彼女と彼の人間関係
友達はいない。
親友はいない。
幼馴染みもいない。
でも、恋人はいる。
ぺらり、と本のページを捲りながら考えてみたけれど、やっぱりおかしい気がする。
何がと問われれば、上手く答えることは出来ないけれど、何かがおかしいような気がするのだ。
友達の定義は人それぞれだけれど、辞書で引いてみれば『勤務、学校あるいは志などを共にしていて、同等の相手として交わっている人』と書かれている。
そうして、その人それぞれ定義の違う友達を、範囲的に更に狭めた定義を持ってして、親友が出来るのだろう。
幼馴染みは、まぁ、親の人間関係やご近所付き合いなど、色々と条件が必要なものだ。
残念ながらまともな友達もいない私には、そんなに昔からの長い付き合いの、幼馴染みに該当するような人物は知らないし、いない。
じゃあ、恋人は?と自問自答。
……恋人が出来た理由も、自分でも良く分かっていなかったりする。
失礼ながら気付いたら愛情が生まれていたパターンで、付き合いたての頃は、特に何かを思ったり意識することはなかった。
ダラダラと考察してみたが、結局のところ簡潔的に何が言いたいのかと言えば、私には交友関係が少なく狭いということ。
友達がいなくて、恋人がいるなんて、三流小説の悪女みたいだ。
「つまり、自分は悪女ですってこと?」
「……何でそうなるのかしら」
放課後の図書室。
図書室の鍵を持っているのは私で、利用者も図書委員の仕事をしているのも私だけ。
本日の部活は自主練のみだった、と言う彼が何故か練習着のまま、私の聖域である図書室にやって来たのだ。
そうしてやって来た彼は、私の顔を見るなり「何考えてるの?」と問い掛けて来た。
だからこうして答えていたと言うのに、彼の今の発言と来たら、今の今まで何を聞いていたんだ。
何となくやるせない気持ちになり、後書きまで読み終えた本を閉じる。
「冗談だよ。誰がどう見ても、お前は良い女だ」
うんうん、と一人で納得するように頷く彼に、私は自然と溜息が漏れる。
汚れた練習着のまま、私の目の前に座って笑顔を見せる彼は、一体私のどこに惹かれたと言うのだろうか。
少なくとも私は私がそんなに好きではないのに。
読み終えた本を持ち上げて、新刊の棚に戻す。
もう、利用者は来ないだろう。
そもそもお昼休みでも、片手で足りる人数しか利用しないのだ。
わざわざ放課後にやって来るなんてことはない。
……テスト週間を除いて。
「それより、着替えて来なくていいの?」
「着替えるけどさ。その前に、何で俺が好きになったのか聞きたいんじゃないの?」
質問にはきちんと答えてから、自分も同じように質問をぶつける。
質問に質問を返されるよりはいいけれど、にこやかに言うその口が気に入らない。
眉根を寄せて振り返れば、やはりその顔に笑みを浮かべて、私の方を見ていた。
「俺のこと、好き?」
「何それ。女子みたい」
「ははっ、確かに」
言葉のキャッチボールがスムーズに進むのは、一対一の人間としてきちんと向き合えているからだろう。
何故これを、私は他の人相手に出来ないのか。
疑問に思ったことは何度もあるが、答えは出ないし、結果として直すことも直ることもなかった。
色素の薄い茶色の髪が、窓から差し込む夕日に照らされて、キラキラと光っている。
神々しさの中に秘めたる毒々しさは、きっと私しか知らないだろう。
汚れた練習着なのに、なんで綺麗に見えるんだ。
元々顔の造形が整っているからなのか。
徐々に歪んでいたのであろう、私の顔を見て、彼は小さく吹き出す。
目を細めて笑うその姿に、少しだけキュンとしたのは、彼に絆されている証拠だ。
「実はお前、モテるんだよ」
知ってた?なんて笑いながら言う彼に、私は背を向けて新刊の本棚を整理し始める。
今回も沢山いい本が入ったが、借りる人がいないならば意味はない。
正しく宝の持ち腐れというやつだ。
「おーい、聞いてる?」
「聞いてますけど」
リノリウムの床と、上靴を擦らせて歩き出した彼は、私の隣に立って、私の顔を覗き込む。
下から見上げるようにしたのは、計算か素か。
あざとい、なんて思いながらも、彼の薄い色の瞳に映る自分を見る。
完全に信用し切っていない顔があって、小さな苦笑が漏れてしまう。
彼は何故か愛おしそうに目を細め「友達いないのも、親友がいないのも、幼馴染みがいないのも知ってる」と言い出す。
男らしい薄い唇が、ゆっくりと動くのを見ていると、不思議な気分になっていく。
地に足の着いていない、夢現のような感覚だ。
「人との接し方が下手なのも、定義なんて考えないと意味を理解出来ないのも、知ってる。んで、お前が一番欲しいものも、知ってる」
するり、と彼の手が私の頬を撫でる。
部活をやっているせいで、手の平の皮が固くなってゴツゴツしているけれど、決して不快な感覚はない。
むしろ愛おしくて、心地いい。
「壊れやすい友情よりも、脆い関係よりも、絶対的な繋がりが欲しい」
囁かれた言葉を、咀嚼して飲み込む。
ゆっくりゆっくり、味わっていけば、それを理解して処理が出来る。
そうすることで、彼の言葉は私の中に落ちてくるのだ。
ストン、と音を立てて収まった時、彼はその顔に満面の笑みを浮かべる。
夕日に照らされたその顔は、美しくもあり、残酷でもあるだろう。
だが、彼の言葉が落ちてきた今では、美しくても残酷でも、神々しくても毒々しくてもいい。
「愛して欲しいだけ、だもんな」
彼の言葉に、私はやっと笑みを見せる。
綺麗な弧を描いた彼の唇が、柔らかく優しく、私の唇に押し当てられ、望んでいたのはこれなのだ、とまたしても私の中に何かが収まった。