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外伝35 交州にて(後編)


 郝普は字を子太と言い、荊州南陽郡の人である。

 幼少から秀才として近隣の村々に知られ、劉岱によって一度は茂才に推挙された経緯がある人物だ。

 当初、劉岱は従事として起用する予定であったが、曹操によって止められた。

 曹操の郝普に対する評価が著しく低かった為である。

 その評価を聞いた劉岱は当然、曹操に問い質した。

 

「曹右相よ。何故、君は郝普をそこまで下に見るのかね?」

「ハハハ。郝普になる人物は、そこまでの器では御座いません。少々、知恵が働くようですが自惚れており、人を見る目がありません」

「何? 『人を見る目がない』……だと?」

「はい。煽てられたり脅されただけで心変わりする小者です。役立たずならまだしも、害があるかもしれませんぞ」

「……そこまで言うか」

「試しに秦左相殿(秦頡のこと)にも聞いてみては如何ですかな?」

「……う、うむ」

 

 劉岱が秦頡を呼び出し、同じく郝普について聞くと秦頡も全く同じ意見だった。

 そこで劉岱は郝普を推挙する形で都に招聘させたのである。

 郝普は些か不服であったが、そこで朱符と知り合って交州へ赴くことになった。

 

 当初、郝普は交州牧の別駕従事となる予定だった。

 しかし、途中で朱符と同郷である劉彦、虞褒が加わり、補佐役へと降格された。

 その事で郝普は劉彦、虞褒に対し恨みを抱いていたのである。

 

 そこに丁度、劉彦と虞褒の弱みとなる帳簿を見つけたのだ。

 こうなれば帳簿を朱符に見せるだけである。

 しかし、このままでは朱符に見せたところで藪蛇であろう。

 そうなれば自身の命が危ういのは必定である。

 単独での強訴は危険を大いに伴うからだ。

 

「さて、誰が良いだろう? あの二人に恨みを抱いている者と言えば……」

 

 郝普が考え抜いて該当者を絞った結果、適任者は王忠と決まった。

 王忠は特に劉彦、虞褒を恨んではいないが、唆して味方につければ良いのである。

 下手に劉彦、虞褒を恨んでいる者に持ちかけると暴走する恐れもある。

 

「問題は『どうやって焚き付けるか』だな……。どうしようか」

 

 郝普は王忠がまだ謹慎中であることを利用することにした。

 謹慎が解かれないことを劉彦、虞褒のせいにするのである。

 しかも都合が良いことに葛嬰らが株を上げて校尉になったばかりだ。

 

「何? 郝普がやって来た?」

 

 自宅で謹慎中の王忠は怪訝そうな顔で使用人を見た。

 昼間から酒をかっ喰らっていた所に不意な客人が来たとの報せを受けたからだ。

 しかも、相手はあまり面識のない郝普だから当然である。

 

「どういうつもりだ? まぁ、どうせ暇だし、会うだけ会うとしよう」

 

 王忠は使用人に命じて郝普を客間に通させた。

 一応、謹慎中ではあるが、多少の人付き合いは問題にならない。

 

「これは王校尉殿。お久しゅうございます」

 

 使用人に連れられて現れた郝普は妙にへりくだっていた。

 これには王忠も内心怪しんだが、そもそも来ること自体が怪しいので特に気にしないことにした。

 

「これは郝普殿。しかし、貴殿が来られるとは珍しいな」

「ハハハ。近くに寄ったものですから……」

「本当にそれだけかね?」

「はい。あ、ひょっとしてお邪魔でしたかな?」

「いや、そんな事は無い。暇すぎるぐらいだからな」

 

 郝普も馬鹿ではない。

 王忠が怪しんでいることぐらいは直に分った。

 故に使用人が席を外した所を見計らい、ここは率直に言う事にした。

 

