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外伝37 西方からの来訪

 司護が謎の出奔をすると当然、衝陽の諸将に動揺が走った。

 しかし、司護の自室には何通もの置手紙があり、その指示に従うように書き記されていた。

 そこで別駕従事となった鄭玄が、司護の代わりに取り仕切ることになった。

 

 まずは一番の大事業である衝陽の拡大事業である。

 途方もない金と兵糧、そして労力がつぎ込まれるのは必至だ。

 だが、荊南六郡を結集すれば出来なくはない事業である。

 

「いやはや……就任早々、とんでもない事になったわい……」

 

 鄭玄はボヤいたが、漢史編纂の為の膨大な資金繰りを快く引き受けてくれた司護に恩がある。

 洛陽以上とも言える都市造りの意見交換をする為、新年早々から鄭玄は会議を開くことにした。

 

「また、無茶な事を……」

 

 会議早々、そう切り出したのは留府長史となった張昭だ。

 鄭玄も同じ思いだったが、そんな張昭に嗜めるように言った。

 

「まぁ、そう言うな。留府長史よ。確かに膨大な事業ではあるが、これが完成すれば大いに飛躍を遂げることも出来よう」

「しかし、ですな……」

「この手紙には『五年間、荊南はおろか、何処も飢饉や災害などは起きぬ』とある」

「本気でそんな事を信じておられるのか? 名高き鄭玄殿あろうお方が……」

「信じようではないか……。事実、今まで荊南は災害に遭っておらんのであろう?」

「それは、そうですがな……」

「……ならば、やろうではないか。もし五年の間にこの地で災害が起こった場合、頓挫させれば良い」

「それでは金をドブに捨てるようなものですぞ」

「……だから、何時でも計画が変更できるように事を進めるのだ。幸いここには、それが出来るだけの人材もおる」

「……ううむ。ならば、出来る限りの事は致しましょうかな」

 

 頭を抱える張昭であったが、意外にも乗り気な者達は多い。

 まだ若く、内政の腕を振るいたい者達が多いのが荊南の特徴でもある。

 

 やる気のみなぎる若い能吏たちに鄭玄と張昭は、次々と役割の分担を命じた。

 若い能吏たちは、その仕事の分量を見ると余りの多さに口が開いたが、退くに退けない。

 しかし皆は「必ずやれる」と、そう信じた。

 何故なら、荒廃していた荊南の地は既にこれ以上ない繁栄ぶりをしているからだ。

 

「いやぁ、これは凄いな……」

 

 絵図面を見た顧雍は思わず唸った。

 治水事業で幾多もの難関を成し遂げた顧雍であるが、流石に驚嘆するしかない。

 絵図面には上下水道の設置までもが事細かに記されているのだ。

 

 上水道は当然ながら飲み水として利用されるが、他にも共同浴場として使用される。

 一方、下水道は洗い物や浴場から排出された水を流すように意図されたものだ。

 因みに人間や家畜の汚物は、運搬した後に堆肥として使用するよう指示されている。

 

「これは一人では到底、無理な話だ。いや、我ら漢人だけでは無理だ。どうしたものか……」

 

 顧雍は考え抜いた末、遠くローマから来ている商人に話を聞いた。

 すると商人から水道の話を聞くことが出来た。

 

「金を幾らかけても良いのなら、いっそ『羅馬ローマという所から技術者も手配してもらう』というのはどうだろう?」

 

 顧雍はとんでもない事を思いつき、直に張昭の所へ直談判に行った。

 

「顧雍! 君は何という事を言い出すのか!? まさか、わざわざ西の果てにでも行くつもりか!?」

「……い、いや。流石に僕も司使君のマネなんぞはしませんよ。命が幾つあっても足りやしない」

「……では、どうするつもりだ?」

「交州経由で来て貰うんです。士燮ししょうさんに頼み込んで、何とか……」

「ならば良いが……。宛はあるのかね?」

「羅馬の商人から聞いたんですが、暴君に追われている者も多いとか……」

「……本当に出来るのかね?」

「……賭けですけどね。ですが、それ以外の方法を思いつきませんので……」

「……分った。責任は儂が取るから、やるだけやってみよ」

「有難き幸せ。では早速、手配を致します」

 

