山に出かけたとのことだった。

 しかも、帰るのはまた一か月後ということであった。

 

「参ったなぁ……。どうしようかなぁ?」

 

 劉備は庵から出ると、まずは劉淳に相談することにした。

 

「なぁ、子仁(劉淳の字)。次は何時来たら会えるかね?」

「……いや、いる筈ですが」

「じゃあ、何でだ?」

「恐らく居留守でしょう」

「何ぃ!? ふてぇ野郎だ! よぉし! こうなったら庵をひっくり返してでも、見つけ出してやる!」

「お……お待ちください。それでは例え見つけたとしても、我らに力を貸すことはないでしょう」

「では、どうするのだ……?」

「我らは一旦、山を下りたように見せかけましょう。五日もすれば油断する筈です。そこを不意に訪れれば……」

「……しょうがねぇな。じゃあ、そうすることにしよう」

 

 そして五日が過ぎ、早朝の日の出前に劉備達は再び庵に戻ってきた。

 山奥の庵のため、特に戸締りなどもない。

 そこで劉備は単身で庵の中へと入っていった。

 劉備は人様の屋敷に何度か泥棒に入ったことがある。

 ただ、その屋敷は悪徳役人の屋敷であり、証拠集めと称して入ったものだ。

 だが、どさくさついでに金品も奪っていったのだが……。

 

「この劉備様にかかれば造作もないことだ。さぁて、何処にいやがる?」

 

 そのまま奥の方の部屋に入って行くと、若い男がスヤスヤと深い眠りについていた。

 どうやらこの男が孔明のようである。

 

「やいっ! 孔明! 迎えに来たぞ! 起きろ!」

 

 いきなり耳元に大声で叫ばれたら誰でも堪らない。

「ひゃっ!」という叫び声と共に男は飛び起きた。

 

「だ!? 誰だ!? 貴方は!?」

「ワハハハ! 中山靖王の末裔、劉備! 字は玄徳だ! お前が孔明だな!」

「い……如何にも」

「ならば話は早い! 俺の軍師になってくれ!」

「い、い、い、いきなり何ですか!?」

「いやぁ、厳白虎を叩きのめしたいんだが、どうにも策が無い。だから、禰衡でいこうに言われてアンタの力を借りに来た」

「……あいつに唆されてですか」

「全く居留守なんぞ使いやがって、とんでもねぇ話だ。だが、俺の軍師になってくれる訳だし、その事は水に流してやろう」

「……ちょっ。私はまだ、そんな事は一言も申してませんよ」

「そう言わずに頼むよ。後生だ。それに酒も用意するし、お前さんの子供にも良い生活させてやるから」

「偉則(胡綜の字)は私の子ではないですよ。それに、私に宮仕えは無理ですから……」

「宮仕えと思わねば良い。俺も宮仕えしていると思っておらんしな」

「………はぁ?」

「なので、問題はない。俺の軍師になってくれるな?」

 

 劉備の言っていることが無茶苦茶である。

 だが、寝起きの胡昭はまだ眠いのか、うっかりと舟を漕いでしまった。

 それを見た劉備はすっかり頷いたと思い、素直に喜んだ。

 胡昭からしたら迷惑なことこの上ない。

 

 そして、寝ぼけ眼の胡昭とその家人らを引き連れ、劉備は帰路についた。

 その途中、劉備は胡昭に厳白虎への策を聞くことにした。

 

「なぁ、軍師殿。それで厳白虎をどうやって討伐すれば良い?」

「……討伐する必要がありませんよ。要は追い出せば良いのでしょう?」

「……出来るのか?」

「造作もないことです。彼奴は熱心な天帝教の信者で、配下の者達も同様です」

「それは聞いたよ。で、どうする?」

「今、天帝教の教祖である許昌の子、許昭は交州にて苦境に立たされています」

「……そうなのか。それで?」

「厳白虎を許昭への応援に向かわせれば良いのです。途中、豫章郡を通ることになりますが、そこは玄徳殿が上手く取り計らって下さい」

「成程。それなら出来そうだ。幸い、張宝と俺は今や竹馬の友だ。問題はない」

「……本当ですか?」

「ああ、問題はない。問題はどうやって厳白虎と繋ぎをとるかだな」

「それは私に任せて下さい。天帝教の祖郎とは知己ですので、問題はありません」

「おおっ! 流石は我が軍師殿だ! いやぁ、頼りになるなぁ!」

「………」

 