「王校尉殿。実は内々に調べていた件でここに来たのです」

「ほう? どなたを調べていたのかな?」

「劉彦、虞褒の両名です」

「……それと某に何の関わりが?」

「あの両名が王校尉殿に罪を擦り付けようとしているのですよ」

「……な、何? しかし、某は……」

「先日、王校尉殿が臨賀郡に攻め込んだ際に、兵の数を当初よりも上乗せ致しましたな」

「……う、うむ。しかし、それがどうして?」

「その際にですが、それらの兵を使って臨賀郡ではない交州の村々を略奪し、私腹を肥やしたというのです」

「なっ!?」

「ここに帳簿が御座います。王校尉殿には見覚えが無いと思いますが、これを使って陥れるつもりなのです」

 

 当初、帳簿には王忠の名前は無かったが、郝普はその中に王忠、王垕の名を帳簿の筆跡を真似て付け加えた。

 帳簿の中には元々、劉彦と虞褒の名は無いので、これだと王忠が王垕に命じていたことになる。

 

「馬鹿なっ! 俺はそんな憶えはないぞ!」

「でしょうな。ですが先日、昇進したばかりの葛校尉(葛嬰)が劉従事(劉彦)に宛てた手荷物の中に、これが紛れ込んでいました」

「だが、俺は関係ない! 正直に話せば朱使君も分って下さる筈だ!」

「ですが、その帳簿の中には先日、王校尉殿が兵を募った際の使途不明金もありますぞ。どう弁解するのですかな?」

「……ううむ」

「それに、これが不問にされたとしても、このままでは何れ王校尉殿は陥れられるでしょう。今ならまだ警戒されておりませんから、良い好機と思えますが」

「……ふむ。確かにそうだ。だが、兵馬がないのにどうやって?」

「先手を打つのです。劉彦、虞褒らは、しこたま自身の家に財を蓄えているでしょう。それを奪い取るのです」

「……どうやって?」

「先日、獄に入れた賊どもを使うのです。そ奴らを蜂起させ、政庁が混乱している内に強奪しましょう」

「……上手くいくのか?」

「ハハハ。ここいらの民も不平不満が溜り暴発寸前です。暴徒となり、略奪に加わるよう仕向けさせるのです」

「………」

 

 王忠は郝普の誘いに乗ることにした。

 もし、朱符が帳簿を無視したとしても、このままでは朽ち果てるしかない。

 そう思ったからこその決断である。

 

 それに、獄に入れられているのは賊だけではない。

 税を払えない者も懲罰と称して入れられている者も多い。

 その為、あちこちで怨嗟の声が上がり、士一族以外が管理していない各地で反乱が蜂起しているのである。

 これは朱符が着任して間もない為、そこまで手が回っていなかったからだ。

 

 決心がついた王忠は反乱を起こすべく賛同者を募った。

 同僚の王植と孔秀を始めとする者達である。

 この両名も臨賀郡において司護との戦いで敗れた為に冷や飯を食わされていた。

 

 そんな反乱の話が揚奉の耳にも入った。

 揚奉が元白波賊ということもあって迎合すると思われたからだ。

 その読みは当り、揚奉も反乱に加担することになった。

 

「やっと陽の目に当たる時が来たか。これで鬱憤が晴らせるというものだ」

 

 徐晃は顔をしかめたが、今の楊奉には何を言っても聞く耳は持たない。

 渋々であるが徐晃は楊奉に従い、共に兵を挙げることにした。

 

 ただ、ここで一つ問題があった。

 それは郝普や王忠らは、あくまで朱符への強訴であったが、楊奉は朱符を殺すつもりでいたのである。

 楊奉は勇猛ではあるが、粗野であまり周りや後先のことを考えない男だからだ。

 

 さて、葛嬰らがまたもや蜂起した一揆を鎮圧する際に兵を募ると、兵の中には不平不満を漏らす者も多くいた。

 山越や荊南蛮の兵は給料も安く、漢の兵は給金の割には比較的安全な業務が多いからである。

 これでは不平不満が出ても致し方ないことであった。

 

 葛嬰は出兵の際、些か嫌な予感がした。

 民だけでなく、兵も不満を持っており、それが何時暴発してもおかしくない状況だからだ。

 しかも現在、臨時の地所となっている南海郡の番禺ばんぐは守りも脆弱である。

 周辺には敵対勢力が無いものの、攻め込まれれば一溜りもないのだ。

 