 それから一年後、ローマから十数人ほどの人々がやって来た。

 皆、技術を持ち合わせており、優れた能力を持っている。

 しかし、その中で一際目立つ存在がいた。

 ルキッラという四十代の女性である。

 

 ルキッラはローマ皇帝コンモドゥスの姉にあたる人物だが、皇帝暗殺に失敗し島流しの刑にさせられていた。

 暗殺の理由だが、皇帝が自分の地位を剥奪する恐れからであった。

 

 ルキッラは野心家でもあるが、冒険心にも富んだ女性でもある。

 その為、あまりにも退屈すぎる島暮らしが我慢出来なかった。

 そんな折、遥か東の国から技術者を募ることを知ったのだ。


 いてもたってもいられず、ルキッラはその話に飛びついた。

 ローマに戻っても自身の居場所は既にない。

 そんな所には、もう用はないのである。

 自身は病死と伝え、そそくさと夜陰に紛れて船に隠れ、親しい者達と共にインドを経由して荊南へと辿りついた。


「こんな東の果てに、こんな都市が建設されているなんて……。面白いじゃないの……」

 

 ルキッラは美しいだけでなく、知的探究心が豊富な女性でもある為、着いた当初から言語を習い始めた。

 私塾では虞麗主が子供達に教えていたが、同じ女性ということもあって、直に親しくなった。

 

 ルキッラはラテン語だけでなくパルティア語にも堪能で、辞書編纂にも尽力した。

 この事が後々ローマだけでなく、西方からの技術者の受け入れが次第に容易となり、衝陽発展の源流の一つとなるのである。

 

 ある日、ルキッラは虞麗主が司護の養女という事を知り、司護について聞くことにした。

 どのような男か興味があるからだ。

 

「慶里(虞麗主の字)。貴方の父君は帝なんですよね?」

「帝ではありません。荊州牧ですよ」

「……荊州牧?」

「……ええと。属州総督と言えば宜しいかしら?」

「ええっ!? 一属州総督がローマと同じ都を造れるのですか!? この国は!?」

「……い、いえ。恐らく父上だけです。こんな事をするのは……」

「……それでも信じられません。……それで、奥方は何人おられるのです?」

「……一人もおりませんよ」

「フフフ。嘘をおっしゃい。では何故、貴方と弟さんがいるのですか?」

「二人とも養子なのです。それでいて、結婚の申し出は全て断っているのです……」

「……嘘でしょう?」

「本当の事です。ですから、周りからは変人扱いされているのです」

「その上、不思議な出奔を繰り返している……。失礼かもしれませんが、何故、皆は貴方の父君についていくのですか?」

「……分りません。ですが、父上が統治していれば天災が起こらないので、天がお味方している。それ故でしょう」

「………」

 

 ルキッラには理解しがたいものである。

 自身の皇帝である弟は美少年、美少女のハーレムを作り、夜な夜なそれを毎晩、満喫している。

 未亡人になったルキッラ自身も、自分より若い男を愛人にし、夜の生活を堪能した。

 それなのに、成人して十年近く経つ男が未だに妻はおろか、愛人さえもいないのである。

 

 これが、この国の文化ならまだ分かる。

 だが、そのような事をする者は話を聞く上では皆無である。

 故に皆が理解不能な為、ルキッラが理解出来る訳がない。

 

「……それなら、いっそ私が正室になっても良いわね。ここまでの力があるなら、何れ皇帝になるのも夢じゃない筈……」

 

 ルキッラはそう考えたが、かなりの難題である事は想像に難くない。

 

 さて、他にも巨大都市計画には難題がある。

 区分けされる為の城壁が正しくそれに当たる。

 その中で管寧は区画従事(区画整理部長)という役職を貰い、日々奮闘を繰り返していた。

 

「ここまで巨大な都市となると、本来なら荊南だけの財力では無理な筈であるが……」

 

 管寧がそう呟くと、区画従事中郎(区画整理補佐役)に任命された徐奕が嗜めた。

 

