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……おそらく、アラタからこの手紙を受け取ったということは、ボクが葉月幽に敗北し、そしてヤツがこんな手紙なんて歯牙にもかけないほどに、事態を深刻化させているということでしょう。
すでにつたわっているかどうかは分かりませんが、ボクは葉月幽の内偵を、宗主じきじきの命令で進めていました。
と、同時にこの事態を、組織からの君の解放に利用できないかと考え、あえて君を表向きに推薦し、自分は裏でそれをサポートして探るように提案しました。
ただ、当初葉月幽たち『流天組』が不正な技術開発を外部に依頼していたため、それを弾劾するための調査であったはずでした。……本来であれば、それで終わるだけの話でした。
ところが実際のところは、あの女は組織どころか世界の転覆をねらっていて、ボクはそれを防ぐために立ち回らなければなりませんでした。
結果として、君を危険な目に合わせてしまった。
過去のこともふくめて、ほんとうに、ごめんなさい。
それだけしか言えません。
すでに『流天組』の離反は、宗主に報告しました。
じきに彼らの鎮圧を開始するでしょう。
『ルーク・ドライバー High Ray』には、すでに君の生体認証も登録されています。
それを使ってどうにか、事態の収拾がつくまで生き延びてください。
どうか、無茶はせず、血気にはやらず、自分の手の届くかぎりの力で。
「……悪いな、冬花。あれを使う資格は、オレにはないよ……」
彼女からの手紙を折りたたんでコートのポケットにしまい込み、新田前は病院の敷地内にあるバス停のベンチで、重くうなだれた。
すでに、夜が明けていた。
もうクリスマスのムードも取り払われていっている街並みが、ここからでも見ることができた。
だがはたして、年があらたまるまでにこの状況は打開されているのか。いや世界は……存続できているのだろうか。
別途添付されていた彼女のドライバーのマニュアルと、借り受けていた本体は楢柴アラタに返却した。
アラタは露骨に怒りをにじませていたが、彼を殴りもせず、それを返却されることを拒まなかった。
「だいたいお前のせいだが、組織の体制にも、冬花自身にも非はあるからな」
とだけ言い残し、自身は桂騎と会話したあとでどこへなりとも去っていった。
脱力するゼンの、その華奢な肩に手が置かれる。
振り返れば、おだやかな目をした桂騎が立っていた。
「……悪いな、こんな時間まで付き合わせちゃって」
「いえ。俺も、もう少し早く、彼女の真意を察していれば」
「いや、オレこそ」
と言いかけて、ゼンは言葉を嘆息とともに飲み込んだ。
卑屈自慢をしたところで、冬花の意識がもどるわけでなく、ただ気分が沈んでいくだけだ。
今は、それどころじゃない。
葉月幽を、『流天組』を止めなければいけない。組織の到着なんて待ってられない。これは、自分たちの問題だ。
巻き込んでしまったものの桂騎習玄と、自分と、そして……
「……時州はどうした?」
「先に帰りました」
そう答える習玄の声は、つめたく、硬かった。必要以上にあのウサギの話はしたくないという、決定的な亀裂を感じさせた。
瑠衣の余命もまた残り少ないと知れば、ふたりの関係性も変わってくるのだろうか。
だが、仲良くなった習玄と瑠衣の姿というのが、まったく思い浮かばない。
根底から、両者は相容れない存在だと、もうすでにゼンにもわかっていたことだった。
――そりゃ、オレだってあいつのことはあんまり好きじゃないけど。でも、もう永くないのかもしれないし……
そうやって逡巡しそうになる思考を打ち切って、気配を悟ってゼンは門の前に目を向けた。
少女、九戸社が、彼女らしからぬ引き締まった顔で立っていた。
手にウサギの人間を載せたまま、こちらに嫌悪感を向けながら。
――当たり前、だよな。
ゼンは、彼女に対しても負い目があることを思い出し、頭を痛ませた。
なにせ、敵対していたとはいえ彼女の兄弟子を死に追いやってしまったのは、自分の依頼なのだから。
だが、それなら桂騎にぐらいは笑顔を向けてくれてもいいではないか。
彼もまた、なんの非もないだろうに。
そんな相手の拒絶の雰囲気を察しながらも、習玄はぎこちなく笑い、深々と頭を下げた。
対する社の手のひらのうえで、「やーやー」と瑠衣は数センチ程度の右手を挙げた。
「どうしでした? 検証の結果というのは」
「いやぁ、なかなか有意義だったよ。彼女とも楽しく『お話』をさせてもらった」
なー、と念押しする瑠衣に、社は無機質にうなずいた。
「はい。今回の一件を通じ、そして時州先生のお言葉で、私たち百地家の真の使命を知りました」
ほう、と相槌をうつ習玄の横顔は、にこやかながらも口元は笑っていなかった。
「我々が忍びの技術や秘術を現代まで伝えてきたのは、けっしてスパイごっこをするためではなかった。異能異形の魑魅魍魎どもを、ことごとく殲滅するために」
その桂騎習玄をまっすぐに見据えながら、九戸社……だったはずの少女は憎悪さえ感じさせる感情のたけりを端々に滲ませて、
「この世に存在してはならない異端者どもを、すべて根絶やしにするために。……すべては、静謐なる銀夜のために」
と言った。
「……銀夜?」
習玄は、露骨に怪訝に、顔をゆがませた。ここまで感情を発露させることは、彼にしてはめずらしい。
その視線は、彼女本人ではなく、彼女が大事そうに支える人形へと注がれていた。
だがそんなことにお構いなしに、瑠衣は上機嫌にのたまった。
「いやぁ、喜んでくれ! これで彼女たち百地一族が、本格的に協力してくれることになったぞ! 世界の危機を前に心強い味方が増えて、万々歳といったところかな!」
ンヌハハハ、という品のない高笑いが、いまだに暮色をのこし、霧深い病院に、高らかに響き渡ったのだった。