 そして、その葛嬰の嫌な予感は的中した。

 葛嬰が仲間の丁公、屠睢とすいらを副将にし、行軍中の三日後の夜未明に、王忠らは反乱を起こしたのである。

 

 まず王忠は王植らを引き連れ、劉彦と虞褒の家を襲った。

 彼らが持っている財宝を褒美として功を挙げた者に対し、褒美とするつもりだからだ。

 劉彦と虞褒の両名は、それぞれ私兵を雇っていたが多勢に無勢であったので、政庁へ自ら増援を求めた。

 両名とも泣きながら必死に訴えたので、朱符は急ぎ兵を遣わせたのである。


 そうなると当然、政庁の守りは更に脆弱になる。

 そこに血に飢えた狼のような楊奉が、今まで略奪を散々働いてきた手飼いの獰猛な連中を率いて暴虐非道に襲いかかった。

 楊奉の兵は共に白波賊として働いていた連中なのだ。


 楊奉らはまず衛兵を殺した後、政庁の中へと次々に入って行く。

 中には衛兵や侍従以外にも侍女もおり、そういう侍女らは楊奉が率いる豺狼さいろうらの慰み者となった。

 徐晃はその光景を見て、顔をしかめたがどうする事も出来ない。

 

「こっ! この狼藉者! 貴様ら何をしているのか分っているのか!?」

 

 そう叫びながら剣を持ち、衛兵らを伴って豺狼達へ襲いかかった者がいる。

 従事の王垕おうこうであった。

 

「誰かと思えば役立たず従事の王垕か。命だけは助けてやるからとっとと失せろ」

 

 楊奉は笑いながら嘲笑した。

 

「黙れ! この凶賊め! 成敗してくれる!」

 

 そう言って楊奉に斬りかかったが、王垕は簡単に殺されてしまった。

 

「何ということを……。この者は忠義者ではありませぬか。楊部曲長であれば生け捕りに出来たでしょうに……」

 

 徐晃は楊奉にそう言うと、楊奉は鼻で笑ってから、こう言い返した。

 

「ボヤボヤしているとクソ州牧が逃げちまうんだよ。そんな奴の亡骸は放っておいて先へ行くぞ」

 

 楊奉はゲラゲラと下卑た笑いを上げながら、先へ向かった。

 

「嗚呼……。やんなるかな。これでは何のために帰順したのか分らぬ」

 

 徐晃はそう呟くと同時に手負いの衛兵らが襲いかかってきたので、得物の大斧を振るい倒した。

 

「……許せ。拙者を恨むなよ。恨むならこのような事態に陥ったことを恨んでくれ……」

 

 徐晃はそう嘆き、それ以上、先へは行こうとしなかった。

 

 一方、逃げ込んできた劉彦と虞褒であるが、狼狽する朱符を見限り、事もあろうか後ろから朱符を見限って交州牧の印璽を強奪した。

 その事を知った朱符は歯ぎしりをし、既にいない両名を罵倒した。


「おのれ! 余の恩を忘れ印璽を盗み逃亡するとは! 必ずや、その首を挙げてやるぞ!」

 

 しかし、そのような事を今更言っても無意味である。

 逃げ惑っていたが、ついには楊奉に追いつかれ、命乞いも空しく刺殺されてしまった。


 そして一方、まんまと逃げ遂せた二人は混乱の最中、逃げ惑う者達を尻目に馬で逃走した。

 行先は士燮ししょうが太守となっている交趾郡だ。

 そして、そこで朱符の遺言とでっち上げ、士燮ししょうは両名の言う事を聞き交州牧を名乗った。

 士燮は元々、交州牧の地位を望んでいたので、当然の成り行きだったのである。

 