「幼安(管寧の字)殿。まだまだ先は長いですぞ。こんな事で弱音を吐いては……」

「分っているよ。季才(徐奕)。だが、これだけの大仕事だ。弱音を吐きたくもなろう……」

「お気持ちは察しますが、最早後には引けませぬ」

「君は古参の一人だからな。司使君に対する忠義心は人一倍なのであろうが、これは容易な事ではないぞ」

「そんな事は百も承知です。しかし、やり遂げなければなりませぬ」

「しかし従来のやり方では、とてもじゃないが無理だ。君は良い策はあるか?」

「元歎(顧雍の字)君が連れてきた羅馬人の知恵も借りましょう。何でも混凝土コンクリートなる物があるそうです」

「……混凝土だと?」

「はい。水道に使われる素材との事です。それも利用しましょう」

「上手くいくのかね?」

「従来の方法では時間が掛かります。この際ですから、試すのも一興かと……」

「……ううむ。やるだけ、やってみよう」

 

 中国では主にせんと呼ばれる煉瓦が城壁の主流となっている。

 故にコンクリートも用いた城壁は革新的と言えよう。

 

 ただし、問題は山積している。

 コンクリートを精製するには火山灰が必要になってくる。

 近くに良質の火山灰が取れる箇所はなく、水道橋などの整備にも滞る有様だったのだ。

 

 顧雍と徐奕は焦ったが、一人の人物が領内に居ることを思い出した。

 趙達である。

 趙達は易経従事という役職を貰い、巨大都市衝陽の風水を占う役目を得ていた。

 しかし、一切現場には現れず、自宅に篭って配置図とにらめっこする有様である。

 その為、周りからは疑問視され始めていた時期であった。

 そんな矢先、顧雍は趙達の自宅へと押しかけたのである。

 

「趙達先生! お願いの儀があって参りました!」

「……騒々しいね。どうせ、探し物であろう」

「……は、はい。良くご存じで……」

「ハハハ。だが、今回ばかりは私もちと自信がないな……」

「ええっ!? 何故ですか?」

「良く分からん代物だからだよ。一体、どのような代物なのかね?」

「……それは、これですが」

 

 顧雍は火山灰を見せた。

 すると趙達は訝しげな表情を浮かべ、こう言った。

 

「何だね? これは……。ただの灰じゃないか」

「……いいえ。これが城壁や橋の素材となる灰なのです」

「ふぅむ……。ちょっと、待ってろ」

 

 そう言ってから、趙達は占いを始めた。

 二時間ほどすると、少々疲れた様子で顧雍にこう述べた。

 

「……武陵の西だな。涪陵ふうりょう郡との境にあると出た」

「もう少し近場には無いのですか?」

「贅沢を言うな。そこ以外に領内には無いぞ。他では益州か、はたまた幽州の東の果てだ」

 

 顧雍としては不服だが、それでも無いよりは数段マシである。

 徐奕は顧雍から話を聞くと直に武陵へと向かうことにした。

 顧雍は灌漑事業の為、衝陽からは離れられなかったからだ。

 

 武陵へ着くと、すぐさま政庁へ向かい、案内をする者を探した。

 すると丁度良いところに武陵蛮の族長の一人、新設された荊蛮校尉の沙摩柯に出くわした。

 

「おう! これは誰かと思ったら徐奕さんではないか! 武陵へは何をしに!?」

「相変わらず君は声が大きいな」

「ワハハハ! 声が大きいのは生まれつきだ!」

「ハハハ。そうだ。丁度、君に頼みたいことがある」

「おう! この俺に頼みたい事とは……。そうか! 分ったぞ!」

「……何かね?」

「どいつの頭をフッ飛ばせば良いのだ!?」

「ハハハ。残念ながらそうではない。確かに、あの董承とやらの頭をフッ飛ばしてやりたいが、今回は違うよ」

「何!? 違うのか!? では、何だ!?」

「この灰を探している。火山灰というものらしいが、見覚えはあるかね?」

「ただの灰ではないか……」

「だが、この灰が衝陽の運命を握っておるのだよ」

「……狐につままれたような話だ。だが、協力しよう! 族長連中に掛け合ってみる!」

 

 沙摩柯はそう言うと、直に知り合いの荊南蛮の族長らに使者を送った。

 その結果、ある武陵蛮の村に大量の火山灰が取れる箇所が見つかったのである。

 大喜びした徐奕は、すぐさま武陵蛮の人夫を集い、大がかりな工事をすることにした。

 