 実はこの時、既に胡昭の手には祖郎からの手紙があった。

 厳白虎に対し、何らかの援助を要求する手紙である。

 この手紙を元に、厳白虎を交州へ行かせれば良いので、胡昭とすれば造作もないことであった。

 だが、胡昭の頭には何か引っかかるものがある。

 

「変な奴に取り立てられたものだ……。禰衡め。余計なことを……」

 

 当初はそう思っていたが、それと同時に胡昭は劉備というとんでもない無頼漢に興味を持った。

 それに配下にいる徐庶という者は龐徳公から短い期間でありながらも学問を修めているし、関羽は春秋左氏伝について暗唱出来るほど詳しい。

 そして何より、禰衡という大変人がいるのである。

 

「……生涯、野に埋もれるつもりだったが、これも運命かもしれぬ。暫くは付き合ってみることにしよう」

 

 胡昭は、意気揚々と歩く劉備の後ろ姿を見ながら、静かにそう考えた。

 そして劉備の後ろ姿に思わず吹き出しそうになった。

 劉備の大きい耳たぶに何やら羽虫がついていたのだが、揺れる耳たぶにしっかりとしがみついていたからだ。

 

 さて、劉備たち一向が呉郡に帰ってくると、驚きをもって迎えた人物がいる。

 その人物とは禰衡であった。

 禰衡は胡昭が来ることを予想していなかったのである。

 そして開口一番、禰衡は胡昭に問い質してきた。

 

「やぁ、まさか孔明さんが来るとはね。こりゃあ、この漢が始まって以来の珍事だ」

「ふざけたことを言うなよ……。この私を茂才したのは君だろうに」

「いやぁ……。茂才した記憶ないですけどねぇ。けど、やっと重い腰を上げましたか。感心感心」

「おい、いい加減にしろ。大体、この私はまつりごとも軍略もないんだぞ」

「そんなもん、どうにでもなりますよ。この僕だって簡単なんです。孔明さんなら造作もないでしょう」

「いい加減なことを……。君は生兵法で乗り切るつもりか?」

「生兵法ではないですよ。孫子も呉子もあれば、六韜三略もあるでしょう。まぁ、孫武も呉起も凡人ですが、少しはマシですし……」

「……あのな。大体、畑が違うのだぞ。書が出来るからといって、全てが出来る訳じゃない」

「それは違うでしょう。確かに孔明さんが僕に勝っている所は、僕よりも名が知られているだけですがね」

「………」

「まぁ、それ故、僕よりは孔明さんの方が正式な軍師らしいかな。ヒラメに言って、そのみすぼらしい服装を整えさせましょう」

「君に言われたくはない……」

「アハハハ。まぁ、こういうのは恰好から入れば、自然とそれらしくなるもんですよ」

「そういうものかねぇ……」

「そういうものです。ついでに仇名でもつけてしまいましょう。僕が鳳雛だから、孔明さんは伏龍なんて丁度良いかな?」

「………」

 

 禰衡が劉備に金を出させて用意した服装はというと、白を基調にしたものであった。

 更にそこには羽扇まであったのである。

 胡昭は違和感を憶えつつも、面倒くさそうにその衣装に着替えたのであった。

 

 そして後日、その衣装を着て劉備と共に劉繇の下へ出向いた。

 厳白虎を放逐させるために条件を出しに行ったのだ。

 その条件とは厳白虎とその取り巻きの家族に対し手を出さないこと。

 加えて厳白虎が交州へ遠征する際に襲わないことを約束させることであった。


 劉繇は直にこれを認め、御触れを出したので、厳白虎らは軍勢三万を引き連れ、交州へと向かうことになった。

 この事が更に交州を混沌とさせる遠因となる訳だが、それはまた後の話である。


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