 士燮は洞察力に長けており、劉彦、虞褒の両名を全く信用していない。

 だが、交州牧の印璽を土産に持ってきたので、客人として持て成すことにした。

 そして、これに異を唱えた人物がいた。

 同じく賓客として扱われている程秉ていへい。字を徳枢という若者だ。

 因みにこの者も鄭玄に師事し、研鑽けんさんしていた者でもある。

 

「士府君。これはちと不味いのでは?」

「ハハハ。儂は既に交州牧だ。敬称を間違えられては困るよ。徳枢」

「そんな事はどうでも良いでしょう。大体、あの両名を本気で信用する気ですか?」

「馬鹿な事を……。あの両名は佞邪の類であろう。奴らを信用するほど、儂は耄碌もうろくしておらぬ」

「では何故、交州牧を名乗るのです?」

「漢は既に衰えた。それ故よ。それにだ。この地は朝廷にとって、どうでも良い扱いを受けておる」

「しかし、ですね……」

「くどいぞ。要は攻められなければ良いのであろう? それならば問題あるまい」

「……と、申されると?」

「益州王君(劉焉)からは既に交州牧の印璽を受け取っておる。それに荊南の司護とはよしみを通じておる」

「………」

「頃合いを見て劉彦と虞褒の両名は誅殺するつもりだ。それならば問題なかろう」

「……何を申しても無駄なようですね。ですが、確かに一理あります」

 

 それ以上、程秉は何も言う気にはなれなかった。

 程秉もまた、漢の衰退を実感しているからだ。

 

 しかし、士燮の思惑とは裏腹に朝廷の動きは意外な対応をしてきた。

 新任の州牧として董重を任命してきたのである。

 

 董重はやる気が全く無いが、半ば強引に交州の別駕従事に着任した董承は違う。

 董承は意外にも周辺の反乱を次々と鎮圧していったのだ。

 しかし、これは治中従事(人事管理の役職)である鍾繇の手腕によることが大きい。

 

 鍾繇は、まず楊奉ら元白波賊の鎮圧に着目した。

 先に述べたが、楊奉と共に朝廷に帰順した親友の韓暹を利用したのだ。

 しかも楊奉は都尉に昇格する上での帰順である。

 

 朱符の殺害は劉彦、虞褒の両者ということにされた。

 その両名を追い払ったことにし、楊奉は昇格した上で帰順することになったのである。

 そして、王忠らも同じく無罪とされ、奪った財宝は一部返還することにより赦免された。

 ただし、丁公、葛嬰、屠睢の三名は天帝教と繋がりがあるとされた為、帰順の願いは叶わず、章河派天帝教と協力する区連の下へと落ち延びた。

 

 鍾繇は更に税制を見直し、税率を下げることを提案する。

 それでも朱符が着任する前よりも高かったが、領民たちは「それでもマシな方だ」と渋々、納得した。

 こうして鍾繇は全ての罪を朱符、劉彦、虞褒の三人に擦り付け、懐柔していったのである。

 

 更に会稽郡と豫章郡から侵攻してきた軍勢は、再び帰順した楊奉と洛陽から連れてきた李楽らに命じて撃退させた。

 攻める難く、守りに易い地形を利用した為、何とか撃退することに成功したのである。

 ただし、これには理由があり、劉繇が執拗な交州攻めを嫌ったということであった。

 

 一方、別駕従事となった董承は、士燮を始めとする士一族らが太守となっていることに着目し、祝い金と称して多額の賄賂をせしめようとした。

 要するに「そのまま太守となるならば、上納金を収めよ」という事である。

 問題は、その上納金の額が桁違いだったことだ。

 更には逃亡していた劉彦、虞褒の両名の引き渡しを命じたのである。

 

「何を今更、馬鹿げたことを……。儂が交州牧なのだ。払う必要などないわい」

 

 士燮は劉彦、虞褒の両名は引き渡すつもりであったが、上納金を無視するついでに全てを無視することにした。

 董承が怒り狂ったのは想像に難くない。

 

 そして、時をほぼ同じくして区連が日南郡で兵を挙げ、領内から士一族の者達を追放したのは既に述べた通りだ。

 こうして交州における三つ巴の戦いの幕が開かれたのである。


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