「問題は輸送手段だな……。どうしようか」

 

 徐奕は一旦、近くに流れる小川に簡易的な港を造り、そこから長江を渡って衝陽へ運ぶルートを思いついた。

 船であれば輸送が容易になるからだ。

 ただ、それでも現代の船とは違い、難航するのには違いないのだが……。

 

 この大がかりな工事だが、噂として直に広がっていった。

 ただし、その噂は「大規模な金鉱が発見された」というものだ。

 そして、耳に入れた者の一人に益州の涪陵郡の太守張忠も例外ではなかった。

 

「野郎! あそこは涪陵郡の筈だ! それを勝手に発掘するなんぞ許さん! 思い知らせてやる!」

 

 張忠は名ばかりの零陵太守となった客将曹寅を主将にし、都から連れてきた韓猛を副将として出陣させた。

 その兵の数は五千である。

 曹寅も大金が手に入ると思い、息巻いていた。

 

 一方、その急報はすぐさま武陵にも届いた。

 それを聞いた張任は思わず大笑いし、こう述べた。

 

「面白い。どれ程のものか見せてもらうことにしよう」

 

 張任は自ら出陣の用意をしたが、それに待ったをかけた者がいる。

 武陵蛮の長の一人、沙摩柯であった。

 

「張府君! 俺の一生の頼みだ! 俺にやらせてくれ!」

「何故、そこまで俺に頼むのだ?」

「曹寅の奴は俺の許嫁の仇だからだ! これこそ千載一遇の機会! 何卒、俺に仇討ちを! 頼む! 後生だ!」

 

 張任は沙摩柯の申し出を断わることが出来なかった。

 そこで沙摩柯を主将とし、副将に甘寧、参軍を趙儼とし、兵一万を与えた。

 なお、大多数が武陵蛮を始めとする荊南蛮の兵で構成され、士気は異様な高まりを見せていた。

 更には荊南蛮らの長達おさたちの申し出もあり、兵は二万近くに上ったのである。

 かつて武陵を治めていた曹寅を見込んで張忠は曹寅を主将にしたのだが、それが思わぬ誤算だったのは言うまでもない。

 

 将の質、兵の数、そして兵の質や士気も比較にならなければ話にならない。

 両軍が開戦するやいなや、たちまち張忠の軍は総崩れとなった。

 副将の韓猛は勇猛で自信過剰な男であるが、流石に色を失せて我先に逃げる始末である。

 

「ひっ! 怯むな!! 陣形を立て直し、後退するのだ!!」

 

 主将の曹寅は悲鳴を上げながら兵を何とか纏めようとした。

 しかし、その兵を掻き分けて猛然と突き進む男がいた。

 沙摩柯である。

 

「許嫁の仇! そこに居たか!! これぞ正しく天佑! その首、引きちぎって墓前に添えてやる! 覚悟しろ!!」

「ひいぃ!?」

 

 曹寅は兵を繰り出して悪鬼と化した沙摩柯にけしかけるが、肝心の兵が及び腰で話にならない。

 それどころか我先に逃げる始末である。

 更に勇敢に立ち向かっても、沙摩柯に追随してくる武陵蛮の兵に全く歯が立たない。

 曹寅は逃げ出そうにも我先に逃げる味方の兵が邪魔をし、逃げるには難しい状況と化していた。

 それでも懸命に馬を走らせたが、ついには沙摩柯に追いつかれ、背後から強烈な一撃が曹寅を襲った。

 

「ごぶっ!!」

 

 逃げる曹寅の背中に沙摩柯の容赦ない鉄疾黎骨朶の一撃が襲った。

 厚い鎧の上からの一撃だったが、その一撃は強烈で、背骨は砕け散り、内臓は破裂して曹寅は呆気なく絶命してしまった。

 生涯、金に欲が眩んだ男の憐れな最後であった。

 

「おおお!! やった! やったぞ! 見ていてくれたか! おおお……」

 

 沙摩柯はその場で大号泣し、今は亡き許嫁に話しかけた。

 血生臭い修羅場と化した戦場だが、何故か許嫁がそこに居るような気がしたのだ。

 そして後日、曹寅の首級は許嫁の墓前に添えられ、盛大な宴が催された。


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